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OPEC加盟を望まないロシア ロシア経済2016年総決算  クリミアがロシアに再統合されて3年 正教会と倒された皇帝
http://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/663.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 20 日 20:10:08: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

OPEC加盟を望まないロシア
2017年3月20日 マリア・クトゥーゾワ
 石油市場での外交努力が初めて実を結び、原油価格も上昇したが、アレクサンドル・ノヴァク・エネルギー相はロシアの「石油輸出国機構(OPEC)」加盟を完全否定している。
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石油
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(左から右へ)サウジアラビアのエネルギー・産業・鉱物大臣のハーリド・アブドゥルアズィーズ・アル=ファーリハ、ロシア連邦エネルギー相のアレクサンドル・ノヴァク、メキシコ・エネルギー長官のアルド・フロレス、石油輸出国機構(OPEC)事務局長のモハメド・バルキンド(敬称略)。エネルギー業界の会議「セラウィーク(CERAWeek)」にて。7日3月2017 =ロイター通信
 ロシアはOPEC加盟を検討していないと、ノヴァク・エネルギー相は今月初めにアメリカ・テキサス州のヒューストンで開催された「セラウィーク(CERAWeek)」で話した。「ロシアは現在、OPEC加盟案を検討していないが、石油輸出国との相互活動で協力の必要性と有効性が示された」。ノヴァク・エネルギー相はこれまで、市場へのOPECの影響力が限られていると、何度も話していた。

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 とはいえ、昨年はロシアと他の産油国の間で協議を調整することが、ロシアの外交活動の重要な課題になっていた。OPEC加盟国は昨年11月30日、2017年初めから日量120万バレルを減産することを決定。ロシアを含むOPECに加盟していない11ヶ国は、あわせて日量55万8000バレルを減産する義務を負った。うちロシアの分は日量30万バレルである。
 「OPECとロシアは互いを信用していない。我々は競合であり、パートナーではない」と、「ロイター」通信石油市場編集者のグレプ・ゴロジャンキン氏は話す。OPEC内部の異なる目標と考え方により、ロシアにとって合意が難しいという。「サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェート、イラン、カタールは巨額の債務を抱えておらず、市場でのシェア拡大路線をOPECで取っている。一方で、貧しい加盟国(アンゴラ、ナイジェリア、ベネズエラ、イラク)は、何よりもうまくやりくりするために、原油価格の上昇に関心を持っている」とゴロジャンキン氏。

OPECにはシェール革命に対する答えなし

 OPECは今後、減産に積極的にはならないだろう。というのも、減産によって、アメリカのシェールオイルに対する投資が増えてしまったからだ。OPEC加盟国は現在、シェールオイルの増産を注視しており、今年5月末に減産合意を延長するかどうかを、成り行きを見て決める。

 アメリカの「エネルギー情報局(EIA)」は、同国が近々日量1000万バレルまで増産すると予測している(現在より10%多い)。これは1970年の最大量を超える。OPECが今年初めに原油価格上昇に期待して減産し、手放したシェアを、シェールオイルの生産者が奪っている。

 イギリスの大手石油会社「BP」ロシア・CIS部のチーフエコノミストであるウラジーミル・ドレベンツォフ氏によれば、アメリカでシェールオイルが枯渇するぐらいしか、OPECには良い答えがないという。「1バレルあたり120〜140ドルまで上昇しなければ、アメリカのシェールオイルについてあと何年も聞くことはなかったであろう。時すでに遅し。革命は起こり、"ジンはランプから放たれた"。蒸気がランプから出ている間は、元に戻すことはほぼ不可能」とドレベンツォフ氏。

不安定な加盟国

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 アメリカの「シティ」先物のアナリスト、ティム・エバンス氏によると、石油市場は現在、あらゆるネガティブなニュースで崩れ得るカードのハウスのように見えるという。OPECの加盟国イランは、市場安定化の合意によれば、日量380万バレルまで生産できるが、輸出を増やしている。経済制裁を受けていた際に備蓄していた石油を積極的に販売し、備蓄量を2960万バレルから今年初めまでに1640万バレルに減らしている。

 イラクも増産している。特に、ハイダル・アル・アバディ首相は、クルディスタンでの増産について話していた。クルド人の管理する油田からのトルコへの輸出量は昨年12月、日量58万7000バレルに達した。これは割り当てられたクォータの日量25万バレルの2倍以上である。また、アメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙は、イランが今年1月にバスラ沖の石油ターミナルを経由して、7%増となる日量353万バレルまで輸出しようとしていたことを伝えている。インドと中国にも追加的な量が輸出される予定。

 もう一つの不安定要因がある。それは今年、産油量を2倍に増やすことを計画しているリビア。国内最大のシャララ油田で増産し、ザウィヤ石油ターミナルの輸出活動を再開している。1月初めには、生産量が日量70万バレルに達した(12月の平均は日量63万バレル)。

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ロシア経済2016年総決算
2016年12月26日 アレクセイ・ロッサン、ロシアNOW
 2016年度の経済実績が発表されるのは、主な統計的指標がそろう2017年2月である。その前に、ロシア経済の主なできごとを、ロシアNOWが集めた。
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ロシア経済, 石油, ロスネフチ
石油の減産に合意

シベリアのコガリム市=ロイター通信
シベリアのコガリム市=ロイター通信

 ロシア政府は数年ぶりに、日量30万バレルの減産に合意した。これは「石油輸出国機構(OPEC)」加盟国と非加盟国が2016年12月上旬に閣僚会合を開いた際、合意するための条件になった。会合では、減産合意を各国が履行しているかを監視する委員会の設置も決まった。

 ロシアには国の産油モノポリーがあるわけではないが、このような動きをとった。石油を採掘しているのは複数の企業で、その一部の経営に国がかかわっているのみである。それでも、ロシアの大手石油会社は減産に合意した。このようにして、原油価格の上昇に期待している。

世界の金融市場に復帰

モスクワ証券取引所=セルゲイ・クズネツォフ/ロシア通信
モスクワ証券取引所=セルゲイ・クズネツォフ/ロシア通信

 ロシア連邦財務省は30億ドル(約3510億円)を公開市場で起債した。最初に17億5000万ドル(約2047億5000万ドル)を5月に、次に残りの12億5000万ドル(約1462億5000万円)を9月に起債した。この時、国はあえてロシア企業ではなく、外国人に売却した。ロシアの購入者はいなかった。

 注文台帳の総額は毎回70億ドル(約8190億円)を超え、イギリス、アメリカ、アジア諸国の投資家が購入者になっていた。対ロシア経済制裁があっても、外国人は以前と変わらず、ロシアの国債に関心を持っていると、財務省はは考えている。

 これは2013年秋以来の国際市場への参入である。この時、ロシアは得た資金を、欧州連合(EU)とアメリカの経済制裁の対象となっている企業や個人の支援に使うことを許されなかった。

5年ぶりのデフレ

スーパーマーケット=EPA
スーパーマーケット=EPA

 ロシアでは8月初め、わずかながらではあるが、5年ぶりに消費者物価が下落した。8月第1週は0.1%下落した。2011年9月以来のデフレである。ちなみに、2015年のインフレは12.9%であった。

 ロシア経済にとって、インフレ圧力が低減することは良いニュースである。これはロシア連邦中央銀行が示した2017年にインフレ4%という目標に、より早く達することができるということである。中央銀行は2014年末に、ルーブルの為替レートを自由化し、対ユーロ、対ドルで50%の下落を引き起こした。この時に設定した目標である。

ビジネス環境格付けで11ポイント上昇

 世界銀行と国際金融公社(IFC)が10月に発表した、世界のビジネス環境を格付けする「ビジネス環境の現状(Doing Business)」の2017年版で、ロシアは51位から40位へと、前年版より11ポイント浮上することができた。これは国のビジネス環境の質、経済の官僚制度の障壁の規模によるものである。


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 ロシアではビジネスにかかる官僚制度の圧力が1年で大幅に低減した、と評価されている。実施された改革件数で、ロシアは上位5位に入っている。ロシアの主な優位性は、エネルギー網へのアクセス手順の簡易さ、財産登録の簡易さ、契約履行の確保のままである。
 この格付けは、ロシア政府にとって、国のビジネス環境の質を示す重要経営指標(KPI)になっている。

ロスネフチ株を外国人に売却

「ロスネフチ」のイーゴリ・セーチン社長=タス通信
「ロスネフチ」のイーゴリ・セーチン社長=タス通信

 ロシア政府は財政赤字を減らすため、国内最大手の石油会社「ロスネフチ」の株式19.5%を売りに出した。ロスネフチの株式を取得したのは、スイスの資源商社「グレンコア」およびカタールの投資ファンド「カタール投資庁」。総取引額は100億ユーロ(約1兆2300億円)を超える。

 市場関係者にとって、これは予想外だった。ロスネフチの株式を取得するのは、中国とインドの投資家だと考えられていたためだ。中国とインドの投資家はロシアネフチの経営参加を求めていた。ロスネフチ自体は、自社株買い戻しを考えていた。

 取引後も、ロスネフチへのロシアの出資比率は50%+3株。イギリスの石油会社「BP」はすでにロスネフチに19.5%出資しており、カタール投資庁とグレンコアはそれぞれ9.75%の出資となる。残りは上場株。

経済発展相を拘束

アレクセイ・ウリュカエフ氏=マクシム・ブリノフ/ロシア通信
アレクセイ・ウリュカエフ氏=マクシム・ブリノフ/ロシア通信

 アレクセイ・ウリュカエフ経済発展相は11月、自宅軟禁の処分を受けた。捜査当局によれば、ウリュカエフ氏はロスネフチに対して200万ドル(約2億1600万円)の賄賂を要求し、拒めばロスネフチが石油会社「バシネフチ」の民営化に参加できなくなると脅したという。ウリュカエフ氏は、この容疑を否定している。

 ウリュカエフ氏は以前から、ロシアで最も権威のある経済学者の一人と考えられていた。1990年代初め、経済改革の提唱者エゴル・ガイダル氏とともに活動し、その後ガイダル氏の創設した移行期経済研究所で長年働いた。

 ウリュカエフ氏が自宅軟

 

禁処分になった後、新経済発展大臣には、それまで財務次官を務めていたマクシム・オレシキン氏が任命された。オレシキン氏は、新しいポストでの経済成長を約束した。

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コンテンツの著作権保有者は、ロシア政府発行紙「ロシア新聞」(ロシースカヤ・ガゼータ)です。
正教会と倒された皇帝
2017年3月19日 アレクセイ・チモフェイチェフ、ロシアNOW
 ロシア革命から100年。ロシア正教会は、当時のできごとの記憶を守ることの大切さを強調している。主に、革命の暴力に対する非難が中心で、皇帝の退位につながった2月革命に対する正教会自体の立場など、革命の時代の他のできごとにはあまり触れていない。
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ロシア革命, ロシア革命100年, ロシア史
Emperor Nicholas II
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 ロシア正教会の関係者の一人は最近、1917年革命を「偉大な」革命と考えることが教会にとって不可能であると話した。その後、ロシア正教会のキリル総主教は、ロシア革命を「大罪」と呼び、一連のできごとの評価を正した。

 1917年10月にボリシェヴィキが政権を奪った後で始まった内戦、レーニン主義者による好戦的な反権威主義などの革命の影響をほのめかしている。これにより、大勢の聖職者の命が犠牲となり、教会が破壊されたという。

 ところで、革命を始めたのはボリシェヴィキではない。皇帝ニコライ2世の退位を招いたのは、当時の首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で2月末に起きた民衆の蜂起である。10月革命の前には、数ヶ月間の革命的騒乱、また政権の度重なる危機があった。

 キリル総主教は自身の発言の中で、皇帝の退位にのみ言及した。この時期のロシア正教会については細かいことは触れなかった――正教会が君主制を守るべく声を上げるのをやめたのが、まさしく2月革命の際であるにもかかわらず。その後、正教会は臨時政府を支持した。だが、臨時政府には国を危機から救う能力が致命的になく、その結果としてボリシェヴィキが政権に就いたとして、キリル総主教は臨時政府を正当にも批判した。

「いたしかたなかった」

 正教会は当時の条件で、あのように動くしかなかったという意見がある。首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の革命の勝利には勢いがあった。2月26日には状況を政府がコントロールしていたように見えたが、翌日には蜂起した側の手中に収まっていた。

 また、正教会には正式に守る人もいなかった。皇帝ニコライ2世は3月2日には退位し、弟のミハイル大公にゆずった。弟は、憲法制定会議で承認された後にのみ皇位につくと声明した。


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 正教会は、ピョートル大帝の改革の後、独立した機関ではなく、省のような、国家体制の一部となりながら、他の国家機関と同様の活動をしていたと、モスクワ国立大学の歴史学者フョードル・ガイダ氏はロシアNOWに話す。革命が始まった当初は、一連のできごとにそれほど注目していなかったが、革命が予想外の勝利を遂げると、宗務院は他の省庁と同様、新しい政権を承認した。「宗務院が活動の基本としていた論理は、国家の崩壊と内戦を許さないこと。これには臨時政府を承認するという一つの手段しかなかった」とガイダ氏。これができなければ、専制打倒後に政権に就いた人々からの「政治的打撃」に教会がさらされたであろう。宗務院はこの条件で、他の行動を取れなかったと、ガイダ氏は考える。

臨時政府の長期持続を願い

 しかし、宗務院のこのような対応に批判的な人々は、宗務院がペトログラードで起こっていることにほとんど無関心だったし、あえて皇帝を支持しなかったと主張している。ニコライ・ジェヴァホフ宗務院長官代理は「回顧録」の中で、宗務院の長である府主教に2月26日、信徒団に対して「服従しなかった場合に教会懲罰を科すという教会のわかりやすい警告」を行うよう提案した。だが宗務院は警告を行わなかった。

 宗務院の専制の保護に対する消極さだけでなく、宗務院による新政権の早期承認への批判もある。皇帝が退位した3月2日には臨時政府との関係を結んでいる。その後、宗務院は新政府に任命された次長検事を承認し、革命後の最初の会議(3月4日)で、正教会の「新しい時代」の始まりについての喜びを表明した。その後、ジェヴァホフ宗務院長官代理によれば、新しい宗務院長官は正教会の幹部の一人とともに、象徴的な皇帝の椅子を会議場から運び出したという。この運び出しには、哀れなスピーチが伴った。

 宗務院は3月9日、臨時政府を信頼するよう呼びかけた。まもなくして、特別教会委員会は祈りの書にある皇帝に関する記述を削除し、長期持続を願う「神の祝福を受けた臨時政府」に関する祈りに変えた。

ツァーリと正教会

 ロシア国立人文大学の歴史学者ミハイル・バプキン氏の観察によれば、教会は王権との1000年にわたる「同盟」を意図的にやめている。国家の最高権力を握るのは皇帝か最高聖職者かという何世紀もの論争を有利に解決できると見たためだ。


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 このような考察から、「ロシアの君主制の打倒において聖職者が主要な役割の一つを果たした」という結論に達したという。正教会の幹部は当時の「2月以降の聖職者上層部の政治的立場」について、現代の正教会の国家機構および伝統主義に対する立場とあまり合っていないとして、沈黙している。
 ロシア正教会広報課のヴァフタンク・キプシゼ課長代理は、ロシアNOWの取材に対し、多くの点でガイダ氏の論拠を用いた。当時、ロシア帝国で正教会が置かれていた世俗的機関の一つという事実上の状態に言及しながら、正教会が独立して行動することは不可能だったと強調した。

 教会は君主制との戦いで革命家の側に積極的についたわけではないとし、正教会の立場の主な原則を説明した。「教会は国民の間の対立を深めたり、兄弟殺しとなるような分離、戦争、革命を悪化させたりするようなことを支持したことはなかった」とキプシゼ課長代理。また、「大罪」という革命についてのキリル総主教の言葉は、専制の打倒から始まる当時のすべての革命のできごと
http://jp.rbth.com/society/2017/03/19/720551


クリミアがロシアに再統合されて3年
2017年3月18日 エヴゲーニイ・レフコーヴィチ、ロシアNOW
 ソ連の一部、ウクライナの一部となり、2014年3月にロシアに再統合されたクリミア半島。当地の生活は変わったのだろうか。ロシアNOWの記者が取材を行った。
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クリミア
ヤルタ=セルゲイ・メリホフ
ヤルタ=セルゲイ・メリホフ

なぜか幸せ

 私はシンフェロポリに到着した。人口33万6460人、クリミア第2の都市である。

 ここはリゾート地という雰囲気ではない。中心部には、ソ連時代に建てられた古く色あせた建物や、質屋、シャワルマ(ドネルケバブ)がふるまわれるカフェがたくさんある。

クリミア=セルゲイ・メリホフ
クリミア=セルゲイ・メリホフ

 朝のコーヒーでも飲もうと、このようなカフェの一軒に入る。あるテーブルには、4人の女性のグループがいる。そこに加えてもらい、若い頃にシンフェロポリに来たことがあるが、ロシアに編入された後ではなく、ソ連から分離した後と何ら変わっていないと私は話す。

 「私たちを見てちょうだい!私たちは幸せなの!故郷に戻ったの、またロシアと一緒よ!」とグループの1人が話す。

 「このおばかさんの言うことを聞いちゃダメ。何も変わってない。物価だけがモスクワ並みになった」と友だちが話をさえぎる。

 クリミアではこんなやりとりが普通だ。ロシアに編入された後、良くなったか、悪くなったか、という話題になると、あまり具体的な点は出てこない。すべて個人の感覚の話だ。そして怒りが伴うことが多い。前のウクライナ政府に対する怒りや、今のロシア政府に対する怒り。

クリミア=セルゲイ・メリホフ
クリミア=セルゲイ・メリホフ

法律が厳しくなった

 カフェの隣の建物は、ロシア連邦内務省クリミア交通垂直管理局。モスクワの責任者の許可と正式な書類がなければ、取材をしても答えてはもらえないだろうと思いながら、とりあえず入ってみると、対応が気さくで驚く。

ヤルタ=セルゲイ・メリホフ
ヤルタ=セルゲイ・メリホフ

 捜査部の職員エレーナさんは、記者証の提示も求めず、こう話す。「仕事がとても増えてね。ロシアの法律はウクライナの法律と全然違う。特に行政法違反の部分。はるかに厳しい」

 治安当局者が増え、厳しいロシアの法律に移ったため、クリミアで編入の喜びが冷めたところはある。ウクライナ政府を多くの人が嫌っているが、クリミアを編入したロシア政府の魅力も過去のものとなった。

ヤルタ=セルゲイ・メリホフ
ヤルタ=セルゲイ・メリホフ

 特にがっかりしているのが、キオスクの店主である。新政府はクリミアのほぼ全土でキオスクを撤去した。

 キーロフ大通りに残っている少数のキオスクの一つの経営者は、こう話す。「以前はギャングと取り決めをしていたが、今はモスクワのギャング、新しい警察、役人と取り決めをしている。やたらと高値になった。これが変わったところさ」

「ここで戦争がなくてよかった」

 私はシンフェロポリの有名なレストラン「クリミアの庭」の経営者リファト・ベキロフさんと会うため、郊外に向かう。このレストランは、主にクリミア・タタール人の集う場であり、ベキロフさん自身もクリミア・タタール人。ベキロフさんは私に夕食をふるまいながら、ロシアへの編入を当初警戒していたものの、今は喜んでいると話す。ロシアでの事業にも満足している。

リファト・ベキロフさん(右側)=Legion Media
リファト・ベキロフさん(右側)=Legion Media

 「もちろん、最初はどの事業者にとっても大変だった。登録のしなおし、新しい書類、別の法律...。だが仕事は楽になった。以前は年に10回ぐらい税務署が来て調べていた。今は行政の圧力が減った」

 クリミア・タタール人の多くが自分たちの状態に不満を持っているという噂があるのに、話が違うのではないかとたずねてみると、ベキロフさんは哲学的に答えた。

 「どんな政府になっても不満を持つ人はいるもの。クリミア・タタール人はいろいろ耐えてきたせいで、どんな国家機関にも不信感を持つようになっているからなおさら。私の祖父はここで飴工場を所有していたが、1937年に没収され、祖母と一緒に中央アジアに追放された。今はこのような問題はない。納税して、ロシアの法律を破らず、イスラム主義的な過激なプロパガンダを行わなければ、いかなる迫害も受けない」

 ベキロフさんは別れ際、クリミアのいたるところで聞くフレーズを言った。このフレーズは、新しい秩序に不満を持っている人からさえ聞こえてくる。「ここで戦争がなくてよかった」と。

「幸福の街」

 次に行った先はヤルタ。クリミアの主要なリゾートの一つで、市境に入ると、「幸福の街」という大きな文字が見える。だが汚れやゴミはシンフェロポリよりちょっと少ないぐらいで、道路はデコボコ、観光サービスは以前と変わらず悪い。

ヤルタ=セルゲイ・メリホフ
ヤルタ=セルゲイ・メリホフ

 ロシアへの編入に対する賛否は、人々の活動の種類によってはっきりとわかれている。たとえば、タクシーの運転手は失望と怒りを隠さない。物価上昇により、稼ぎが急減したのだという。

 ウラジーミルさんはこう話す。「旅行者は減っていないが、支払い能力はゼロに近くなっている。ロシアは大勢の”享受者”や”予算受給者”をここに送ってくる。つまり、何も買わないたかり屋。我々の生活はここに直接的に左右される」

「ウクライナに20年軽んじられてた」

 ロシアが数十億ルーブル(1ルーブルは約2円)の投資を行うことのできた分野で働いている人の意見は、まったく異なる。ソ連の標準的なサナトリウムと大差ない元ピオネール・キャンプ「アルテク」は、今や世界レベルの国際児童センターとして輝きを放っている。教育活動部の副部長であるエリナ・ルツカヤさんは、5万ルーブル(約10万円)の月給を受け取り、喜んでいる。

散歩しているこどもたち。国際児童センター「アルテク」=セルゲイ・マグラコフ/ロシア通信
散歩しているこどもたち。国際児童センター「アルテク」=セルゲイ・マグラコフ/ロシア通信

 「プーチンはえらいわ!私のキスを送って!ウクライナが20年かけてもできなかったことを、3年でやり遂げた。ウクライナは私たちを軽んじていた」

 ヤルタ出身で、市役所勤続15年以上になる、2014年の住民投票の主催者の一人、イリーナ・ベロジョロワさんは、ロシア政府に対する不満の質問にいらだつ。

 「不満を持っている人は、働きたくない人!でなければ、執務室まわりをして、賄賂で好き勝手できてた人。ロシアに入って、秩序がかなり高まった」

ヤルタっ子であるイリーナ・ベロジョロワさん=セルゲイ・メリホフ
ヤルタっ子であるイリーナ・ベロジョロワさん=セルゲイ・メリホフ

 住民投票については、興奮気味にこう話す。

 「自分の人生で、街があんなに熱狂してたのは初めて。嬉しくて女友だちと泣いた。ウクライナ時代にロシアのパスポートを手に取っては、『いつ私もこれを持てるようになるのか』って思ってた。ずっと、あらゆるところで、自分たちをロシア人だと感じてた。他の法律にしたがって暮らし、自分の言語ではない言語で書類を作成してた」

ロシア国籍を取らない人も

 私の訪問の最後の拠点セヴァストポリは、クリミアの他の場所と比べると別世界だ。清潔で、家の外観は改修されて白い色に塗られ、海岸通りはきれいで、身なりの良い人が多く、自転車、スクーター、おいしい食べ物がたくさんある。

 フランス南部の小さな町の静かな生活に似ているが、この街の大規模な親ロシア・デモから、クリミアの2014年の運動が始まったのである。

沈没船のモニュメント、セヴァストポリ=ウラジーミル・アスタプコヴィッチ/ロシア通信
沈没船のモニュメント、セヴァストポリ=ウラジーミル・アスタプコヴィッチ/ロシア通信

 その痕跡をいまだに見ることができる。即席バリケードの欠片、ロシアのトリコロールの色に塗られたバルコニー、窓から吊り下げられたソ連の赤旗、聖ゲオルギーのリボン、セヴァストポリの庇護者のイメージになっている壁面いっぱいのプーチン大統領の肖像画など。

 「これでも少ない方。熱狂は過ぎた」と話すのは、この街を案内してくれているユーリャさん。2014年にロシア国籍を拒んだ、数少ない地元住人の一人。今でも持っているのは滞在許可証のみ。毎年更新する必要がある上、これだけでは正式に就職できない。「自分をウクライナ人だと考えていたし、今でもそう。生まれたのはオレンブルク(ロシア)だけど、セヴァストポリに39年暮らしている」

アルタ=セルゲイ・メリホフ
アルタ=セルゲイ・メリホフ

 それでも、編入後の街を客観的に評価する。ウクライナ時代とは異なり、秩序が高まって、電気も水も常に供給されている。

 「ウクライナはクリミアを見ていなかった、クリミアの問題を理解していなかったと、よく批判されているけれど、これは本当のこと。キエフ(ウクライナの首都)はセヴァストポリにまったく注意を向けていなかった。ここはクリミアで一番親ロシア的な街で、ずっとそうだった。『ロシアよ、来て!』、『プーチンよ、取って!』、『戻りたい!』って。物心ついた時からそんな感じだった」

ロシアからクリミアへ

 ヴィクトル・エヴドキモフさんは生まれながらのモスクワっ子。豊かな首都のすべてを投げ捨てて、クリミアに家族と引っ越してきた。

 「私自身占領者」と笑う。

 ヴィクトルさんの妻クセニアさんと一緒に、海岸通りを散歩する。クセニアさんはモスクワにいた時、クラブ「ザフトラ(明日)」のアートディレクターとして働いていた。2011年に、ロシア下院選挙をきっかけにボロトナヤ広場でデモが行われた祭、反プーチン派がこのクラブに集まった(当然ながら、クセニアさんの許可あって)。

ヴィクトル・エヴドキモフさん、妻のクセニアさん、娘のダーナさん=セルゲイ・メリホフ
ヴィクトル・エヴドキモフさん、妻のクセニアさん、娘のダーナさん=セルゲイ・メリホフ

 「セヴァストポリに来る時はかなり不安だった。我が家ではクリミアがどこのものかでもめてたものだから。夫はロシアの愛国者って感じで。でもここに来て、セヴァストポリは『ロシアの水兵の街』と呼ばれるように、完全にロシアの街だってことがわかったし、編入を強制的な占領と言うことは、少なくとも愚かだってこともわかった。住民は幸せで、街は素晴らしいエネルギーに満ちている。この中には、私が言うのもおかしなものだけど、独自の快感がある」

 モスクワで泌尿器科医として成功していた夫のヴィクトルさんは、セヴァストポリでウェイターとして働いている。ゼロからの生活であるが、自身にとって重要なのは「ロシアらしさ」。とはいえ、過剰な愛国的狂乱に対しては皮肉的である。

セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ
セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ

 「今ここには特にそんなものはない。熱狂が過ぎ去って落ち着いた。給与は高くないが、物価はモスクワ並みになった。それでもセヴァストポリの人はロシアに感謝してる。多くの人にとって、言語の問題は基本的なものだった。ここの学校ではウクライナ語が強制されていたから。人々は自分たちのことをずっとロシア人だと考えていて、ロシア語で話すことのみを望んでいた」

 エヴドキモフさん夫妻は今後数年以内に、モスクワのマンションを売却して利益を貯金に加え、セヴァストポリで家を買い(現在は賃貸)、旅行者に喜ばれそうなバーをオープンする予定。

セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ
セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ

 海岸通りは暗くなり、黒海艦隊の水兵の制服を来たアコーディオン奏者はロシアの伝統的な軍歌「暗い夜」を奏で、次に「勝利の日」を奏で始める。まだ3月で、戦勝記念日のある5月ではないが、奏者のまわりに集まっている老人は、情熱をこめてこの歌をうたう。

セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ
セヴァストポリ=セルゲイ・メリホフ

もっと読む:編入どう思う>>>
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