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劉暁波の死を「完全削除」した、中国政府の非情なネット統制 国民の怒りはもう抑えられない
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52343
2017.07.23 古畑 康雄 共同通信社記者 現代ビジネス
■その死はネット上からデリートされた
「入院先の遼寧省瀋陽市の司法当局によると、国家政権転覆罪で2009年に有罪判決を受けた劉暁波が多臓器不全で木曜日に死亡した。61歳だった」――仕事で日々チェックしている新華社の英文ニュースが、この短い記事を出したのは日本時間7月13日(木)午後11時すぎだった。
新華社はその後やや詳細な続報を流したものの、死亡した劉暁波(以下敬称略)がどのような人物だったのか、その業績に一切触れることはなく、「国家政権転覆罪で有罪判決を受けた」以上の説明はなかった。さらに新華社の中国語ニュースは「劉暁波」の文字で検索しても、1本のニュースも表示されなかった。
ノーベル平和賞受賞者で中国の著名な人権活動家、思想家の死だった。国外では劉氏の早い死を悼むとともに、末期がんと診断されるまで適切な医療をせず、国外での治療を望む国際社会や本人、家族の願いを無視し、非業の死に追いやったとして共産党政権への批判が高まった。
中国の厳しい言論統制を逃れ国外に亡命した中国の知識人や人権活動家はツイッターやネットメディアを通じて悲しみや怒りを表明した。
だが中国国内では、劉暁波に関する情報は厳しく制限された。最大のソーシャルメディア、微信は、死去を知った多くのジャーナリストや学者らが追悼のメッセージを書き込んだが、次々と削除された。
■ろうそくの絵文字も、「プーさん」も禁止
筆者もその死を知った14日早朝、微信を開くと、中国友人が次々と劉の死についてのメッセージを書き込んでいたが、貼り付けた画像の多くがグレーの空白となり表示されなかった。恐らくは劉暁波の写真だったのだろう。
報道によれば、普段は使える「ろうそく」の絵文字が禁止されたほか、「R.I.P.」(rest in peace:安らかにお眠りください)などのメッセージも書き込めなくなった。
中国のネット管理部門はしばしば、政治的、社会的に不都合な字句を「敏感詞(センシティブ・ワード)」としてネットでの書き込みや検索を禁止する。こうした動向を研究している在米のウェブサイト、チャイナ・デジタル・タイムズによると、劉暁波の死後、次のような言葉が検索禁止になったという。
「1955+2017」(劉暁波の生没年)「自由+劉霞」(妻の劉霞に自由を)「海葬」「没有敵人」(私には敵がいない、後述)「諾奨」(ノーベル賞)、さらには『維尼熊』(くまのプーさん)まで一時禁止語句となった(その後解禁になった)。これはしばしば習近平がくまのプーさんと体型が似ているとして、習をからかう時に使うネットスラングだ。
だが人々はそれでもあきらめることなく、劉を悼むメッセージを削除されないよう画像化したり、ろうそくの画像や劉暁波がノーベル平和賞授賞式に出席できなかったことを表す「空の椅子」の画像を貼り付けたりした。
ある知人の学者は1本のろうそくの画像とともに、劉暁波がノーベル平和賞授賞式で読み上げられた有名なメッセージ「私には敵がいない」の次のような一節の英文を添付した。「いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできない。中国はいつの日にか人権を至上とする法治国家になるはずだ」。
日ごろは慎重な言動を心がけるこの学者にとっても、劉の死は大きな衝撃だったようだ。彼はさらにカナダの詩人で歌手、レナード・コーエンの『アンセム』という曲の英語の歌詞の一部を貼り付けている。
「まだ鳴ることができる鐘を鳴らせ。万事には裂け目があり、そこから光が差し込むのだ」――これは彼が劉の死に対して自らの思いを伝えられるギリギリの表現だったのだろう。
■若者たちは、そもそも彼を知らない
だが、こうした思いを伝える知識人やジャーナリストは、中国のネットの大海では少数派だった。日本のテレビニュースでも劉暁波について「知らない」と答える街の人々の様子が報じられたが、特に天安門事件を直接知らない「80後」(80年代生まれ)、「90後」と言われる若者の多くは、当局の情報管理の下、劉暁波に関する知識が少ないのが実情だ。
筆者が日ごろから親しくしている中国の友人に、周囲はどのような受け止め方をしているかをフェイスブックのメッセンジャーを通じてたずねた。
「劉暁波や劉霞をこれほど残酷に扱っていることに、非人道的だと反対する人はいるはずだ。だが彼らは声を上げられないのか」と尋ねると、「そうだ、当然反対だ。だが声を上げることができないのだ」と答え、次のように続けた。
「中国人は決して冷血動物ではない。もし人々が彼の思想と境遇を知れば、大多数の人は彼を支持するだろう。だが現在の若者や農民工(出稼ぎ労働者)は彼が誰だか知らない。だが『89(天安門事件)世代』の自分たちは、彼の動向に常に関心を持ってきた。現在の最大の問題は、ネット封鎖、いわゆるGFW(グレート・ファイアーウォール)であり、人々を愚昧で閉鎖的にし、世界の人々とは隔絶された世界に閉じ込めている」
■「今晩は高みの見物をするとしよう」
知人の自由派学者は、劉の死について、筆者に次のようにコメントしてくれた。
「劉暁波の死は、中国の自由派知識人にとって大きな精神的な衝撃だ。劉は中国の自由は知識人の間で高い威信があり、精神的な指導者だった。彼は長期間牢獄につながれ、中国のネルソン・マンデラと言うべき人物だった。劉暁波が病気になり、当局の取った行動は、中国の知識人の当局との対立感情を高め、当局の人間性や人道主義の全くないやり方に憤慨した。だが、劉暁波の死去により、中国の自由派知識人から彼のような精神的な指導者を再び生み出すことは困難だろう。中国の政治改革の道はますます困難になる。中国の暗黒は今後長期間続くだろう」
知識人のこうした苦悩を見透かしたかのように、ナショナリズム的論調で知られる中国メディア、環球時報は14日、微博に次のようなコメントを書き込んだ。
「今日は広場(ネット言論の空間)をお前たちに譲ってやろう。死者は既に去り、悲しむパフォーマンスが盛んに行われている。我々は今晩は高みの見物をするとしよう」
そして同紙は「劉暁波は西側により誤った道に誘い込まれた犠牲品」という評論を発表、「劉暁波は中国が100年来最も急速な発展を遂げた時代に生活したのに、西側勢力の支持の下、国家の主流と対抗したことが、彼の悲劇を決定づけた」「劉暁波は時代の潮流を見誤り、一生を通じて西側が中国をこじ開けるためのてことなり、徹底的な犠牲となった」と論じた。
■「劉暁波を決して忘れない」
だが劉暁波の死は中国社会に何も変化をもたらさないのだろうか。前述の友人も「人々はやがて劉暁波のことを忘れてしまうのではないか」との問いに、「決して忘れることはできない。今は声を上げられないだけだ」として、こう答えた。
「このような(不満の)種は未来の民衆革命の中で爆発点となるだろう。人々の怒りは火山のように(怒りや不満が蓄積し)いつか(噴火する)その日が来るだろう。政府はその日その日をやり過ごして、目の前の太平を取り繕っているだけだ」
この友人が自分の考えに近いと紹介してくれた在米民主活動家、楊建利はツイッターで次のように論じている。
「劉暁波がやろうとしたのは、独裁専制を終わらせようとしただけではない。中国の歴史における暴力の循環を断ち切ろうとしたのだ。彼の切り札は自らの命であり、武器は愛、善良、誠意であり、権力を持たない者の力だ。強大な政権に対し、彼は身に寸鉄も帯びていなかったが、強大な同義、思想、人格の力を有していた。このような人を殺害することはできない。彼は復活し不滅であり、我々から離れることはない!」
天安門事件での学生運動のリーダーだった王丹も香港メディア「蘋果(リンゴ)日報」に発表したコラムで次のように書いている。
「劉暁波の死は我々に1つのことをはっきりさせた。それは人々が認めたくない事実だ。つまり、中国共産党にとって、最も温和な主張も、憲政民主を基礎にしている限り、受け入れられないということだ。主張がいかに温和でも、それを主張する人がいかに善意を伝えても、共産党にとっては『国家の敵』であり、必ずや死に追いやらなければならないのだ」
「これは何を説明するか? 共産党が自ら政治改革を主導すると期待する人、経済発展が一定の段階に達すれば共産党は民主化へと向かう判断をするだろうとの判断、習近平が開明的な専制政治を行うとの期待、これらすべては完全な誤りで、極端に幼稚であり、さらには無知だということだ。劉暁波の死は、再びこのことを証明した」
■「尊敬される国になった」とは言い難い
そして彼は次のように書いている。
「劉暁波の死は中国台頭の転換点となるだろう。経済の高成長というイメージにより全世界の人心を買収しようとした共産党は、今後長い間、劉暁波の死という重荷を背負うことになり、そのイメージは大きく傷つけられ、その気炎はくじかれることになった。だがこのために支払った対価は劉暁波の命であり、あまりにも重い、時代の悲劇だ」
習近平政権は天安門事件に加え、劉暁波の非業の死という二重の道義的責任を負うことになった。中国はここ数年、大量の資金を投じて「軟実力(ソフトパワー)建設」(イメージアップ)に力を入れ、国際社会に中国の価値観を輸出し、認めさせるよう努力してきたが、王丹が言うように、今回の事件はその努力を大きく損なう結果になった。
中国は軍事力や経済力を誇示することはできても、ソフトパワーや政治的な価値観でもって世界の人々から尊敬される国になったとはとうてい言い難い。
中国は自らの統治モデルへ自信を強め、民主化の要求を「西側の策動」などとして拒んでいる。
これについて在米の政治学者、裴敏欣(Minxin Pei)はこのほどフィナンシャル・タイムズ(中国語版)でのインタビューで「人類の発展の角度からみて、どの制度が最も成功と言えるだろうか。成功とは最大の人が最大の特恵と最大の安全、最大の幸福を得られることだ。現在は依然として自由民主主義体制と市場経済体制だ」と指摘している。
習近平政権が政治改革に尻込みし、現体制の維持のためにあらゆる思想を抑圧し続ける限り、国内、国際的な緊張関係は強まるだろう。裴敏欣は「中国共産党は政治改革のリスクを高く見積もりすぎており、政権を維持できる能力を低く見積もりすぎている」と指摘している。
本来ならば実現可能である民主改革を温和な言葉で語った劉暁波を再評価、受け入れる道は、中国の政治空間にもはや残されていないのだろうか。
ただ中国国内に次のような声があることも最後に指摘したい。前述の友人は筆者との対話で最後に次のように語った。「劉暁波こそ、我々中国人の誇りだ。彼がいなかったら、中国人は世界に対し面目を失っていただろう」。
共産党政権が劉の思想や平和的な自由民主の発展の道を受け入れ、劉を中国人の誇りとして受けいれられる日こそ、中国の人々が言論の自由を享受するとともに、世界が中国の発展を心から許容し、平和的共存が可能となると言えるだろう。
これからの中国の行方は?/劉暁波の死を「完全削除」した、中国政府の非情なネット統制 国民の怒りはもう抑えられない #SmartNews https://t.co/utd3ZDv4B7
― Dolista (@Dolista) 2017年7月22日
劉暁波の死を「完全削除」した、中国政府の非情なネット統制: だが中国国内では、劉暁波に関する情報は厳しく制限された。最大のソーシャルメディア、微信は、死去を知った多くのジャーナリスト… https://t.co/RTgKVutRfO
― KBB,I&D株式会社 ソーシャル担当 (@kbb_id) 2017年7月22日
革命の始まり→ 劉暁波の死を「完全削除」した、中国政府の非情なネット統制 国民の怒りはもう抑えられない https://t.co/zZjS41sbs8 #スマートニュース
― tetutetu (@tetutetu2) 2017年7月22日
「まだ鳴ることができる鐘を鳴らせ。万事には裂け目があり、そこから光が差し込むのだ――自らの思いを伝えられるギリギリの表現」
― galapagos77777 (@galapagos77777) 2017年7月23日
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