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“わたしは、ダニエル・ブレイク”保守党緊縮政策下のイギリスの悲痛な描写
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2017年3月28日 マスコミに載らない海外記事
2016年10月27日、木曜日
アダム・ブース
“私はお客さまや顧客やサービス利用者ではない。怠け者でも、たかりやでも、乞食でも、泥棒でもない。私は国民健康保険番号ではない…わたしはダニエル・ブレイクだ。私は人間だ、犬ではない。そういうものとして、私は権利を要求する。敬意を払って、私に対応してもらいたい。わたしは、ダニエル・ブレイク、国民で - それ以上でも、それ以下でもない。”
左翼監督ケン・ローチの現在上映中の新作映画の主人公によるこうした力強い言葉が、ここ数週間、ソーシャル・メディアの書き込み、巨大広告掲示板や、イギリス国会議事堂の威圧的な壁にまで、出現している。言葉は現代の保守党下イギリスで、過酷な窮状や労苦に直面して、生存と尊厳を維持するための戦いにある映画題名の元になった主人公の絶望を描写している。しかし、映画の人気ハッシュタグ#WeAreAllDanielBlakeが示唆している通り、ダニエルの物語は、フィクションとは言え、決して非現実的でも、例外的でもない。実際、ダニエルの物語で最も悲劇的な部分は、今の緊縮政策時代、このような話がどれほどありふれたものかということにある。.
薄情な世界の暖かい心
映画冒頭の対話が、それ以降の映画の場面を設定する。孤独で無力な一人の男が、彼があきらめて視野から消えるまで、あらゆる自尊心の感覚をくじき破壊するように作られてそびえている体制とむなしく戦う。ユーモアのあるダニエルは、冷淡な官僚を前にして、就職斡旋・失業手当て“意思決定者”に、仕事をしたくないわけではないが、心臓病の結果、医者の指示のためできないと説明しようと無駄な努力を試みる。
しかし残酷ながら、素晴らしい映画の皮肉は、ダニエルが、この薄情な世界で、人情のあるわずかな人々の一人。壊れているのは彼の心ではなく、彼や、彼と同様な状態にある人々を取り巻き、包み込んでいる体制だ。
次々の場面で、タイン川流域出身者のダニエルが、何のためらいもなく、隣人、友人、さらには見知らぬ人に対してまで行う優しさと連帯の様々な行動の心を動かす天真らんまんさを見せられる。しかも“怠け者、たかりや、乞食、泥棒”とは決して見られたくない彼は、何も見返りを求めず、誇りと頑固さから、申し出されるお礼を断る。
資本主義に流される
働いて給料を得る機会を、健康状態が理由で拒否したダニエルは、請求書に支払いするため、いかなる慈善も受けずに、あらゆる世俗的財産を売ることを余儀なくされる。しかし、ローチが示す通り、ダニエルには技能や才能がないわけではない。彼は練達の大工で、便利屋で豊富な経験とingenuity。彼は働いて、彼の技術を活用したいのだ。しかし、資本主義の変化という踏み車についてゆけず、コンピューターとスマート・フォンの海の中で迷い、他の多くの人々同様、彼は現代社会の中を流されていることに気がつく。
職業紹介所と、その上の雇用年金局の迷路とカフカ風機構の中を通り抜けるため、次から次と障害に突き当たる中、カメラは、主人公の戦いの各段階で、明らかな失敗ごとに嘆息するのを - 虐げられた人のため息を追い続ける。彼が是が非でも必要とし、それに値している生活費支給に対する厳格な門番として働く、上から目線の支給窓口職員のおかげで、自分が力量不足で、無能であるような気にさせられる。しかしダニエルの周囲にいる身近な人々は、無能がとは思っていない。というより、ダニエルが言うとおり、まともな仕事を全員に提供することができない制度によって、社会のごみ捨て場にあてがわれた極めて有能な人物だと見なしているのだ。
同じように失意の“サービス利用者”に対する連帯感を示すことで、ダニエルは、シングル・マザーのケイティーと二人の子供と友情を築く。彼女と子供たちに、他の誰も与えないもの、注目と配慮と敬意を与えて、二人の進路に置かれた無数の困難を切り抜けようとしながら、ダニエルとケイティーはお互いに助け合う。二人とも逆境に会いながらも毅然とした態度を維持しようとするが、ある時点で、圧力が二人を圧倒し、特にケイティーは窃盗と売春という行為で、自らを傷つけることを強いられる。
そこでまた、ケイティーが、子供たちに食べさせるため、何日間も自分を飢餓状態にした後、初めて困窮者に食料を配給する食料銀行に行く際、ローチ監督は、何百万人ではないにせよ、何千人もの生活の現実を、悲痛な形で描きだす。飢えと疲れのために自分を抑えられなくなって、ケイティーは、ほんのわずかな間、ダニエルが必死に、そうなるのを避けていた動物に変身し、深刻な飢えを和らげるため、公民館の真ん中で、豆の缶詰をこじ開けて、それを生のまま食べてしまう。
支配階級の軽蔑
社会主義者ローチの新作映画は、“チャンネル4放送の番組「Benefits Street」で失業給付を請求する人々と大違いの二人の主人公という“福祉給付請求者の信じられないほど架空の姿”、“中流の上の都市エリートが想像する給付申請者”を描いているという右翼マスコミの上から目線評論家による厳しい批判を受けている。だが、そのような陳腐な言辞は、支配階級や連中の代理人たちが、労働者階級に対して持っている軽蔑の正確な反映だであり - まさにこの既存支配体制の軽蔑こそが、『わたしは、ダニエル・ブレイク』が官僚と国家の無用な煩雑な手続きとの映画題名の人物の戦いを通して、浮き彫りにしているものなのだ。
だが既に述べた通り、本当の悲劇は、ローチの映画が“不正確”で“誇張”どころか、イギリスで、何千何百万人もの最も貧しく、虐げられた、弱い人々が直面している本当の状況の実に生々しい痛烈な描写であることだ。実際、今週の学術的研究による数値が、ダニエル・ブレイクが脅かされているような支給制裁や、ケイティーや何十万人もの他の人々が頼ることを強いられている食料銀行の利用の間の明白なつながりを示している。
今年のカンヌ映画祭で、パームドールを受賞したローチの映画は、福祉支給申請者が耐えなければならない侮辱的対応に光をあてる仕事に対する称賛に値する。しかし、だからといって、映画と監督に非の打ちどころがないということにはならない。
指導部についての疑問点
ローチの映画の中心には、二つの根本的な欠陥がある。まず、映画が批判する対象は、この体制を作り出した政治家たちというより、大半がダニエルとケイティーが直面する官僚体制におかれているように見えるが、より重要なのは、政治家たちが守っている権益だ。映画では終始、主な悪役はダニエルや他の受給者を、単なる画面上の番号として冷淡に扱う労働厚生省職員だ。公務員たち自身も、現実には、保守党の緊縮政策と民営化の犠牲者だ。実際、保守党に触れるのは、就職斡旋所の外でのダニエルの反抗的行動に喝采し、一方、政府、特に元労働年金相で、福祉国家に対する最近の攻撃の主要計画者イアン・ダンカン・スミスをなじる、唯一の理性の声、一人の大酒のみだけだ。
映画を、あからさまに“政治的”にはしないのがローチの狙いだった可能性もある。おそらく彼は、まさに保守党による攻撃に直面している人々は政治活動に関わる時間も能力も一番不足している人々であることを浮き彫りにしているのだ。ばらばらにされ、尊厳を剥奪され、ダニエルとケイティーは、なんとか生活をやりくりするのに必死で、政治について考える時間がないのだ。
とはいえ、そうした視点を選んで、意図的であれ、うっかりであれ、ローチは、ほとんど全く虚無的な絶望と悲観の姿を描いている。賞賛されている監督のこれまでの映画には、常に前途に光明が見える感じがあった。主人公は、革命的情熱、正義感と楽観主義に満ちていた。ところが『わたしは、ダニエル・ブレイク』では、ときの声も動員の呼びかけもない。実際、ダニエル地域の職業紹介センターの壁に抗議の声明をスプレーで描いて抵抗しようとした際、彼を支援したのは、女性だけの集団、一人の酔っぱらいと、自取り写真をとりたがっている二人の若者だけだった。
人々に、組織化して、保守党や連中の緊縮政策プログラムに反撃する自信を与えるどころか、ケン・ローチは観客を絶望の穴に突き落とすだけだ。“我々全員、ダニエル・ブレイク”だというのは真実だが、削減と、保守党による攻撃の犠牲者に対する団結が十分ではない。ローチ自身、これまでの作品で正しく強調してきた通り、究極的には、指導部の問題だ。
終生の社会主義者で活動家のローチは、労働党のコービン指導部をはっきり支持してきた。今必要なのは、コービン運動のそうした指導者たちが、前進する道を示し、労働党内での革命を完成させることだ。労働党と、その周辺の運動を、保守党に反対し、緊縮政策に反対し、資本主義に反対し、大胆な社会主義的代案を進める、戦う大規模運動へと転換することだ。ダニエルや、彼と同様な立場にある何百万人もの人々にふさわしい権利と尊厳を我々が実現するには、それしかない。
記事原文のurl:https://www.socialist.net/i-daniel-blake-a-heart-wrenching-portrayal-of-tory-austerity-britain.htm
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