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金正恩がアメリカを憎悪するもっともな理由
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/post-9217.php
2017年12月26日(火)21時00分 トム・オコナー ニューズウィーク
北朝鮮兵士の亡命後、軍事境界線を挟んで睨みあう南北の兵士 Kim Hong-Ji-REUTERS
<アメリカが考えなしに選んだ北緯38度線が、北朝鮮の運命をここまで狂わせた。金王朝3代に語り継がれた怨念のルーツ>
北朝鮮とその指導部が抱くアメリカに対する憎悪の源は、今から約70年前にさかのぼる。第二次大戦後、朝鮮半島を占領していた米ソの思惑によってもたらされた南北の分断と、大国の介入で凄惨を極めた朝鮮戦争にまつわる怨念だ。
北朝鮮の若き指導者、金正恩朝鮮労働党委員長は、2017年を北朝鮮にとって歴史的な年にした。ドナルド・トランプ米大統領の度重なる圧力や国連の経済制裁をものともせず、金は核兵器の技術を大幅に進歩させ、アメリカ全土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成を発表した。北朝鮮外務省は、トランプが12月18日に発表した「米国第一」主義に基づく国家安全保障戦略について、「朝鮮半島で覇権を握ろうと企てている」としてアメリカを猛烈に非難した。実際アメリカは、1945年に悪名高い北緯38度線を引いて南北を分断させた張本人だ。
「アメリカはソウルを占領したかったので、南部にソウルが入るよう恣意的に38度線を引いた。それは、地図に引かれた1本のただの線だった。歴史上、朝鮮半島がこのように南北に分断されたことは一度もない。南北よりは東西に分かれる必然性のほうが強いくらいだった」と米ジャーナリスト、バーバラ・デミックはニュース解説サイト「ヴォックス」(Vox)に語った。デミックは100人以上の脱北者の取材をもとにした著書『密閉国家に生きる―私たちが愛して憎んだ北朝鮮』(邦訳:中央公論社)を出版している。
■日本から解放されたと思ったら
「朝鮮半島の人々にとって、分断はなんとも腹立たしいことだった。日本の植民地支配から解放され、やっと独立できる、と思った矢先のことだ。しかも、他国を侵略した罪のせいで分断されたドイツと違い、朝鮮半島の人々は犠牲者だった。彼らは素朴だったがゆえに分断された」とデミックは言った。
第二次大戦後は、北朝鮮もドイツも冷戦初期の米ソ対立の舞台になった。第二次大戦末期、米ソは追い詰められたナチス・ドイツに猛攻をかけ、戦後統治の主導権を握ろうとした。結果、ドイツは西側に属する西ドイツとソ連圏に属する東ドイツに分断された。首都ベルリンは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国が分割管理した。
極東でも、米ソは激しく勢力を争った。共通の敵は、20世紀初頭から朝鮮半島を植民地支配していた日本だった。アメリカが落とした2発の原子爆弾とソ連の対日参戦で日本が降伏した数日後には米ソが朝鮮半島に進出し、これを分断した。北緯38度線の北側ではソ連が、南側ではアメリカが、それぞれのイデオロギーに忠実な傀儡政権を打ち立てた。
デミックが語った通り、その後半世紀以上も朝鮮半島の運命を変えることになる境界線の決定は、いい加減なものだった。米国務省のチャールズ・ボーンスティールと、彼の同僚で後に国務長官となったディーン・ラスクは、米ソが合意できる境界線の設定という任務を託された時、米誌ナショナル・ジオグラフィックの地図を引っ張り出し、目に入った北緯38度の直線を選んだ。ソウルがアメリカ側に入っていたからだった。占領地側の事情は何も考慮しなかった。結果的に朝鮮半島の数百万の住民は南北に分断され、対立が悪化し、軍事衝突が起こり、米ソ冷戦下で初の代理戦争へとつながっていく。
分断当初は恒久的な解決のために半島統一を目指す国際的な対話が始まったが、国連がアメリカ寄りの姿勢を強めるにつれ、ソ連は孤立していった。1948年8月、アメリカの意向を受けた南朝鮮の独立運動家、李承晩が韓国初代大統領に就任。対抗して9月、北では抗日パルチザン活動を指揮した金日成が北朝鮮人民民主主義共和国の首相に就任した。両指導者とも、境界線での武力衝突が激しくなるにつれて国内の少数意見を弾圧するなど独裁的な手法が批判された。そして1950年6月、北朝鮮は半島統一を目指して韓国へ侵略を開始した。
■殺しまくった米軍
北朝鮮の進撃は当初、韓国を圧倒した。数カ月のうちに、北朝鮮軍は朝鮮半島の90%を制圧した。だが米軍を中心とする国連軍の介入で逆に北の中朝国境まで追い詰められ、10月になって中国が参戦すると再び38度線付近まで押し戻された。戦争はさらに2年近く続き、多くの犠牲者を出したが、戦況は膠着状態のままだった。1953年7月、休戦協定が結ばれた。1945年の南北分断と同じく、この休戦条約も一時的な措置のはずだったが、敵意は一向に晴れなかった。とくに北朝鮮にとっては。
戦いは激しく、双方が相手の残虐行為を非難した。米軍は北朝鮮が支配する地域に63万5000トンの爆弾を落とした。対日戦争で使った爆弾を上回る量だ。3万2557トンのナパーム弾も投下した。米空軍のカーチス・ルメイ将軍は1984年の米紙ワシントン・ポストに、米軍の空爆で「人口の20%を抹殺した」と豪語したほどだ。南北朝鮮で数百万人が殺された戦争で、アメリカには生物兵器を使用した、などの戦争犯罪の疑いもかけられた。その時の恨みは北朝鮮の金王朝3代に引き継がれて今も対米観を歪ませている。
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