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今回の大統領選には、いつもより多くのフランス人が関心を寄せている(写真:AP/アフロ)
フランス人が大統領選前に「焦り始めた」ワケ フェイスブックには悲鳴のような投稿が…
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2017年05月06日 レティシヤ・ブセイユ :ライター、イラストレーター 東洋経済
4月24日の朝。前日の夜にワインを飲んでもいないのに、二日酔いを思わせる頭痛で目が覚めた。曇った空もさらなる苦痛を与える。そう、私の国フランスでは、前日、大統領選挙の第1回の投票日で、その夜結果が発表された。その結果を見た瞬間、私は大絶望し、今すぐフランスを出たいという感情に襲われた。
ご存じのように、1回目の選挙で選ばれたのは、エマニュエル・マクロン氏とマリーヌ・ルペン氏だ。ルペン氏といえば、2002年の選挙あたりから頭角を現し始め、支持率を伸ばしている極右政党「国民戦線」の代表(現在は党首を退いている)。一方、マクロン氏は、2年前に突如として政治の表舞台に現れ、経済産業デジタル相を務めた後、瞬く間に注目を集めた、中道政治運動「前進!」所属の若手政治家だ。
ハッキリ言ってろくな候補者がいない
ぶっちゃけた話、今回の選挙までは、私は政治とあまり縁がなかった。18世紀に起きたフランス革命のおかげで、現在のフランスは、一般人でも投票ができる自由の国だ。この国で生まれ育ったからには、投票の大切さを理解しているし、選挙を軽視するのはとても駄目なことだと、子どもの頃から親や先生からたたき込まれて育った。
だから、フランスの標語の「Liberté(リベルテ), Égalité(エガリテ), Fraternité(フラテルニテ)(自由、平等、友愛)」 という旗印のもと、「直接選挙という神様を奉るべし」ということは私の無意識になんとなく漂ってる。幼い頃、おじいちゃんたちがたまに家にご飯を食べに来ると、社会の暗い話題や、文句まみれの政治議論が交わされていた。そういう環境で育ってきたが、大人になって「政治の世界はややこしくて、勉強するのが面倒だな」と感じていた一方、十分に関心を持たないことに対して罪悪感もあった。
しかし、今回の選挙は別だ。「真剣になるべし」と感じたのは、どうやら自分だけではない。同世代の30代のフランス人と話しても、いつもよりも、なんとなく関心が高いと感じる。
長く続く不景気や、今のフランソワ・オランド大統領の人気のなさのせいなのか、はたまた、ネット上にいろいろな候補者の情報が出回っているせいなのか、とにかく「今回こそ何かを変えなければ」というのが周りの人たちの口癖となっていた。アメリカのドナルド・トランプ大統領の勝利にあぜんとしたフランス人も多く、「やっぱり、どうあっても最悪な結果だけは避けたい」という精神で投票した人がかなりいたようだ。
とはいえ、第1回目の結果が発表されるまでは、私の周りでは、誰に投票するかを明かす人は、あまりいなかった。その理由はなんだろうか。
やはり「ろくな候補者がいない」という一言に尽きる。たとえば、有力な候補者だった、フランソワ・フィヨン氏の不正給与疑惑。不思議なことに選挙の直前にスキャンダルが発覚した。そのせいで政治家への信頼がダダ下がりしたこと。一言で言えば、選挙前から混乱した雰囲気が漂っていた。
そのせいか、今回の結果が発表された後、二日酔いのような不快感を募らせたのは私だけではなかったようだ。Facebookなどを開けば、友人たちの「悲鳴の嵐」が吹き荒れている。勝ち残った2人の候補者はフランス人の半数の支持を得ているはずなのに、不思議な光景である。
実は、フランスでは2002年にも、今回と同じようなことが起こった。2回目の決戦投票で、マリーヌ・ルペン氏の父、極右のジャン=マリー・ル・ペンとジャック・シラク氏の対戦になった。そのとき、極右が選ばれるのを恐れたフランス国民の大半がパニックになって、全国で反乱が起き、最終的にシラク氏が圧倒的な勝利を収めたのだ。
多くが「仕方なく」マクロンに投票した
デジャビュな気持ちはそのエピソードで終わらない。
2012年のニコラ・サルコジ氏vs.オランド氏の対戦。過激な政治手法からかなり国民から不評だったサルコジを倒すために、私を含め、多くのフランス人が、仕方なく、オランド氏に投票した。大統領になってまもなく、オランド氏には「フランビー(Flamby)」というあだ名がつけられた。フランビーとは、フランスで有名なプリンのメーカーで、日本でいうプッチンプリンのような商品だ。まるでプリンのように、カリスマのない弱いキャラクターという意味があった。それほど、最初から評判がいま一つだった。
今、この「仕方なく」選んだことが問題だったと痛感している。最近フランスでは、政治信念より、恐怖が動機で投票することが多くなっている。意見が合う候補者ではなく、ある候補者が嫌だから、戦略的に好きでもない人を選んでしまう。
たとえば、知人はフィヨン氏が嫌いだった。なぜなら、フィヨン氏がフランス人の会社員の定年を引き上げようとしたからだ。もうすぐ定年だったその知人にとってフィヨン氏は嫌な候補者だった。その結果、マクロン氏を選んだ。「マクロンのどこがいいの?」と聞いたら、「まー、別に好きでもないが、フィヨンが落選してホッとしたよ!」と話していた。
別の友人も「とにかく1回目でフィヨン対ルペンになっていたら最悪だから、マクロンにした。ギリギリまで悩んだけど、マクロンは失業手当の期間を長くすると言ってるから、まあいいんじゃない」と語る。
マクロンを選んだ人の中には、彼の若さに希望を持った人や、左翼でも右翼でもない中立的な姿勢に安心した人もいたようだ。そして、左翼を代表していた候補者のブノワ・アモン氏の支持者の何割かが、世論調査の悪い数字を見て不安になり、選挙直前にマクロンに乗り換えたそうだ。とにかく、マクロンは「まだマシ」とたくさんの支持を得た。
今回のフランス大統領選挙には、11人も立候補していた。しかし、マスコミが集中的に取り上げるのはせいぜい4、5人。私は考え方が合う「小さい候補者」(フランスのマスコミは、候補者を「小さい」「大きい」などの言葉を使って表現する)の1人に投票したが、あえなく落選した。マスコミの「小さい」「大きい」という呼び方はには、アンフェアさを感じずにはいられない。テレビ露出や資金力の差が結果につながることを考えると、やるせない気持ちになる。
今回の結果が気に食わず、選挙制度自体に怒っているフランス人は多い。極端に言えば、国民が大統領を選べるというのは幻想で、マスコミや調査会社が日々発表する世論調査に完全に操られているということへの批判も上がっている。
誰がルペン氏に投票したのか?
同じフランス人の半数が、自分と考え方を共有しないという寂しい現実と、マスコミの陰謀の悪夢によって、視覚がぼやけて、頭がガンガン痛い。神様だと思ってた、フランスの投票制度が完璧ではなかったのかもしれない。
では、これからフランス人としてどうするべきか。今回、上がり続ける失業率や、最近のテロ事件にうまいこと便乗するルペン氏が20%以上の国民にアピールできた。しかし、周りの知り合いに聞いても、ルペン氏を選んだ人はいない。
では、どんな人がルペン氏を選んだのか?
統計データを見るかぎり、どうやら貧困層や工場労働者や、地方出身者、(国境に近い)南仏や東北部出身の人が多い。また、ブルジョアで保守的な人がメインかと思いきや、支持者の中にはフランスをひっくり返したいと願う若者もいる。さらに、何世代にもわたる「純血」のフランス人がほとんどかと思いきや、実は親が移民だった人が、フランス人としてのアイデンティティを強調したいがために多く投票しているそうだ。
とにかく、「ルペンは絶対ありえない!」という私や仲間たちと、「ルペンこそ救世主だ!」と思ってる人の間にどれだけ深い溝があるか想像するだけで、正直ぞっとする。実は、私が暮らしている、リヨン郊外の小さな村では、なんとルペン氏が1位で、支持率は30%を超えたが、周りには彼女を選んだ人はいない、と思う。
しかし、同じパン屋さんでバゲットを買ったり、幼稚園であいさつしたりする人たちと、ビールを囲んで、腹を割って政治の議論をしたことがないから、彼らの本心はわからない。そう考えると、同じ村に住んでいるのにまるで別々の世界にいるようだ。新聞にも書かれているが、フランスは分断されてしまったかのようだ。
ルペン氏が出してる選挙公約には、悪くないものもある。しかし、どうしても彼女を選べない点がいくつかある。ルペン氏が、イスラム教への憎しみをあおっていることは有名な話だが、ほかにも、警察や軍隊の権力の強化、刑務所の増加、終身刑の復活などを公約としている。これを理由に「仕方なく」マクロンに投票してしまうのも、過去の過ちの繰り返しだ。まるで、上からうまく仕掛けられた罠(わな)に落ちるように感じないでいられない。
Facebookに吹き荒れる「警告」の嵐
Facebookを開くと「マクロンは銀行業界出身のエリートで、オランド大統領の相続人! マスコミから大げさなサポートをもらって、元から結果は決まってたじゃん! 投票をしたって、結局は何も選べない状況だ!」とか、「マクロンは、オランド大統領や周りの権力者たちが仕掛けた罠で、彼に投票しても仕方ない」とか、「いや、気をつけろ! ルペンはマクロンからこぼれた票を狙っている」という投稿が数多く見られる。
今回、躍進した銀行出身のマクロン氏は、39歳と若いせいか、やわらかすぎる印象が否めない。また、環境、失業、教育など、フランスが抱える社会問題に対して十分な公約を提案できていないのも気になる。
実は、私の周りに多かったのは、極左の代表だったジャン=リュック・メランション氏の支持者だが、1回目で敗れてしまったため、2回目の決戦投票では、メランション氏の指示に従って、多くの人が白票(記名なしで投票)あるいは、不参加を考えているようだ。しかし、白票を投じても、最終的に選挙の結果に影響がない。一応、反対の声は伝わるかもしれないが、極右のルペン氏を勝たせてしまう危険性がある。
こうした中、どちらに投票していいかわからない私のような国民に、残された道は2つしかない。極右の脅威の不安に負け、やむをえずマクロン氏に票を投じるか、「なるようになる」と、大勢のフランス人が同じ選択肢をすることを祈りながら、抗議の白票を投じるか。
心を決めるため、日々ニュース記事を読んだり、人の意見を聞いたりしているが、正直どうしたらよいかわからない。ただ、どちらの候補者が選ばれたとしても、前向きに行動するしかないと思う。これが、今の率直な気持ちだ。きっと、多くのフランス人も同じ心境ではないかと思う。「最後の審判」まであと数日。私の頭痛がやむ日は訪れるのだろうか。
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