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「日本人はジョブズを神格化しすぎ」アップルを見続けてきた男の疑問 『林檎の樹の下で』を読めば分かる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53863
2017.12.24 斎藤 由多加 現代ビジネス
「アップルという会社をロックアーティストに喩えて言うと、あのメガヒット――つまりiPhone――を出す前のバンドのことをきちんと振り返らないと、どうしてあれほどのヒットが生まれたのか、わからないんじゃないかと思うんです。
アップルは最初からヒットバンドだったわけではない。iPhoneを評価するだけなら、ここ10年を検討すればいいのかもしれませんが、アップルを、そしてスティーブ・ジョブズの存在とは何かを考えるのであれば、今の評価の仕方には偏りがあると思っています。
ところが、日本には、過去の何者かになる前のアップルを知るための情報が、あまりに少ない。だからこそ、いま『林檎の樹の下で』が求められたのではないかと思います」
こう語るのは、ゲームクリエイター、ライターの斎藤由多加氏。あの大ヒットゲーム『シーマン』の生みの親としても有名だ。
その斎藤氏が1996年に発表した『林檎の樹の下で アップル日本上陸の軌跡』が、この度、2度目の復刊となった。
(上下巻を横に並べるとつながる作りになっている)
本書では、まだアップルがアメリカのいちベンチャー企業だった時代に、日本のサラリーマンたちがいかにして自国にアップル製品を持ち込み、そして販路を広げていったか、その奮闘とジョブズの「奇抜さ」が、当事者の豊富な証言を基に描かれている。
70〜80年代、IT黎明期のアップル、そしてスティーブ・ジョブズは、どのような存在だったのだろうか――。斎藤氏の貴重な「証言」を聞こう。
「NoJobs!」の時代に
今回の復刊は、一通のライン通知から始まりました。2015年の10月15日、通知の主はホリエモンこと、堀江貴文氏でした。あの本を読んでIT業界に入りたいと思ったという堀江氏に、以前から『林檎の木の下で』の復刊プロジェクトを持ち掛けられていたんですが、ある日、それを本格化させたいと提案されたんです。
なんで日付まで覚えているかというと、私の誕生日だからです。お祝いではなく、復刊スタッフのライングループの招待が送られてきたわけです(笑)。
復刊までに2年を要しましたが、書店で平積みされているのを見ると、時代の移り変わりには感慨深いものがあります。というのも、本書が最初に発行された96年当時は、たいして話題にならなかったんです。
もともと、「70年代からのアップルの日本上陸から『漢字化』までのストーリーを描きたい」という私の提案をくんで、連載させてもらったのは雑誌『DIME』でした。90年代半ば、アップルについて詳しく知りたいという人が、少しずつですが増えてきていた頃です。
『DIME』はガジェット好き、新しい技術や製品が好きな人が読む雑誌だったので、連載当時、読者の評判は良かったんです。
でも、本になった時のリアクションはひっそりとしたものでした。書籍化してもらった出版社はアスキー。本書が置かれたのは「パソコン書」のコーナーだったことを覚えています。
今でこそ、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツの本は一般書、ビジネス書のコーナーに並びますけど、当時はまだそんな時代ではなかったんですよね。
本書で扱っているのは、アップルという会社を知っている日本人がほとんどいなかった時代の話です。その後アップル製品は徐々に日本で紹介されていきましたが、刊行された当時は、Windows95の発売が社会現象になっていた時代。アップルのマッキントッシュは、一部のフリークのものでした。
僕もその一人。アップル製品であれば何でも買うようなマニアでした。忘れられないのが、当時通っていた飲み屋のママに聞かれた質問です。
「ねえ、私パソコンを買おうと思うんだけど、ウインドウズとインターネット、どっちがいいの?」
マックはどこに行ったんだ、と思いましたね(笑)。それくらい、ウインドウズとインターネットという言葉が流布していて、一方、マック、そしてアップルは日陰の存在だったんです。そんな事情もあって、本書の売り上げもささやかなものでした。
まだアップルが知られていなかった頃の物語
話は80年代に戻りますが僕が最初に買った実機は、「マックプラス」でした。一揃いで買って80万円くらいだったと思います。
とにかく、若い頃は「マックはカッコイイ」という気持ちが強かった。当時はインターネットもありませんから、情報は雑誌のモノクロ記事、「パソコン読本」のようなもので集めていました。特にマニアックなことを楽しんでいるという意識があって、「ハッカーの匂い」を楽しんでいました。
とはいえ、当時ジョブズを知っている人なんて10万人にひとりくらいです。だから、現在、これだけジョブズが世界中で知られて神格化しているというのは本当に感慨深い。
それは、ネガティブな意味で、です。
なぜかというと、あの頃の人たちはジョブズを人格的に難のある人物となじり、「NO Jobs!」と徹底的に批判していたからです。
アップルを6つの時期に分ける試み
本書でも、ジョブズを本当におかしな、扱いづらい男として書いています。とにかく評判の悪い男だったから、今の日本人が手のひらを返して「ジョブズは神」とか言っているのがなんだかおかしくて。やっかいなマニアとして言わせてもらいますけど、「皆さん、当時のジョブズを全然知らないな」って(笑)。
今、僕がしたいと思っているのは、そんな状況でのジョブズの「再検討」です。
アップルという会社の歴史は、俯瞰してみると6つの時期に分けられると思うんですね。まず前提として知っておくべき大きな出来事として、ジョブズは2度アップルを去っている、ということです。
最初は、80年代に追放されて。そして2回めは、2011年に亡くなって。そのエンディング後のアップルがどうなったかを見るのが面白いんです。
6つの時期というのはざっくりと言うと、こうです。
一つ目は、ウォズニアックと歩みだした、76年の創業の前後の時代。
二つ目は、77年に発表したアップル2が、だんだん世に広まっていく時代。
三つ目は、マッキントッシュの時代。つまりジョブズが追放されていなくなった後、ジョン・スカリー社長時代です。
四つ目が、96年にジョブズが戻ってきてからの時代。
五つ目が、iPhone(初代の発売は07年)の時代。
六つ目が、ジョブズが亡くなった後の時代。
『林檎の樹の下で』で描いたのは、三つ目の時代まで。言うなれば、世界的大企業・アップルの前史とも言える時代です。
この時代のジョブズが、最近のアップルを語る人の視点から抜け出している。この頃のジョブズを突き動かしたのは、ウォズニアックへのコンプレックスです。見逃されがちですが、言い知れないほど大きいものがあったでしょう。
アップル2とスティーブ・ジョブズ Photo by GettyImages
高まるコンプレックス
本書は、後にアップルの日本代理店となるESD社の水島敏雄さんが、出張中のアメリカで、「アップル2」をデモンストレーションするジョブズと出会う場面から始まります。このアップル2の先進性に驚いた水島さんが、これを日本に持ち帰ろうと試みたことが、アップルが日本に紹介されるキッカケとなったんです。
ここは象徴的なシーンなんです。どういうことかというと、アップル2を作ったのはウォズニアックで、ジョブズはフロントパーソンでしかなかった。
ウォズニアックは新しいものをどんどん作る、アップルの稼ぎ頭だったのに対して、ジョブズは一番肝心な「モノ」を持っていない。イベントや雑誌に出たりしてアップルをPRする。「ペプシコーラ社長のジョン・スカリーをスカウトしたぜ」と誇らしげに語ったりしていましたが、つまりは、顔役をやっていたわけです。
ところが会社が大きくなるにつれて、外から優秀なマネジメントが入ってきたことで、ジョブズは自分の居場所を失っていく。ビートルズのブライアン・エプスタインと一緒です。その時のジョブズは、自分がモノを作れない、何も持っていない、というコンプレックスを深めていきました。
そして、iPhoneの時代がやってくる
アップル2は、ウォズニアックが自分のほしいマシンを追い求めた結果の産物です。拡張スロットがあり、中身がすべて解放されていて、誰でもカードを挿せば周辺機器を作れる。オープンアーキテクチャですから、アップル2がなくったっていい。
一方のジョブズは、プログラマーではありません。創造的なウォズニアックを羨ましく眺めていた時代に、「では自分のほしいマシンは何か」と悶々と悩んでいたんです。そこにアップルの古参社員であるジェフ・ラスキンが持ち込んだ、「情報家電」というコンセプトに食いつく。
ジョブズは自分がアップルに居場所を作るための、コンセプトを掴んだんです。要するにメディア、「動く紙」であり、「考える道具」だと、自分の作りたいものを発見する。
そもそもを言うと、マッキントッシュとはラスキンがカナダの林檎から付けた名前で、はじめからラスキンのプロジェクトなのに、「いただき!」といつのまにか自分のものにした。つまり、パクってるんです。
ジョブズのやっていることは、実はパクリだったりする。パクリの後のアレンジにおいてとてつもない天才性を発揮しますが、どんな人の話を聞いても、本を読んでも、発想そのものはジョブズの中から出てきてはいません。
ジョブズを神格化するのはよいとしても、彼を偉大なクリエーターとして捉えるのは、文脈からして間違っています。
結局、ジョブズはその頑固な性格、面倒な性分のせいもあって、追放された。ジョブズが去って、アップルは一旦花開くんですよ。
ジョン・スカリーの時代になって、それまでジョブズが、マッキントッシュならマッキントッシュの一つの機種しかリリースしない方針だったのが、スカリーになっていろんなバリエーションを出すようになった。
当時、「マルチメディア」という言葉が流行ったのと重なって、一瞬ものすごく景気が良くなるんです。実際、「ニュートン」なんて面白いマシンでした。ここに手書き認識を足したのが今のエバーノートのエンジンとなっています。
クイックタイムという動画再生ツールも、マルチメディアとしては面白かったですよね。この時期はサードパーティ、周辺機器にチャレンジングなものがあった。本機のほうは、ギガバイト(容量)、メガヘルツ(演算速度)をひたすら大きくするだけで、革新性はなかったですけどね。
しかし、革新的な商品はジョブズがいた時代の「遺産」を使っていた。つまり、それまで積み重なっていたアイデアを実現しただけ。いうなれば、化石燃料を使い果たした。その後はだんだん製品の方向性を見失って、低迷してしまう。
そこに、ジョブズが帰ってくる。居場所を失ったアップルに、今度はむこうから戻ってきてほしいと。CEOのギル・アメリオに迎え入れたジョブズは、スカリーに自分がやられたように、今度はそのアメリオを排除します。
その時に、ジョブズは「ネクスト」を成功させて、ピクサーも手に入れている。この時、ジョブズはコンプレックスから解放されています。
メンタルが不安な人であるジョブズが、どうコンプレックスを克服したかといえば、背景にあるのは日本の禅思想だと思うんですよね。彼の徹底的なストイシズムの源がそこにある。
ジョブズの才能は前述したアレンジのうまさであり、「いらないモノをぶった切る強さ」。それはモノもそうだし、人間関係もストイックに切り捨てる。
現実に行ったことといえば、スカリー時代のマックはいろんなバリエーションがつくられ、Windowsを真似てライセンスアウトしていた。それを愚かだと断じたジョブズは、契約が残っていようとすべてぶった切った。「あとは弁護士に任せておけ」というふうにね。ジョブズの方針がその後は貫かれていく。
そうして、iPhoneの時代がやってきます。僕が最初に驚いたのはバッテリー交換ができないことです。ガラケーの時代から考えれば、思いもよらなかった。それをバッサリ切るのが、ジョブズの凄さ。誰かが製品に手を加えるのも許さない。。
比べてみると、ウォズニアックとの違いがはっきりします。ウォズニアックが作ったアップル2は誰にでもオープンだったのに、ジョブズのマックはプログラミングマシンではなく、閉鎖的だった。
私がアップルを愛する理由
今回の復刊では、ジョブズとウォズニアックのデコボコを描いた漫画『スティーブズ』の作者・うめ先生に、作中漫画を描いて頂きました。
うめ先生には、アップル製品を日本に伝導する日本人たちを、「とにかくさえない、振り回される人たちに描いてほしい」とお願いしました。だって、この本の主役は振り回される日本人ですから。
ファンには「おなじみ」の絵だ
先ほどの水島さんも、アップル2に惚れたんであって、マックには惚れていなんです。アップル2は、マニア向けとは言え、コンシューマ商品です。基本は、アップル2はゲーム機と見てもいい。ただし、拡張スロットがあったらから、その高機能ぶりに驚いた水島さんは「これは分析に使える」と関心を持った。
そんな事情があるから、本書にも書いた通り、アメリカから日本に運ぶ時に、パソコンだと税関に引っかかってしまうのを、「これはゲーム機だ」と押し通して「密輸」できたわけです。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック Photo by GettyImages
対して、マッキントッシュはまったく違う文脈から生まれたものです。IBMのパソコンと同じように、ビジネスマシンでした。水島さんをはじめとした当時の日本人からすれば、ロックを扱っているレコード屋に、いきなりクラシックが入ってきたようなものです。その辺の面白さは、「プロジェクトX」のようでもありますよね。
そもそも、なんで自分がアップルを好きだったのかを考えると、マニア心をくすぐられたからです。
僕は、技術という言葉は「未完成」の別称だと思っています。完成すると、それは「技術」とは呼ばれなくなる。技術は未完成であるからマニア心を刺激するのであって、完全にコモディティ化したらみんな興味を示さない。アップルが面白いのは、次に何をだしてくるのか、という期待に、次々と応えてくれたからです。
iPhone]なんて、はっきり言えばエイトで性能は十分です。実用性とかもう関係ない世界です。でも鉄道模型や、無線趣味と一緒で、何か連絡したいとか目的があるわけじゃなくて、ただそこに技術が詰まっていることそのものを喜んでいる。子供の頃のままというか、ワクワクする気持ちがあるんですよね。
そういう「未来」の見せ方、研究開発の姿勢が、未完成な度合いを補ってしまっている。それが、僕がアップルから逃れられない理由です。
ジョブズが最初にアップルを去った時は、それがなくなってしまうんですよね。そしていま、iPhoneという遺産を遺したジョブズを失ったアップルが、今後どうなるか。いちばん心配しているのはアップルのトップだと思いますよ。
今は、スカリーの時代と同じように、化石燃料を使っているだけ、つまりiPhoneをはじめジョブズの遺したものにすがっているように見えます。もう、ジョブズは前回のようには戻ってきません。はたして、次の革新が生まれるのか――。
今後を占うためにも、ジョブズを再検討することが今求められているとおもっています。本当に良かった1割の部分と、誤解されている9割の部分。ITを仕事にしている人、特に若い人はいま、真正面から「ジョブズとは」と語るけれど、Windowsの全盛時代、アップルがマニアのものだった時代を知ってから再考してほしい。
僕は、日本の書き手の中で、アップル製品に費やした金額が一番高い男だと自負しています(笑)。古い時代からのアップルを知っているからこそ、ジョブズを俯瞰して見る役割を果たしていきたいですね。
(取材・文/伊藤達也)
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