http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/144.html
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太平洋プレートが311大地震まで約1000年間日本海溝から沈み込んでいなかったことについて
阿修羅掲示板に投稿した記事に質問を頂きましたので、その答えを書きました。それを新たな記事として掲載しておきます。一応、自分としてはそれなりに信ぴょう性のあることを書いているつもりですが、間違いがある可能性もあります。間違いを気が付かれた方は、ぜひ、その指摘をしてくださると、ありがたく思います。
二つの疑問が質問されましたので、最初にごく簡単に、その後、より詳しく、自分が考えたことを述べさせて頂きます。
*ごく簡単なもの:
>それで、年2cmとか3cm、が年20cmとか30cmになっているのが事実だとして、どうしてそれが可能なんでしょうか。あるいは、それは何を意味しているんでしょうか。
日本海溝よりもハワイ側に歪みが非常に多く蓄積されていた結果、日本海溝からハワイ側の太平洋プレートに非常に高い圧力がかかっていて、そのために日本海溝から東日本に向かって沈み込む太平洋プレートの速度が上がっているのだと思います。
>固着域がどのように出来るかがわからないので、沈降速度が上がってどうなるのかが、その意味がよくわかりません。
陸のプレートに下へ海のプレートが沈み込む部分は、普通は大陸棚があるところです。
https://www.google.co.jp/maps/place/Boso-hanto/@35.3333333,140.164478,234202m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6022a55ea1a609bf:0xbd8704128cc56b9c!8m2!3d35.3333333!4d140.1666667
で右下に出る縮尺が2cmで50キロぐらいの倍率にすると、海底地形がよく見えますが、陸域の沖合に凸凹が見えると思います。直観的に見て、これらの凸凹は固着域であると分かるはずです。多分、海山が沈み込み、その頂が破壊された結果、海山の麓部分が残っていて、それがでっぱりとなって見えているのだと思います。その他にも固着域が出来ることは有り得ます。例えば、大きな噴火があって、火山灰とか軽石などが大量に噴出し、それが海底の比較的狭い場所に大量に堆積して、それが海溝から沈み込んだときに、その部分は他の部分からはかなり陸のプレートと海のプレートの接触面がことなるはずで、何らかの原因でそういった領域が固着域になる可能性はあると思います。基本的に大陸棚は海のプレートの堆積岩が陸のプレートに付加したものですから、軟らかく、かつ多くの場合均一です。房総半島の南の先端の館山の海岸には小山があり、そこの岩は厚さが2cm程度の板状のものが積み重なっています。手で簡単に折ることが出来る程で、典型的な堆積岩です。ただ、多分、海底火山やまたは普通の火山の噴火などで飛ばされてきた大きな岩、火成岩が海底にあったときに、それが周囲の堆積岩と共に陸のプレートに付加してしまうこともあり得るでしょうし、海のプレートに残ったままで陸のプレートの下へ沈み込もうとして、陸のプレートと海のプレートの接触面での固着の原因になることもあると思います。それから、大きな地震があったときの影響で強く押された結果、固着することもあり得るでしょうし、地下から熱い岩石が上がってきて、それが一種の接着剤のような働きをすることもあり得ると思います。また、陸のプレートと海のプレートの境界面で逆断層型の地震が起こった場合に、海のプレートの表面が隆起する場合があり、その隆起した海のプレートが陸のプレートに硬く固着することになると思います。
*より詳しいもの:
ともかく、固着域は陸のプレートの一部に海のプレートの一部が硬くかみ合うわけであり、その部分で陸のプレートは海のプレートに固定されてしまいます。その状態があると、例えば次のようなことが起こります。
前提条件として、次の5つがあります。
前提1.東日本、つまり、関東地方から青森県の東側の沖合で太平洋プレートが陸域の地下へ沈み込む海溝があります。それを日本海溝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%BA%9D
と呼んでいます。長さは約800キロ程度です。
前提2.海のプレートは、通常、かなり大きなものです。例えば太平洋プレートは一辺が1万キロ程度ある正方形程度の大きさがあり、非常に大きなものですから、全体として見た場合の速度は、多分、数百年程度の単位で一定であると言えるはずです。ただし、例えば日本海溝は800キロ程度の長さがあり、これは太平洋プレートの西縁の長さの1割程度にはなるはずであり、日本海溝からの沈み込みが抑制されるにつれて、徐々に太平洋プレートの西進速度も減少する可能性があると思います。このことは逆のことも言えるはずで、日本海溝からの太平洋プレートの沈み込みが再開すれば、徐々に太平洋プレートの西進速度も増加する可能性があると思います。少なくとも、太平洋プレートの日本海溝に近い部分は、確実に西進速度が変化します。
前提3.地球の表面は隙間なく陸のプレートと海のプレートで覆われていますから、どこかがどんどんと動いていくということは有り得ません。全体として、少しずつ変化して行くしかないのです。それが年に数センチから数十センチという動きとなります。地球の外周がだいたい4万キロですから、いかにわずかつづしかプレートが動かないか分かると思います。
前提4.プレートは基本的に岩石であり、硬いのですが、非常に大きいため、その大きさで考えた時にはゴムの板のように弾性があるとも見ることが出来るのです。普通のゴムの板であれば、縦横20cm、厚さが5ミリ程度であっても、直角に曲げることはごく簡単にできるでしょう。プレートの場合、厚さが数十キロ、縦横は小さいものでも千キロ程度はあります。そういった岩盤が数千年とか数万年という期間を経て、褶曲、つまり、折れ曲がったり、または押されて圧縮されたり、引かれて引き伸ばされたりします。「前提2」で述べた、太平洋プレートの日本海溝に近い部分の西進速度が変化するのは、この部分で圧縮と伸縮が最も大きく起こるからです。
前提5.311大地震前の約1000年間程度、日本海溝全体で太平洋プレートの東日本の陸域の地下への沈み込みが止まっていた様子です。止まる原因は869年の貞観地震にあり、この時に、三陸沖の大きな噛み合いが発生し、それによって、日本海溝の南北方向の中央で太平洋プレートの沈み込みにストップがかかり、その影響で、その南北の地域も合わせて、陸域の地下への沈み込みが311大地震までの約1000年間停止していた様子です。もちろん、徐々に数百年かけて沈み込みが止まっていったはずです。
1.陸のプレートと海のプレートの間に固着域があると、陸のプレートは海のプレートの沈み込みに従って、内陸側に押されてしまい、圧縮力を受けます。311大地震の時は陸のプレートは50m程度伸びた、つまり、沖合へ向かって跳ね返ったとされますが、その原因は海のプレートによる陸のプレートの下への沈み込みで、陸のプレートの先端部が下側へ巻き込まれたことと、内陸側へ押されたことです。
2.海溝部では陸のプレートは海のプレートの沈み込みに従って、下側に沈み込みますが、大陸棚とか陸域では水平方向に圧縮力を受けるだけのことが大部分です。固着域及びその周辺では陸のプレートは海のプレートから圧縮力を受け、圧縮されます。仮に海のプレートが年に水平方向の距離として5cm動いているとして、固着域が100年破壊されずにそのままであれば、固着域周辺には5mの歪みが発生します。多分、その歪みの大部分は陸のプレート内に発生することになります。なぜなら、沈み込む海のプレートと大陸棚にあたる陸のプレートでは海のプレートの方が格段に硬いからです。硬い方は変形しにくく、結果的により柔らかい陸のプレートが変形して歪みを蓄えるのです。陸のプレートはその固着域周辺で5m程度圧縮されていることになります。5mの歪みは相当に大きな歪みです。どのぐらいの長さの活断層が5m動くのかによりますが、M7程度の地震にはなります。
3.マグニチュード6の地震というと大地震というイメージがありますが、プレートが動く距離はこれでも1m程度とされていたはずです。
http://www.jishin.go.jp/main/nihonjishin/2010/zenkoku.pdf
の11ページ目の最後には、1923年の関東大震災がM7.9で、ずれの量は5から7mと書かれています。
4.311大地震の前、1000年程度太平洋プレートは三陸沖の日本海溝から東日本の陸域の地下へ沈み込みをしていなかった様子です。このメカニズムは2.で述べたこととは異なります。年に5cm太平洋プレートが西へ移動すると仮定して1000年であれば、50mです。一般的にプレート内に歪みを貯め込める量は、そのプレートの奥行で決まるとされ、奥行きの1万から10万分の1程度の歪みまでであれば蓄積できるとされているそうです。よって50mの歪みは50万メートルから500万メートルの奥行きが必要になります。50万メートルは500キロ、500万メートルは、5000キロですから、どちらにしても日本海溝から日本列島側にこの距離を取ると日本海や中国大陸に到達してしまいます。この間にはユーラシアプレートと北アメリカプレートのプレート境界など、幾つもの大きな断層があり、とても50mもの大きなゆがみを蓄積できないとされています。よって、日本海溝からハワイ側に奥行きを取ることになります。日本海溝からハワイ側は一応大きな活断層がなく、ハワイ島までの距離を取れば十分に5000キロはあるからです。
5.311大地震の前には、三陸沖の日本海溝のハワイ側に、つまり、太平洋プレート側に50m分の歪みが貯められていたのです。もちろん、日本海溝の陸側、つまり、北アメリカプレートにもある程度の歪みが蓄積されていたはずです。ただ、その歪みの量は奥行きを300キロとしてその10万分の1程度、つまり3m程度でしょう。
6.ここで50mの歪みの実態をもう少し見てみましょう。50mの歪みとは、例えば日本海溝の800キロの長さの全体が50mの歪みを貯めているのかというとそうではないとされています。日本海溝は東日本の東方沖に青森県のあたりから房総半島付近まで南北に800キロ程度の長さで伸びています。この800キロの長さのどの部分でも50m程度縮んでいるということではなく、日本海溝のせいぜい長さにして数キロから数十キロ程度の部分で、50m程度縮んでいたとされています。ただし、日本海溝に並行しての長さが数十キロであり、奥行きはハワイ側へ5000キロ程度ある範囲で、この50mていどの短縮が起こっていたのです。このことは、そもそも固着域がどうやって発生するかを考えれば納得が行きます。海山としては相当に大きなものでも、富士山程度の大きさです。その麓の直径は数十キロ程度ですから、富士山程度の大きさの固着域であってもその大きさは数十キロなのです。
7.よって、その固着域を破壊する大地震が起こるまでは、その周囲10キロとか20キロ程度まではほとんど陸のプレートと海のプレートの位置はずれることがありません。しかし、より遠方では当然海のプレートの沈み込みは起こっているわけです。多分、その固着域から50キロの地点では年に1cm、100キロの地点では年に2cmのように遠くなるに従って、固着域によって固定される度合いが弱まっていき、より動くようになるのです。
8.311大地震までは太平洋プレートが日本海溝から陸域の下へ沈み込んでいなかったということの意味についてです。311大地震前の約1000年間にわたり、三陸沖の固着域のハワイ側5000キロ程度の範囲では歪みがどんどんと50m分蓄積されていたわけです。しかし、例えば、青森県沖、または房総半島沖ではどうだったかというと、日本海溝からハワイ側、または日本海溝から陸側の海底で地震が起こってプレートが互いに重なり合うことで歪みを吸収してきたのです。明治三陸地震とか、延宝房総半島沖地震など、東日本の太平洋沖で起こってきた地震の多くが津波地震とされ、大きな津波があったが陸の揺れはほとんど無かったとされています。この意味は、沖合で海底が破壊されて、海のプレートの一部が大きく跳ね上がり、海面を持ち上げたために大津波が発生したが、陸域の地下で海のプレートが動くことが無かったために、陸域での揺れはほとんど発生しなかったということです。多分、50mもの歪みが蓄積したのは、固着域の幅とほぼ同じ数キロからせいぜい数十キロ程度の幅で奥行きが5000キロ程度の地域なのです。固着域の幅を外れたところでは、海溝の陸側やハワイ側の海底で繰り返し地震が起こり、太平洋プレートの西への移動による歪みを解消してきたのです。歪みの解消の度合いは地域により異なり、ある地域は10m分、ある地域は40m分の歪み解消が311大地震までに行われていたはずです。
9.311大地震が発生して、三陸沖からの太平洋プレートの東日本の陸域の地下への沈み込みが再開したわけですが、この結果、日本海溝全体、つまり、青森県の東方沖から房総半島の東方沖までの800キロ程度の長さの海溝全体で、太平洋プレートが東日本の陸域の地下への沈み込み再開を始めたわけではなさそうです。このことの根拠は二つあります。一つは、そもそも、津波地震が三陸沖だけでなく、青森県東方沖や茨城県沖、房総半島東方沖などでも発生していたのは、それぞれの地域の大陸棚あたりである程度大きな固着域があって、太平洋プレートの陸域の地下への沈み込みが止められていたからであり、そういった固着域は、当然のことながら311大地震以降もそのまま固着域ですから、その固着域が破壊されるまでは、太平洋プレートの東日本の陸域の地下への沈み込みはできないことになります。そういった固着域の一つが破壊された事例が2016年11月22日の福島県沖(いわき沖)地震M7です。ただし、これらの固着域は固着の度合いがあまり大きくないものも含まれているはずです。なぜなら、311大地震で破壊された固着域が圧倒的に強い固着域であったはずであり、その固着域があってこそ、その周囲の弱い固着域が存在しえたはずだからです。よって、これらの弱い固着域は現在、あまり大きな地震を起こさないまま破壊されつつあるのだと思います。このことは、福島県から岩手県の沖合200キロ程度で微小地震が311直後から昨年暮れ程度まで非常に盛んに起こって来ていたことからも明らかです。現在のHi-net自動処理震源マップでは見ることが出来ませんが、昨年暮れぐらいまでは「最新30日間」の震源マップで見ると、福島県沖から岩手県沖は、一面がドットで埋め尽くされるほど、たくさんの地震が発生していました。根拠のもう一つは、太平洋プレートが陸域の地下へ沈み込んだ結果起こる深発地震が三重県から静岡県の沖合と、能登半島の西側付近の二か所には多く見られるのですが、静岡県の沖合よりも南の海域や、静岡県と能登半島の中間の地域、そして、能登半島よりもずっと北によった地域では深発地震がほとんど見れないことがあります。これはHi-net自動処理震源マップ
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/mapout.php?_area=EXPJPW&_period=30days&rn=61188
の青いドットの分布を見ることで確認できます。青いドットは深発地震を表していて、震源深さが200キロ程度以上あるものです。静岡県から三重県の沿岸部、そして、能登半島の西側に青いドットの集中が見えます。仮に、869年貞観地震以降、311大地震の前まで継続して太平洋プレートがこのあたりで沈み込んでいれば、当然、沈み込んだ先が深さ200キロ程度にまで到達し、そこで地震を起こしていなければならないのです。そうではないのですから、沈み込んでいなかったとなります。
10.では、現在、311大地震が発生して、三陸沖からの太平洋プレートの東日本の陸域の地下への沈み込みが再開した状態にあるわけですが、その結果、現在どのようなことが起こりつつあるかが問題です。311大地震M9の震源域は
https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/20110311144600.html?e=288
にある様に、北緯38度付近です。北緯38度付近とは福島県と宮城県の県境付近であり、
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/mapout.php?_area=JAPAN_MAP&_period=30days&rn=7563
で分かるように、佐渡島の緯度でもあります。また、北朝鮮と韓国との境界でもあります。2004年の中越地震、2007年の中越沖地震もこの北緯38度線付近で発生しています。青いドットは能登半島の西側で、この北緯38度線の南側に集中して分布しています。「日本全国拡大」、「最新7日間」
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/mapout.php?_area=JAPAN_MAP&_period=7days&rn=88552
を見ると、より状況がよく分かります。多分、能登半島西方沖の青いドットの集中は、茨城県北部あたりの緯度から沈み込んだ太平洋プレートが起こしているはずですし、三重県から静岡県の沖合の青いドットの集中は、房総半島南東沖の北緯34度、東経142度付近の黄色いドットの集合している付近から沈み込んだ太平洋プレートが起こしているはずです。ハッキリとは言い切れないのですが、311大地震前は、能登半島西方沖の青いドットはほとんど表示がなく、三重県から静岡県の沖合のドットは数がもっとずっと少なかったと思います。逆から言うと、311大地震以降、この二つの地域で太平洋プレートの沈み込みが非常に活発に起こっていることになります。
11.ここで、多分、一つの疑問が出てきているはずです。311大地震の震源域である三陸沖から、311大地震以降、太平洋プレートは東日本の陸域の地下へ沈み込みを再開したのであれば、それに対応して青いドットが佐渡島の緯度あたりになければいけないはずなのに、なぜ表示がないのか、です。( Hi-net自動処理震源マップの「最新30日間」・「日本全国拡大」
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/mapout.php?_area=JAPAN_MAP&_period=30days&rn=57264
を参照してください。 )
このことの答えは多分幾つかあるのだと思います。最も影響が大きいのは、311大地震までの約1000年間、この付近では太平洋プレートの東日本の陸域の地下への沈み込みが無かったため、311大地震から6年程度しか経過していない現在、まだ深さ200キロ以上にまで太平洋プレートの動きが到達していないからだということだと思います。基本的に太平洋プレートは日本海溝からの沈み込みを止めていたとしても、東日本の陸域の地下に存在していたわけであり、200キロ程度以上にまで沈み込んだ部分は、約1000年の間、速度は貞観地震前よりも遅くなったでしょうが、ある程度の速度で沈み込みを継続していたはずなのです。その結果、東日本の地下に存在している太平洋プレートはどんどんと痩せ細っていったはずです。311大地震以降は、この痩せを戻す、つまり、日本海溝から東日本の地下へ太平洋プレートがどんどんと供給されて、太って来ている期間であったはずです。今後、貞観地震以前の厚さまで戻れば、その後、佐渡島あたりでの深発地震、つまり青いドットの表示が始まるのでしょう。
12.上の疑問を裏返すと、また別の疑問が出てきます。それは、なぜ、311大地震の前及び後に、三重県から静岡県の沖合で青いドットが数多く表示されているのか、そして、なぜ、能登半島西方沖で311大地震以降、青いドットが多く表示されるようになったかです。更に、なぜ、静岡県から能登半島までの陸域に青いドットの表示がほとんど無いのかとか、能登半島のより北側で青いドットがなぜ出てこないかです。まず、三重県から静岡県の沖合で青いドットが多く表示されていますが、これは、単に、この地域で沈み込みの抑制が起こっていなかったからであると思います。三重県から静岡県の沖合での青いドットは房総半島の南東沖の海溝、つまり、伊豆・小笠原海溝から沈み込んだ太平洋プレートが深発地震を起こした結果表示されているものです。伊豆・小笠原海溝には、陸のプレートがなく、フィリピン海プレートの下へ太平洋プレートが沈み込んでいるだけです。陸のプレートは厚さが50キロ程度ありますが、海のプレートはその半分程度しかないので、太平洋プレートが沈み込むときに受ける摩擦力が小さく、そのためもともと活発に沈み込みが出来ていたのです。唯一の阻害要因は三陸沖の大きな固着域であったはずで、その大きな固着域からの阻害も、伊豆・小笠原海溝はずっと離れていたために影響が少なく、311大地震前もある程度、そして、311大地震以降はより一層、沈み込みが活発に起こっていたということです。次に、能登半島西方沖についてですが、この部分で深発地震が起こるのは茨城県北部あたりの緯度の日本海溝からの太平洋プレートの沈み込みが原因です。茨城県北部は鹿島灘の一部で、犬吠埼から最も北へ離れた地域にあたります。福島県の沿岸部は全体に太平洋側へ出っ張っていますが、鹿島灘は全体に陸側へ凹んでいます。凹んでいることは、ある意味、この地域全体で太平洋プレートの沈み込みが活発で、陸のプレートの先端部が海のプレートの沈み込みで削られて行った結果と見ることができます。犬吠埼の東方沖には大きな海山があり、そのため、犬吠埼に近い鹿島灘では太平洋プレートの沈み込みがなかなか出来ず、犬吠埼から遠い茨城県北部でまず沈み込みが活発化しているのです。そして、なぜ、静岡県沿岸部から能登半島までの陸域で青いドットの表示がほとんどないのかと言えば、それは、房総半島あたりからフィリピン海プレートが陸域の下へ沈み込み、その結果、太平洋プレートの沈み込みは、もともと関東地方の地下への沈み込みについて、フィリピン海プレートによって通せんぼをされる形があり、あまり沈み込みができてこなかったからであり、更に歴史的に見れば、このあたりの緯度の太平洋プレートには海山が多くあって、それが海溝からの沈み込みを抑制してきたからでしょう。富士山の存在も影響があり、マグマの生成により地殻の温度が上がっていて、それが地震の観測を困難にしている面もあると思います。最後に、能登半島のずっと北のほうでの青いドットの表示がないことですが、これは、869年貞観地震発生以降、宮城県から岩手県、そして青森県の東方沖からの太平洋プレートの沈み込みがほとんど停止していたからだと思います。それだけ、311大地震を起こした強くて大きい固着域に近く、そのため沈み込み抑制の効果が強く出ていたからだと思います。現在は、宮城県沖から岩手県沖で微小地震が非常にたくさん発生した結果、どんどんと東北の陸域の地下への沈み込みが起こっているはずです。そのため、今後は、青いドットがかなり多数能登半島のはるか北側でも表示されるようになると思います。
13.日本海溝の東側、つまり、ハワイ側の太平洋プレートの様子を考えます。311大地震前は、約1000年に渡り、どんどんと歪みが蓄積され、その歪みを解消するため、逆断層型の地震が起こって、歪みを解消して来ました。過去の津波地震の記録から、その解消は、地域により異なり、東北北部の東方沖では100年に一度程度、関東地方の東方沖では400年に一度程度の頻度で起こっていたはずです。このことは、311大地震発生時に、日本海溝付近に蓄積されていた歪みの量、つまり、圧力の大きさが地域によって異なることを意味しています。例えば、311大地震の直前に津波地震が発生していれば、その地域での歪みは解消されたままであり、311大地震の時にはあまり圧力は残っていなかったことになります。現実には、311大地震は日本海溝全体の西向き圧力が三陸沖の固着域にある程度集中したタイミングで起こっていたはずであり、日本海溝のほぼ全域に渡って、それぞれの地域で蓄積され得る最大量にかなり近い西向き圧力が、311大地震発生時には存在していたはずです。
14.太平洋プレート全体の移動速度は数千年程度の単位で一定であるとみなせるはずですが、日本海溝付近など、ある程度狭い範囲で見ると、かなり変動します。日本海溝付近では、311大地震発生により、三陸沖の大きな固着域が破壊されたため、それぞれの狭い地域に蓄積された歪みの量に応じて、西向き圧力が存在し、その圧力にほぼ比例した沈み込み速度で沈み込みを開始しているはずです。これが、日本海溝からの沈み込み速度が年に20cmとか30cmに現在なっている原因です。どの程度まで沈み込み速度が増加するか、その増加状態がどの程度の期間続くか、はっきりしません。ただ、今まで1000年余りの間沈み込みが抑制されてきた、または、完全に止まってきたのであり、その反動はかなり大きなものにならざるを得ないと思います。
15.311大地震以降、太平洋プレートの日本海溝からの沈み込み速度が格段に増加している結果、二つの影響が陸のプレートに出てきます。一つは、陸のプレートと太平洋プレートの間にある固着域に対する破壊圧力が大きくなっていることです。つまり、311大地震と同じような太平洋プレートの沈み込みによる大地震の発生が近づいていることになります。特に、311大地震の震源域の南北の両隣は割れ残りであり、この地域での311大地震と同じような太平洋プレートの沈み込みによる海溝型の大地震が切迫しているはずです。また、太平洋プレートの陸域の地下での沈み込みの結果、マグマの生成が中部地方から東北地方で盛んになり、この1000年程度大規模な噴火が無かった火山の噴火が近い将来起こっていくはずです。もう一つが、そういった固着域を通じて、太平洋プレートの西向き圧力が陸のプレートに伝えられ、陸のプレート内での活断層型の大地震が起こりやすくなっていることです。関東地方から西の各地で内陸型のM6以上地震が頻発することになります。
16.最後になりますが、そもそも、なぜ、311大地震が起こったのでしょうか。これについて、確定したことは言えないのですが、多分、中央構造線の北側の九州あたりから東北地方へ伝わる圧力が原因となっているのではと思います。日本海溝付近に働く大平洋プレートの力は二種類あります。一つは、ハワイ側からの西へ押す力です。もう一つは、既に日本海溝から沈み込んだ太平洋プレートの引く力です。既に地下深くへ沈み込んだ部分は、より浅い部分をより深い方向へ引っ張り込もうとしますから、これが引く力となるわけです。押す方の力は、基本的に日本海溝からハワイ側の海底で、順次、逆断層型の地震が起こることで解消されてきたわけで、これが一定限度を超えたから311大地震を起こしたというのは、多分、かなり困難です。(ただし、偶然に逆断層型地震が起こるタイミングがそろってしまい、それが三陸沖の固着域への圧力集中になったということは言えるのかも知れません。)九州あたりからの東向き圧力が東北地方の載る陸のプレートを東側へ押せば、結果的に陸のプレートとその下へ沈み込んだ太平洋プレートとの間にすき間が出来ます。引く力は、陸のプレートと太平洋プレートの接触面の摩擦の大きさによって影響を受けます。陸のプレートが多少でも浮き上がれば、接触面の摩擦が減少し、太平洋プレートは沈み込みやすくなるでしょう。また、単に陸域での大地震が起これば、陸のプレートが多少は動きますから、それによって、太平洋プレートと陸のプレートとの接触面に無数にある小さな固着が破壊され、それによって太平洋プレートの沈み込みが容易になり、それが海溝付近での引く力の増加になったのだと思います。こういった意味で、2004年の中越地震とか、2007年の中越沖地震、2008年の岩手・宮城内陸地震などは、太平洋プレートの西向き圧力増加が原因というよりも、九州あたりからの東向き圧力の増加がより大きな原因となっていたと考えるべきかと思います。このことは、日本海東縁歪み集中帯ということが言われていることとも整合的です。1995年の阪神大震災から、西日本から東日本への圧力移転が始まっていたのだと思います。
2017年07月26日18時45分 武田信弘
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