http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/580.html
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産業革命以来、人類由来の二酸化炭素ガスは増加してきたわけで、その増加速度は比較的っ緩やかです。
しかし、火山噴火による大気中の微小なチリの増加は急激です。
実際、たった一回の大噴火で数年の気候寒冷化が起こってしまいます。
「1993年米騒動」https://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95 より部分引用:
1993年米騒動(1993ねんこめそうどう)とは、1993年(平成5年)の日本における記録的な冷夏による米不足現象のこと。平成の米騒動(へいせいのこめそうどう)とも呼ばれ、大正時代に発生した米騒動にたとえられている。この記録的冷夏は、20世紀最大級ともいわれる1991年(平成3年)6月のフィリピン・ピナトゥボ山(ピナツボ山)噴火が原因となり発生したとされている。夏の気温が平年より2度から3度以上下回ったからである。
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このピナツボ山の噴火は20世紀最大のものとされ、フィリピンから米軍が撤退するきっかけとなりました。
以下、「クラーク空軍基地」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E7%A9%BA%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0)から引用:
基地の使用期限延長に関する交渉中の1991年4月、20kmほどしか離れていないピナトゥボ山が活動し始めた。クラーク空軍基地は、ピナトゥボ山から過去の大噴火で噴出した火砕流や火山灰が積もって出来た平野にあるため、大きな被害を受けることが予想された。6月に入って本格的な噴火が始まり、兵員の大半とその家族は、スービック海軍基地へ避難した。噴火のピークは6月15日で、火砕流が基地の近くにあった演習場を埋め尽くし、基地自体の敷地にも侵入した。航空機の格納庫を含む多くの建物が、屋根に降り積もった火山灰の重さで倒壊した。冷戦終結という環境変化もあり、基地の使用期限延長はなされず、アメリカ軍はクラーク空軍基地の放棄を決定し、スービック海軍基地と共に、1991年11月26日にフィリピン政府に返還された。
返還後、基地の跡地はフィリピンのクラーク経済特別区 (CSEZ) に転換されたが、2012年に米軍が駐留を再開したことから基地として復帰した[1]。
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アメリカは1980年にセント・ヘレンズ火山の山体崩壊がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BA%E5%B1%B1#1980.E5.B9.B4.E3.81.AE.E5.99.B4.E7.81.AB
セント・ヘレンズ山から北に約11kmまでは跡形もなく吹き飛ばされ、約22kmまでの木々はなぎ倒され、さらに遠方では山火事が発生するなどして合計約600km2(東京23区に相当する広さ)が大きな被害を被った。50kmほど離れたアダムス山でも気温が一時的に数度上昇した。
それから9時間以上にわたってセント・ヘレンズ山は灰色の噴煙を立ち上らせ、その高さは海抜20kmから25kmにまで達した。噴煙は時速95kmほどの速度で東方へ移動し、同日の正午にはアイダホ州にまで到達した。また、北側斜面の崩壊により、火山灰が土砂や雪と混ざり合い、火山泥流を引き起こした。火山泥流はトートル川やカウリッツ川を数kmにわたって時速約30kmで流れ落ち、橋を次々と破壊していった。火山泥流の総量は約300万m3に及び、無数の倒木がコロンビア川に流れ込んで太平洋まで流出した。
同日17時30分頃、噴煙の高さは徐々に低くなり始めた。しかしながら数日間にわたって絶え間なく爆発が起こり、最終的には広島型原爆2万7,000個分に相当するエネルギーがセント・ヘレンズ山から放出され、噴出物の総量は1km3を超えた。セント・ヘレンズ山の北側には幅約3km、深さ約800mの巨大な火口が出現し、セント・ヘレンズ山の標高は400mほど減少した。この噴火により57人が死亡もしくは行方不明となり、5,000頭のシカ、1,100万匹の魚が死亡したと推定されている。また家屋200棟、橋43本、道路約300km以上、鉄道25km以上が破壊された。
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ただ、この時は、温暖化を促す二酸化炭素ガスも大量に大気中へ放出され、寒冷化はほとんど起こらなかった様子です。
より時代を遡ると、次のような事例もあります。
ウィキの「夏のない年」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B9%B4)から:夏のない年(なつのないとし、英: Year Without a Summer)とは、1816年に北ヨーロッパ、アメリカ合衆国北東部およびカナダ東部にて起こった、夏の異常気象(冷夏)により農作物が壊滅的な被害を受けた現象のことである[1][2][3][4]。この年の気候異常は太陽活動の低下と前年までの数年間、大火山の噴火が続いたことによる火山の冬の組み合わせにより引き起こされたと見る向きが大多数である。1815年のインドネシア中南部、スンバワ島に位置するタンボラ山の噴火は過去1600年間で最大規模である[5]。歴史家のジョン・デクスター・ポストは「夏のない年」を「西洋において最後で最大の危機」と呼んだ
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M9地震が2004年から連続していますから、今後火山の大噴火が続くはずであり、トランプアメリカ大統領は気候の寒冷化を予測しているのです。
北アメリカ大陸やユーラシア大陸は北極に近いため、また、北極海があっても、北極圏から陸続きであるため、大陸全体が気温低下の影響を大きく受けるはずで、食糧生産が相当に悪影響を受けるはずです。
アメリカに食料を頼る日本は自給率の向上を急ぐべきです。
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