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良い気分になれる映画と、むなしい期待の新たな波を流布する欧米
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2017年5月29日 マスコミに載らない海外記事
Andre Vltchek
2017年5月27日
New Eastern Outlook
“南”の大ヒット映画を見ると、世界は実はそれほど絶望的な場所でないと信じ始める可能性が高い。現在の帝国主義者と超資本主義者による世界支配のもとで、事態は常に良くなると確信さえするかも知れない。インド亜大陸やアフリカのどこかの貧民街で暮らしているのであれば、一生懸命頑張れば、“自分を信じて、自分を愛すれば”、“自分の直感に耳を傾ければ”、あらゆることが最後はうまいところに落ち着く。あなたは認められ、報われ、成功という緑の丘を覆う素晴らしい新天地に持ち上げられるかも知れない。
熟考願いたい! というより… 全くお考えにならぬよう - 見て見ないふりをして頂きたい。
欧米の資金提供機関やプロパガンダ機構を喜ばせるためだけに、本や映画が常に生産されている。その過程を、私の最近の政治/革命小説“Aurora”で興味深く描いた。
アフガニスタン-アメリカ作家カーレド・ホッセイニの書いた『君のためなら千回でも』や、サルマン・ラシュディや、エリフ・シャファクのインドやトルコに関する、ほぼもっぱら欧米の読者が狙いで、作家たちの母国では軽蔑されていることが多いあらゆるベストセラーをお考え願いたい。
ラシュディやシャファクの作品は、少なくとも“文学”と見なせよう。だが今や欧米市場も主流マスコミも、、益々多くの貧しい国々の、単純で、美しい ‘前向きで’、多くの貧しい国々の現地の人々を実際には混乱させ、むなしい期待を抱かせる、より多くの‘良い気分にさせる’物語の駄本や映画を求めている。
『スラムドッグ$ミリオネア』をまだ覚えておられるだろうか? シナリオはどれだけ現実的だっただろう? そもそも、インド映画でさえなかった。『トレインスポッティング』も監督したダニー・ボイル監督の2008年のイギリス映画だった。ムンバイのジュフー・スラムが舞台だ。
2011年、映画が制作された同じムンバイのスラムで私も撮影した。多数の人々に、あの不潔で、絶望的な地域で、あのような‘成功談’がどれほどありうるのか聞いてみた。ジュフー・スラムの住民たちは、軽蔑的な身振りで映画まるごとを切って捨てた。貴重な言葉を無駄にする必要などないのだ。
益々、益々多くの絵画が制作されている! 良い気分になれる; 世界のことをとても気分良く感じられる! 映画館を出る際、涙を何滴か流そう。小声でこうつぶやこう。“あらゆることが可能だ。”体制に協力しよう。革命など忘れ、‘前向きに’考え (体制が国民にそう考えて欲しい方向で)、なにより、自分のことを考えよう!
(作品に『炎の二人』や『Water』などがある)インド人監督ミーラー・ナーイルが制作した 実際のウガンダ人チェスプレーヤーのフィオナ・ムテシに関する映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、本物の個人主義大作だ。実際、ウガンダかインドの映画をご覧になっていると思われたなら、完全に間違っている。アフリカ映画のように見えるが、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが制作したアメリカ映画だ。しかも、実際“良い気分にさせる映画”として意図され、誇らしげに宣伝されている。
筋は単純で、予想通りのものだ。少女は、首都カンパラ郊外のアフリカでも最も過酷なスラムの一つ、カトウェで、徹底的な貧困の中で成長する。父親はAIDSで既に死んでおり、母親は家賃が払えず、姉は売春婦として、かつかつの生活をしている。わずか10歳のフィオナは退学を余儀なくされる。
彼女の人生は完全崩壊に近づきつつある。だがそこで突如奇跡が起きる! ハレルヤ!
フィオナは国が主催するチェス棋士養成計画に登録する。彼女は才能に恵まれていた。彼女はどんどん出世し、間もなくスーダンまで飛行機旅行し、数カ月後にはロシアにまで旅する。
これは‘実話’だとされている。確かに、ウガンダのスラムで育った貧しい少女がいた。彼女は決して頂点には至らず、決して金メダルを勝ち取ってはいないが、彼女は才能があった。映画では、彼女はトーナメントで勝利し、大量の賞金を獲得し、一家のために大邸宅を購入する(まるで宮殿のようだ)。
これが、この映画を見た貧しい幼い少女が狙うべきことなのだろうか? そのような夢は現実的だろうか、それともこれは全くの妄想なのだろうか?
悪事をあばくドキュメンタリー『ルワンダ・ギャンビット』のため、私もカトウェで撮影した。子供だった頃、私はいくつかトーナメントや競技に参加し、才能のあるチェス棋士として通っていた。映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、どこか変だ。チェス・チャンピォンになるには、単なる幸運と熱意以上のものが必要だ。コンサートピアニスト同様、チェス棋士が一定のレベルで戦えるようになるには、文字通り自分を殺す長年の厳しい訓練が必要だ。
私の子供時代、科学者だった父親は、私をチャンピォンにしようと夢中だった。率直に言って、長年一生懸命やったとは言え、私はさほど興味はなかった。いくつかメダルを取ったが、それ以上は伸びなかった。飢えて、ほとんど屋根もない家で暮らすフィオナが、わずか数カ月ののんびりしたコーチを受けただけでチェス名人になれただろうか?
そうなっていたら良かったと思う。だがウガンダを知り、スラムを知り、彼らの現実がいかに過酷か十分知り、もちろんチェスも知っている私は、そうはゆくまいと思う。
一体だれがこうした映画の恩恵をえるのだろう? 最も貧しい人々ではないのは確実だし、インド人やアフリカ人ではないのも確実だ!
恩恵を受けるのは、欧米や植民地で現状を維持しようとつとめている連中のように思える。連中は現地の人々に悟って欲しくないのだ。希望などほとんど残されておらず、根本的変革、唯一革命だけが、収奪されている彼らの国で、物事を逆転し良くすることができることを。
革命というのは‘共同参加の’出来事だ。決して個人が突然進歩したり‘救助されたり’‘救われたり’というものではない。ある個人や、ある家族が‘成功する’話ではない。それは国民全員が、その権利のため、進歩のために戦うことであり、全員のための社会的公正の問題なのだ。
ちょっとした‘成功談’は実際むなしい期待を抱かせて、共同社会を分裂させる。
親欧米で、超資本主義的ウガンダのフィオナの物語には、典型的な青年オーケストラや、ケーブルカー、保育所、公共図書館、コミュニティーの学習センターや、無料医療拠点などのベネズエラ・スラムの偉大な共同体プロジェクトとの共通点は皆無だ。
ミーラー・ナーイルの映画撮影技術がいかに‘素晴らしくとも’、クジに当たったり、あちこちで幸運な目にあったりしても、国が丸ごと変わるわけではない。欧米帝国主義の中心地で、これらのささやかな個人主義者の行動や勝利は慶賀され、賛美される理由はまさにこれだ。国内であれ、植民地であれ、本当の変化が起きても、決して歓迎されない。一方、あらゆる利己的な小さな勝利は、神聖なものとして扱われる。状況とは無関係に、人は自分自身のために生きるべきなのだ。
最近一体何本の、大いに‘前向きな考え方’/ 非現実的/‘良い気分になれる’/‘むなしい期待’映画を見ただろう? 沢山。たとえば、2016年オーストラリア/イギリス共同制作の、列車に乗って、故郷の町から離れ迷ってしまい、最後に愛情ある献身的なオーストラリア人家族の養子になる貧しいインドの少年に関する『LION ライオン 25年目のただいま』だ。
同じような映画や本やニュース報道の土砂降りか、なだれのようだ。ある種の‘前向きな考え方’の新たな波、あるいは‘実際、個人的幸運や個人主義によって改めることができないほど酷いものは世界にはないという教条のようだ。そうしたものの大半は、どういうわけか、欧米イデオロギー洗脳の震源地 - 英国(自国民や絶望的な植民地化された国々からやってくる移民、更には様々な遥か離れた場所で、絶望の中に暮らしている人々までの、あらゆる革命への熱望をまんまとそいだ国)とつながっている。
欧米は‘偽の現実’を産み出すのに多忙だ。そして、飢えているチェス棋士、露店商や、スラムの住民など何人かの貧しい個人が突然金持ちになり、成功し、満たされるこの奇怪な似非現実。彼らを取り巻く他の何百万人は苦しみ続ける。しかしなぜか、彼らはたいした問題にならない。
形成されつつある新たな名士集団がある - 彼らを‘魅力的貧乏人’と呼ぼう。この‘例外的な人々’、魅力的貧乏人は、欧米では、理解しやすく、祝いやすい。彼らは素早く、いそいそと、グローバルな‘やり手連中’やナルシスト大金持ちの‘主流’クラブに統合される。
アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。彼は、Vltchek’s World in Word and Imagesを制作している。彼は、革命的な小説『Aurora』と他の何冊かの本を書いている。本記事は、オンライン誌“New Eastern Outlook”独占記事。
記事原文のurl:http://journal-neo.org/2017/05/27/the-west-spreading-new-wave-of-feel-good-movies-and-false-hopes/
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