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昭和の方が平成より凶悪犯罪が多かった
2012-03-22
懐古主義は役に立たないし、むしろ害悪だと思っていますが、ちょっと前の日刊SPA!の[昭和ノスタルジー]が日本を滅ぼす(2012.02.20)の昭和バッシングはすごすぎてこれはこれでちょっと引きました。テーマは以下。
「人々は活気に溢れていた」「温かい時代だった」『ALWAYS 三丁目の夕日』第3弾も公開され、ますますブーム沸騰中の「昭和」にもの申す! 過去を懐かしむことは決して悪いことではない。しかし、昭和ノスタル爺の懐かしみ方は常軌を逸している。昭和は本当に良かった時代なのか!? “昭和ブーム”の浅薄さを検証し、その後ろ向きな懐古主義がもたらす弊害について考えてみた。
とりあえず、タイトルにした犯罪から。
【昭和懐古主義派の主張】
◆青少年の凶悪犯罪が増えた平成に比べ、昭和はのどかでよかった。道徳心は昔のほうが高かった
「現在は秋葉原通り魔事件や酒鬼薔薇事件など、歪んだ青少年犯罪が増えている。全体の犯罪件数も昔より多い」と嘆くのは、古き良き昭和を尊ぶ人の決まり文句。その理由として「昔は他人を出し抜こうとせず、皆、助け合っていた」「子供の頃に厳しい“しつけ”を受け、人の道を外さない精神が備わった」とするのだが……。
【実際は……】
◆今より格段に多かった犯罪。少年による猟奇的事件も
犯罪は昔のほうが多かったとのこと。平成22年の刑法犯の検挙人員は8万5846人だが、法務省「犯罪白書」によると昭和37年は今より格段に多い56万9866人。そのうち、16万2941人が14歳以上20歳未満の少年だ。特に強姦は成人よりも少年のほうが検挙人員が多いという事態なのだ。
猟奇的犯罪も、平成の専売特許ではない。昭和32年、中学1年生の男子が誘拐された。同性愛嗜好を持つ犯人は死体をバラバラにして金魚鉢などでホルマリン漬けにしていた。昭和38年には東京で、児童を狙った連続傷害事件が相次ぐ。性器切断を目的とした異常犯罪の犯人は、学業優秀な17歳の高校生だった。昭和39年には東京で児童誘拐が頻発、教育長が防止対策を各市区に通達した。
「今は誰もがどこでも歩ける国になりましたが、昭和30年代、女性や子供の歩ける場所はだいぶ限られていたと思います。私が生まれた昭和50年代でさえ、暴力団や無軌道な若者が集まる歓楽街など『あそこには近寄るな』というエリアが必ずありました」と語るのは、小説家の深町秋生氏。カネ目当ての確信犯もいれば、欲望を理性で抑えきれない強姦魔や通り魔は今よりむしろ溢れていたのだ。
犯罪件数は誤魔化せないのでたいてい「凶悪犯罪」としますが、これの定義はどうなんでしょうね?
警察庁でしていると思いますが、治安が悪い方が予算を守れる(以前紹介したかな?)という状況にあるので、警察庁としても凶悪犯罪が多いと嬉しいはずです。
私には増えたとも減ったとも断定できないのですが、よく言われる凶悪犯罪増加論への批判は「凶悪犯罪が増えた」のではなく、「凶悪犯罪の報道が増えた」というのが本当だというものです。
要するに数字が取れる・部数が伸びるから、犯罪報道が増えたよということなんだとか。
【昭和懐古主義派の主張】
◆都内でも自然が残って、山里も綺麗だった……。とても生きやすい時代だった
昭和ノスタルジーで語られる生活環境といえば、まだ雑木林や原っぱ、あるいはザリガニ釣りをするような池や川が残っていたというもの。(中略)
◆環境に対する意識が希薄で汚物も有害物質もタレ流し
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台は昭和30年代だが、当時の社会状況を検証した『昭和33年』(ちくま新書)の著者・布施克彦氏は次のように語る。
「映画『ALWAYS』では大通りを走っている自動車の数が少なすぎますね」(布施氏)というように、当時すでに新聞でも排ガス汚染や騒音が問題になっていた。また、現在と比べれば都内にも自然は残っていたが、建設ラッシュの都内では、「建設現場も雑で、騒音や振動など周辺対策は考慮されていなかった」のだ。
(中略)
さらに、下水道の整備はまったく遅れていたので、都内を流れる川には生活排水が流れ込み、急激にドブ川と化していた。映像ではニオイは一切伝わらないが、川周辺の地域では、特に夏場などは猛烈な悪臭に悩まされていたという。
ついでに言えば、公共マナーの概念も薄いから、そこら中でタバコのポイ捨てはするわ、タンは吐くわで、街がかなり汚れていた。
さらに深刻な問題としては「水俣病」や「四日市ぜんそく」など、全国的に公害病が次々に発生していたが、経済成長最優先だった日本では、政府も環境対策は二の次で、長らく放置されたままだった。
医療環境や衛生面も現在とは比べものにならず、昭和33年の平均寿命は男が約65歳、女が約70歳で、今と比べて15年も短い。また乳幼児死亡率は1000人当たり34・5人と、今の10倍以上あり、映画やテーマパークの書き割りでは伝わらない健康や生命へのリスクが溢れる時代だったのだ。
公害問題の酷さは比べ物になりません。これは私も思いました。まあ、福島原発事故は酷いですけど、結局昭和産です。
【昭和懐古主義派の主張】
◆昔の先生はとっても立派で素晴らしい教育者だった。昔の教育現場のほうがよかった
昭和を過剰に美化するタイプは「昔は、いわゆる“熱血教師”ばかり。生徒一人ひとりと真摯に向き合う金八先生みたいだった」と口を揃える。保護者の信頼も厚かったらしい。その一方で「現在は“教師”を単なる職業の一つとして捉えている、ドライで頼りない先生ばかり。だから学級も崩壊する」と見なしているのだが……。
【実際は……】
◆環授業拒否する教師が続出。教室はすし詰め状態
昭和30年代半ば、学校は荒れに荒れていた。当時の社会状況を検証した『昭和33年』(ちくま新書)の著者・布施克彦氏が経験したのは、教師の授業ボイコットだ。
「勤務評定導入に反発する動きが全国に広がり、授業そっちのけでデモに参加する日教組の教師が大勢いました。ほかにもすぐに泣き出す先生や、生徒を置き去りにして駆け落ちした先生など、ダメ教師は少なくなかったですね」
体罰も当たり前。生徒も生徒で教師へ暴行を働く事件も多発。不祥事のない学校でも“すし詰め教室”が問題化していた。
「私の小中学校時代は、いつもひとクラス55人。今は30人前後でしょう。先生一人あたりの生徒数が多ければ、必然的に教育の中身は薄くなって当然です。“昔はよかった”とは言い難いです」
体罰万歳の人と日教組ラブな人はきっと仲悪いでしょうけど、どちらも批判されています。
ただ、これ読んでいてモンスターペアレンツはやはり平成特有の問題で、悪化した例だろうなと思いました。権利意識は高まりすぎても、弊害が出ます。
あと、おもしろかったのは下記の部分。
個人の価値観も今と異なり、統計数理研究所による「あなたにとって一番大切なもの」調査では、当時は「生命・健康・自分」が最多。「愛情・精神」、「金・財産」と続く。一方、平成15年の1位は断トツで「家族」。「金・財産」は5位。我が身とカネは、昔のほうが重んじられていた。
調査方法が同じなら言い訳できませんね。
私が昭和で嫌だなと思うのは、安保闘争や強盗、リンチ連発のあさま山荘事件などの左翼の無法です。
これがあったことを認めてなお「それ以外は平和で物騒ではなかった」と書いていた人いましたが、正直理解しかねる感覚です。
まあ、過去を美化しても意味がないのと同様、過去を攻撃しても意味がありません。結局、今ある問題を解決して一歩一歩進んでいくしかないのです。
一番良いのは過去でも現在でもなく、未来となるように頑張りましょう。
(転写終了)
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