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「反トランプ感情」の爆発で、米国社会はドロ沼の「文化戦争」へ!? 全米各都市で巨大なデモが…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50793
2017.01.25 渡辺 将人 北海道大学准教授 現代ビジネス
■「就任式の観客が少なかった」は本当?
トランプ大統領の就任式の観客が、2009年のオバマ大統領就任式と比べて圧倒的に少ないとして、議会前のモールの観客の範囲を比較する写真が出回り、トランプ大統領自らが来訪者が少ないというのは嘘だと反論に躍起になっている。
2009年オバマ就任式の動員数は諸説があるが180万から200万とされている。トランプ就任式は警備当局によれば90万人ほどの観客が見込まれていた。
しかし、今回のトランプ就任式の人数をオバマの就任式とだけ比較するのはミスリーディングだ。
近年の人数は概数で以下と目されている(Newsweek, NBC News)。1993年クリントン1期目(約80万人)、1997年クリントン2期目(約25万人)、2001年ブッシュ息子1期目(30万人)、2005年ブッシュ息子2期目(40万人)。警備当局の概算が正しければ、トランプはブッシュ息子やクリントンの就任式よりは大人数、あるいは同規模の数を集めたといえる。
旧来の2大政党を突き抜けている「第3党」的な人物としてこれは快挙と言ってよいし、だからこそ集められたとも言える。
一般的に1期目の就任式が盛り上がり、再選就任式は儀式的で人は少ない。筆者は過去に2回、民主、共和の双方で、議員招待などで大統領就任式に参列したが、2001年ブッシュ息子と2009年オバマといずれも1期目の就任式だった。
ちなみにオバマは2期目の2013年就任式でも100万人を集めており、オバマだけが突出していることが分かる。
とりわけ1期目の2009年オバマ就任は特別だった。共和党保守派のあいだですらブッシュ政権への支持が地に落ちていた上に、「非白人初」の歴史的大統領でもあり、党派横断でアメリカが誇りを共有した就任式だった(参考:http://www.tkfd.or.jp/research/america/s00198?id=220)。
オバマとトランプを比較するのはフェアではない。比較するなら、2001年のブッシュ息子の就任式が適当だろう。
今回のトランプ就任が「かつてない分断の中での就任」というのも必ずしも正確ではない。最近では2001年のブッシュ息子の就任があったからだ。
2001年当時、ゴア候補との再集計騒ぎを経て、民主党支持者の多くは、本来はゴアがフロリダ州を含む選挙人争いにおける勝者で、正統な大統領だと信じ、気持ちを切り替えられずにいた。
トランプ大統領は一般投票の総数でヒラリー・クリントンに敗北したが、複数の激戦州の選挙人を獲得している。たった1つの州で勝敗を決した2000年とは事情が違う。とんでもない不正でも明らかにならない限り、選挙制度上はトランプが勝者であることに疑いはない。
反トランプ派の「選挙人数だけで勝利した大統領に正統性無し」の攻撃がいまひとつ弱いのは、ヒラリーが逆の立場で勝利していたら、民主党が選挙人制度批判を蒸し返さないことは自明だからだ。
他方、2000年の大統領選挙は本当にクエスチョンだった。勝敗がしばらく宙に浮き、裁判所の判断にも党派的な意向が関与する中、半ばうやむやのままゴアが引いてのバタバタ就任で、2001年就任式の「白け」は今回の比ではなかった。
1つ前の大統領の息子という「世襲」で、トランプのような「チェンジ感」もなかった。あのときに比べると、型破りな非政治家大統領の誕生という新鮮さはある。就任式の人数はこのあたりも関係していよう(ちなみに、ブッシュ息子は例外的に再選就任式のほうが1期目就任式よりも動員数が多い。いかに1期目が「わだかまり」の中での就任だったか分かる。再選で晴れてブッシュは祝福された)。
■厳戒態勢のなかでのパレード
就任式のパレードでは一部分だけ夫妻で車から降りて歩く。ここがシークレットサービスには緊張の瞬間である。就任式のしばらく前から、ワシントンではコース付近のアパートはすべて犬を連れた警察官が来て隅々まで調べられる。
2001年ブッシュ息子就任式も今回のように雨の日だった。警官にひきずり回される活動家や、リムジンに卵を投げつける暴徒も出現し、ブッシュ夫妻は安全確保のため、ほんの少しだけパレードしてすぐにリムジンに戻った。
温和な祝賀ムードの2009年オバマ就任式でも、「反黒人」のヘイトによる暗殺懸念はあり、サーシャさんとマリアさんの娘2人はリムジンの中に念のため待機した。
今回、バロン君はトランプ夫妻とともにリムジンから降りた。
警備面が増強されていることもある。2009年のオバマ夫妻のパレードでは、テレビのフレームになるべく映り込まないように、警備人数も抑え気味で一定の距離感を保っていた。しかし、今回はまるでシークレットサービスの一団のパレードを中継しているかのように警備の濃度が増した。
暴徒化した抗議者が車に火をつけるなどの混乱あったが、無事就任式は終わった。しかし、「反トランプ」デモの真骨頂は、翌日に控えていた。
■史上最大規模の「反トランプ」デモ
ワシントンでは「女性の行進」という反トランプのデモに50万人以上が集まり、同時にニューヨーク、シカゴ、ボストン、ロサンゼルス、シアトルなど全米で合わせて100万人規模のデモが開かれた。
女性の行進」2017年1月21日、ニューヨーク〔PHOTO〕gettyimages
ワシントンの現地情報では、地下鉄のホームから溢れるほどの参加者で、2009年のオバマ就任式の人の波を彷彿とさせるのは、むしろトランプ就任式の翌日のデモのほうだった。
多都市「同時発生」という趣向は、ティーパーティ運動や「ウォール街占拠」運動にも似てソーシャルメディア時代ならではで、規模的にも史上最大と見積もられている。
トランプ大統領が、女性、中南米系、ムスリムなどマイノリティを蔑視し、白人至上主義団体クー・クラックス・クランのトップとの交流歴からも、アメリカの象徴の器ではないと彼らは訴える。
民主党員は「アメリカに失望」「アメリカを諦めたい気持ち」に陥っていると口々に言う。旧知の民主党連邦議員はこうため息をつく。
「トランプが当選する可能性は皆無ではないと、最後までナーバスな気持ちはあったものの、さすがにアメリカ人も馬鹿な真似はしないと思った。差別主義者を当選させないだろうと。
悲しいし、驚いているのは、トランプ政権成立そのものよりも、トランプのような人物にアメリカ人があんなに沢山票を入れたこと。自分の奉仕している国は、実はそんな国だったのだというショック」
アメリカが公民権運動を経て、かつての人種差別を反省し、多様性豊かな「進歩的」社会を実現してきたと信じてきたリベラル派は、アメリカ像への自信を喪失し、アイデンティティ・クライシスに陥っている。
「いったい何が起きた?」「これは夢?」「カナダに移住する」という声は止まない。日本にいる民主党支持者のアメリカ人からは「トランプ政権のあいだは帰国したくない」「子どもは日本で育てる」という声もいまだに聞こえる。
だが、選挙によって権力の交代が行われたという点では、アメリカ的な民主制度が正常に機能した帰結ともいえる。
共和党の予備選挙には特別代議員制度がなく、政党エスタブリッシュメントの介入が働きにくい点で、民主党よりも草の根の民意といえるし、無党派層の参加率が高かった今回の共和党予備選は従来よりも民意を幅広くすくいとったとの見方もできなくはない。
また、支持政党の大統領でなくても、大統領とその一家には特別の敬意を払うのがアメリカ社会の伝統である。イギリスでいう国王と首相を合わせたような「プレジデンシー」への敬意から、大統領は「ひとつの時代」の同時代共有を象徴する。
「青春期はレーガン時代」とか、「クリントン時代は新婚だった」と回顧する人が多い。民主党支持者でも、ニクソン、レーガン、そしてブッシュ家にすら一定の敬意を払ってきた。
そうした慣習に抗うように、「トランプ時代」だけは認めたくないという感情が爆発しているのだ。
この拒絶反応は、2001年のブッシュ息子と比べても少し異質のものだ。トランプが「差別主義者」、あるいは本人は根っこの部分では「差別主義者」ではないとしても、人気のためなら、いとも簡単にそう振る舞えてしまう「人格」への嫌悪感が根深いからだ。
他方、この「嫌悪感」を2016年の11月、有権者の過半数が共有しなかったのも事実なのだ。重要なのは目の前の「生活」だったからだ。「アメリカ第一」である。
■出口なき「文化戦争」に突入か
二大政党制に緊張感を与える意味で、「トランプを認めない者がこれだけいる」という意思表示の意義は少なくない。民主党にとっては中間選挙に向けた支持基盤固めの各派交流になる。
だが、「反トランプ」のデモのアプローチが正しいのかの答えは簡単に出せない。出口のない「文化戦争」に突入する気配もあるからだ。空気はまるで1970年代だ。
今回の全米デモの参加者は「反トランプ」の混成隊である。黒人団体、環境保護団体、人権団体など様々なグループが各自のプラカード(サイン)を掲げている。
しかし、あくまで女性団体主催による「女性の行進」とされている。ソーシャルメディア上の提案が始まりとはいえ、完全に自然発生のデモではなく、「プランド・ペアレントフッド」「エミリーズ・リスト」など女性団体がスポンサーになり、2ヵ月前からネットを通じて組織化した成果だ。
アメリカのフェミニズム運動の独特の特徴は、人工妊娠中絶の権利保持のシングルイシュー運動の色彩にある。今回これだけデモが全米規模で盛り上がったのは、トランプ政権で最高裁判事のイデオロギー配分が保守系に傾き、人工妊娠中絶合法化の判決が覆される懸念があるからだ。デモのプラカードには「私の身体に触れるな」というものが多い。
しかし、人工妊娠中絶を争点にしてしまえば、共和党内の潜在的「同盟相手」を失い、事態は泥沼にはまる。トランプの反移民やムスリム批判には眉をひそめる穏健派の共和党員も、「人工妊娠中絶の権利万歳」と言える人は少ないからだ。
今回の「反トランプ」全米デモでは、ヒラリー陣営のスローガン「愛はヘイトに勝つ(Love trumps hate)」を掲げる人も多くいた。賛否両論あったあのスローガンだ。
trumpは凌ぐ、勝るという意味の英語だが、無論ドナルド・トランプにかけた駄洒落だ。ただ、trumpsの三単現の「s」が所有格の「s」のように遠くから見え、「トランプ(による)ヘイトを愛せよ」のようで紛らわしかった。
1992年のビル・クリントン選挙陣営のスローガン、「経済こそが大切なのだよ、愚か者!(It’s the Economy, Stupid!)」のような分かりやすさに欠けていた上に、トランプ支持者のすべてをヘイト好きの人種差別主義者と定義付ける作戦は、「分断」拡張の副作用が大きかった。経済的な理由でトランプを支持したにすぎない労働者も多々いたからだ。
奴隷制の負の歴史を抱えるアメリカでは、「レイシスト」と名指しされるほど侮辱的で琴線に触れる批判はない。Hateの対語として使われているLoveが具体的に何を指すのか不明なまま、ラディカルなデモの拡大の印象だけを穏健な農村の市民に与えてしまっている。
■マドンナ「ホワイトハウス爆破」演説への誤解
デモのハイライトの1つは、歌手のマドンナの参加だった。マドンナはワシントンでこう叫んだ。
「愛の革命にようこそ」「善は今回の選挙では勝てませんでした。しかし、必ず善意は最後に勝ちます」
演説するマドンナ。2017年1月21日〔PHOTO〕gettyimages
しかし、マドンナが集会の演説で「ホワイトハウスを爆破したい」と言ったとの保守派からの反論がネット上で拡散し、「女性の行進」は危険なデモとの烙印を押されてしまった。
共和党内部のトランプへの不満をめぐり以前の拙稿で指摘したように(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50637)、共和党内にはトランプを嫌悪する穏健な保守系女性が少なくない。しかし、「反トランプ」派は、今回のデモの主導権を「女性運動」に託したことで、味方にできるはずの敵陣営内の女性まで遠ざけてしまった。
このワンフレーズ抜き出しによる「マドンナがホワイトハウス爆破宣言」の誤解は、外国にもそのまま流れてきている。しかし、こういうときこそ文脈が大切だ。マドンナがなんと言ったのか前後を含めて訳出しておきたい。
「たしかに、怒りを感じました。たしかに、憤慨もしました。たしかに、ホワイトハウスを爆破したいと、心底思いました。でも、そんなことをしても何も変わらないことは分かっています。絶望しているわけにはいかないのです。
詩人のW・H・オーデンがかつて第二次世界大戦直前に書き記したように、お互いに愛し合うか、死ぬかしかないのです。私は愛を選びます。皆さんも私と同じですか? 復唱してください。私たちは愛を選ぶ!」
一部表現は過激だし、演説中ほかの部分で口汚い「Fワード」を使用して品位に欠けていた。しかし、「爆破する」などとマドンナは言っていない。爆破したいほどの怒りに満ちた気持ちだが、その代わりに愛を選ぼうと呼びかけていただけだ。
「反トランプ」でも「トランプ擁護」でも、トランプ政権下では部分抜き取りの揚げ足取りが、ネット経由で今後も繰り広げられていくだろう。トランプ周りの情報は、強い磁場で歪められがちである。いままで以上に現地情報へのメディアリテラシーをしっかりはたらかせていくことが必須になろう。
「反トランプ」デモが予兆する民主党のジレンマと「究極の選択」についてはさらに別稿で述べる。
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