三菱は悪い 米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。 アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。
だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。 国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。
米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。 アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」
日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。 三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm 日本の体制は戦前も戦後も基本的に同じで、天皇制官僚国家。「国体」は護持されたと言えるだろう。 そのつながりを象徴する人物が1932年6月から41年12月まで駐日大使を務めたジョセフ・グルー。
そのいとこにあたるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまり巨大金融機関J・P・モルガンを率いていた人物の妻だ。 J・P・モルガンと最も近い関係にあった井上準之助は1932年2月に射殺されているものの、松岡洋右のように親しい日本人は残っていた。松岡の妹が結婚した佐藤松介の甥にあたる岸信介や佐藤栄作もグルーとはつながっていた。
1932年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街に支援されていた現職のハーバート・フーバーが破れている。そこで、J・P・モルガンをはじめとするウォール街の金融資本がファシズム体制の樹立を目指してクーデターを計画した。この計画はスメドリー・バトラー少将の議会証言で明るみに出ている。 J・P・モルガンが日本を属国化する切っ掛けは1923年の関東大震災。復興資金の調達を引き受けたのがこの金融機関だった。「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上がこの金融機関と結びつくのは必然だったのかもしれない。 震災後、1925年に「治安維持法」が制定されて思想統制が本格化、27年には第1次山東出兵、翌年に第2次山東出兵と張作霖爆殺があった。1928年には日本共産党関係者らが大量に検挙されている。 そして1931年、関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)が立案した計画に基づいてい満鉄の線路が爆破され、いわゆる満州事変が勃発、32年には日本の傀儡国家である満州国の建国が宣言された。この満州国について、アジアにコミュニズムが広がるのを食い止める防壁だとウォール街の大物弁護士で、ロックフェラー財団の理事長でもあったジョン・フォスター・ダレスは考えていたという。(Mainichi Daily News, September 14, 1971) ウォール街がイデオロギーだけで動くとは考え難く、満州国の建国を中国略奪の一環として捉えていたのではないだろうか? それはともかく、グルーと親しくしていた日本人は少なくない。その中には吉田茂や白州次郎も含まれ、外務大臣だったことから豊田貞次郎海軍大将も親交があった。豊田の親戚の中には日本開発銀行の頭取になる小林中がいる。 また、グルーを中心に活動していたアメリカ対日協議会(ジャパン・ロビー)を支えていたひとりであるウィリアム・ドレイパー(ディロン・リード銀行の出身で、陸軍次官を経験)は池田勇人と親しく、その池田の子分にあたる人物が福田赳夫。つまり、吉田、岸、池田、佐藤、福田はジャパン・ロビー、つまりウォール街に直結している首相だった。そして、岸の孫が安倍晋三だ。 現在、アメリカが進めている政策は1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリン(DPG草案)に基づき、日本の軍事化はその流れの中でのこと。日本が進む方向を戦争へと導いてきた人物として、ジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、パトリック・クローニンといった名前が挙がっているが、安倍を操っているのはI・ルイス・リビーだとも言われている。リビーはウォルフォウィッツと一緒にドクトリンを書いたネオコン/シオニストの大物でもある。 日米関係は戦前も戦後も基本的に同じだ。戦後はニューディール派の影響で民主的な要素も加わったのだが、それは数十年かけて消されてきた。その間、民主主義を破壊する作業を大半の日本人は傍観、戦前以上のファシズム体制が迫っている。 http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201610260000/ アメリカは、日本の奇襲を待って日本との戦争に乗り出した直後には、戦時情報局のライシャワー(戦後の駐日大使)が、「天皇を利用した間接支配」を提言したことを受けて、「天皇を象徴(シンボル)として利用」することを対日占領政策として公式に定めた。 そして空襲においては、皇居の攻撃を禁止することを厳命した。元駐日大使・グルーらが吉田茂、近衛文麿ら日本の「和平派」とされる人脈への工作や、ザカリアス大佐のサンフランシスコからの短波放送を通じてその方向を貫いた。また原爆投下や空襲では年寄り、女、子どもを無慈悲に焼き殺す一方で、三菱や軍事、金融関連などアメリカの戦後支配や財界の利権がからむ施設を露骨に保護していった。 こうしたことは、戦前からアメリカ支配層と天皇や皇室、財閥との間に密接な人脈が築かれていたことによって可能であった。対日戦略文書を起草したマッカラムは、キリスト教宣教師の両親のあいだに長崎で生まれ、少年時代を日本の諸都市で過ごした「日本通」とされ、昭和天皇が皇太子のときに「駐日アメリカ大使館」でダンスを教えたことで知られる。グルーは天皇や秩父宮、ザカリアスは高松宮と昵懇の関係にあった。 昭和天皇は戦後、原爆投下について聞かれたとき、「広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ない」と公言した。 そこには、側近の木戸幸一が「陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたというのであった」と語ったような原爆投下への本能的な感謝の気持ちが充満している。 海軍大臣であった米内光政も広島・長崎に原爆が投下されてすぐの8月12日、「原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである」と言明していた。 日米戦争の最後の9カ月の間に89万7000人、すなわち78人に1人に当たる日本国民が殺された。そのほとんどが非戦斗の市民であった。ちなみに、アメリカ人は3万2000人が死んだ。 これは戦後対日占領支配をたくらむアメリカと、天皇を中心とした日本の支配層が主従の関係にありながら、日本国民が社会の主人公として新生日本を建設することを阻むために、へとへとに疲れさせるという点で互いに結託していたことを教えている。 真珠湾攻撃と日米開戦は、そのような米日支配層の親分子分の関係を確立し、戦後の対米従属支配につなげていく起点でもあった。その内実は、安倍晋三が自慢する「日米同盟」にしっかりと受けつがれている。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/sinjuwankaratunagarubaikokunokeihu.html 日本は海外に巨大な権益を持つ帝国主義国であるがアメリカの屈辱的な植民地的隷属下にあるという特質を持っている。 このような日本社会のさんざんな崩壊状況は第二次大戦に根源がある。 あの戦争では320万人が犠牲となった。あらゆる家族で親類に戦死者がいないところはないというほど殺された。 あの戦争は天皇を頭とする独占資本集団が、国内をさんざんに搾取収奪して、 狭隘な国内市場から海外に求めて侵略につぐ侵略、戦争につぐ戦争を繰り返し、 最後に中国への全面侵略戦争を引き起こし、米英仏蘭列強の植民地争奪戦に突入して敗戦となったものであった。 ところがアメリカの対日参戦は、アジアをファシズム国の侵略から解放するためでも、社会主義ソ連とともに日独伊ファシズムとたたかって民主主義の世界を実現するためでもなかった。 アメリカは中国市場を奪う野望とともに、日本をたたきつぶし単独で占領するという明確な計画を持って臨んだものであった。 そして天皇をはじめとする独占資本集団、政治家や官僚、大新聞など、戦争を指導してきた支配層は、人人には「鬼畜米英」「一億総玉砕」などとあおり立てながら、実際には「国体の変革」すなわち人民の革命を恐れ、米英に救いを求めていった。 自らすすんでアメリカによる日本支配を担うこと、日本の民族的な利益のすべてを売り飛ばすことによって、自分たちの支配の地位を守ってもらう道を進んだ。 現在むき出しにあらわれた日本社会の植民地的隷属状態は、日本の政財官界から新聞界などあらゆる支配勢力が、アメリカの利益のために自ら進んで日本の民族的利益を根こそぎ売り飛ばしてきたことによって進行した。
かつて旧満州を統治するのに六〇万余の軍隊を必要とした。 かつてマッカーサーは「天皇は一〇〇万の軍隊に匹敵する」といったが、 四万人ほどの米軍で日本を隷属支配しているのは、アメリカの意向をくんで自分から進んで働いて地位を得るという売国的な支配勢力の存在があるからである。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/anpokaiei50nensengo65nenwotyokusi.html
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