貧しい途上国では、攻撃的で邪魔な異教徒を排除したいのは自然なこと仏教徒の国民は当然、多少、過激であっても、軍による排除の論理を支持しており、 スーチーが軍を統制できるとしても、ごく一部だろう 平和ボケした日本人には、理解しがたいらしいが、ロヒンギャに限らず
強者にとって有害な弱者が淘汰されるのは、これまでも自然に行われてきた当たり前の現象ということだ http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/090400216/ 最悪の瞬間はレイプの後に訪れた、弾圧される民族ロヒンギャ 2017.09.05 世界で最も弾圧されている民族ロヒンギャのレポート後編。暮らしていたミャンマーから逃げ延びた彼らは、バングラデシュでも受け入れられず、行き場を失いつつある。(ミャンマーでの苦境を伝えた前編「処刑、掃討、性暴力、世界で最も弾圧されている民族ロヒンギャ」はこちらでお読みください) 2016年10月にミャンマー国軍の襲撃を受け、住んでいた村を離れたロヒンギャの少女アフィファさんは、父親と兄弟とともに、ミャンマー国内で5カ月間にわたって逃亡生活を続けた。軍と鉢合わせないようできるだけ森に隠れ、何日も食べ物が手に入らないこともあった。
バングラデシュとの国境を流れるナフ川を最初に渡ろうとしたとき、ミャンマー軍の警備艇が発砲してきて、アフィファさんたちのボートは転覆し、数人の難民が命を落とした。再び川を渡ろうと決意したのは、それから3カ月後だった。 私がアフィファさんと出会ったのは、2017年3月のことだった。その日、アフィファさんの家族の半分がついにバルカリの難民キャンプにたどり着いたのだった。1万1000人以上の難民が新たにキャンプに到着し、森林に覆われた丘は竹でできた掘立小屋と黒い防水シートで埋め尽くされた。 画像の拡大 夕方、クトゥパロングで子どもたちがよく集まる遊び場へ向かう少年。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) アフィファさんは、5カ月前に兵士の前で踊った時に身に着けていたのと同じ、シミがついた茶色いシャツを着ていた。
「これしか持っていないんです」 同じ村出身の別の家族が、食べ物と安全に寝ることのできる場所を分け与えてくれた。ただ、アフィファさんの父、イスラムさんは静かに涙を流していた。彼の妻とあと5人の子どもたちは、いまだにミャンマーのどこかに隠れているのだ。(参考記事:「胸に刺さる、「助けの必要性」を訴える写真12点」) 最悪の瞬間 バングラデシュの国境沿いに並ぶ難民キャンプは、同国のリゾート地コックス・バザールから車でわずかの距離しか離れていない。観光客が広い砂浜で遊んだり、笑顔で写真を撮っているそのわずか数キロ先で、多くの難民が見捨てられ、絶望に打ちひしがれている。 ロジーナ・アクタールさん(22歳)は、7歳の時からクトゥパロングの難民キャンプに住んでいる。ここを出たくても出られないという。「パスポートも身分証明書も持っていないんです。どうしようもないでしょう」。そして、新しく避難してきた人々がキャンプでの生活に慣れるための手助けをしている。「彼らを拒否することなどできません。私たちの兄弟姉妹なんですから」 アクタールさんは医療ケアや防水シート、食料配給の受け方などを教えているが、難民たちが本当に必要としているのは仕事だ。男性は、日雇いの漁や米の収穫、塩田での労働といった日給1〜2ドル程度の仕事を時折見つけることができるが、女性の多くはキャンプの敷地外で物乞いをしている。(参考記事:「バングラデシュ 船の墓場で働く」) 画像の拡大 地元漁師に雇われ、船を海へ押し出すロヒンギャの男たち。彼らは、この船に乗って一夜を明かす。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) 枝を大きく張ったイチジクの木の下で、クトゥパロングの新しい住人らがミャンマーでの凄まじい経験を語り合っていた。ヌル・アイシャさん(40歳)は、頭に着けていた布を取って額にできた真っ白な火傷の痕を見せてくれた。彼女がまだ中にいるというのに、兵士たちが家に火をつけたのだという。別の難民は、軍が火炎瓶を家の中に投げ入れ、出産を助けるために家にいた男女7人を、妊婦も含め射殺したと語った。
黒いブルカ(イスラム女性が身に着けるベール)をまとった18歳のミナラさんは、家族が行方不明になったと話していたが、やがてほかの女性たちと一緒にミャンマー軍の兵士に集団でレイプされたことを打ち明けた。 画像の拡大 コックス・バザールにある加工場で魚を天日干しにするノール・ハバさん。ここで10年間働いているハバさんは、クトゥパロングの難民キャンプで夫と4人の子どもたちと暮らしている。夫は、仕事を探しているが見つからない。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) 27歳のヤスミンさんも、自宅に押し入ってきた複数のミャンマー軍兵士にナイフを突きつけられ、5歳の娘の目の前でレイプされたという。「娘が泣き叫ぶと、やつらは銃を向けて、黙らないと殺してやると脅したんです」。だが、最悪の瞬間は兵士が立ち去った後に訪れた。村に入ってきた兵士を見て逃げ出した8歳の息子を探しに外へ出てみると、水田に倒れている息子の遺体を発見したのだ。背中を、銃で撃たれていたという。(参考記事:「幼くして花嫁に、東欧ジョージアに残る児童婚の現実20点」)
次ページ:受け入れる意志のない国 受け入れる意志のない国 ロヒンギャは2つの国の間に挟まれ、どちらの国からも受け入れられていない。現在、バングラデシュには50万人以上のロヒンギャが住んでいるが、そのうち正式に登録されているのは3万2000人のみで、1992年以降は誰ひとり登録されていない。バングラデシュへの難民流入を止めたいという意図は明らかだ。何十万もの未登録のロヒンギャは、仕事にも就けず、教育や基本的な医療ケアを受ける権利も持たない。 ただでさえ貧しく、人口過密問題を抱えるバングラデシュは、ロヒンギャの受け入れにはまるで無関心だ。難民キャンプの劣悪な環境に、多くの人道団体が支援を申し出ているが、政府はそれらをことごとく断っている。そればかりか、ベンガル湾の孤島に難民を移送することさえ検討している。ロヒンギャをコックス・バザールの観光地から遠ざけ、ミャンマーへ追い返そうというのだろうが、多くのロヒンギャは、ラカイン州で経験した恐ろしい記憶に苛まれ、戻ることを拒んでいる。 画像の拡大 クトゥパロングに住むヌルル・アマインさんは、兵士に腕を何度も撃たれ、ようやく医者を見つけた時には腕を切断するしかなかった。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) 数年前、ロヒンギャの男たちの多くは、建設作業員の仕事を求めて危険な海を渡り、マレーシアやインドネシアへ入国していた。その中には、ヤスミンさんの夫もいた。市民権もパスポートも持っていないので、不法に移動するしかない。密航業者は未登録の船に難民たちを押し込め、ジャングルに隠された秘密のキャンプをたらいまわしにし、家族が法外な仲介料を払えない者には暴行を加えたり食事を与えずに死に追いやった。
東南アジアでの人身売買が摘発され、そのルートが閉鎖された後は、ロヒンギャの男たちは難民キャンプで仕事もなくただ座っているしかなくなった。専門家は、絶望と隔絶が過激な思想の温床になりかねないと警告する。人々は、宗教に癒しを求める。難民キャンプでは、若い男性のグループがコーランを片手にドアからドアを訪ねて回り、住人たちにもっと熱心に祈るよう勧めている。だが地元民の話によると、見えない所ではさらに不穏な動きがあるという。新たに結成された武装グループ「アラカン・ロヒンギャ救世軍」が、ミャンマー軍とそれに協力する地元政府に対する暴動を起こそうと計画し、難民のなかから仲間を募っているというのだ。 画像の拡大 60歳のモリア・バヌさんは、この写真の2カ月ほど前にクトゥパロングへやってきた。兵士らが隣の家に火をつけたため、娘たちとともに逃げ出してきた。腫瘍除去手術の痛みが残るなか、家族を養うために大通りで物乞いをしている。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) 自分の居場所を持てる日は来るか
私が最後にアフィファさんに会った時、彼女は難民キャンプの外れにある丘の上で、細長い区画をほうきで掃いていた。家族が住むことになる新しい小屋をこの場所に建てるという。彼女の父親は、仲間の難民から30ドルを借りて、竹竿や布切れを馬車いっぱいに購入し、既に四隅に太い柱を立てていた。 だが、不幸は終わらなかった。2017年5月の終わりごろ、サイクロンがバングラデシュ南部を襲い、アフィファさんたちの小屋は倒壊してしまった。キャンプ内のほかの多くの建物も壊滅的な被害を受けたが、幸い死者は出なかった。その後、アフィファさんの母親と残りの兄弟たちが無事バングラデシュに到着し、アフィファさんは胸をなでおろした。 だが、依然として食料は不足し、モンスーンの雨も続き、ラカイン州からは新たな武力衝突のニュースが入ってくる。このような苦しい状況のなか、アフィファさんとその家族がいつか自分の家と呼べる場所を持てる日が来るのかどうかは、定かではない。(参考記事:「香港にひそむ貧困、1畳間に暮らす人たち 写真22点」) 画像の拡大 少年の乗る車いすを押す子どもたち。クトゥパロングのこの通り沿いでは、難民が商店やカフェを開いている。ここ最近ミャンマーからバングラデシュへ避難した難民の3分の2近くが子どもだ。彼らは児童労働や児童婚、性的人身売買の犠牲になるリスクが高いといわれている。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC)
画像の拡大 ロヒンギャの中には、コックス・バザールそばの難民キャンプから離れて住む人々もいる。この男性は、ベンガル湾の居住地に住む。近くには、浸食防止用の木が植えられ、ビーチへ遊びにやってくる観光客向けのホテルもある。(PHOTOGRAPH BY WILLIAM DANIELS, NATIONAL GEOGRAPHIC) 文=Brook Larmer/写真=William Daniels/訳=ルーバー荒井ハンナ
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