http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/243.html
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前回の94年危機を振り返ってみましょう。
1990年9月金丸訪朝 −日朝国交樹立への動き。
1991年7月北朝鮮、朝鮮半島非核化共同宣言提案
〃 9月南北国連同時加盟 同9月米国、地上配備の短射程核の撤退・廃棄発表
〃 11月慮泰愚大統領、朝鮮半島非核化宣言 同12月慮泰愚大統領 韓国内核不在宣言
〃 12月「南北間の和解と不可侵および協力交流に関する合意書」調印 同12月「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」草案仮調印1992年1月チームスピリット中止
〃 1月「朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言」正式調印
見られる通り、92年まで、日本も含めて、北東アジア地域は緊張緩和と南北融和に向けた動きが本格化しております。
そうして、93年1月にIAEA保障協定調印 4月にIAEA保障協定発効と、この辺りまでは順調に推移しますが、盧泰愚氏が退任するのと入れ替わる様に、南北合同軍事演習”チームスピリット”が再開され、雲行きが怪しくなってくる。 特にそれに拍車を掛けたのがIAEAの動きです。 IEIA(国際原子力機関)は国際機関とは名ばかり、しばしばアメリカの思惑に沿って動くーとはそこで広報部長まで務めた吉田康彦氏の証言ですが、この時もまさにその通りに動き、北朝鮮を巡る情勢は次第にきな臭くなっていく。
それでも6月に米朝共同声明(武力不行使、IAEAの査察同意)を出し、小康状態を保ちますが、一年も持たず、94年春には急激に悪化し、一触即発の状況になる。
そこにあったものこそ細川連立政権の登場です。 考えてもみられるがいい。 この政権の中心に在り、”普通の国”を掲げ、対米自立を標榜する小沢氏を中核とする勢力が力を持ってくるとどのようなことが起きるか? 取り分け彼が主唱する「国連待機軍構想」が具現化する時のことを考えてみればいいのです。 「在日米軍」はその存在理由を根底から失う事になる。 更にこの構想がヨーロッパに飛び火した時に起こるのは? −米軍の、ひいてはアメリカの安楽死です。
欧州政治に少なからず影響力を持つフランスのJ.アタリが「NATOにロシアと中国の参加を」と提唱したのは、それが絵空事ではないことを示すものです。
こういった世界的に波及するポテンシャルを持つ構想力を示せるところが、K.V.ウォルフレンなどが小沢氏を「国際的に並ぶものなき政治家」と高く評価する所以だろうし、逆にアメリカから、そしてその意を受けたカイライ勢力ー清和会や外務省を中心とする霞が関から忌み嫌われる理由なのでしょう。
とまれ、細川政権が国民の高い支持を得ている間は燻ぶった状態にあったのが、2月に「国民福祉税」騒動で躓き、国民の支持と政権への求心力が失われると見るやいなや、一気に、半島危機が燃え上がります。 3月4月と、米軍は本気だと、メディアを通して煽らせる一方で、極めて乱暴に、内政に介入してくるー北朝鮮との関わりで社会党と武村正義氏の排除を強要ーむろん、政権内の最大会派社会党と政権の接着剤である武村正義氏を切ることで細川政権を瓦解に追い込んでいく狙いが在った訳で、事実、その様に事態は推移します。 そうして、替わって登場した羽田政権は少数与党に転落し、単なる「職務執行内閣」として、その力を急速に失っていき、6月に入ると、退陣は時間の問題となる。
6月半ばにカーター元大統領が突如訪朝し、何故か、「危機」は急に終息に向かう訳ですが、こうして見て来ると、一応、表面的にはカーター元大統領が留め男とされているけど、単なる幕引き役であり、「危機」の本当の狙いは小沢氏の勢力の追い落としに在ったことが見えて来るのではないでしょうか。
そうして、小沢氏を支えた霞が関官僚をターゲットとして、狙い打たれたのが「地下鉄サリン事件」だったのです。
宦官たち ー鳩山政権を挫折に追い込んだもの
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/256.html
投稿者 影の闇 日時 2010 年 6 月 29 日 19:08:26: HiXvZf/FmwPNU
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