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みずほFG、業界内でくすぶる、ゆうちょ銀行との合併説
http://biz-journal.jp/2018/02/post_22254.html
2018.02.08 文=編集部 Business Journal
みずほ銀行(写真:金田啓司/アフロ)
みずほフィナンシャルグループ(FG)は、4月1日付で佐藤康博社長が会長に退き、後任にみずほ証券の坂井辰史社長が就く。
証券子会社の社長からFG社長という前例のないルートをたどるトップ人事は、2重の意味でサプライズだった。
ひとつは、本命が外れたこと。もうひとつは、旧日本興業銀行支配が続くことだ。
みずほFGは日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3行が合併して誕生したが、ずっと旧行同士の権力争いに明け暮れてきた。こうした旧行意識の弊害が、度重なる不祥事として噴出した。
そのため、「One MIZUHO」を掲げて佐藤氏は旧行意識の払拭に力を入れてきた。だからこそ、「ポスト佐藤は誰か」というのは、金融界がもっとも注目していた人事だった。
みずほFGのトップ人事は、5名の社外取締役で構成される指名委員会で決定する。元新日本製鐵副社長の関哲夫氏、元日立製作所会長の川村隆氏、元最高裁判事の甲斐中辰夫氏、元経済財政政策担当大臣の大田弘子氏、元メリルリンチ日本証券社長の小林いずみ氏が委員を務める。
■後継を目されていた3人
このメンバーに社長候補者のリストが配布された。当然、指名委員会は候補者たちとも面談を行い、立ち居振舞いから質問への回答ぶりなどを、つぶさにチェックした。そのなかで、佐藤氏の後継として下馬評が高かったのは、以下の3人だ。
旧第一勧銀出身者では、みずほFG傘下の中核銀行、みずほ銀行の藤原弘治頭取。3メガバンクのなかでもっとも若い頭取だ。1997年の第一勧銀の総会屋利益供与事件のときは、「改革派4人組」の部下で、企画部一番の若手だった。ニューヨーク支店で国際業務も経験。国内では企画部門を歩み、みずほFGの中期経営計画策定を主導した。みずほ銀行の頭取が持ち株会社の社長に就任すれば、それは想定通りの人事だ。藤原氏は「将来のトップ候補の呼び声が高かった」(みずほFGの元役員)ため、“無風”といえる。
旧富士銀行出身者では、みずほFGのリテール・事業法人カンパニー長の岡部俊胤・執行役副社長が有力視されていた。佐藤氏との関係は良好で、「佐藤氏は自分の後継と考えていたが、岡部氏は長く総会屋担当をしていたため、“ヤクザローン”事件で処分を受け、頭取レースから脱落した」(同)とみられている。
“ヤクザローン”事件とは、オリエントコーポレーション(オリコ)の販売提携ローンを通じて、みずほ銀行が反社会的勢力に融資を行っていた不祥事。この事件で、当時のみずほ銀行の塚本隆史会長らが辞任。みずほFG社長の佐藤氏がみずほ銀行の頭取を兼務する布陣が変更され、ワントップ体制が一時、崩れた。みずほFGは委員会設置会社に移行し、取締役会議長に大田弘子氏が座った。この事件は、みずほFGにとって転換点となった。
旧興銀出身者では、みずほFGのグローバルコーポレートカンパニー長の菅野暁・執行役副社長。旧興銀勢が推す大本命だった。
佐藤氏は旧行意識の払拭に努めていたことから、「興銀による政権のたらい回しとの非難を避けるため、興銀出身でない人を選ぶのではないか」(ライバルのメガバンク役員)との観測があった。その場合は、岡部氏が最有力と目されていた。
■坂井氏が後任に選ばれたワケ
ところが、指名委員会が下した判定は、サプライズそのものだった。
新社長に坂井氏の名が発表されると、ライバル銀行はもとより、みずほグループ内部からも驚きの声が挙がった。坂井氏は社長レースの下馬評にも上っていなかったからだ。
「菅野氏は、事業会社のトップの経験がないことがマイナス点となった。坂井氏は、グループ企画部長として銀行中枢を経験しているし、投資銀行部門、国際部門の責任者を務めた。さらに、みずほ証券という事業会社の経験もあるということで、総合点が一番高かった」(みずほFGの現役役員)
佐藤氏と坂井氏は、興銀勢が本拠地としてきた旧みずほコーポレート銀行で10年以上、一緒に仕事をしてきた。今にして思えば、2年前の坂井氏のみずほ証券社長就任は、実務を積ませるための戦略的な人事だったのだろうか。
坂井氏を抜擢した理由について佐藤氏は、会見でこう説明した。
「証券を基軸に据えて発展するという大きなメッセージになる」
この発言から、佐藤氏が考えている方向性が見えてくる。今、みずほFGは、従業員と店舗を減らす構造改革の最中にある。従業員はパートを含め7.9万人いるが、2026年度末までに6万人に減らす。国内拠点は21年度には50減らし、450拠点とし、24年度には400拠点にまで減らす。
これは何を意味するのか。商業銀行というビジネスモデルを縮小することにほかならない。預金者から集めたお金を貸し出しなどで運用する商業銀行は、これまで日本の銀行の王道だった。だが、日本銀行のゼロ金利政策導入によって、商業銀行というビジネスモデルが成り立たなくなった。メガバンク3行は軒並み、大幅な戦線の縮小を余儀なくされている。
そんななかみずほFGは、投資銀行というビジネスモデルに軸足を移す。投資銀行業務の花形はM&A(合併・買収)だ。従来、企業買収での助言や仲介は証券会社の独壇場だったが、米国の有力な投資銀行にお株を奪われつつある。投資銀行と証券会社の垣根は世界的に低くなった。
投資銀行になることは、かつての興銀の悲願だった。「証券業務を基軸にする」という佐藤氏の発言には、投資銀行に一歩でも近づきたいとの思いが込められている。当然、旧富士銀や旧第一勧銀から引き継いだ商業銀行モデルは縮小することになる。リストラの主な対象になる旧富士銀や旧第一勧銀の行員たちはおもしろくないだろう。“お家芸”である旧3行による派閥抗争が再燃することになるのではないかとの懸念がないわけではない。
みずほFGは過去に続発した不祥事による負の遺産を解消するのに時間がかかり、ライバルの三菱UFJ FGや三井住友FGに収益力で大きく水をあけられている。派閥抗争をしている暇はない。
■“佐藤院政”で大型合併に打って出る
メガバンクのトップのひとりは、「新聞は次期社長も興銀出身なので、佐藤氏は『院政を敷くつもりだ』などと書いているが、そんな単純なトップ交代とはみていない。佐藤氏は、とにかくギラギラした男だ。野心はもっと大きいはずだ」と語る。
さらに、「佐藤氏はまだ65歳。あと10年は現役でやれると思っている。みずほの院政程度では収まらない。もっと大きな野望を抱いているはずだ」と続ける。
可能性があるのは、大型合併だ。その場合のターゲットは、ゆうちょ銀行だとの見方が業界内では根強い。政府は、日本郵政株式の3回目の放出を年内に考えている。これで、政府の持ち株比率は50%を割り込むことになり、日本郵政は動きやすくなって経営の自由度が増す。
「日本郵政の長門正貢社長と佐藤氏は気脈を通じている」(別のメガバンクの若手役員)といった証言もある。
まずは、みずほ銀行とゆうちょ銀行が資本・業務提携して、数年後にみずほFGにゆうちょ銀行がぶらさがるといったシナリオが描けそうだ。
坂井新社長が主導するのは証券界の再編との指摘もある。「標的は大和証券(大和証券グループ本社)」(外資系証券会社の幹部)といわれているが、大和証券がみずほFGの軍門に下る可能性は低い。
「佐藤氏の大きな野望は公職に就くこと」という声が、みずほFG内から出ている。政府系銀行のトップや財政諮問委員会の民間議員のポストに就くとの見方だ。こうした公職に就くには、社長を退任していなければ候補の対象にならない。
「経団連の副会長になりたがっている」(財界関係者)ことは広く知られているが、佐藤氏はさらに大きな野望を抱いているのかもしれない。
■日銀総裁の候補という見方が浮上
4月8日に任期満了になる黒田東彦・日本銀行総裁は、続投との見方でほぼ一致している。しかし、「黒田総裁は再任されても、5年はやらない。2%の物価目標に近づくか、達成した時点で退任を考えるでしょうから、そうなるとあと1〜2年でバトンタッチするかもしれない」(金融筋)との見方が大勢だ。「その時、“ポスト黒田”に浮上するのが佐藤氏」との情報が金融界に流れている。
もしそうなれば、大きな野望達成ということになる。ちなみに、1964年12月から69年12月まで日銀総裁を務めた宇佐美洵氏は、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の頭取から転じており、それ以来の銀行トップの“天上がり”となる。
(文=編集部)
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