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トランプはなぜ小学生のように喋るのか? 答えはプロレスにあった! 負け犬白人を惹きつける「技術」の由来
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51307
2017.03.26 川崎 大助 作家 現代ビジネス
■トランプが愛される理由
ドナルド・J・トランプ大統領は、なぜこれほどまでに「愛されて」いるのだろう?
いや、万人から愛されているわけではない。今日、彼の当選によって「二分された」とされるアメリカ国民の、その「一方の側」からは、彼は熱烈に愛されている。それが彼の強み、原動力となっている。
本稿は、トランプが「愛されキャラクター」と化したその構造、メカニズムそのものの分析を試みるものだ。僕が「トランプ節」と呼ぶあのパフォーマンスのなかに、「愛されポイント」の基本構造マトリックスがある。そこを分解してみたい。
昨年の11月、当サイトに寄せた前回の原稿で、僕は、トランプ支持者のコア層についての考察をおこなった(「日本人がまったく知らないアメリカの『負け犬白人』たち」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50253)。
イギリスの政党「UKIP」の党首、ナイジェル・ファラージの言葉に倣い、「負け犬たち」の表象を、映像作品や音楽など、アメリカ大衆文化から読み解いた。
「ヒルビリー」「ホワイト・トラッシュ」などと、おもに知識層や支配層(The Establishment)からは蔑まれるような表象と心理的につながり、それを肯定するような内面性が、トランプ支持者のコア層にはあると考えられたからだ。
今回はさらに一歩踏み込んで、トランプがそんな「負け犬たち」の心をつかみ、愛されて、そして「信頼を得た」その具体的な方法について見ていきたい。「トランプ節」のどこにそれほどの希求力があるのか、腑分けした上で解析してみよう。
キーとなるのは「プロレス」と「マンガ(アメリカン・コミックス)」だ。
そんなもので天下(アメリカの国家元首の座)を獲れるのか!と、あなたは怒るかもしれない。
しかし、それこそがいま、アメリカで起こっていることなのだ。
■あまりにも幼稚な語彙…
まずは、トランプのスピーチ内容だ。言うまでもなく、彼は一貫して「ひどい」。大統領候補としても、現職の大統領としても、話にならない。
とくにオバマ前大統領が演説の達人だったから、その落差には目眩を禁じ得ない。オバマの演説は、詩であり哲学であり、高邁な理想と誠実さ、人格の高潔さを、言葉の上でだけでも感じさせてくれるものだった。これこそが、「一般的には」アメリカ社会で高い地位にいる人物に求められるもの、だった。
対してトランプは……彼の言葉は、演説でも対談でもツイートでも、その語彙が「小学4年生程度」とアメリカではよく評されているのだが、それは買いかぶり過ぎだ。もっと低いときだって多い。言葉の選びかた、文章の編みかたが、平易と言うよりも、明らかに幼稚だ。ちょっとびっくりしてしまうほどに。
トランプの語彙の水準と特徴を示す一例を、彼が得意とする(?)ツイートから見てみよう。イスラム圏7ヵ国を名指しして入国禁止を求めた大統領令に対し、世界中で轟々と巻き起こった批判に応えて、アメリカ時間の2月1日、彼はこうツイートした。
「Everybody is arguing whether or not it is a BAN. Call it what you want, it is about keeping bad people (with bad intentions) out of country!」(@realDnaldTrump より。以下同)
なんなんだよ「Bad People」って! 高めに見積もっても、これは小学1年生か2年生なみの語彙だろう。日本語にすると、平仮名で「わるもの」とか言っているような感じか。前記の一文を僕が訳すると、こうなる。
「みんな、これが〈禁止令(BAN)〉だとかそうじゃないとか、ああだこうだ議論しているが、呼びたいように呼べばいい。これは〈(わるい意志を持った)わるものたち〉を国から閉め出すためのものなのだ!」
……いい大人が、いや「先進国の国家元首が公式に」こんな言葉を口にすることは、普通、絶対にない! なんで「不審な人物(Dubious or Suspicious People)」ぐらい言えないのか? が、「あえて言わない」ところにこそ、トランプ節の真骨頂がある。
彼は、「わざと」幼稚な語彙や構文をツイートしているのだ。
日本ではよく誤解されているようだが、トランプ大統領の学歴は決して低くない。アイヴィー・リーグの一画を担う名門・ペンシルヴェニア大学で学士号までは獲っている。だからもっと難しい言葉遣いも、本来はやれて当たり前だ(というか、後述するが、かつてはこんな語彙の人ではなかった)。
であるから、今日の「トランプ節」は、意図的にやっているものなのだ。
■トランプ節の起源はプロレスにあった!
アメリカである一定以上の地位にいる公人が「絶対にやるわけがない」口調や態度を、ことさらに実践しようとしているのがトランプという人だ、と言っていい。
つまりあれは、ひとつのパフォーマンスの「型」として見るのが正しい。幼稚で粗野な言葉を、特徴的な口調と、身振り手振り、表情のありかたのすべてで「きわめてエキサイティングに」観衆に伝えていく、という……。
トランプは、すぐに絶叫する。言葉の抑揚をあざとく強調してみせる。口をすぼめる、眉根を寄せ眉尻を下げるなど「変な顔」を頻繁にする。ハンドサインの「OK」のような妙な手付きをする。繰り返しを多用し(very, very など)、また、同じ内容の話題をも「繰り返し」述べ続ける……。
こうした特徴をそなえたパフォーマンス術は、彼のほとんどすべての演説に生かされている。
だから当然、1月20日の大統領就任演説も「トランプ節」が全開だった。まず間違いなく悪い意味で歴史に残ること必至の、奇妙なあの演説が終わった直後のことだ。アメリカに住む僕の友人は、たったひとことでその内容を要約した。
「演説の内容は今までと同じで、何かアメリカのプロレスラーのマイクアピールを思い出してしまいました」
たしかに! あの「トランプ節」は、プロレス由来のものなのだ! とこのとき僕は膝を打った。
マンハッタンで働くビジネスマンであるその友人は、長年にわたる熱心なプロレス・ファンでもあった。もちろん全米最大最強の団体である〈WWE〉も追っていて……という人物の指摘を受けて、このとき僕は、ようやくにして気がついた。
トランプの語彙、話しかた、身振り手振り、あれらはすべてとても「リング映え」するものだ。リングの上で、レスラーという「虚像」を演じる際に発信される、戯画化されたセリフおよび肉体言語の数々と、トランプのそれは、まさに「そっくりそのまま」同じ傾向のものなのだ!
トランプ節とは、アメリカン・レスラーのマイクアピール術と同じなのだ。「小学生なみ」で当たり前だ。だってプロレスなんだから……。
だから「トランプ節」は、彼のコア支持者に問答無用で受けた。前回の稿で分析した白人男性層とは、プロレス・ファンの主力と同じ層も数多く含まれている。だからまずトランプは彼らに対して「私も同じなんだよ」というメッセージを、全身全霊をもって伝えたわけだ。なにが「同じ」か? 「世界観が同じ」ということだ。
それが彼のパフォーマンス術の「最初の一歩」だった。そしてその「わかりやすさ」が受けに受けたため……今日までずっと、まるでそれを伝統芸のような「トランプ節」として継続しているというわけなのだ。
■シンプルかつ快感原則に沿った世界観
では彼が「同じなんだよ」と言外にささやいた「世界観」とは、どんなものか?
これもアメリカン・プロレスに関係している、と言っていい。トランプは以下のように聴衆にアピールした。
「私は、『プロレスの世界と同程度に』世の中をシンプルに見るのが好きなんだ」と。
プロレスの世界では、善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)の2種類のレスラーがいて、それぞれがそれぞれ「らしく」立ち居振る舞い、戦って、そこに生じる「ストーリー」に観客が熱中していく。
……それと同じように「アメリカ国内はもとより、一見複雑そうな世界情勢も、いちど頭を真っ白にして、単純化、簡略化して見てみないかね?」と、彼は主張した。シンプルかつ、快感原則にも沿った「私のストーリー」に、あなたも参加してみないかね?……と。
これこそが「わかる人にはわかる」どころか、人によっては「堪えられない」強烈な吸引力をそなえた「ささやき」だった。トランプにしかやれない「愛されパフォーマンス」の出発点はここだった、と僕は考える。
■プロレス界との深い関係
ところで実際、トランプとプロレス界の関係は深い。WWEとは昵懇の間柄だ。
関係が始まったのは1988年、ニュージャージー州アトランティック・シティにて、自らが所有するトランプ・プラザ・アンド・カジノがホストを務める形で、WWEの興行がおこなわれたのが最初だ。
ここからずっと良好な関係は続き、なんと2007年にはトランプ本人までもが試合に参加してしまう。
「億万長者対決(Battle of the Billionaires Hair vs Hair)」と題された試合がそれで、同団体の興行「レッスルマニア23」のなかで展開された。
このときトランプは、WWEのオーナーであるヴィンス・マクマホンと対決。双方が代理としてレスラーを立て、負けた側が頭を丸坊主にする(双方ともにカツラ疑惑があったので)という設定で、話題となった。試合はトランプが勝利、マクマホンが頭髪を剃り上げた。
面白いのは、このときの両者のリング上のやりとりだ。
当時は、トランプよりもマクマホンの喋りのほうが「勢いが上」だったことが映像からも確認できる。すでに「トランプ節」は生まれていたのだが、「WWEのリングの上」では、場数を踏んだマクマホンにトランプは敵わなかった。
が、今日のトランプはマクマホンよりもずっと上だ。つまり「トランプ節は進化している!」のだ。
前述したとおり、トランプ節は地ではない。たとえば、80年代前半あたりの、若き日のトランプの話しかたを映像で見てみると、怪人めいた今日の毒々しさはほとんどない。くぐもったような口調など、もちろん類似点もあるのだが、当時のトランプの喋りかたは「普通の人」の常識的なものでしかない。
僕はこの一連の「プロレス経験」が、マクマホンや、それ以外の綺羅星のごときスターたちのマイクアピール術を間近に体験し続けたことが、「トランプを変えた」と考えている。
彼のパフォーマンス術を形作ってくれたのは、プロレスなのだ。トランプは、マット界およびWWEには大恩があるのだ。
(ゆえに、ヴィンスの妻でありWWEスターでもあるリンダ・マクマホンがトランプから中小企業庁長官に任命されたことには、なんの不思議もない)
トランプによって中小企業庁長官に任命されたリンダ・マクマホン氏〔PHOTO〕gettyimages
■トランプの「兄弟子」
さらに、この一連のプロレス体験のなかで、トランプは「兄弟子」と言ってもいい人物と運命の出会いを果たしている。それがジェシー・ベンチュラだ。
彼は米海軍の特殊部隊兵士としてヴェトナム戦争に従軍、のちに「ザ・ボディ」の異名のもとプロレスラーとして成功し、トランプがWWEと関係を持ったころは、「毒舌が人気の」解説者としてリングサイドで大活躍していた。映画俳優としても成功した。
日本で最もよく知られているベンチュラ出演作というと、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』(1987年)だろう。
映画『プレデター』。左端がジェシー・ベンチュラ〔PHOTO〕gettyimages
ここでヴェンチュラは、剃り上げた頭にスローチ・ハット、丸太のような腕には「Painless Gun(軽装のガトリング砲であるミニガン)」を抱え、鬚をたくわえた口元からは噛み煙草の汁をぺっぺと吐き飛ばす、という男のなかの男像を演じ、宇宙から来た異星人ハンターとジャングルで戦った。
そして彼は、ほぼこのときの「キャラクター」のまま押し通して、なんと、99年にはミネソタ州知事になってしまう! これは、共演したシュワルツェネッガーが2003年にカルフォルニア州知事に当選することにも先んじた、まさに快挙だった。
ヴェンチュラのそれ以前の政治経験は、1990年から95年まで、同州のブルックリン・パーク市(人口7万人程度)の市長を務めたことぐらいだった。しかも出馬は、共和党でも民主党でもない、アメリカ合衆国改革党ミネソタから。だから多くの「常識的な」人は「馬鹿な有名人の冗談」だと笑っていた。泡沫候補として、相手にしなかった。
しかし蓋を開けてみれば、僅差で勝利をもぎとっていったのは、「アウトサイダー」だったはずのヴェンチュラだった……どうだろうか。この展開、まるで昨年の「トランプ旋風」について書いているようじゃないか?
(だからマイケル・ムーア監督は、早い段階から「ヴェンチュラ効果に気をつけろ」と警告を発していた、のだが……)
そして事実、このヴェンチュラの当選がトランプに与えた影響は大きい、とアメリカでは分析されている。
さっき僕は「若いころのトランプに、いまの『トランプ節』はなかった」と書いた。では、いつこれが顕現したのか? 「ここ」と特定できる、そんな瞬間は、あるのか?……じつは「ある」。「このときだ」と指摘されている有名な映像がある。
ときに2000年1月7日。同年の大統領選に向けての、アメリカ合衆国改革党の資金集め集会にて、トランプは前述のブルックリン・パーク市で記者会見をおこなった。ここで、映像で確認できる最古の「トランプ節」が炸裂する。
トランプとヴェンチュラ。2000年1月7日〔PHOTO〕gettyimages
発売したばかりの自著の宣伝もかねてなのか、北朝鮮を、日本を叩くあの舌鋒が繰り広げられた――のだが、このときトランプの隣にいたのは、当時現役の州知事だったヴェンチュラその人だった。なぜならば、ヴェンチュラは同党の大統領予備選候補者として、かねてから友人だったトランプを推し続けていたからだ。
結局、トランプはこのときの選挙戦を途中で棄権してしまうのだが、ふるっているのが、そもそも最初にヴェンチュラが彼に立候補を持ち掛けたのは、アトランティック・シティで開催されていた「レッスルマニア」イベントの会場内だった、という出来過ぎの話まである(ニューヨーク・タイムズ、1999年9月25日付の記事より)。
また、トランプと大統領選ということで言うと、1988年に軽くひと騒ぎあったものの、彼が本格的なキャンペーン・レースに巻き込まれたのはこの2000年が初だった。
そして、このときの一連の「トランプ節」がメディア界から注目を集めたことも影響して、彼は04年にリアリティ番組『アプレンティス』の製作者およびホストとしてTV界に本格進出する。同番組は大人気を博し、ホストや内容の一部を変えながら、今日まで続く長寿プログラムとして成功をおさめることになる。
まさに、ヴェンチュラによって掘り起こされ、プロレスとTVに育てられて巨大化していったのが、トランプの「キャラクター」だったということがわかる。
(明日公開予定の後編では、「トランプとアメコミの戦慄すべき関係」について書こう)
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