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遥かなる「ローマの休日」、60年後のEUの憂鬱
分裂に向かうのか、再結束に踏み出すのか
岡部直明「主役なき世界」を読む
2017年4月4日(火)
岡部 直明
欧州連合(EU)の原点であるローマ条約の調印から60年が経った。この3月25日に、ローマ条約に調印したローマのカピトリーノの丘(capitoline hill)でEU特別首脳会議が開催され、英国離脱後のEUの将来像を示すローマ宣言が採択された。参加したのは、英国のメイ首相を除く27カ国の首脳たちである。ローマ条約調印時の6カ国に比べると加盟国は大幅に増え、ユーロ創造など統合は深化した。しかし、いまEUは創設以来の最大の危機に直面している。EUは分裂に向かうのか。それとも再結束に踏み出せるか。節目となる60年後のローマ会議はEU首脳たちにとって「ローマの休日」には程遠かった。
3月25日、ローマ条約の60周年を記念するEU特別首脳会議に出席した欧州各国の首脳ら。(写真:ZUMA Press/amanaimages)
「欧州合衆国」構想の夢と現実
その日、ローマはまるで初夏のような気候だった。冬支度のまま会議場への坂道を上るのはやや難儀だった。ようやくたどりついても、記者へのセキュリティ・チェックは厳重だった。ちょうど1年前、ブリュッセル空港や地下鉄でテロが起き、こんどはロンドンの議事堂前でもテロが起きたばかりだ。緊迫した雰囲気のなかで開かれたEU首脳会議だが、欧州統合に歴史的な一歩を踏み出したローマ条約調印のような昂揚感は感じられなかった。
60年前のローマ条約に参加したのは、フランス、西独、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国である。原加盟国と呼ばれる。第2次大戦後の仏独和解を背景にした欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立に続いて、EEC(欧州経済共同体)を軸に欧州統合を幅広く押し進めるのが狙いだった。そこには、欧州統合の父、ジャン・モネの「欧州合衆国」の夢が反映されていた。
そんな戦後の欧州統合の機運は、ウィリアム・ワイラー監督の米国映画「ローマの休日」(1953年製作)にも映し出されている。オードリー・ヘップバーン演じる王女が記者団を前に欧州統合について語る最後のシーンは印象深い。記者が「欧州の連邦化は経済問題の解決策だと思いますか」と質問すると、「欧州の一致団結を促すなら、どんな政策も歓迎します」と答える。別の記者が「国家と国家の友好は保たれているでしょうか」と聞くと、「そう信じます。人と人との友情を信じるように」と語る。
これはもちろん「ローマの休日」を楽しんだグレゴリー・ペック演じる記者へのメッセージなのだが、欧州統合は「人と人とを結びつける」というモネの思想にも通じるところがある。名作の舞台であるローマは欧州統合の舞台になり、そしていまEUの将来を占う舞台になった。
映画「ローマの休日」の一場面。(写真:Everett Collection/amanaimages)
大欧州という大所帯を束ねる難しさ
ローマ条約によるEECから欧州共同体(EC)へ、そしていまのEUへ、EUは拡大と深化を遂げた。しかし、大欧州という大所帯ゆえの難しさに直面している。
ローマ条約調印にならって、加盟27カ国首脳とEU機関のトップたちがローマ宣言に次々と署名する儀式が行われた。ローマ条約調印で使用されたペンを使ってである。その光景をみていて、それぞれに国家主権を背景にした27カ国の首脳を束ねるのはいかに困難かが実感できた。なにしろ使用言語は20カ国語にも及ぶ。英国などから批判されるブリュッセル官僚のかなりは、実は通訳官や翻訳官である。言語主権を維持しようとすれば、どうしてもコストはかかる。
「拡大」と「深化」という目標をともに実現できたのは、冷戦終結という歴史的転換にめぐまれたからだった。ふつう「拡大」と「深化」は二律背反する。いまEUはその新しい現実に直面している。
マルチ・スピード構想の光と影
このローマ特別首脳会議を前に、EU委員会はEUの将来について5つのシナリオを提示している。現状維持から欧州合衆国構想まで幅広く盛り込まれているが、ユンケルEU委員長やドイツのメルケル首相ら主要国首脳は「マルチ・スピード構想」を推奨している。意欲ある一部の国だけが先行して統合を進めるという構想だ。モネが描いた目標である「欧州合衆国」構想は、一つの選択肢にすぎなくなってしまったようだ。いまその夢を語るのは、フェルホススタット欧州議会議員(ベルギー元首相)ら数えるほどしかいない。
ローマ宣言も柱は「マルチ・スピード構想」である。ローマ特別首脳会議の議長、イタリアのジェンティローニ首相は会議後の記者会見で先行して統合する分野について「防衛や雇用政策などが対象になる」と述べた。
EUはもともと二重構造の組織である。ローマ条約の原加盟国と英国、スペインなど出遅れ組、そして旧東欧圏、バルト3国など後発組に分かれる。単一通貨ユーロの加盟国と非加盟国、移動の自由を定めたシェンゲン協定の加盟国と非加盟国で大きな違いがある。
英国はEECへの参加をことわり、加盟後もユーロにもシェンゲン協定にも加わらなかった。EU内ではつねに「アウトサイダー」の立場にあった。EU離脱に動いた背景はここにある。
マルチ・スピード構想は、英国の離脱などで危機にあるEUを軟着陸させ、EUを将来に向けて束ねていくための現実的選択にみえる。
その一方で、統合に消極的なら置いて行かれる冷厳な構想でもある。だから後発組の東欧諸国は反発する。ポーランドのシドゥウォ首相は直前になって「ローマ宣言には署名しない」と息巻いた。調印式では、署名前に一瞬、間を置いてみせ不満を態度で表した。これを横目でみていたポーランド出身のトゥスクEU大統領は他の首脳にしていた拍手はせず、苦虫をかみつぶす表情をあからさまにした。ポーランド内の政争がEUに持ち込まれたような光景だった。
反EUポピュリズムの連鎖を防げるか
EUはいま英国の離脱に続くポピュリズム(大衆迎合主義)の連鎖を防げるかどうかが試されている。とくに米国のトランプ大統領登場がどう影響するかが大きな懸念材料だ。排外主義の連鎖が米欧に広がれば、世界全体を危機に陥れる。
その先駆けになる恐れがあったオランダの総選挙は、ウィルダース党首率いる極右の自由党が第1党の座を奪えず、ルッテ首相率いる自由民主党はかろうじて第1党を維持した。ローマの特別首脳会議で最も晴れやかな表情だったのはルッテ首相だった。しかし、ルッテ首相のいう通り「ポピュリズムのドミノ倒しを防いだ」かは、仏独の国政選挙の結果にかかっている。
フランスの大統領選挙は極右、国民戦線のマリーヌ・ルペン党首がどこまで票を伸ばせるかが焦点だ。英国のEU離脱に続くトランプ米大統領の登場が「追い風」になるとみられていたが、トランプ流排外主義による大混乱で「反面教師」となる可能性も出てきた。
ブリュッセルのシンクタンク、ブリューゲルのガントラム・ウルフ所長は「ルペン氏とマクロン前経済相(無所属の中道派)の争いになるが、決戦ではマクロン氏が勝利する」と読む。当初、最有力とみられていた共和党のフィヨン候補は妻の給与をめぐる疑惑で後退を余儀なくされている。
マクロン氏は30歳台と若く行政経験も乏しいが、そこに不安はないとウルフ氏は指摘する。「私の前任の所長、ピサニフェリー・パリ大教授が経済顧問に就いているのが大きい」とみる。ピサニフェリー氏はユーロ危機などでも幅広く提言したバランス感覚あるエコノミストだ。ユーロ共同債の発行などで欧州統合を前進させる必要があることをかつて筆者に語っていた。マクロン大統領が誕生すれば、重要ポストに就く可能性があるという。
秋のドイツの総選挙では、4期目をめざすメルケル首相と社民党のシュルツ前欧州議会議長の争いになる。ここに右派勢力の「ドイツのための選択肢」が割って入る可能性はほとんどない。メルケル、シュルツ氏とも筋金入りの欧州主義者だけに、EU運営にはプラス材料だろう。
EUの盟主であるメルケル首相が敗れると今後のEUへの不安が高まる可能性もあるが、シュルツ・マクロンという新しい独仏連携が実現すれば、財政規律最優先から成長重視への転換点になるという見方もある。
「ローマの松」のごとく
仏独の選挙結果がどうあれ、欧州に浸透した反EUのポピュリズムは簡単には消え去らないだろう。ポピュリズムが危険なのは、知らず知らずのうちに人々の心に入り込むことだ。ローマ法王がEU首脳に警告したように、EUが将来に備えられなければ退化するだけだ。EUはしばらく反EU機運のなかで憂鬱な時代を続けるだろう。
しかし、危機をバネに再結束に立ち上がるのがEUの歴史でもある。イタリアの作曲家・レスピーギが交響詩に描いた「ローマの松」のごとく、長く大地に根を張るはずである。
【4月13日開催!】イアン・ブレマー氏 来日記念セミナー
“迫りくる「先進国リスク」に、企業としていま何をすべきか”
欧州問題を早くから提言していたユーラシア・グループ代表のイアン・ ブレマー 氏(政治学博士)が来日。さらに企業経営者やPwC Japanグループ のブレグジット・アドバイザリー・チームに登壇いただき、今後想定される 主要国の政策シナリオ、ならびにその政策シナリオに基づいた各企業として の対応策を検討する上でのポイントを解説します。
このコラムについて
岡部直明「主役なき世界」を読む
世界は、米国一極集中から主役なき多極化の時代へと動き出している。複雑化する世界を読み解き、さらには日本の針路について考察する。
筆者は日本経済新聞社で、ブリュッセル特派員、ニューヨーク支局長、取締役論説主幹、専務執行役員主幹などを歴任した。
現在はジャーナリスト/明治大学 研究・知財戦略機構 国際総合研究所 フェロー。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071400054/040300021
ブレグジットと「帝国健忘症」
帝国時代よりナチスとの戦争に重点を置く歴史教育に問題
2017.4.4(火) Financial Times
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2017年3月28日付)
英国、29日にEU離脱手続きを正式に開始へ
英ロンドンで掲げられた英国旗と欧州旗(2017年3月2日撮影)。(c)AFP/Daniel SORABJI〔AFPBB News〕
ブランド戦略としては不運な展開となった。英国の一部の政府高官が、英連邦諸国と新しい貿易協定を結ぶ仕事を「大英帝国2.0」と呼び始めたのは、単なる内輪の冗談だった。ところが、ブレグジット(英国の欧州連合=EU=離脱)に批判的な人々はこのフレーズに飛びつき、ブレグジットという考え全体のけん引力が帝国への郷愁であることの裏付けだと主張し始めた。
筆者はこの様子を見て、英国とその過去との関係が深刻なほど誤解されていると感じ、衝撃を受けている。英国民は帝国時代のことばかり考えているわけではなく、むしろ帝国時代の経験を、ジョージ・オーウェルの言う「記憶の穴」に大量に葬り去ってきた。ほとんどの英国民は主要な政治家も含めて、大英帝国の歴史を本当に知らない。
しかし、この「帝国健忘症」はブレグジットと大いに関係がある。これは、離脱派の主要なメンバーと「グローバル・ブリテン」の支持者が過去を誤解しており、このままでは将来に禍根を遺すことを意味している。彼らは「偉大なる貿易国家」というかつての姿に戻ることを熱心に説くが、実際のところ、当時の英国は植民地をたくさん抱える大帝国だった。
この重要な区別をしっかりつけておかないと、ほかの国々との貿易の今後を作り直すという作業を甘く見ることになってしまう。今日の英国は世界の海を支配しているわけではないからだ。
帝国時代の英国は、世界の市場に強引に踏み込んでいく癖があった。東インド会社は、貿易上の特権が脅かされると武力に訴え、最終的にはインドのほとんどの地域を支配するに至った。19世紀に入って中国がアヘンの貿易を止めようとしたときも英国は戦争に持ち込み、中国の軍艦を沈め、清朝に香港の割譲を認めさせた。
英国人が大英帝国の歴史を知らないことは、トニー・ブレア元首相の自伝の一節からもうかがえる。ブレア氏の記録によれば、英国が香港を中国に返還した1997年、中国の江沢民国家主席(当時)は、これで英国と中国は過去を忘れることができると述べた。ところがブレア氏は「そのときの私は、その過去がどのようなものだったか、実におぼろげで大ざっぱな理解しかしていなかった」と書いている。
とはいえ、英国のエリート層は大英帝国時代の歴史をほとんど忘れてしまったかもしれないが、英国が貿易国家としての未来にとって極めて重要だと見なしている国々は、明らかに昔のことを覚えている。
インドの議会で外交問題委員会委員長を務めるシャシ・タルール氏はつい先日、大英帝国のインド支配を糾弾する著書『Inglorious Empire(不名誉な帝国)』を発表した。英国とインドとの間には「歴史的・文化的なつながり」があるから素晴らしい貿易協定を新たに締結するのは容易だろうと自信たっぷりに語る英国人は、この本を読んでみるべきだ。インドと中国という21世紀に台頭してきた経済大国の――かつて英国に植民地にされたり戦争で負けたりした結果、英国に対して明らかに愛憎相半ばする気持ちを抱いている国々の――目を通して世界を見てみるのに役立つはずだ。
英国人が大英帝国時代のことをあまりよく知らないのは、学校や大学で教えられている歴史のせいだ。この科目の標準的なカリキュラムは、英国の政治史と議会制民主主義の発展に重点が置かれている。世界のほかの国々とのかかわりについては、ナポレオンやヒトラーとの戦争は学習するものの、大英帝国のことはごくわずかしか学ばない。
火星人の歴史研究家ならまず間違いなく、英国の近代史で最も興味深いのは世界をまたにかける大帝国を作り上げたことだと考えるだろう。しかし英国人自身にとっては、大英帝国ではなくナチスとの戦争を軸にして国家の物語を組み上げるほうが、心理的に納得できる。
実際、英国人はそうすることにより、自分たちは帝国主義の抑圧者ではなく自由の擁護者であり勇敢な弱者であるという国全体の自己イメージをはぐくんできた(勇敢な弱者という自己像は、1970年代のテレビのコメディー番組「ダッズ・アーミー」の人気がいまだに衰えないことからもうかがえる)。
第2次世界大戦での勝利と帝国の喪失がほぼ同時だったという事実も、この傾向を強めた。欧州での勝利に国中が沸き返り、帝国の喪失による心理的な打撃を和らげたのだ。英国の世論形成を主導する人々は皆、欧州での勝利を祝った1945年を記憶に刻み込んでいるが、1947年はインドが独立した年だと言える人はほとんどいない。
また、2度の世界大戦での勝利は、国家と自由の象徴としての英国議会の役割を不動のものとした。ウィンストン・チャーチルが「(ナチスとは)海岸でも戦う」という有名な誓いを立てたのは、議会下院での演説だった。英国のエリートたちがあがめる英国史は、オリバー・クロムウェルやウィリアム・グラッドストーンや重要な改正法などが登場する議会の歴史にほかならない。
この歴史が今日、英国の政治家たちの心に刷り込まれていることは、EUから離脱するための法案に「グレート・リピール・アクト(大撤回法)」という名前が付いたことにも反映されている。恐らくこの名称は、意図的に1832年の「グレート・リフォーム・アクト(大選挙改正法)」を下敷きにしているのだろう。
テリーザ・メイ首相が「グローバル・ブリテン」なるものに向けて未来を築いていきたいと心の底から思うのであれば、市民に教える歴史の種類を変えることを検討してもよいかもしれない。もし将来の英国の政治家たちが、第2次大戦が始まった1939年だけでなく第1次アヘン戦争が始まった1839年の重要性も理解するようになれば有益だろう。
もっとも、英国のエスタブリッシュメント(支配階層)は昔の大英帝国を作り上げた人々のことをすっかり忘れてしまったと言い切るのは不当だ。例えば、1850年代の第2次アヘン戦争(アロー戦争)のときに首相だったパーマストンの名は、英外務省で今でも記憶されている。省内で飼われているネコには、この元首相にちなんだ名前が付けられているのだ。
By Gideon Rachman
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49625
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