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過去の脱退中に3度開戦 米国の“脱ユネスコ”は戦争準備か(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/819.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 10 月 17 日 18:36:20: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

     


過去の脱退中に3度開戦 米国の“脱ユネスコ”は戦争準備か
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/215637
2017年10月17日 日刊ゲンダイ


  
   頭の中はもう戦争?(C)AP

「25年間、何も得られず、交渉に失敗してきた。機能するのは一つだけだ」とツイートし、北朝鮮への強硬措置も辞さない姿勢を誇示しているトランプ米大統領。イランと主要6カ国(米英仏ロ中独)が2015年に結んだ核合意の破棄も示唆し、次々と敵対国を増やしている。加えて、12日、米国とイスラエルは、「反イスラエル」に偏向しているとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)からの脱退を表明。国際社会の輪から距離を置こうとしている。

 トランプ米国の一連の行動に不穏なムードを感じ取っている外交関係者は少なくない。というのも、米国は1984年にも政治的な偏向があるなどとしてユネスコを脱退。その後2003年10月に再加盟しているのだが、この脱退中に、3度も戦争を仕掛けているのだ。

・1991年1〜2月「湾岸戦争」

 イラクのクウェート侵攻を口実に米国中心の多国籍軍がイラクを攻撃。2月28日に停戦。

・2001年10月〜現在「アフガン戦争」

 9.11米国同時多発テロの首謀者アルカイダと通じているとしてタリバン政権下のアフガニスタンを攻撃。戦闘は2カ月で終結。対テロ作戦のため現在も米軍が駐留。

・03年3月〜11年12月「イラク戦争」

 「大量破壊兵器保有疑惑」のフセイン政権打倒でイラクを攻撃。03年5月1日ブッシュ大統領が「大規模戦闘終結宣言」。駐留の米軍はオバマ大統領の下、11年に撤退。

 米軍の先制攻撃による戦闘はいずれも短期で終結している。03年のイラク戦争では、秋には大規模な戦闘攻撃の必要はなくなっていた。そのタイミングでユネスコに再加入している。まるで、“戦争の巡業”から戻ってきたかのようだ。

「世界遺産などを所管するユネスコは戦争の悲劇を繰り返さないとの理念を持っています。米国もユネスコに加盟しながら、自然や文化を破壊する戦争を、自ら仕掛けることに気が引けるのでしょうか。今回の脱退表明も、北朝鮮かイランか、来るべき戦争に向けて“身軽”になりたかったのかもしれません」(外交事情通)

 ユネスコ脱退は来年末――杞憂で終わればいいが。










 

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コメント
 
1. 2017年10月17日 19:07:42 : xMqgxEyHbg : jhy1koVVCXs[66]
>イラクのクウェート侵攻を口実に米国中心の多国籍軍がイラクを攻撃

口実じゃなくて完全にそれが原因だろ。
イラクがクウェート侵攻するまで、アメリカはむしろイランへの対抗上、イラクの
人権侵害などと大目に見ていたのに。


2. HIMAZIN[552] SElNQVpJTg 2017年10月17日 20:13:55 : s7QCR1Z1RI : 5KoWCiqOztM[1]
>>1

今更アメリカの肩持っても無駄。

仕組まれた9・11 【6】イラン革命と湾岸戦争 田中宇
https://tanakanews.com/s911_06.htm
(一部引用)
湾岸戦争のもととなったのは、1990年のイラクのクウェート侵攻だが、これも一般に報じられている筋書きとは別の現実があった。イラク軍が突然クウェートに侵攻し、イラクの侵略行為を許さないアメリカがクウェートの依頼を受けて反撃した、というのが湾岸戦争の公式な筋書きである。

 ところが実際には、クウェートがイラクを挑発し、アメリカは中立的な立場を表明したため、かねてからクウェートの独立を認めていなかったイラクのサダム・フセイン大統領がクウェート侵攻を実行したのであり、フセインはアメリカとクウェートの策略にはめられた部分が大きい。

 イラン・イラク戦争の期間中、クウェートはイラクに軍資金を貸していた。戦争が終わった後、クウェートは貸した金をすぐに返せとフセインに要求した。フセインは「自分はイスラム革命がクウェートなどアラブ諸国に広がらないよう、アラブを代表してイランと戦ったのであり、クウェートもそれを望んでいたはずだ」として、戦費は借りたものではなくもらったものだと反論、支払いを断った。

 これに対して、クウェートはイラクとの国境地帯にあるルメイラ油田で、油井をイラク側にのばして採油を始めた。金を出さないなら石油で返してもらう、ということだった。イラクは盗掘されたとして非難し、軍をクウェート国境に結集させた。
http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/gulfw-17.html

 イラクの外相はクウェート駐在のアメリカ大使と会い、イラクがクウェートに侵攻するかもしれないと伝えたところ、大使は「アメリカはアラブ諸国間の内紛には関知しない」と答えた。イラクが侵攻してもアメリカは傍観する、という意味だと受け取った。その後、交渉の中でクウェート政府代表が、フセインが私生児であることを揶揄する発言を行ったため、激怒したフセインは翌日クウェートに侵攻した。

 クウェートの王室と政府の上層部は、侵攻直前に海外に避難しており、侵攻時にクウェートに残っていたのは、大半が他のアラブ諸国などからの外国人労働者たちだった。
 イラク軍は侵攻前にクウェート国境に大軍を結集させたため、アメリカは事前にこれを察知できた。ロシア・・・イスラエルがイラク軍の動きをアメリカに伝えたが、米軍は何の動きも見せなかった。
 イラク軍がクウェートに侵攻し、政府の情報省??のビルを占領して内部を捜索すると、1989年11月中旬にクウェートの情報省がアメリカCIAと会議をした議事録が出てきた。そこには「クウェートは、フセイン政権を転覆させるCIAの作戦に協力し、イラクに圧力をかける」という計画が書かれていた。
 会議が開かれたのは、イラクがクウェートに侵攻する9カ月前で、ベルリンの壁が崩壊したまさにその月だった。考えようによっては、アメリカは冷戦が終わるとともに新たな敵としてフセインを選び、湾岸戦争を誘発したともいえる。
(引用終わり)


3. 2017年10月18日 00:25:58 : xMqgxEyHbg : jhy1koVVCXs[67]
>>2
明らかにウソじゃないか。たとえば

>かねてからクウェートの独立を認めていなかったイラクのサダム・フセイン大統領がクウェート侵攻を実行したのであり、フセインはアメリカとクウェートの策略にはめられた部分が大きい。

フセインがクウェートの独立を否定したのは「かねてから」ではなくクウェート侵攻後の話。
その何よりの証拠にイラクはクウェートに大使館を置いていた。
独立を認めず自国領だと主張していたのなら、なぜ大使館など置いているの?
それはイラクがクウェートを外国だと認めていたからに他ならない。


4. 2017年10月18日 21:31:21 : KoH58Epg7c : yYIpdH3Am_4[337]
戦争の 布石を打つぞ 脱退で

5. HIMAZIN[553] SElNQVpJTg 2017年10月18日 22:30:48 : s7QCR1Z1RI : 5KoWCiqOztM[2]
>>3

不本意だったんだね。
こんな言いがかりしか出来ないあたり、アメリカ擁護は無理筋だと分かったのかな。


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