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東南アジアにおける欧米プロパガンダ - 本物の“サクセス・ストーリー”
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/--c05c.html
2017年10月16日 マスコミに載らない海外記事
全てが実にあつかましい形でおこなわれている。世界のこの場所にいない人々には、これほど‘完璧な’設計など到底想像できまい。
所属クラブに、私の場合はタイ外国人記者クラブ(FCCT)に入るやいなや、洗脳の長い腕が伸びて来る。
居心地の良い長椅子に座るとすぐ、しっかり世話をしてくれる。一体何を考え、考え方をいかに形成し、変更するか、指示され、命令されるのだ。
時折、中国における“腐敗と不品行”に関する映画を見せられる。とりわけフィリピンの反欧米大統領を中傷するような公開討論に参加するよう奨励される。
最近のことではあるが、中東、特にシリアも、注目を浴びるようになった。
もちろん、FCCTのような場所で提供されるほぼ全て、欧米の見解というか、より正確には保守派から‘リベラル’に至るまでの一連の欧米の見解だ。クラブはアジアでも東南アジアの中心にありながら、欧米の思考方法に熟達したごく少数のタイ人を除いて、きわめて少数のアジア人しか招かれない。あるいは、ダライ・ラマのような欧米の代理人、もちろん、このような人々は何時でも大歓迎だ! ‘反対側’の話をきくことなどあきらめて頂きたい- 中国本土からの共産主義思想家や作家、フィリピンの親ドゥテルテ派の学者や活動家のような講演者たちに出くわすことは決してない。
FCCTで見受けられるタイ人の大半は、実際、欧米主要マスコミの権威者に支援業務を提供する人々だ。通訳、フィクサー、ウエーターや数人の業務担当者だ。
ここは、アジア人が欧米人に、アジアに関して講義をする場ではない。ここは、欧米人がアジア人に、概して、どのように考えるべきか、とりわけ、自分たちの国について何を考えるべきかを教える場なのだ。
FCCTと同じ階の絨毯を敷いた狭い廊下の先には、BBC、NBCや、いくつかの他の主要欧米マスコミ事務所がある。バンコクの‘ペントハウス’マニヤー・センター・ビルディングは、実際、自給自足可能なプロパガンダ総合施設なのだ。
そして今晩、シリア国境からわずか数キロの場所で、約80,000人の難民を収容しているヨルダン’の巨大なザータリ難民キャンプに関する「サラーム・隣人」と題するアメリカ・ドキュメンタリー映画の無料上映(我々のような会員向けに)が行われる。
FCCTのビラには、あからさまに、こうある。“在バンコク・アメリカ大使館とアメリカ・フィルム・ショーケースの協力“
アメリカ大使館職員が映画を紹介する。(あからさまに)アメリカ国務省が後援している映画だ。
FCCTは混雑している。皆ビールを飲んでいる。冒頭のあらゆる演説に、人々は従順に拍手する。帝国の外務省が東南アジアでも最も重要な都市の外国人記者クラブで催しを主催する皮肉には誰も気がついてないように見える。冗談が飛び交うこともなく、風刺は皆無だ。欧米マスコミ連中は、きちんとしつけられている。オリバー・ストーンの“サルバドル”など期待してはならない - 全く違う時代のものなのだ。
生ぬるい当惑に満ちている。ここでは激烈なイデオロギー対決を目にすることは決してない。人は場所をわきまえている。彼らは、一体何を言うべきか、どう振る舞うべきかを十分承知している。しかし最も重要なのは、連中が何を書くべきかを知っていることだ。
*
映画は短く、わずか75分ほどで、実際はなから分かりきっていた。全く酷いというものではない。映画技法は立派で、おそらく、ごく僅かな事実しか提示していないせいで、事実上の間違いは非常に少ない。映画制作者たちは‘政治的に正しい’のだ。連中は時に、特に難民の子供たちとやりとりする際、感情を抑えきれず涙ぐむ。
“キャンプ住民は我々に心を開き、家も見せてくれた”などの陳腐なきまり文句に満ちている。
だがFCCTのあらゆる場所にあるモニター画面に冷ややかに規則的に現れる、いくつか当然予想できる場面もあった。たとえばこういうものだ。子供たちは暴力的な戦争ビデオ・ゲームで遊んでいる。ある子供が突然こう言う。
“ああ、これはアサド政権の旗だ… この人たちが僕に弾や武器をくれるんだ。” |
ソフトで‘善意で’うまく撮影されたプロパガンダを吹き込まれたのだ。シリア戦争における欧米の重要で、恐ろしい役割に関して、一言たりとも発せられない。ザータリ難民んキャンプが、最も過激な親欧米、親湾岸諸国テロ組織の訓練キャンプの一つであることに一言も触れない。
映画が終わった後、Q/Aコーナーにも参加することにした。
アメリカ納税者の負担でタイまでやってきた二人の映画監督を、いささか皮肉に称賛した。私もケニヤ-ソマリア国境の悪名高い残虐なダダーブも含め、難民キャンプ内で何本か映画を撮ったと言った。そこで、私は単刀直入に聞いた。
“シリア難民は一方の側だけの話ししかすることが許されていないのはご存じですか? 私はザータリ難民キャンプを良く知っています。そこでは、イラクのクルド地域にあるシリア難民キャンプ同様、シリア人はふるいにかけられ、アサド大統領に反対だと言わない限り、対応してもらえず、支援を得られないのです。” |
練達の欧米プロパガンダ制作者の当惑した顔が私をじっと見据えた。アメリカ大使館官僚連中は冷静さを保っている。連中はプロで、うろたえるようなことはまずない。
だがマスコミ連中は憤慨した。ロシア語なまりを誇張して、私が映画を制作している放送局の一つとして南米のテレスールの名前をあげた。よく言うよ。何と身の程知らず。非欧米人が、欧米の世論を形成する連中に、世界について説教を垂れるとは!
私はこう結論づけた。
“大半のシリア難民はシリア政府から逃れているのではありません。彼らは欧米や湾岸やあちこちの同盟諸国が始め、支持している戦争の恐怖から逃れているのです。” |
沈黙は完璧になった。
すると、上流中産階級出身で、欧米で育ったことが明らかな現地タイ人の若い女性がマイクに近づき、可愛らしく笑いながら言った。
“ザータリ・キャンプを来年早々訪問したいと思います。中東については何も知らないので、なぜだかわかりませんが… 難民に何かできるかもしれませんね? 私は何かを学べるかも知れません?” |
“何枚か自取りを撮影するかも”と私は思った。
すぐに私は気分が悪くなり、文字通り、そこから逃げ出した。
*
東南アジア丸ごとが、欧米や日本の親欧米プロパガンダという、きつい拘束衣に閉じ込められているのだ。とは言え主要マスコミや、連中が欧米プロパガンダを流布する手口が、拘束衣が機能する仕方の唯一の例というわけではない。
ほぼ全ての真面目な大手書店(少なくとも英語本を販売している店)は、日本の巨大書店、紀伊国屋に、既に‘打ち負かされている’。東南アジアにおいて、書籍販売における紀伊国屋は、食品小売りにおけるカルフールにあたる。インドネシア、マレーシア、タイとシンガポールで営業しており、店舗は上品で、洗練されている。だが何か売れ筋の本を買いたいのでない限り、棚に見る(見つからない)ものに失望し、衝撃さえ受けるかも知れない。
こうした書店で、ノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシェェヴィッチ作品などの何百冊もの酷い反ソ連プロパガンダ本を見つけられるのは言うまでもない。だがエレナ・ポニアトウスカのような偉大な代表的メキシコ人左翼作家の本を探そうとしても、一冊も見つからない! ジョゼ・サラマーゴ、ダリオ・フォのような(だが共産主義の)思想家やハロルド・ピンター(この作家三人全員ノーベル文学賞を受章しているが、政権には大いに嫌われている)の大半の作品をそこで見つけることなどあきらめていただきたい。運が良ければ彼らの著作の一冊か二冊は見つけられるかも知れないが、それ以上は無理だ。
おそらくベルトルト・ブレヒトの戯曲の一編や二編なら見つけられるかも知れない。私はバンコクで探して、一冊しか見つからなかった。ガリレオだ。
東南アジアの書店では、反中国、反共産主義プロパガンダなら“食べ放題”だが、莫言を除いて、本当に偉大な現代中国共産主義の小説家や詩人の本は一冊もない。
もちろん、何か“好ましからぬもの”を見つけ出そうなどしてはならない。「好ましからぬ」という表現で、私は、欧米がこの地域に植えつけ、支持している、宗教や、新植民地主義や君主制や、‘文化’といった言葉の陰に隠れていることが多い現地の封建構造などのあらゆるものに対する皮肉っぽい批判を意味している。
インドネシアでは状況は最も途方もない。スハルト退陣後、急激に増えたあらゆるまともな書店は文字通り消滅した。以後、紀伊国屋はジャカルタの商売を‘模様替えし’、現在は大衆小説や、若干のペンギン・クラシックや似たような主流作品しか売っていない。
ジャカルタのプラザ・スナヤンにある紀伊国屋のマーケティング担当者アリフがこう説明してくれた。
“棚の配列はシンガポール店と同じはずですが、ここでは、インドネシア人経営層が何を売るか決めます。” |
確かに彼らは決めている! 想像通り、アドルフ・ヒトラー (インドネシアでは、非常に人気の高い歴史上の人物)や、彼の‘ベスト・セラー’ (少なくともジャカルタでは) “我が闘争”を含む多数の本だ。そのすぐ隣には、最低の反共産主義プロパガンダに満ちた棚がいくつかある。
国民洗脳の点で、インドネシアは、1965年以来、常に東南アジアの先達だ。
もちろん、もっぱら東南アジア言語の本を売る現地書店チェーンもあるとは言える。とはいえ、それは極めて限定されている。率直に言って、世界でも、この地域では、高品質翻訳の本という文化がなく 現地言語で刊行されている書籍の数は比較的少ない。最も傑出したインドネシア人小説家プラムディヤ・アナンタ・トゥールでさえ、マクシム・ゴリキーの“母”を、バハサ・インドネシアに翻訳する際(“イブンダ”)、作業に、元のロシア文章をスクロールしながら(彼はさほどロシア語は話せないと認めている)オランダ語訳と彼の‘直感’を使ったと私に告白したことがある。
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何十年もの大変な努力で、欧米による東南アジアの知的洗脳は今やほぼ完成している。
洗脳は、学生に奨学金を支出し、インドネシア人、タイ人、マレーシア人や他の‘学者’や教授に条件付きの資金供与をして部分的に‘教育’によって行われている。
欧米プロパガンダは‘文化’を通しても‘首尾よく’流布されている。欧米‘文化センター’は、大半の地方都市で、‘高尚な芸術’を提供する(奇妙にも)唯一の場所であることが多いのだが、明らかに、ヨーロッパと北アメリカの帝国主義的狙い(最新小説“Aurora”で私が鮮やかに描写した通り)を推進している。
現地エリートは、ほぼ完全に外国の企業権益と政治権益にこびへつらっている。愛国心などただのはやり言葉にすぎず、何の実態もない。
欧米帝国主義に対するイデオロギー的、物理的反対から、東南アジアほど隔離されている場所は、世界に他にない。
欧米による完璧な洗脳の結果は壊滅的だ。巨大な東南アジアが、偉大な思想家、作家、映画監督や科学者を生み出すことができないのだ。タイ(重要な小説家チャート・コープチッティ)や、インドネシア(オーストラリア人の友人で画家のジョージ・バーチェットが、‘ディエゴ・リベラとピカソの現地版の爆発的融合’と表現するスハルト・ファシスト政権時代の元政治囚だった政治画家ジョコ・ペキック)は、ごく僅かな例外だ。
ナイジェリアからレバノン、イランからメキシコに至るまで、世界の他の貧しい、荒廃させられた、複雑な場所は、文字通り、大量の素晴らしい作家、映画監督や知識人を生み出している。
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ベトナム (そして、ある程度は、ラオス)を除き、欧米は、全ての共産主義と社会主義的な考え方や国際主義を、文字通り根絶した。それは、大虐殺と粛清の画策によって、残忍に行われた。インドネシアだけで、何十万人、おそらく、何百万人もの左翼が、1965年のクーデター後に殺害された。東チモールでは、左翼FRETILIN運動が、ポルトガルからの独立を獲得し、公正で明快な選挙で、権力の座についた後、住民の30%が、スハルトの軍によって殺された。タイでは、共産主義者は、石油樽の中で、生きたまま焼かれた。マレーシア、シンガポールとフィリピンでは、共産主義者の殺害や失踪が起きた。
インドネシアを含む幾つかの国々で、‘共産主義イデオロギー’は依然、公式に禁止されている。
国際主義、反帝国主義や共産主義や知的追求が破壊された後、東南アジアには、外国から保守的な形の宗教や、大量消費主義、‘伝統的な家族の価値’や、グロテスクなほど極端な個人主義が注入された。
同時に、既に何年も、何十年も、この地域は、買春ツアーと、安く、安易な生き方を探し求めている多数の‘国外在住者’とで、有名、いや悪名まで高くなった。その過程で、彼らは現地‘文化’を形成し、この地域脱知性化してしまった。北京や東京は、磁石のように、無数の偉大な外国人学者、思想家や創造力ある人材を惹きつけているが、概して、東南アジアは、控えめに言っても、大いに異なる種類の外国人たちが殺到している。連中は、一体なぜここが居心地良いのだろう?年齢や功績と無関係に、白人だと言うだけで、東南アジアで享受できる‘大いなる尊敬’のおかげだ。この尊敬は、欧米文化は優れており、実際、世界最高だという何千回も繰り返される(大半は間接的に)明白なウソによる、現地人の洗脳に由来している。
ヨーロッパ人や北アメリカ人が、更に居心地がよくなるものがある。東南アジアでは、欧米プロパガンダによって広められるほぼ全ての基本原理、最もprimitive grain資本主義と右翼イデオロギーが歴史的に受け入れられ、大目に見られ、うやうやしく複製さえされている。
現地の学界の連中にとって、欧米(あるいは日本)のお墨付きだけが重要なのだ。その結果、東南アジアは、愛国的な自立思考が、実際一体どのように構成されるものかを忘れてしまったのだ。
大半の東南アジアの新聞は、遠い国々に‘海外特派員’を置いていない。彼らのほぼ全ての国際ニュース報道が、ロイター、AFPやAPなどの欧米主要通信社から直接送られている。それを通って、少なくとも、多少の異なる反対の情報が入り、大衆に影響を与えられるような抜け穴は、全くなさそうに見える。
バンコクやジャカルタやクアラルンプールの街頭で‘南-南’協力について質問をすると、相手はぽかんとする。何か新しい携帯電話用アプリかファスト・フード・レストラン・チェーンについて話をしているのではと思われるだろう。BRICSって何、石工?
書店は基本的に終わっており、商業映画は極めて入念に選ばれた(空虚であればあるほど良い)ハリウッド ‘ブロックバスター’や現地ホラー映画を提供している。
ジャワ歌舞劇の伝統的政治劇(ケトプラック)を含む、現地の芸術は最近は‘時代遅れ’、つまり、脇に追いやられ、全く意味のないものにされ、沈黙させられたのだ。
Scarce芸術映画クラブ、バンコクのリバー・シティーにある、アメリカやヨーロッパの文化施設 (“スポンサー”)ステッカーが玄関を飾っている。
リバー・シティー映画クラブ近くの画廊の一つにある行儀の悪い画商が、股から二基の醜悪なミサイルがぶら下がっているオバマの絵をつい最近無謀にも展示した。だが、どうやら、トルコ大使館が後援し、何人かの欧米外交官が出席する公式上映直前に挑発的な芸術作品を取り除くよう依頼されたようだ。“倉庫に一緒に行きましょう、ご覧にいれますよ”と、何か違法ポルノや麻薬の類をあっせんするかのように、彼は私にささやいた。
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たぶん、“いかに物事がおこなわれるか”の最も分かりやすい例は、数年前にジャカルタのゲーテ・インスティテュート構内で私が出くわしたものだ。学芸員たちは、グダニスクでのある抗議行動中に、治安部隊が、抗議行動参加者に向けて発砲した際のポーランドの‘連帯’時代の何枚かの古い写真を展示することに決めたのだ。
展示は‘共産主義’が公然と禁じられ、1965年、アメリカが支援したクーデターの際、何百万人もが虐殺され、巨大な群島全体が、多国籍や現地の採掘や、伐採カルテルによって、取り返しがつかないほど略奪され破壊されたインドネシアの首都でぬけぬけと、開催された。悪夢のような超過激資本主義が、何十年間もインドネシアを支配し、破壊しているのに、ドイツがインドネシア国民に見せることにしたのはグダニスクなのだ!
何十年か昔、ポーランドで殺害された一握りの共産主義者が追悼され、インドネシア国民に紹介されるのだ。もちろんドイツの文化施設は、インドネシアの親欧米虐殺部隊による共産主義者の大量虐殺を追悼する展示をしようなどとは夢想だにしなかった。
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今東南アジアの人々は、ロシアについて、ほとんど何も知らず、中国についても、ほとんど何も知らない(欧米の民衆扇動家連中が、民衆に知って欲しいと思っていること以外は)。南アフリカを含むアフリカはよその惑星にあり、中南米もそうだ。現地エリートだけが遠隔の地まで旅行する余裕があり、この連中は、欧米のご主人たちや、公式教義に忠実だ。彼らは決して真実をかたらず、決して偽情報に波風をたてることはない。
この地域の人々は、たいてい近隣諸国のことより、北アメリカのポピュラー音楽やヨーロッパのサッカーのことを良く知っている。東南アジアの貧しい人々は、公正で平等主義の社会を構築しようとしている中南米に関して、ほとんど無知のままにされている。彼らは、キューバ、ボリビア、ベネズエラやエクアドルについては、ほとんど何も知らない。
もちろん、東南アジアで、最近のアンゴラでのMPLA再選(アンゴラは、人類に対する欧米植民地主義犯罪と、新植民地的略奪の象徴の一つなので、世界にとって極めて重要な意味を持つ出来事)が論じられる可能性は全くない。東南アジアでは、キューバや、その国際主義についてや、欧米帝国主義に対し、今誇らしく、断固として立ち上がっている国々の連合についてさえ論議することは決してない。
中東についてはどうだろう? 話題は、パレスチナ問題のみに限定されており、それすら、大部分がイスラム教徒のインドネシアとマレーシアにおいてしか議論されていない。他の中東の‘つながり’は、余りに‘非宗教的’で、余りに‘社会主義者’だと非難されている、不自然に注入された、アサド大統領憎悪だ(もちろん、こうしたものは、こちらでは大変な‘犯罪’で、明らかに称賛にはならない)。
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東南アジアでは、欧米が明らかに勝ち誇っている。欧米はこの巨大な(そして過去には多様だった)地域を、まんまと‘無力化し’、‘鎮定し’、洗脳し、知的に奴隷化した。
この状況が永遠に続かなければ、それも余り長時間続かなければ良いのだが。
フィリピンとベトナムは急速に正気を取り戻し、欧米の命令に従わない意思を固めつつある。
だが、インドネシアは、‘イスラム教を侮辱した’という全く不合理で異様な非難(非難が余りに奇怪なので、現地の言語学者たちすら彼の支持に回ったが、判決は‘政治的’で、公正とは無関係だった)で中傷され、投獄されたジャカルタの進歩的州知事‘アホック’に対する伝統的な形の‘法的クーデター’の後、大きな挫折を味わった。彼の本当の‘罪’はこうだ。アホックが、この依然絶望的なファシスト国家において、少なくとも多少は社会主義的な要素を導入しようとしたことなのだ。彼は倒れた。間もなく、他の人々が新たな試みをするかも知れない。
一方、中国もロシアも、この地域に本格的に入り込もうとしている。現地の‘最上流連中’は注視している。東南アジア・エリートの大半は、もちろん北ベトナムの人々を除いて、何世紀もずっと売り物だった。
反帝国主義連合が、より強力でより豊かになるにつれ、実際、近い将来、いくつかの東南アジア諸国トップの本格的な心変わりもあり得る。共産主義さえ、最終的には再度合法化される可能性があるが、多少の資金提供や奨学金や相当な助成金を広めるのに成功できたらの話に過ぎない。
もしそうなれば、バンコクFCCTでの画一的な論議も、最終的に、活気に満ちた多様なものとなり得よう。
もちろん、欧米はそういうことが起きるのを阻止すべく、全力を尽くすだろう。
アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の新刊書、三冊には、革命小説“オーロラ”と、政治ノンフィクション・ベストラーの二冊 “帝国の嘘を暴く”と“欧米帝国主義と闘う”がある。他の著書は、ここで見ることができる。彼は、テレスールと、アル・マヤディーンTVに映画を制作している。ルワンダと、コンゴ民主共和国に関する彼の画期的ドキュメンタリー「ルワンダ・ギャンビット」を見る。中南米やオセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在、東アジアと中東に暮らし、世界中で働いている
neo.org/2017/09/23/western-propaganda-in-southeast-asia-a-true-success-story/
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