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日経ビジネスオンライン(Yが)キーパーソンに聞く
「スッキリしたい」言語麻薬がトランプを走らす
新旧米大統領のスピーチ聞き比べ(後編)
2017年2月6日(月)
山中 浩之
(前編から読む→「身もふたもなく言えば、ヒトラーそっくりです」)
(西新宿の喫茶店、入店してインタビュー開始から約2時間が経過。本文敬称略)
トランプ大統領の就任演説も、ヒトラーの施政も、金持ちにも貧乏人にもいい顔をして、落としどころがない話をしている。しかし、ヒトラーに関して言えば、なぜすぐに底が割れなかったのでしょう。
片山:歴史を振り返ると、頭のいいポピュリストは、次のごまかしを持ち出して、前の話を忘れさせるんです。例えば経済がごまかせなくなったら、次は外交。「やる時はやるぜ」という姿勢を見せると、1年かそこらは「やっぱり彼はすごい」と人気を保てる。そして「どうしようもなくなった」と言われる前に、退任していれば上々、というわけです。
ひどい(笑)。そういう、うまく逃げおおせたポピュリストには誰かいますでしょうか。
片山 杜秀(かたやま・もりひで)氏
音楽評論家、政治思想史研究者、慶應義塾大学法学部教授。1963年生まれ。近著は『近代天皇論 ──「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書)、『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』(文春新書)。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』『クラシック迷宮図書館(正・続)』『線量計と機関銃』『現代政治と現代音楽』(以上アルテスパブリッシング)、『クラシックの核心:バッハからグールドまで』(河出書房新社)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)、『国の死に方』(新潮新書)ほか、共著書多数。朝日新聞、産経新聞、「レコード芸術」、「CDジャーナル」等で音楽評を執筆。2006年、京都大学人文科学研究所から人文科学研究協会賞を、2008年、『音盤考現学』『音盤博物誌』が第18回吉田秀和賞、第30回サントリー学芸賞をそれぞれ受賞。『未完のファシズム』が2012年度司馬遼太郎賞受賞
片山:たとえば毛沢東とか。彼は中国共産党の指導者として農民主体で共産主義革命を成功させ、資本主義擁護・ブルジョワ擁護の蒋介石を台湾に追い出して、中華人民共和国を作り出しました。ですが、肝腎の革命の主体である膨大な農民層を豊かにすることにはなかなか成功しなかった。それどころか非科学的な農法を推奨して餓死者を続出させたり、マイナスの政策も多かったでしょう。
ところが農民はいつも毛沢東の味方なんですよ。毛沢東は国内に敵を作り出しては失敗の責任をそちらに押しつけて、農民を信じこませてしまう。国内で足りなければ中ソ対立を演出して対外危機も作り出す。「たいへんだ」と騒いで、「国民がひとつにまとまって頑張らなくては」とやっている間に何年もが過ぎた。万事そういう調子の毛沢東に任せていては中国は拙くなると、ついに引導を渡そうとした勢力を「人民の敵だ」として、純真な青少年を紅衛兵に仕立て、退治してしまいさえしましたね。それが文化大革命。
失敗を逆に自らの権力強化に利用し、世界的アイドルになったわけです。日本でも「文化大革命は素晴らしい」という学者やジャーナリストが大勢いました。そんなこんなで最後まで偉いまま世を去りました。この人はやはり凄い。
「成長策が見えない」ことを認められない
ポピュリストは逃げれば勝ちでも、国民はたまったもんじゃありません。
片山:ただし、繰り返しになりますが、冷静に考えてみれば、大統領や首相が替わったからといって、新しい成長モデルが出てくるものではありません。しかも、経済のグローバル化が国家の経済に対する影響力をどんどん限定的にしている、つまり、「国家の経済的アクターとしての地位」は低下の一途を辿っているのが現代史ですから、さすがの米国大統領でも「グッドアイデアを実行すれば世の中がいきなり変わる」ということは、もう恐らくありえない。大統領がそういう約束をできると考えるほうがおかしい。
じゃあ、どんな約束ならできるんでしょう。
片山:「なかなかこれ以上は成長しない経済を受け入れて、苦しい思いもしてもらうけれど、最大多数がそれなりに人間らしく生きられるように工夫の限りを尽くし、社会主義的施策も辞さない」と言える政治家が、今の先進資本主義国には必要だし、それを支持できる「新しい価値観」を有する国民も登場しないといけないと、私は思うのです。
でも実際には、オバマでもダメでしたし、新しい米国の指導者は出来ないことを「出来る」と言う人で、出来ないことを本気でやりそうで、支持者もなんたかそれに期待していると。末期的かもしれませんね。
「成長しない」ことを受け入れるのが、「新しい社会契約」なんでしょうか。なんだかぱっとしないというか…。
片山:いや、先進国が次の成長モデルを失っていることを「認められない」からこそ、現在の、まるで1930年代を思わせる状況が作り出された、と言った方がいいかもしれません。
そうか、「高度成長できる」と言い続けてきたからこそ、国民の失望が高まってしまって、ついにはトランプを生んだということですか。
片山:ええ。その結果、「時代が1930年代に回帰してきた」と感じています。本気でそう思います。考えても見て下さい。ブロック化、保護主義の流れや「米国第一」の大元には「分割しても成長できるんだ」という幻想があるでしょう。
自由貿易の行き過ぎを調整しよう、というのではなくて、「誰かに損をさせられているから、そいつを追い出せば成長できる」という気持ちですかね。
片山:そういう方向に世界を導くのが、とりあえずは「トランプの時代」かなと。
…こうなると、八つ当たりですが、もうちょっとオバマが頑張ってくれていたら、と思いますね。新しい成長モデルが生まれる、生まれないには運もあると思いますけれど、彼がここまで、米国の中流層を追い詰められた気持ちにさせなければ。
片山:オバマは、議会を動かすことに興味がなく、その能力もない大統領でした。エスニックや同性愛者、マイノリティに対する理解を持ち、理想主義者だけれど、リアリズムで議会にネゴしていくより、民衆に訴えて演説で世論を作り、その圧力を背景に議会をコントロールしようと思ったのではないですか。これもある意味ポピュリズムの手法ですね。米国は議院内閣制ではないので、大統領は議会と張り合うことができる。足場を、政治の外の社会に求めた。その分、議会そのものへの政治的な交渉力は弱かった。
でも、その議会外の声は、トランプを支持する方にも流れる。オバマは成果を出したつもりだったが実感と違う。成長の実感が足りないから、マイノリティからの支持も強くはならなかった。オバマは貧困層のケアには尽くしたけれど、中間層のケアはあまりできていなかったのではないでしょうか。そこに溜まった怨みから、トランプ台頭の芽が吹いたのかもしれません。
これはオバマ個人というよりも、民主主義と資本主義の限界でしょう。彼の退任演説を読むと、「民主主義の強さと弱さ、現代社会の問題点をほんとうによく知って、うまく表現している」と感心せざるを得ませんが、これに本来、心を打たれるはずのそれなりの教養と良識ある中産階級が弱って余裕をなくしてしまったので、なんだか虚しく、大統領というより、頭の良い批評家か何かの台詞のように響いてしまうのですね。オバマは最後までよいことを言っていたと思いますよ。でも打てば響く共鳴層が消えていっていた。
自分が報われないなら、せめて世の中も不幸になれ
逆に、トランプの差別発言は思ったほど彼にネガティブな影響を与えませんでしたね。
片山:余裕がなくなると、「ユダヤ人が悪い」的な差別発言を社会が許すようになるのですね。差別発言が問題になるのは、「守るべきこと、ものがある」人が、社会的な評判が落ちるのを避けようとする反応です。しかし、実態はどうあれ「収奪されて、もう自分には失うものがない」と思う人が多くなると、差別を容認できるようになる。市民社会の良識がどんどん効かなくなる。
そうなると、怨恨といいますか、何かを「恨んでいる」人が多くなる。ナチスも、誰かを恨まずにいられないと感じている人が増えた結果、半ば冗談で「こんな世の中は壊れてしまえ」と投票する人が増えて、意外にそういう人が多くなっていて、ドイツの第一党になりおおせた。
「俺が報われないなら、みんな不幸になれ」ですか。
片山:ひとつおもしろい話があります。貧困層でさらに貧困になってゆく人と、中間層の中で上の方から下の方に落ちていく人。どちらが選挙のときに極端な選択に走るか。「経済的に困る度合いが高いのは前者だから、過激な選択をするのも前者」。そう思うかもしれませんが、実際は後者だというのです。貧困層にずっといる人は貧しさに慣れていて耐性があるが、中産階級は、はた目にはまだそれなりに余裕があるように見えても、失った物の大きさに、社会や国家を呪うようになる。「こんなはずではなかった。誰か悪いやつが邪魔しているからこうなるんだ」と、とにかく誰かを憎まないではいられなくなる。
どなたの言葉ですか。
片山:ビスマルク宰相時代のドイツ帝国に留学した日本の数学者、藤澤利喜太郎がベルリンの酒場かどこかでドイツの知識人に聞いてきた話です。
“良識派”が攻撃されるわけ
人間は私たちを含めみんなひがみますから、「俺が貧しいのは豊かな人に毟られているせいだ」と、つい思いますよね。
片山:「報われない」「不公平に扱われている」と、現状を感じている人が増えると、上の人を引きずり下ろして、自分と同じ水準に平準化しようという力が働きはじめます。格差が顕著になる社会に付随してくる現象ですね。
あ、近年、正論というか、いわゆる“良識派”の発言がやたらとネットで攻撃されるのはこれですか。
片山:そうですね。「良識的なことをいう=余裕がある=ずるい奴、甘ちゃん、もの知らず」という目で見られて、怨恨を抱えた人々が引きずり下ろしにかかる。トランプがオバマを攻撃するときの視点もこれに近い。こうなると、普通にものが言いにくくなって、「言うだけ損だ」と、黙る人が多くなっていく。
現状のネット上の雰囲気そのものですね。
片山:そういう際に支持されるのは「イライラをすっきりさせてくれる」「思わず溜飲が下がる」言葉であって、整合性や合理性、具体性ではないのです。
たとえば、またナチスですが、なんでも「ユダヤ人と共産党が悪い」と言うのです。悪いことは全部、この2つに帰結する。「ユダヤ人は我々を苦しめる相場の変動を使って荒稼ぎしている。株価のように日々刻々動いてゆく事柄にばかり興味があるのだ。それが証拠にユダヤ人のアインシュタインは、波動を扱う相対性理論なんてものを考えている。こんな腰の据わらないやつらが、本来確固としたものであるべき国家を切り崩していく。早く追い出さないとドイツが壊れてしまう」てな感じで。
共産党ならば、「彼らは、国や民族が違っても同じ労働者は仲間だと主張する。この思想に染まると、ドイツの労働者も、労働者以外のドイツ人を仲間と思わなくなる。別の国の労働者こそ仲間だと思うようになる。要するに売国思想である」といった具合。
ヴェネト・ムッソリーニ(左)とアドルフ・ヒトラー(右)
(写真:SuperStock/Getty Images)
はあ。アホみたいですが。
片山:一事が万事、なんでもユダヤ人と共産党を悪く言うと気持ちよくなるんですよ。
そんなもんでしょうか。
「誰かのせいだ」と発言する気持ちよさ!
片山:Yさんも、仕事がうまく行かないとか、買いたい物を買えないとかを、誰かのせいにして愚痴りたいことはあるでしょう。私も蔵書やCDの整理の愚痴をこぼしたいのですが、その際に「誰それが悪い、誰それのせいだ!」というと、思いの外すっきりするのですよ。
例えば、Yさんの世代だと親御さんの介護とか心配ではありませんか。でも「日本の年金制度や介護の苦境は××党の責任だ!」というような物言いは、Yさんはおそらく、したことがありませんよね。
はあ、はい。
片山:でも、そう思うかどうかをまーったく別として、一度、はっきり口にしてごらんなさい。困っていること、ストレスの原因を「誰かのせい」にして発言すると、思わず腹の底がら“すかっ”とします。問題は何も解決していないし、責任の所在は不明なままなんです。でも、重い荷物を下ろしたように気分がよくなるはずです。“良識派”には恥ずかしくて難しいのですが、一度やるともうやめられない(笑)。
やってみよう。「介護不安の元凶は××党だ!」…うわ、何の根拠もないのに、口に出すと気持ちがすごくすっきりする!
片山:そのような「これを言えば気持ちいい」と感じさせる言語魔術を、社会的に作り上げたのがナチスです。その前では理屈は通じなくなるのです。瞬間的でも気持ちよくなる方に、せっぱ詰まった人はなびきます。
右翼、左翼とレッテルを貼る人が味わっている気持ちよさがやっと分かりました。これは言いたくなる、書きたくなるわけですよ。なるほど。
片山:言語魔術は言語麻薬でもある。言っているうちに慣れてきて、だんだん効きが悪くなってくるから、言葉の暴力性や切れ味、残酷さを競うようになる。たいてい、あとでひどいことになりますが、ナチスの政権も12 年続きましたから、続くときは無茶でも続きます。
うっかり試さない方がよかったかもしれない。やばいです。ハマりそうです。トランプのツイートが受けるワケもよく分かりました。米国第一、米国第一、と言っていれば気分がいいし、スピーチも含めて「××のせい」の塊ですもんね。
「不愉快」がネットを席巻する
片山:“良識派”を攻撃する言葉を書く人も好む人も、理屈の正しさや解決策が欲しいのではありません。「よく言った!」と、溜飲が下がるすかっとした感じを味わいたいわけです。すっきりするのが最優先。「失うモノはない」という気持ちがそうさせる。先のことは考えていない。いま、このとき、自分が抱えている怨念という荷物をすこしでも軽くしたいんです。
この怨念を怨念じゃない、新しい価値観につながる道を作らないと、恨みでドライブされる社会がすぐ生まれますよ。口だけでは物足りなくなって、略奪、打ち壊し、殺人といった暴力までつながっていく気持ちですから。
まさか。
片山:良識派の人は基本的に社会を信じていますから、まだ「まさか」と思っているのです。災害時に「まさか」と逃げない人ですね。
片山:「異なる意見が議論していくことが市民社会の姿だ」と、オバマは退任演説で述べました。ところが、いまは意見を言い合っても落としどころを見つけられない、よって対話にならない。自分と合う意見のところに行って「そうだそうだ」と気持ちよくなっていくだけです。もし反論を耳にしても「なんだよ、俺の気持ちよくないことを聞かせるな」になる。
「不愉快だから記事を載せるな」というコメント、よく頂戴します。レトリックかと思いましたが、そういう方は、本当に気分を害しているのですね。
片山:プラットフォームを用意しても、「敵か味方」を決めることにしか作用しない。私が日本の右翼研究の専門家だから、特定の片側についてだけ批判しているのかと誤解されても困るので言っておきますが、この現象は右も左も両方で起きていると思いますよ。リベラルも党派姓が強くなる一方です。
これはもう、人間の宿命ということなんでしょうか。
片山:そうかもしれません。少なくとも政治の世界は突き詰めるとそうなりますね。「自分と近い人と一緒にいたい」と考えるのは我々の本能でしょうし、そこから棲み分ける、ブロック化するという発想も出てきますし、自分に害を為すおそれのある者は「万人の万人に対する闘争」ということでやっつけてしまえというパターンもありますね。ホッブス的な人間像です。このホッブスの先に出てくるのがカール・シュミットで、「味方か敵かを決定し、敵を物理的に粉砕するのが政治だ」と主張して、ナチスのアイドルになりました。
繁栄は寛容とともに生まれ、排斥によって崩れ去る
…。だいぶ前に出た本ですが、米国の法学者、エイミー・チュアの『最強国の条件』で、これまでに世界を制覇した国は、同時代の他国に比べて「寛容」だったことを指摘していました。異民族、異文化、異なる宗教を受け入れることで、才能と労働力を惹きつけ、それをもって世界を制した、と。具体的には、アケネメス朝ペルシャ、ローマ、オランダ、英国、そして米国だったかな。
「一時代を築いた歴史上すべての”“最強国”は、人種・宗教・文化を問わず、世界の優れた人材を受け入れ、寛大に遇したが故に最強たりえた。そして寛容すぎたが故に不寛容が生まれた結果、ほぼ例外なく最強国は衰退し、滅んだのである」(同書紹介より)
片山:それは「帝国研究」の定石ですね。ひとつの価値観、言語で縛らず、いろいろなモノを認めつつ、土俵を広げて取り込む。取り込む中心が繁栄している姿を見て「ついていくと、いまよりいい思いが出来るかな」と、自然に周りが従っていく。強権ではなく、技術、建築物、文化で納得させる。で、広がりすぎると、真ん中の富が流出し始めて、「これはよそ者のせいだ」となって、寛容さを失い、周囲が離れていき、没落に至る。
まさにそのような話です。非常に面白かったです。著者は、米国の未来がこうならないといいな、と願って書いたようですが。
片山:挙げられている“最強国”は、「成長につながる革命」を、世界に先駆けて起こした国です。米国も英国も、そしてオランダもそうですね。オランダは小さな国ですが、あちこちで迫害されて集まってきたキリスト教のプロテスタントの才能ある人々を集めることで、科学技術で世界の最先端に立ち、航海術も軍事も発達させて、覇権国家になった。
ああ、それは『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』の、東大の論述問題に出たやつですね。
片山:結局、成長という言葉を真摯に捉えるなら、それは寛容さでしか掴めない。政治史もそれを教えているのですが、今回の新旧大統領のスピーチは、その難しさも明らかにしています。寛容にしても成果が出ないではないか。かえって悪化しているではないか。そういうこともあるでしょう。
歴史から学ぶべきなのは「寛容への反動が強すぎるととんでもないことになる」ということもあります。第一次世界大戦後のドイツに生まれた寛容の国がワイマール共和国ですよ。ユダヤ人の難民が東ヨーロッパから押し寄せたのは、ワイマール共和国に行けば救われると思ったからです。それで国境を越えてどんどんドイツに集まった。寛容への期待で人が集まる。ところがドイツの中産階級が、彼らに既得権益を侵されて自分たちが貧しくなっていると怒りだし、ヒトラーを選んだ。
かくしてドイツは最強国になりそこねたわけですけれど。
片山:当時の状況が、オバマからトランプに移行する物語とそっくり…とは思いませんが、やっぱり似ている。よほど気を付けなくてはいけません。こんな時代に巡り合わせるとはねえ。
隣席の女性 あの、すみません。
でも、諦めて黙るべきではない
はい?! あっ、うるさかったですか?
片山:お隣で長々と好き放題にしゃべってしまって、申しわけありません。
女性 いえ、そうではなくて、あまりに楽しそうにお話しされているので、つい聞き耳を立てていたんですが、とても面白かったので。どなたかは存じませんが、雑誌とかに掲載されるのなら是非読みたいなと思いまして。
! ありがとうございます!
片山:それは大変光栄です。
こちらは片山杜秀先生で、媒体は「日経ビジネス」と申します。アドレスはこちらです。普段からこういう政治のお話にご興味が?
女性 いえ、投票にも行かないんですけどね(笑)。たまたま新宿でヴォイス・トレーニングの教室があって、帰る前にコーヒーを飲もうと思ったらお話が聞こえたんです。ありがとうございます。読ませていただきます。それでは。
(女性立ち去る)
片山先生、今までこういうご経験ありましたか。
片山:いや初めてです。僕に喫茶店で声を掛ける若い女性がいるとは思わなかった(笑)。
こういう話が、今の社会の「普通の人」にも、ちゃんと需要がある、ということじゃないでしょうか。
片山:はい、聴いてくれる方、読んでくださる方がいるのは嬉しいものですね。やはり、ヘンに厭世的になってはいけませんねえ。
(おわり)
身もふたもなくいえば、ヒトラーそっくりです
(Yが)キーパーソンに聞く
新旧米大統領のスピーチ聞き比べ、トランプの政策はF・ルーズベルト的?
2017年2月3日(金)
山中 浩之
(1月21日午後6時、トランプ米大統領就任演説の直後、西新宿の喫茶店にて。以下本文敬称略)
急なお願いを聞いていただいてありがとうございます。
片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授(以下片山) いえいえ。トランプとオバマ、新旧大統領の就任、退任スピーチを聞き比べてざっくり総括、ということでよろしかったんでしょうか。
片山 杜秀(かたやま・もりひで)氏
音楽評論家、政治思想史研究者、慶應義塾大学法学部教授。1963年生まれ。近著は『近代天皇論 ──「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書)、『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』(文春新書)。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』『クラシック迷宮図書館(正・続)』『線量計と機関銃』『現代政治と現代音楽』(以上アルテスパブリッシング)、『クラシックの核心:バッハからグールドまで』(河出書房新社)、『未完のファシズム』(新潮選書)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)、『国の死に方』(新潮新書)ほか、共著書多数。朝日新聞、産経新聞、「レコード芸術」、「CDジャーナル」等で音楽評を執筆。2006年、京都大学人文科学研究所から人文科学研究協会賞を、2008年、『音盤考現学』『音盤博物誌』が第18回吉田秀和賞、第30回サントリー学芸賞をそれぞれ受賞。『未完のファシズム』が2012年度司馬遼太郎賞受賞
はい、政治思想史の専門家として、お聞きになっていかがでしたか。
片山:まず、トランプ氏の就任演説を一言で言えば、「よく分からない」(笑)。選挙のときにはトランプは票が取れることを言って、それで勝てましたが、その話をどう大統領として具体化するのかという踏み込みが何もないに等しい。「アメリカ第一」と聞かされて気を悪くするアメリカ人はいないでしょう。選挙で使えば強い言葉、勝てる言葉です。しかし、例えば、何をどうすると普通の人々が豊かになって「アメリカ人がいちばん」を実感できるのか。
減税だ、法人税を下げるんだと言っているようですが。
片山:ええ、でも、それではいま豊かな側がますます豊かになってしまう。トリクルダウンが念頭にあるんでしょうけれど、それを追った結果が、まさに富める側と貧しくなる側が分裂した現状なわけです。
結局、大統領就任であまりに過激なことは言いにくくなったけれど、元々「これをやりたい、なぜならば」という具体案はなかったから、新たに展開したり深めて語ることができない。そこで、選挙戦で受けて盛り上がったポイントを口当たりよく薄味にして、角を立てずに…ということは面白味を減らして言い直しているだけ、ということでしょう。
米国はもともと孤立主義の国だった
結果、オバマ前大統領の「チェンジ」に相当する言葉に「米国第一」がなってしまった。
片山:スピーチでの「米国第一」は、「米国以外はどうでもいい」という閉じていく印象につながります。貿易については保護主義的施策とリンクするみたいですが。
第二次大戦までは、米国は孤立主義の強い国だったそうですね。
片山:ええ、モンロー主義が提唱された19世紀以来の米国の伝統ですからね。そして1929年の世界大恐慌後、1930年代に、世界的に経済のブロック化が追求された時代がありました。ブロック経済というのは、「自国と植民地、あるいは閉鎖的な経済圏を一緒に組んでくれる従属的な国々の中だけで、需要と供給をまかなおう」という発想です。
かつての日本の「大東亜共栄圏」もブロック化をめざし、戦争まで引き起こして大失敗に終わったわけです。言うまでもなく、その頃から世界の経済の歴史もだいぶん進みました。複雑な世界的相互依存の網の目がかつてない規模でできてしまっている。いまさらブロックに切り分けるのはとても難しい。
シェールガス、シェールオイルで資源的にも心配ないし、貿易交渉は二国間で強引に言うことを聞かせれば、という気なのでは。
片山:米国にはエネルギー資源も食べ物もあるし、カナダや中南米を巻き込んでアメリカ大陸閉鎖経済圏を本気で作ろうとしたら、できないこともないかもしれません。しかし、市場を自ら限定する以上、社会主義的な低成長、あるいはゼロ成長の計画経済しか私にはイメージできない。貿易に関しては、「自国の交易条件だけを良くするのは無理だ」ということくらいは、いかにトランプ氏でも分かるはず。ペリーの黒船みたいに強圧的に押しかけてきて、不平等な通商条約を呑め、とでもいうのでしょうか。
言うことを聞かない国の沖合に、空母機動部隊が来るのか。いやな絵だなあ。
片山:経済成長と保護主義による「米国第一」は、そもそも矛盾しているんですよね。つまり、とりあえずの人気取り策として、両方言ってみた、としか思えない。
そもそも、保護主義にノーを唱え続けてグローバル化を進めてきたのは米国です。第二次大戦後、民主党、共和党の壁を越えて、西側世界の中でブロック経済を廃し、世界市場での自由貿易を国是としてきました。「米国第一」=「米国がリードする自由化」ということで、なぜそうするのかといえば、経済力は米国が世界一なのだから、自由化が進めば、トータルでは米国が一番得をする、という考え方です。
なるほど。国際化で国内が多少ダメージを受ける局面があっても、トータルでは米国がもっとも恩恵を受ける。
片山:そしてこの度、「壁を高くして域内で立て直す」と言う大統領が登場しました。これって、やっぱり国力が低下していく、下り坂の時代の発想でしょう。世界を引っ張っていく力がもうない、という気分が米国に広がっている。
でも「だからトランプが悪い」とも言えない
国内重視の投資拡大、というと、フランクリン・ルーズベルト(第32代米国大統領、在職期間は1933年3月4日〜1945年4月12日)の「ニュー・ディール」政策を想起させますよね。
フランクリン・D・ルーズベルト米第32代大統領 Photo Researchers/Getty Images
片山:そんなふうにも聞こえますけれど、TVA(テネシー河流域開発公社)の代わりにメキシコ国境の壁を作るのでしょうか。それが中産階級の没落を食い止めることにつながるのでしょうか。
政府が財政政策で市場に積極的に関わるニュー・ディールは、そもそも「政府の介入」を嫌う共和党にとっては大反対の政策で、一方、これで民主党は大躍進したんですよね。かと思うと、いかにも民主党らしい、貧困層にも健康保険を与えるオバマケアは「お金がない」と廃止し、共和党に受けそうな法人税などの減税を打ち出し、と、まるで「共和党と民主党のいいところ取り」です。実際に出来るかどうかより、聞いていて「そうだそうだ」と、気持ちがよくなるような言葉を、手当たり次第にぶち込んだようです。
どこを斬っても矛盾したことを言っている。ということはどういうことでしょうか。
片山:一国の大統領に大変失礼ですが、「詐術を越えたものが何も見えない」、というのが就任演説や、それまでに発言を通しての率直な感想です。
こうした一国のリーダーは、過去に似た例はありますか。
片山:答えは見え見えで恥ずかしいくらいなんですけれど、やっぱり、典型的な1930年代の独裁者、ポピュリストにそっくりです。身もふたもなく言えばヒトラー的です。
敵を設定し、民族意識を煽り、アウトバーンなどの派手な公共投資を行い、大衆を大事にするといいつつ資本家や大企業にもいい顔をする。愛国主義と社会主義と資本主義のいいところ取り。その場は受けますが、無計画でビジョンがないから、再分配がうまく行かなくなり、最終的には対外戦争で、植民地、閉鎖的経済圏を拡大して、パイを増やそうとし、敗戦を招いて滅亡したわけですが。
「ヒトラーは、経済に関してはうまくやった」と思っている人は意外に多いんじゃないでしょうか。私も実は今まで「ヒトラーの公共投資と再軍備でドイツ経済が活性化した」と思っていたのですが、最近ようやく読んだ『第二次世界大戦の起源』(A・J・P・テイラー)で「実際には世界景気の自律的な拡大に乗っただけ」だと指摘されていました。最近の株高を見るに、これからまた世界が幻惑されてしまったりして…。
片山:でも、「だからトランプが悪い」とも言えないんですよね。先のビジョンがないのは世界中の指導者、みんなが同じです。この先、確実な経済成長の筋道が見つからないことを国民に伝えて、痛みを分かち合おうと訴えることが出来る政治家は誰もいなかった。本当のことを言ったら当選できませんから。
近代民主主義は近代資本主義とセットで成長してきたもので、「誰が経済を右肩上がりにしてくれるのか」という基準でしか、政治家を選べない。景気の悪い話をして票が集まるはずがない。今ほど近代資本主義先進国が景気の良い話をしにくい時代はないのではないですか。普通の政治家はみんな足がすくんでしまう。そこに出てくるのが、先のことを考えないから思い切ったことが言える、甚だ語弊がありますが「問題児」なのです。かくして、トランプの詐術は見事に効きました。
オバマはウィルソン大統領的
そういう意味では、やはりオバマ政権(2009年1月20日〜2017年1月20日)の8年間への失望が、トランプ政権を生んだ、ということになりますか。
片山:オバマの「チェンジ」で、米国民が期待したのは「また豊かになること」だったはずです。彼は、相対的には改善した、と言うけれど、期待されているほどの目に見える成長を成し遂げることは、大統領がオバマでも他の人間でも、無理だったのではないでしょうか。
オバマは「弱腰」と批判され、事実そういうところがありますが、ブッシュ大統領の時代までは残っていた「戦争をすれば軍需産業などにお金が回り、経済が刺激される」というモデルはもう割が合わない、とはっきり認識していたのだと思います。経済的に引き合わない。武力で得はしない、と。
かつてのウッドロー・ウィルソン大統領的な、「米国の正義」「世界の自由と公正」「物と人の自由な交流」「自由経済、自由貿易、民主主義」というセット商品を、戦争を強く絡めずに世界に売り込もうとしたんでしょう。
トーマス・ウッドロー・ウィルソン第28代米国大統領。任期は1913年3月4日〜1921年3月4日 H. Armstrong Roberts/ClassicStock/Getty Images
なるほど。
片山:米国に従わない国には強面で、という共和党路線をやめて、できるだけ戦争を避ける。例えばイランは、いい国か悪い国か、と言うより、「独立国家だから、他の国に害を為さなければいい」という接し方で、これはウィルソンの国際連盟主義、超大国も小国もすべて1票、自立した国、という考え方に似ています。
片山:自立した国なのだから、政治形態はイラン国民が選択すればよい。イランが積極的に悪さをしないのなら、きちんと認めてあげる。その代わり、独立国に勝手をする国があれば守ってあげようとする。ウクライナ問題でのオバマの対露強硬姿勢をみればよく分かりますね。
ウィルソン主義をなるべく平和的に実現し、核兵器反対などの理想主義的姿勢も現実性はともかくとにかく高い旗として立て続け、移民、マイノリティに対する配慮をして、貧乏な人も健康保険に入れるようにして、移民を根付かせる努力をした。それらを通して世界の国から信頼を勝ち得ることが、多様性による次の成長を生み出す背景になると思っていた。
ああ、一言も文句がない。オバマ・ロスになりそうです。
片山:と、そういうよき伝統を守ろうとしたんだけど、これは、米国そのものが成長していけるモデルを持っているからこそ可能な政策です。貧困層や性的・人種的マイノリティへの配慮は重要です。しかし、その配慮は、中間層以上がそれなりに満足している状態でなければ、強く支持されません。実際には、その中間層がオバマ時代に切羽詰まってきた。「そっちに構うならこっちに構え」と思う人がずいぶん増えてしまった。「あまりチェンジしないな、その割に関係ないところにカネを使っているじゃないか」、と感じてしまった。
全体主義的と評されたF・ルーズベルト
ううむ。過去、米国が似た状態に陥った1930年代に、先ほど出てきたF・ルーズベルトが登場したわけですよね。。
片山:はい。F・ルーズベルト流のモデル、米国第一、雇用を増やし、ニュー・ディール政策による公共投資、鉄道にダムに…は、政府の大胆な財政政策と金融政策による市場介入で、社会主義的な施策です。実際、当時は「彼の政策はほぼ社会主義に向かっている」と評されていましたし「アメリカ全体主義」という言葉もできたし、アメリカ発の世界大恐慌以来、資本主義は終焉に向かっているという議論も盛んでした。
「経済復活を果たした」というイメージがあるので、ニュー・ディール政策は、資本主義の勝利のひとつかと思っていたのですが。
片山:ヒトラーのアウトバーンに当たるのが、ルーズベルトのTVAだ、という見立てもあります。ついでに言いますとニュー・ディール政策は、その結果が出る前に第二次世界大戦の戦争景気で経済が回復しましたので、成功か失敗か、評価がいまだに割れているのです。
オバマがウィルソン的としたら、トランプの政策にはF・ルーズベルト的なところがあるのかもしれません。でもトランプはいちおう共和党ですからね。共和党の伝統からはニュー・ディールは出てこないでしょう。社会主義的なことを嫌悪するのが共和党メンタリティです。基本は自己責任。税金を取られたくない、国家介入を嫌う。このあたりをどう乗りきるつもりなのか。まあ、お手並み拝見というところです。
片山:一方、オバマの退任演説ですけれども、これを読むと、基本線は楽観的で、自分の成果を強調しながらも、将来の資本主義への強い不安も漂わせています。資本主義は効率性を追求するのが本性ですから、今のほんとうの問題は保護貿易か自由化か、などという次元よりも、容赦なく進む自動化・ロボット化であると。それによって近い将来、多くの善良な中産階級が仕事を奪われていく、と。人間の仕事がなくなってしまう。それゆえ「新たな社会契約が必要」と彼は指摘していて、これは大変重要なポイントだと思います。
…長期にわたるこの状況を打開する特効薬はありません。取引は自由である上にフェアであるべきだと考えます。しかし経済を混乱させる次の波は、海外からではなく、国内での次々と進むオートメーション化からやってきます。そしてそれは中流階級から多くの質の高い仕事を奪っています。
我々には新たな社会契約が必要です。子供たち全員に適切な教育を受けさせ、より良い待遇を求める労働組合を結成できるだけの力を労働者に与えられるような社会的仕組み作りが必要です。
(BLOGOS掲載の退任演説の翻訳より引用。全文はこちら)
片山:国同士が保護貿易か自由貿易かで争っても、企業が踏み切るのは事務職を含めた機械化、人件費削減で、放っておけばその結果は「雇用の減少」に集約されてしまう。21世紀のラッダイト(1810年代に英国で起こった、産業革命の機械化で職を失うと恐れた人々による、機械打ち壊し運動)につながりかねない。
ラッダイトがあっても、別の分野の産業がどんどん膨らみ、雇用を生み出している限り大きな心配はありません。近代資本主義と科学への信用があれば、「しばらく待っていればどうにかなる」と、落ち着いていられる。しかし、次の大きな産業が育つタイムラグが大きいと、あるいは「人間をたくさん雇用する次の大きな産業はもうないのではないか」と思うと、これはもうとてつもない社会不安が巻き起こりますよ。資本主義の効率追求の果てに、会社の経営から単純労働までみんなロボットがしてしまう、というような。
成長なき資本主義への不満が行き着く先は?
片山:トランプが謳う「今後10年間で2500万人の雇用を創出」の実現には、おそらく「次の産業革命」クラスの、しかも人間を機械に置き換えない方向でのパラダイムシフトが必要じゃないでしょうか。それはオバマにも、トランプにも、意図して生み出すのは難しい。一政治家の才覚で出来たら誰も苦労しない。
「不安定でも、賃金が低くても雇用は雇用だ」と開き直れば、経済規模が小さくなり、さらに雇用減少と低賃金化のスパイラルにはまる。企業業績が良くなっても社会にとって意味がないのですが、資本主義は放置しておくとそちらへ進むでしょう。だから、オバマの退任演説の「新たな社会契約」が必要になる。もっともこのアイデアは、『21世紀の資本』のトマ・ピケティの師匠であるアンソニー・アトキンソンの『21世紀の不平等』の受け売りだとは思いますが。
オバマのやり方が今の時代状況の中ではなかなか良い選択だったとしても、不満の増大を抑えきることはできず、不満の一掃を期待していた人々の期待とのギャップが大きくて、「じゃあトランプ」ということになったのでしょう。そういう選択をする人の気持ちはよく分かりますよね。その結果生まれてきたのが、現在の、1930年代を彷彿とさせる世界の状況だと思います。
このコラムについて
(Yが)キーパーソンに聞く
日経ビジネスの変わり種デスクYが、本人的に話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎月1人、興味深いキーパーソンに出会えます。
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