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〔”イスラム国”から解放〜イラク・モスルの今〕8月26日、TBS報道特集
モスルの現場に金平キャスが入った。今年1月以来の半年ぶり。先月、解放されたばかりだ。
西モスルの取材を特別に許された。車窓に現れたスクラップの山々。西モスルは地上戦と空爆で街は完全に破壊されていた。
金平「モスルの戦いで一般市民の死傷者が出た原因の一つというのは、無差別的な空爆だということがこの風景を見る限り本質的に間違っていない]。
辺りには死臭が漂っていた。突然、数百メートル先で爆弾がさく裂。イスラム国の残した仕掛け爆弾らしい。イスラム国は文化遺産をことごとく破壊していった(モスル博物館)。
それでも周辺の街には人々の営みが戻り始めていた。商店も営業している。営業していた食堂で住民の話を聞く。
金平「戦時下でのモスルの状況を教えてほしい」
住民「とても酷かった。子供たちも路上で死んだ。今でも瓦礫の下には死体が残っている。爆弾で大けがしたが治療費は自前、生活費が足りない」
(中略)
〔モスル避難民の苦悩〕
モスル南におよそ60キロにあるハジャリ避難民キャンプに入る。国連関係機関が運営、今年1月から避難民の受け入れを始めた。およそ3万人が生活している。(広大に拡がるかまぼこ型テント群の映像)
キャンプで暮らす家族を訪ねた。
金平「あなたの街(モスル)はイスラム国がすべて破壊したのか」
避難民の男(62歳)「いいえ、イスラム国と政府軍の双方が意図的に街を破壊しました。イスラム国が破壊していない場所を政府軍が破壊したんです」。
モスル奪還作戦では、イラク軍や有志連合による空爆の被害も大きく、戦闘の結果80万人以上が家を失った。
苛酷な環境(気温52°C、地表温度60°C)で暮らす避難民が街に帰れる目途はまだ立っていない。
家を破壊された人々が自宅の近くにある建設途中の学校に(東モスル)避難していた(15家族)。骨組みがちょっと出来たいる上に辛うじて住むことができる。居住環境はものすごく悪い。
キャンプの外で暮らす避難民は48万人いるという。
別の建設中の建物にも9家族が暮らしていた。彼らはシャバクというイラン系の少数民族で、スンニ派である。この家族は宗派対立が帰還の妨げになっているという。
女性「私たちはモスルの隣街に住んでいたが、イスラム国に家を追い出された。今はシーア派の民兵がスンニ派の私たちを家に帰らせてくれない」
イスラム国は支配地域の子どもたちを洗脳し少年兵として戦闘訓練を行っていた。モスル近郊の避難民キャンプにやってくる避難民の中にイスラム国の兵士が紛れ込むという問題が発生していた。
担当者「一日に3人から8人ぐらいのイスラム国の戦闘員を見つけた。12歳前後の子どもたちだが、彼らはとても危険である」
イスラム国が作った子ども教育用の教科書もあった(暴力的な内容)。洗脳されたりトラウマを抱えた子供たちを治療する施設もモスルに4カ所開設された。
金平キャス「モスルは解放されたことになっているが、西側のメディアが入りずらい状況になっている。それはここに「DAYS」という写真雑誌があるが、ここに解放後のモスルでシーア派が主導する軍がスンニ派の住民たちに報復したり、拷問にかけたりすることが行われていて、これが国際機関に知られてしまって問題視された。それ以降、イラク政府が非常に神経質になって中に入りずらくなっている」
日下部キャス「それにしてもモスル奪還のために徹底的に空爆がされたというのが良く分かる」
金平「有志連合の戦い方だが、(住民が言っていたが)一人の戦闘員を仕留めためにそこに潜んでいる建物全部を破壊してしまう。そこで住民が巻き添えになったり、そこで憎しみや報復という感情が残ってしまう。そんな意味ではイスラム国を産んだような状況は全然無くなっていない」
「今回の取材で痛感したのは、戦争というのは一旦起きてしまうと取り返しの効かないことになる。…戦争というものは絶対に回避しなければならないと痛感した」
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