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黴菌恐怖症の新大統領ドナルド・トランプ
http://diamond.jp/articles/-/115478
2017年1月30日 佐高 信 [評論家] ダイヤモンド・オンライン
やはりトランプは引いてはいけないジョーカーだった。
メキシコへの工場建設をめぐって、GMやトヨタを名指しで批判するトランプに右往左往する企業のトップを見ながら、私は1人の傑出した経営者を思い出していた。倉敷レイヨン(現クラレ)の社長だった大原総一郎である。背景や事情が違うとはいえ、大原には次のような反骨精神があった。
1963年ごろ、まだ国交を回復していなかった中国向けのビニロン・プラント輸出で、大原は多くの反対や右翼のいやがらせを受けた。
しかし、彼は自分の考えを曲げず、1年半にわたる粘り強い説得工作によって、時の首相の池田勇人や、ワンマン吉田茂、それに実力者の佐藤栄作などを説き伏せ、このプラント輸出を認可させる。
共産主義の中国に対する警戒感もあって、アメリカや台湾の反対は猛烈だった。
この時の思いを、大原はこう述べている。
「私は会社に対する責任と立場を重くすべきだと思うが、同時に私の理想にも忠実でありたい。私は幾何(いくばく)かの利益のために私の思想を売る意思は持っていない」
これは、対中プラント輸出を思いとどまれば、アメリカや台湾から商談がくる。その方がずっといいではないかと、彼を翻意させようとする財界人に対する答でもあった。
大原の根底には、中国に対する戦争責任があったのである。
■社会的責任という観念の欠如
企業の社会性を考えていた大原とは対照的に、トランプには社会的責任といった観念はまったくと言っていいほど、ない。
『トランプ自伝』(相原真理子訳、ちくま文庫)で、こう言っている。
「差押え不動産を購入するため、外部投資家の資金による基金を設立することは、結局やめにした。自分がリスクを負うのはかまわないが、大勢の人の資金に対して責任をもつのは気が進まない。投資家の中には必ず友人も何人か含まれることになるので、なおさらだ。同じ理由で、自分の会社を上場しようと考えたことは一度もない。自分に対してだけ責任をとればいいという立場にいたほうが、意思決定をするのがずっと楽だ」
この自伝は、取引、つまりカネ以外のことはほとんど出てこないので、読み通すには忍耐を要する。
ようやくカネ儲け以外の小説のことが出てきたと思ったら、ベストセラー作家のジュディス・クランツの『愛と哀しみのマンハッタン』という作品の話で、「私も登場人物の一人」だからだった。
■本当は人と握手するのが厭
先ごろの記者会見で、気に入らない質問には答えないという姿勢を示したマスコミについては、1987年刊のこの自伝で「私はマスコミに登場するのが好きだと世間からは思われているが、実はそうではない。もう何度となく同じ質問をされているし、自分の個人生活について話すのは苦手なのだ。しかしマスコミにとりあげられることが取引の際に役立つことがわかっているので、取引について話すのはかまわない」と言っている。
『トランプ自伝』を読んでいて、私はリクルートの創業者、江副浩正を連想した。企業に批判的な情報を含まない広告と、それを含む情報の違いがわからない江副と私はインタービューの際に論争したが、トランプも批判には拒否反応を示す。
『自伝』の中でトランプは「なるべく早く帰るよ、とドニー(当時9歳の息子)に言ったが、彼は時間を教えてと言い張る。どうもこの子は私の性格を受けついでいるらしい。ノーという答は絶対に受けつけないのだ」と当惑気味に洩らしている。
しかし、トランプは大統領になっても、批判や気に食わない意見には「ノー」と言い続けるのだろう。
なぜかと考えていて、彼が黴菌(ばいきん)恐怖症であることを知って、なるほどと思った。
佐藤伸行の『ドナルド・トランプ』(文春新書)によれば、彼はその強迫神経症を「政敵の流したデマだ」と否定したことがあるが、実は『金のつくり方は億万長者に聞け!』(扶桑社)という自らの著書で告白しているという。
黴菌に対する不安から、トランプは人と握手するのを厭がり、渋々した後で、こっそりその手を何かで拭ったりするとか。
そして、前掲書で、こう打ち明けているのである。
「握手というのは恐ろしい習慣だ。よくあることだが、ひどい風邪かインフルエンザか、病気にかかっている人がやって来て、『やあトランプさん、握手したいんですが』と言ったりする。そうやって黴菌が広がっていくのは医学の常識じゃないか。握手じゃなくてお辞儀で済ませる日本の習慣がうらやましい」
■トランプはヒトラーか
日本にはたいてい悪口を言うのに、この時だけは日本を羨ましがっている。それほど黴菌が怖いのだと指摘した上で、佐藤はトランプをアドルフ・ヒトラーになぞらえる。
実際、トランプは選挙集会で支持者に右手を挙げさせ、ヒトラー式敬礼を促したような場面もあったという。
トランプにとって批判や敵対者は“黴菌”なのだろう。それほどに恐怖の対象であり、「ノー」と言い続けなければならない存在なのだ。
たとえば、オバマに対する攻撃などは偏執的だった。その出生疑惑と彼がムスリムであるというデマをしつこく流したのである。出生証明書に宗教を記載する欄などないのだが、トランプは「オバマの出生証明書の宗教欄にはイスラムと書かれているかもしれない」とも言ったりした。
こうした例を挙げた上で佐藤は、ヒトラーも黴菌恐怖症だったという説があるとし、セバスチャン・ハフナーの『ヒトラーとは何か』(赤羽龍夫訳、草思社)の次の一節を引く。
「ヒトラーにあっては、彼の性格、彼の個人的本質の発展とか成熟ということが全然みられないのである。彼の性格は早くから固定してしまった。より適切にいえば、とまってしまった、ということなのだろう。そして驚くべきことに、ずっとそのままで、何かがつけ加わるということはないのだ」
これはトランプも同じであり、ハフナーはヒトラーを「自己批判能力が完全に欠如している」と断定して、さらにこう続ける。
「ヒトラーはその全生涯を通じてまったく異常なまでに自分にのぼせ上り、そもそもの初めから最後の日まで自己を過大評価する傾向があった。(中略)ヒトラーはヒトラー崇拝の対象だっただけでなく、彼自身がその最も初期からの、そして最後までつづいた、最も熱烈な崇拝者だった」
佐藤はヒトラーをトランプに置き換えても違和感はないとしているが、超大国アメリカに「ナルシスト政権」が誕生してしまった。
(評論家 佐高 信)
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