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金正男・金正恩の従兄弟も亡命先で北朝鮮工作員に暗殺されていた! ルポ・李翰英殺害事件
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51299
2017.03.27 水野 俊平 北海商科大学教授 現代ビジネス
■金正男暗殺のちょうど20年前に発生
金正日の長男・金正男氏がマレーシアで殺害されてから、早くも1ヵ月半が経とうとしている。さまざまな状況から見て、金正男氏の殺害には北朝鮮が絡んでいる疑いが濃厚だが、北朝鮮が事件への関与を認めることは、今後も絶対にないだろう。過去、明らかに北朝鮮が関与したと見られているテロ事件についても、北朝鮮が関与を認めたことは一度もないのだ。
北朝鮮が国家ぐるみで事件に関与しているならば、犯行は周到な計画なもとに実行され、証拠は完全に隠滅され、犯人は巧妙に逃亡しているはずである。だから、捜査は遅々として進まない。今回の事件もその例に漏れない。
こうした事件は、その後の捜査と事件関係者の部分的な告白によって、長い歳月のうちに少しずつ真相が明らかになってゆくものなのである。あたかもタマネギの皮が1枚ずつはがれていくように。
ここでは1997年に起きた「李翰英(イ・ハニョン)殺害事件」を通して、北朝鮮による暗殺テロの前例とその顛末を見渡してみたい。
金正男氏暗殺のちょうど20年前。1997年2月15日、ソウル近郊の城南市書峴洞・現代アパート(418棟1402号)のエレベーター前で、1人の男性が拳銃で撃たれるという事件が発生した。被害者は銃弾2発を頭部に受けて重体に陥り、付近の病院に搬送されたが、10日後に死亡。犯人は現場から逃走した。
当初からこの事件は怨恨などによる単純な殺人事件ではないと見られていた。というのは、殺害されたのが北朝鮮からの亡命者・李翰英氏だったからである。李氏はこのアパートの知人の家に一時起居していた。
右上が李翰英氏。photo by gettyimages
李翰英氏は、金正日の内縁の妻・成恵琳(ソン・ヘリム)の姉の息子で、本名は金一男(キム・イルナム)。金正恩や金正男にとっては従兄弟にあたる。金正日は叔父にあたる人物。1960年に平壌で生まれ、78年にモスクワ言語大学文学部に入学、卒業後にはジュネーヴの大学に留学していたが、1982年10月に韓国へ亡命。87年に韓国放送公社(KBS)に入社してロシア語の放送プロデューサーとなっていた。
韓国側では李氏に整形手術を施し、亡命の事実ははもちろん、13年間にわたり、動向を一切公開しなかった。しかし、96年に叔母である成恵琳の一家がモスクワに脱出。李氏はこの脱出を助けたという。
その後、李氏は自分の身分を明かして北朝鮮の体制を批判し始めた。1996年には北朝鮮支配層の内情を暴露した書籍を韓国で出版している。このことにより、北朝鮮から頻繁に脅迫を受けていた。
李翰英氏が出版した暴露本
■「スパイにやられた」
李氏の殺害を受けて、当局は管轄の警察署に捜査本部を設置し、直ちに捜査を開始した。李氏の殺害を目撃した周辺住民の証言によると、犯人は2人組。1人はバーバリーコートを着ていたことがわかっている。李氏は犯人らと言い争った末に拳銃で撃たれたという。また、李氏は意識を失う前に周囲に「スパイにやられた」という言葉を残していた。
李氏殺害を伝える現地新聞・東亜日報
警察の聞き込みによって、事件の発生前に李氏の身辺を執拗に調査していた人物がいたことも明らかになった。
事件の10日前、李氏が身を寄せていた知人宅に電話局の職員を名乗る男が電話をかけ、マンションの部屋番号を尋ねていた。
また、事件の5日前には不審な2人組の男が李氏の知人宅の周囲をうろついており、事件当日には雑誌記者を名乗る30代の男が李氏の所在と帰宅時間を電話で尋ねるなどしている。
事件には北朝鮮の関与が疑われた。李氏が殺害された日は、奇しくも金正日の55歳の誕生日の前日。殺害方法も事故や自殺などに偽装せず、まるで処刑でもするように射殺している。
殺害現場の写真
殺害に用いられた拳銃も北朝鮮の犯行であることを暗示していた。現場からは犯行に用いられた拳銃の薬莢が発見されたが、この薬莢から犯行に使用されのは6.35ミリブローニング拳銃であることが判明。過去に韓国に派遣された北朝鮮の工作員がこの拳銃を使用した前例がある。
また、この拳銃は軽量小型で携帯に便利だが、貫通力が弱いため、暗殺を担当する工作員は必ず2発以上発射してとどめを刺すように教育されるという。これは李氏の殺害方法と一致する。
警察が注目したのは、犯人が李氏の住所を正確に把握していたということである。李氏は職場の同僚にすら自宅住所を明かしていなかった。捜査本部は犯人が何らかの方法で李氏の個人情報を入手していたと見て、情報の入手経路を中心に捜査を展開した。その結果、何と李氏の個人情報が警察の個人情報照会システムから漏れていたことが明らかになった。
事件の2週間前、犯人はソウル市内の興信所に電話で李氏の住所照会を依頼。興信所の所長は現職の警察官に住所照会を頼み、得られた個人情報を犯人に教えたという(捜査の過程で、この興信所の所長と情報を漏らした警察官は逮捕されている)。
犯人は興信所に報酬を払い込む際に、銀行の窓口を利用していた。この銀行の監視カメラには犯人の姿が映っており、振り込み用紙には犯人の自筆のサインと指紋が残っていた。これらは大きな手掛かりになると思われた。
■金正男暗殺事件との共通点
捜査本部は監視カメラの映像をもとに犯人のモンタージュ写真を作成。260万枚もの手配ビラを印刷して配布した。ところが、反響はまったくなし。銀行強盗事件の場合には必ず一般人からのタレコミがあるのに、この事件のモンタージュにはまったく反応がなかったという。
振り込み用紙から採取した指紋の照会も行われたが、これも成果がなかった。韓国では18歳以上の住民には指紋の登録が義務づけられているため、指紋の照合に失敗したということは、犯人が国外から来た者であることを意味している。つまり、韓国に派遣された工作員である可能性が高い。
警察は5ヵ月間、懸命の捜査を続けた。捜査本部は李氏と債務関係や親族関係を持つ200人あまりの人物を取り調べた。捜査線上に浮かんだ容疑者は9,000人、電話通話の照会は3,000件、宿泊施設に対する聞き込みは5,500件に及んだ。しかし、ついに犯人にたどり着くことはできなかったのである。
事件の真相が明らかになるには、かなりの時間を要した。事件から9ヵ月後の97年11月、北朝鮮から派遣された夫婦工作員が逮捕され、李氏は北朝鮮の社会安全部所属の特殊工作班員によって殺害されたことを自白した。殺害の実行犯は、北朝鮮に帰国後、「英雄称号」を授けられ、再度の韓国潜入に備えて整形手術まで受けたという。
事件から13年後の2010年になって、新たな事実が明らかになる。この年の8月、韓国に居住する脱北者の情報を収集し、北朝鮮に提供した疑いで60代の男が逮捕された。
この男は1996年から10年以上にわたって、北朝鮮の工作員に接触し、脱北者の動静や反北朝鮮活動を報告していたという。この男は1997年ごろ、北朝鮮工作員から「李翰英氏を殺害せよ」という指示を受けたことがあったと自白している。
李翰英殺人事件は@複数の実行犯、A周到な下準備、B巧妙な逃走、C証拠の徹底した隠滅、といった点で、金正男殺人事件と通じるものがある。
マレーシア警察の懸命の捜査が続いているようだが、おそらく、事件の真相が明らかになるまでには、相当な時間を要するだろう。
すでに、事件発生からかなりの時間が経過し、巷間の関心も薄れつつあるようである。しかし、時間はかかろうとも、事件の真相は徐々に明らかになってゆくはずである。
事件を風化させず見つめ続けること。これこそ、今回のような国家の関与が疑われるテロ事件に向き合う正しい姿勢だと思われる。
交流と善隣、反目と戦乱―隣国を知り、自国を見直す。韓国、北朝鮮についての断片的な知識を線につなげる「韓国通史」の最新決定版。5000年の悠久の歴史を俯瞰する。
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