選挙そのものが詐欺である理由
The Truth About Voting
★一般的な選挙に対する考え方
選挙のたびにあなたの一票がどれほど大切かといった大量のプロパガンダで溢れかえります。
公の考え方によれば、一般人が選挙で候補者に投票をすることで国家をコントロールしているということです。
大統領と他の政治家は人民の奉仕者であるとされており、政府は民衆の機関だとされています。
この考え方は神話のようなものです。
★選挙の本当の姿
なぜならすべての選挙で選ばれた代表者は、人民ではなく大企業や国の官僚が望むことを実行しなければならないからです。
選出された代表者らは傀儡(くぐつ)にすぎません。
誰が選出されたかによって政治家の話す言葉遣いは違う場合もありますが、しかし彼らは、最終的には同じ状況を前提にした場合に同じ政策を実施しなければならないのです。
選挙は詐欺です。エリートではなく大衆が政府をコントロールしているという幻想を作り出し、抵抗勢力の動きを鎮静化させることが選挙の機能なのです。
すべての票は国家や支配者層を強めるだけで、政府の政策を変える手段としては効率的な手段ではありません。
★どの政党が政権についても、結果は同じ?
ある政党が選挙に勝ったものの、大企業の利益に反対する政策を施行した場合には利益が減少し、ビジネスや投資家はその投資から手を引くでしょう。この資本の逃避は、経済崩壊の原因となります。
与党が大企業をなだめるために政策を変更しない場合、経済が不況になり次の選挙で負けることになるでしょう。
実際には、与党が権力を失う事態を防ぐため、大企業のエリート層に媚びを売るためにほとんどの政党は政策を変更しています。これは理論上だけでなく、繰り返し起こっていることです。
・世界中の様々な例
数か月前、インドでも起こりました。
コングレス党が率いる左派が選挙に勝ち連合政権を形成し、そのために株価の下落が起こりました。投資家が自らの利益を損ねるような経済的政策の変更を恐れたためです。
次期首相になるはずであったソニア・ガンジー女史は首相の座に就かないことを選択し、新政権は前政権と実質的に同じ政策を採用せざるをえませんでした。両政権の言葉遣いは違いますが、本質的に政策が同じなのです。
一般的には、資本逃避という脅威だけでも反抗的になりえる政治家を従わせるのに十分です(しかし大企業のエリートや官僚と衝突する政策を検討したことのない政治家がほとんどである、というのが実際ですが)。
たとえばビル・クリントンは穏健でリベラルな改革論者という政策で当選していますが、政権の座に就いた後は、自らの公約を放棄せざるをえなくなりました。もしクリントン元大統領が公約を継続した場合には債券市場の反応は望ましいものではなく、経済が失墜するからです。
クリントン氏がこれに気がついて、相談役にもらした次の発言が有名です。
「私の計画の成功や再選(の可能性)は、連邦準備金制度(FR)とあのクソみたいな債券トレーダー次第である、とあなたはは私に言おうとしているのですか」
そのため自分の計画に着手することさえかなわないまま放棄させられ、実質的に共和党の提案とまったく同じの政策を実行することになりました。
(中略)
★大資本家に望ましくない政策を強行させることを全力で阻止する諜報機関(CIA)
政府はこの問題に対しては産業を国有化することで対処できる可能性がある、と論理的には言えます。しかし民主党も共和党も(あるいはめだった第三者のほとんども)それを望んでいません。
仮にそれを望む政治家がいた場合、最高裁判所が望みを打ち砕くでしょう。たとえそれを避ける方法が見つかったとしても、その場合はCIAや国防総省がクーデター(あるいはそこまで劇的でない手段)で政権を転覆させるでしょう。
CIAは産業の国営化を試みたり、あるいは米国の大企業にとって十分に好意的でない政策を施行しただけの多数の政府を転覆させています。たとえばチリやイラン、グアテマラ、ブラジル、ギリシャ、コンゴやその他の多くの国の政府が対象となっています。自国内で同じことをするのは、簡単なことです。
★選挙後の政治家に起こる変化と官僚制度
(当選後の)政治家は一般公衆からは隔離され、代わりに官僚や他の政治家に囲まれます。そのため、政治家らは隔絶された一般民衆の考え方よりも、政治家や官僚のものの考え方と同じ視点に立つ傾向が強くなり、政府官僚の圧力の影響を遥かに受けやすくなるのです。
選出された政治家は国家官僚に情報を依存するため、公式には政治家が管理しているはずの官僚による意識操作に非常に無防備になります。
たとえば50年代後半、CIAは国家安全保障会議(NSC)への報告で警戒度を上げるような一連の報告を行い、インドネシア国内で反乱を開始させるための許可を得ましたが、しかしそうでなければ反乱を起こすことは認められなかった可能性もあります。
これを考えると、政府の情報機関(特に秘密の機関)の政治家に圧力を与え、政策を望ましい方向に誘導する力がどれほどのものかおわかりになるでしょう。
さらに各個の政治家の任期は一時期に過ぎませんが、官僚は永続的であるという事実からもこの仕組みは強力なもので、政治家がそのような意識誘導に対して慣れておらず、官僚が情報を操作することが容易になる基盤となっています。
つまり国家官僚は恒久的な存在である一方、政治家は一時的な国家官僚にすぎないため、選出された代表者の政治家よりも官僚がより強力な権力を持っているということです。
また国家官僚は望ましくない政治家や政党、勢力にダメージを与える情報を漏洩するなどの嫌がらせを行うこともできます(最近の反戦活動家がFBIによって嫌がらせを受けた例など)。そのため国家官僚の関心に好意的な政治家が優位な立場に立っているのです。
国家官僚の中でも特に軍部と諜報機関は選出された代表者(政治家)に対してかなりの自治権が認められていますので、政治家に支配されているとは言えません。
ニュージーランド(NZ)の諜報機関が、国際的な電子スパイシステムであるエシュロン(Echelon)に秘密裏に参加し始めた時、NZの首相はまったく認識していませんでした。
CIAによる秘密の活動(クーデターを含む)のほとんどは、連邦議会の許可を得ないまま実行されており、1966年にCIAがガーナのクーデターに関与していた場合を含め大統領の許可すら受けずに行われた活動も一部あります。
ロシア1918〜20年、ラオス1965〜73年、カンボジア1970〜75年などの戦争では、全体を通して秘密裏に戦っていました。
80年代中盤に連邦議会がニカラグアのコントラ(アメリカが支援するテロリスト組織)への資金提供の停止決定を行った後も、連邦議会の決断を無視する形で秘密裏に資金提供が継続されていました。
★税金が私物化されるシステム
国防総省は会計検査用の資料を作成することすらできず、毎年繰り返すように数十億ドルが紛失しています。米国行政予算管理局の監査役によれば、2000年度の裏付けのないバランス調整額が合計で1.1兆ドルであったことを発見しています。
つまり、選出された代表者(特に連邦議会)は国防総省に対して意味のある統制力は持ち合わせていないということです。連邦議会の公聴会や予算管理のプロセス全体は精巧に作り出されたジェスチャーにすぎず、彼らは税金を私物化し、国防総省は自分たちの望みのままに税金を使用しているのですから。
さらに内容が秘密の闇予算が存在しており、国家安全保障の権力相が自らの望むことは何でも効率よく行うことを可能にしています。
一般民衆は言うまでもなく、選出された代表者が多くの国家官僚(特に軍事と諜報機関)を有効に統制することができないのはそのためです。
このような予算の機密性や操作、複雑さにより、政府官僚は相当なレベルの自治権を持ち(政治家が実際的に把握するには、官僚の数があまりにも多い)、官僚は選出された政治家から特定の事項を秘密にしたり、あるいは自分たちの都合のいいように政治家に圧力をかけるなどやりたい放題です。
政治家が選挙に当選するために約束することと、実際に就任してから行うことはまったく異なる問題で、政治家は公約を破るのはありふれた話です。
しかしこれは不測の事態などではなく、このシステムが作られた帰結にすぎません。
「システムが崩壊したわけではありません。 システムはこのように機能するよう作り出されたのです」
★当選後に公約と正反対の政策が行われた一例
ジョージ・ブッシュは「国造り(nation-building、他国を乗っ取ること)」には関与しない、と2000年の選挙活動中に話していましたが、実際には彼は何度か他国を乗っ取っていました。また彼は、バランスの取れた予算を、と主張していましたが、その政策を放棄したのは明らかなことです。
1992年の選挙活動中、クリントンはユニバーサルヘルスケアを提唱していましたが、彼が政権を離れた時は彼は政権に就いた時よりも、健康保険に加入していない人が増えていました。
一代目ブッシュは大統領選挙中には「私の唇を読んで―新法は作らない!」と話していましたが、どちらにせよ税金は引き上げていました。
レーガンは政府を小さくすると公約していましたが、軍産複合体を拡大させ膨大な赤字に膨らませていました。制服を縮小させたというよりは、富裕層にとってより都合のよい政府へと再構築しました。
カーターはアメリカの外交政策の魂を人権にすると公約していましたが、しかし東ティモールでの大量殺戮に資金を提供し、アルゼンチンや韓国、チリ、ブラジル、インドネシアやその他の場所で残虐な独裁者の支援を行っていました。
1964年の選挙期間中、民主党は左派にジョンソンへの投票を推薦していました。共和党の対抗馬であるゴールドウォーター氏は狂信的な戦争屋でアメリカのベトナムへの関与を強めるおそれがあることがその理由ということでした。ジョンソンが当選しましたが、その直後にはアメリカのベトナムへの関与はエスカレートしていました。
フランクリン・ルーズベルトはバランスの取れた予算と政府支出の制限を公約にうたっていましたが、実際に行ったのはその正反対でした。
1916年の大統領選挙で再選したウィルソンは、アメリカを戦争から切り離すことをスローガンにしつつも、嘘をついたように第一次世界大戦へと突入させることになりました。
フーバーは1928年、貧困を撲滅させると力説していたにもかかわらず、貧困の割合を急増させていました。
1974年のカナダの選挙で、カナダ自由党は賃金および価格への統制を提案する計画をしていたトーリー党(保守党)を批判していましたが、自由党が政権についてまもなく、賃金および価格への統制を実施しました。また1993年に同党は物品・サービス税(GST)の廃絶を公約していたにもかかわらず、政権獲得後にその公約を破っています。
イギリス自由党は1906年の選挙の際に軍事費削減を公約しながら、勝利後はドイツとの間の軍拡競争のために公約に背きました。
1945年、イギリス労働党は住宅供給の担当省の設置を公約していましたが、勝利後はその案を放棄しています。
★左派が自由主義へ傾倒し、大した差異がない
公式見解を信じれば、左派政党が政権を獲得したら左派的な政策、右派政党が政権獲得した場合も同じで右派的な政策が行われるものと思われていますが、それは期待できないというのが事実のようです。
元々平和主義で、反原子力としての立場で資金を得ていたドイツの緑の党は、90年代後半の選挙で連立政権として政権の座に就きました。しかしその後は自党の計画を放棄し、ドイツの核保有の終焉を実質的に遅延させ、それは原子力業界が終焉を希望するまで継続され、さらにコソボ戦争の間にはドイツの軍事介入を支援していました。
ブラジルの元大統領ルーラ氏は、大企業中心のシステムやIMF(国際通貨基金)に反対する立場を基盤に選挙活動を行っていたものの、大統領就任後はIMFと連携し(時折、IMFに批判的な発言はありつつ政策はIMF寄り)、さらに先代同様、大企業にとって望ましい政策を実現させていました。
ヨーロッパの社会主義・社会民主主義・労働党は当初、革命的マルクス主義の政党で、共産主義社会を目的にしていました。
しかしそういった政党が選挙に勝利し権力を手にした後は、当初の目的を少しずつ放棄し、普通の資本主義的政党になってしまいました。最初は改革主義的政策を促進し、マルクス主義のお題目を唱え続けていましたが、最終的にはマルクス主義的お題目さえ放棄したのです。
これらの政党は第一次世界大戦前、資本主義の支配者に利益をもたらすために労働者同士が殺し合いをするべきではないという論拠から、あらゆる世界大戦に対して反対をすると宣言していました。
第一次世界大戦の開戦時には、選挙であまり力を得ることのできなかった二つの政党(ボルシェビキとアメリカ社会党)を除くすべてのかかる政党はこの立場を放棄し、愛国主義が大きな波のように盛り上がる中で自国の政権を支持していました。
現在では、レーガンやクリントンのスタイルの規制撤廃や自由市場改革を推進し、かつて提唱していた福祉国家そのものを解体しています。
過去30年の間で、もっともリベラルなアメリカ大統領は、(保守政党の)共和党所属で、個人的な信念や発言内容は非常に保守的なリチャード・ニクソンでした。
ニクソンのリベラルな功績の一例
- アメリカ環境保護局(EPA)を設置
- 国との外交関係を構築
- (最終的には)ベトナムから撤退
- 召集制度の撤廃
- マイノリティー優遇措置を推進
- 最低賃金の設定を推進
- 価格統制を強制化
ニクソン以降のすべての大統領は、ジミー・カーターやビル・クリントンを含めてもニクソン大統領よりもずっと保守的でした。
【参考】http://www.bigeye.com/elections.htm
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【コメント】
まだ続きますが、かなりの長文なので少しずつ分割して掲載していく予定です。
英語圏、日本語圏を問わず、ちまたではよく、特定の政党や政治家に対し、「選挙で選出されているからまっとうだ」、「選挙は民主主義だ」などといった論拠を耳にすることがあります。
しかし政治を歴史的に振り返るとわかることですが、「選挙=民主主義」ではありません。
国民全員の意見をまとめるのは時間もかかりますし、かなり困難だから便宜上、選挙で代表者を選ぶ間接的民主主義制度が用いられている、というだけのことです。選挙で選ぶから民主主義なのではなく、国民が主権を持っている状態が民主主義なのです。
選挙制度については一般的には選挙区の問題もありますが、最近では様々なレベルでの不正行為が世界中で行われていますし、選挙後も国民の意見を実現するための代表者であるべき政治家は大企業の利益(GDPや税収)を最優先するシステムの官僚制度にいいように使い走りにされています。表立って反対意見を述べた政治家が変死したという事例も、世界的に珍しいことでは決してありません。
各報道社で多少の見解の相違があっても、その報道社のトップがみんなで仲良く特定の政治家とお食事会、なんてやっていては、本来であれば政治的な勢力の一つとして存在しうるメディアもただの提灯持ちにすぎなく、そういったメディアからの偏った情報で、主権者であるはずの国民が正しい選択ができるわけがありません。
数年に一度、特定の個人に投票する(紙切れに名前を書く)だけで民主主義だ、などと言っている人も多いようですが、選択肢に大した差異もなく、政治の話は一般的にはタブーであると成熟した議論もできない国民の大半が提灯持ちメディアに流されているだけの状態でどこが民主主義なのか私には理解できません。
投票するだけで世の中が変わることの可能性は低いということは、何度か選挙で失望したことのある方ならよくおわかりじゃないでしょうか。
そんな状況の中でも時折期待を持たせてくれる政治家もいますが、そういった人は貴重な存在で、このような選挙ごっこや民主主義ごっこに潰されて欲しくはないものです。
また個人的にはボルシェビキや共産主義、マルクスについても様々な関連資料を見ていて、これが資本主義に対する対抗策、という考え方についてもかなり批判的なのですが話が長くなり脱線しそうなので理由はここでは省略します。
当選後の政治家が公約を180度転換させるというケースは上記はわずか一部にすぎず、最近の例を見るだけでも世界中で起きていますね( ノД`) むしろそれが「当たり前」であるかのように思われている節もあるような・・・
「投票とは、頭をぶち抜くのにどの弾丸がいいか選択できるのと似ている」