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派遣法改正で雇い止め頻発、弱者保護のつもりが真逆になる悲劇
http://diamond.jp/articles/-/158007
2018.2.2 塚崎公義:久留米大学商学部教授 ダイヤモンド・オンライン
改正派遣法が5年目を迎え
各地で「雇い止め」が発生
改正派遣法が施行されて5年を迎える4月を前に、「雇い止め」が随所で行われている。例えば、国立大学でも東京大学が8000人、東北大学が3200人の非常勤職員などを雇い止めする方針だと報じられている。
この法律は、本来は「弱者」である有期雇用者を守るために作られたはずなのだが、それが意図とは反対に、有期雇用者の大量解雇といった事態を招いているのだ。
改正労働契約法は、5年以上の有期雇用契約者が「無期転換」の申し入れをする権利を持つと定めている。つまり、同じ派遣労働者を5年以上雇っていると、労働者からの申し入れがあれば、それ以降は無期雇用契約となるので「気楽に雇い止めをする」ことができなくなる、というわけだ。
同法は2013年4月に施行されたため、5年が経過する今年4月以降は、労働者からの申し入れが可能となる。その前に、会社側から「雇い止め」が相次いでいるというわけだ。
神の見えざる手を邪魔すると
困ることが二つ起きる
経済学の祖であるアダムスミスは、経済は「神の見えざる手」に任せるべきだと説いた。「神様も、神様の手も見えないけれど、経済のことは神様がうまく処理して下さるから、王様は経済に手出し、口出ししないでください」というわけである。これは、現在でも経済学の最も基本的な考え方である。
例えば、心優しい王様が「人々が腹一杯の芋が食えるように、芋の値段を半分にしろ」と命令すると、二つの困ったことが起きる。
一部の農家が、「市場まで芋を運んで行っても安くしか売れないなら、面倒だから芋は豚の餌にしよう」と考えるかもしれない。そうなると、人間の口に入るはずだった芋の一部が豚の口に入ってしまうので、人間が食べることができたはずの芋の量が減ってしまう。これは人間にとって不幸なことだ。
もう一つは、「非常に空腹で、高い値段を払ってでも芋が食べたい」と考えている人が芋にありつけず、それほど空腹ではない人が芋にありつく可能性が出てくることだ。王様が黙っていれば、最も空腹な人は高い値段で芋を買い、それほどでもない人は高い値段の芋を買うのを諦めたはずなのにだ。
こうした芋の例は、王様が助けようとした貧乏人に限らず、皆が困ってしまうという話だが、実際には政府が助けようとした人だけが困る、というケースも多い。
例えば、「女性は体力が劣るから深夜労働を禁止しよう」という法律ができたとする。すると、深夜労働させる企業としては、女性を雇わずに男性だけを雇うようになる。そうなると、女性が働ける職場が少なくなり、女性の失業率が男性より高くなってしまう。それとは別に、「男性以上に深夜労働をして、男性の同期よりも出世したい」という女性にとっては、出世の機会までも奪われてしまうことになりかねない。
弱者を保護しているはずなのに
弱者が困る事態に
別の例を示そう。「借家人を追い出してはならない」という法律ができたとする。家の持ち主の中には、「家を貸したら、永遠に居座られてしまうかもしれない。それは困るから、空き家のままにしておこう」と考える人もいるだろう。そうなると、「家が買えないから借りたい」と考える“弱者”の中に、家が借りられない人が出てきてしまう。
日本企業の終身雇用制は、労働者保護だけが目的ではないが、判例によって強化されているのは「労働者保護」の観点からである。そして、それが大量の非正規労働者を産み出しているという視点は重要である。
「正社員を採用するとクビが切れないから、非正規労働者を雇おう」という企業が多いため、正社員になりたくてもなれず、非正規労働者として生計を立てているワーキングプアを増加させているのだ。
冒頭で紹介した「雇い止め」は、こうして生み出されたワーキングプアを、さらなる困難に直面させているものだと言えるのだ。
賃金の面でも考えてみる。「労働者の時給を1000円以上にしろ」という法律ができたとしよう。ちなみに、正社員の時給は1000円を超えているだろうから、正社員には関係ない法律で、非正規労働者だけに関係する法律だ。もちろん、非正規労働者の全員が弱者だとは言わないが、ここでは弱者である「ワーキングプア」について考えてみよう。
労働者のみならず
日本経済にも悪影響が
この法律は、弱者の時給を上げようという趣旨なのだが、それによって、「1000円になるのなら雇わない」という企業が出てくれば、「どうしても働いて食費を稼ぎたい」という労働者が失業してしまう。やはりここでも、弱者のための法律が弱者を苦しめてしまうのだ。
労働者全体で考えても、利益になるとは限らない。例えば、法律施行前には「時給900円なら非正規労働者を1人雇いたい」と考える企業が6社あり、「時給900円なら働きたい人」と考える人が6人いたとする。それが、法律が施行されたことにより、「時給1000円なら非正規労働者を1人雇いたい」と考える企業が5社となり、「時給1000円なら働きたい人」考える人が7人になったと仮定しよう。
この場合、法律施行前には、900円で6人が働くわけだから、合計で5400円を得ていた。それが、法律施行後は1人が仕事にありつけないばかりか、1000円で5人だから得られる賃金も合計5000円となってしまう。こうなれば、この法律は「労働者の敵」だということになってしまう。
しかも、日本経済全体として利用できるはずの労働力が1人分無駄になっているわけだから、日本経済にとっても敵だと言えるかもしれない。
とはいえ、物事はそう単純ではない。労働者全体、弱者全体を考えた場合には、この法律が味方である可能性もあるからである。だからこそ、弱者保護の規制が実際には多数存在するのである。
その判断には、人々の心の中をのぞいて見る必要がある。「収入が2倍になれば2倍幸せか」といった問題も重要だが、ここでは別の視点から人々の心の中をのぞいてみよう。
数字を少しだけ変えて、「時給1000円なら非正規労働者を1人雇いたい」企業が5社、「時給1000円なら働きたい人」が7人、「時給300円なら非正規労働者を1人雇いたい」企業が6社、「時給300円なら働きたい人」が6人いたとする。
法律施行前には、300円で6人が働いて合計1800円得ていたが、法律施行後は1000円で5人が働き5000円を得るのだから、この場合は労働者の味方だといえよう。
ただ、労働者全体としては最低賃金の恩恵を受けているとしても、失業者をどう処遇するかという問題は残る。「5人がハッピーなのだから、1人の失業者は我慢しろ」とは言えないからだ。
とはいえ政府に求められる役割も
弱者保護は慎重に
アダムスミスとて、本当に政府が何もしなくていいと考えていたわけではない。例えば、泥棒を捕まえる警察官を雇うために、税金を集める仕事は必要だと考えていたはずだ。神様も「経済調節に関しては万能ではない」ということだ。これを「市場の失敗」と呼ぶ場合もある。
アダムスミス以外の経済学者として有名なのは、ケインズとマルクスだろう。ケインズは、景気調節を政府の役割とした。現在も多くの国で、多かれ少なかれ景気の調節は政府が行なっている。
マルクスは、神の見えざる手に任せると貧富の差が拡大するので、平等な国を作ろうと主張した。それ自体は成功しなかった。平等すぎると、「働いてもサボっても給料が同じならサボる」労働者ばかり増えてしまったからだ。
しかし、貧富の差が大きすぎることは問題があるため、累進課税や生活保護といった貧富の格差是正策は各国で講じられている。
例えば、前述の芋の例でいえば、たいして空腹でもない金持ちが芋を全部買い占めてしまうと問題なので、金持ちから税金を取って貧乏人に配り、貧乏人も芋が買えるようにするということだ。
もうひとつ、最低賃金の例でいえば、労働者全体の利益のために最低賃金制を設けると、失業者が生じてしまう。これに対しては、本人には落ち度がないのだから、失業手当や生活保護を支給する必要があるだろう。あるいは、失業対策の公共投資で雇ってあげる、ということも選択肢であろう。
当然、こうした政府の役割は必要である。ただ、弱者への保護が弱者を苦しめることがなきよう注意を払う必要があるということだ。
(久留米大学商学部教授 塚崎公義)
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