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止まることを知らない勢いで進む生活保護基準の引き下げは、受給者から「ギリギリの生活」さえ奪い去りかねない。制度改悪の危険な現状とは?(写真はイメージです)
「ギリギリの生活」さえ許されない生活保護引き下げの悪夢
http://diamond.jp/articles/-/147203
2017.10.27 みわよしこ:フリーランス・ライター ダイヤモンド・オンライン
憲法改正と比べてあまりにも
たやすい生活保護制度の「改悪」
2017年10月22日の衆議院総選挙は、自民党・公明党が3分の2を超える多数となった。世の中の注目は改憲に集中しているが、私が最も気になるのは生活保護制度の今後だ。
国の最高法規である憲法は、容易に変更されてよいものではない。このため、変更にあたっては、非常に“面倒“な手続きが定められている。しかし、生活保護世帯それぞれに給付される金額である生活保護基準は、厚労大臣が決定する。運用や施行のあり方は、厚労省の通知・通達・規則類で定められる。憲法に比べると、あっけないほど簡単に変更できてしまうのだ。
2013年以後、止まることを知らない勢いで進む生活保護基準の引き下げは、生存権を定めた日本国憲法第25条の「実質改憲」「解釈改憲」なのかもしれない。それでは今、生活保護基準と生活保護制度に、何が起ころうとしているのだろうか。
今回は、社保審・生活保護基準部会と同・生活困窮者自立支援及び生活保護部会の多岐にわたるトピックの中から、特に重大と思われるものを独断と偏見で厳選して紹介する。
内容は以下の3点だ。
(1)「健康で文化的な最低限度」の生育や教育とは?
(2)一般低所得層の消費実態は、どのように参照されようとしているのか。
(3)医療扶助「適正化」のために医療費自費負担を導入してよいのか。
その前に、2013年以後の生活保護費の削減を振り返っておきたい。
2013年以降の生活保護基準削減は、私には「複数の子どもがいる生活保護世帯を狙い撃ちした」かのように見えてならない。下のグラフは、2013年1月に厚労省が公開した資料「生活保護制度の見直しについて」の5ページの表から作成した、都市部での生活保護費の生活費分の引き下げ幅を、世帯構成別に高いものから低いものへと並べたものだ。
◆2013年〜2015年 生活扶助引き下げ率(都市部・%)
左側、つまり引き下げ率が高かった側には、子どものいる夫妻・母子世帯・比較的若い単身者が並ぶ。私は当時から、この人々に対する「費用が足りなくなっても、働けばなんとかなるでしょう?(働けないとすれば、あなたの努力不足)」というメッセージを感じとってしまっている。
なおこの他、2人以上の世帯に対しては家賃補助(住宅扶助)の引き下げ幅が大きい。さらに、世帯の人数が多いほど引き下げ率が高まる形での「見直し」多数も行われている。
「働けるはず」の人々を狙い撃ち
2013年以後の生活保護基準削減
子育て中の親は、年齢で言えば「働ける」とされる20〜65歳であることが多い。とはいえ、子どものいる生活保護世帯の親は、「心身とも健康で、“雇われ力”が高く、求職活動に励めばすぐ就労できる」とは限らない。生活保護費が削減されてどうにもならなくなったら、「だから働く」という成り行きにはならず、働けないまま厳しい生活の中で活力を失うことになりがちだ。子どものいる世帯では、「お金が足りない」ことの影響が直ちに子どもに影響するだろう。
長年にわたって東京都内の生活保護の現場で働いてきた社会福祉士の田川英信さんは、2013年以後の引き下げの影響を現場で見ていた。「生活保護の職場にいて、引き下げの影響が多大過ぎることを痛感していました。生活保護利用者は、家電製品が壊れたり、冠婚葬祭などで思わぬ出費があった際に、余力がないから困り果てる方が多くいます。また交際費が工面できず社会的に孤立している方も多いです。『かつかつの生活で、ただ死なないだけ、楽しみがない』ともよく言われました」と語る。
「それなのに」なのか、あるいは「それだから」なのかはわからないが、生活保護基準部会で現在進んでいるのは、「子どもの健全育成に必要な費用は?」という検討だ。
私が最も気になる動きは、「『健康で文化的な最低限度』の生育や教育とは?」に関する検討だ。
生活保護基準の計算は、1984年に現在と同じ「水準均衡方式」が導入されて以来、最初に標準3人世帯(30代・20代の両親+4歳の子ども)の「最低限度」の生活費を計算するところから始まる。このとき、一般低所得層の「消費実態」が「参照」される。一般低所得層とされてきたのは、所得の低い方から世帯数で10%まで。財務省は、この「10%」をさらに低所得側の「2%」などに変更することを厚労省に要請しつづけてきたが、厚労省は抵抗してきた。
生活保護基準以下の所得で暮らす世帯の「消費実態」を「参照」するという、冷静に考えてみると意味を理解するのに苦労する方式には、当時の生活保護関連審議会の委員たちの精一杯の抵抗が含まれている。「今よりも高くしてほしいと言える状況ではないけれども、せめて下げさせないように」ということだ。
この「10%」は、大ざっぱに言うと「ギリギリだけど社会生活を営める」ラインとして設定された。下着や食物など、他人から見えない何かを節約することで、「おつきあい」が辛うじて維持できるということだ。さらに所得が減っていくと、とりあえずの生命維持、「まだ死んでいない」という状態を維持するために、他のあらゆるものが犠牲になる。
今年度以来、生活保護基準部会で厚労省が進めているのは、「一般世帯との均衡だけではなく、子どもの貧困対策の観点から生活保護制度において保障すべき子どもの健全育成にかかる費用の範囲及び水準」を、生活費を含めて検証することだ(下線は筆者による。資料2ページ)。
現在までに、「子どもの健全育成にかかる費用」に加え、親が2人の場合と1人の場合で必要な費用に差はあるのかどうかという検討も行われている(資料1ページ)。
子どもの貧困対策の観点から見れば、子どもの育つ家庭の貧困を解消することほど確実な対策はない。子どもの学力と家庭の経済状況には密接な関係がある。最も貧しい層の最も勉強する子どもは、最も豊かな層の最も勉強しない子どもより学力が劣ることは、2013年にお茶の水女子大学の研究が明らかにした。
役所文書を読み慣れすぎている私には、どうしても「生活保護制度において保障すべき子どもの健全育成」の意味は「貧困状態にある家庭は貧困のままにしておいてよい」、「子どもの貧困対策」の意味は「生活保護世帯の子どもが、成人後に生活保護世帯をつくることを避ける」と解釈するのが最も自然に見える。
生活保護世帯の子どもの生育と
教育は「この程度でよい」のか?
正直なところ、私は資料を読んだだけで目眩を覚える。傍聴すれば、基準部会の委員たちが厚労省の示した政府方針に強く抵抗する姿を時間いっぱい見聞した後、厚労省を出た途端に涙が止まらなくなる。また出張が多く東京に不在のことも多いため、本年7月以後は傍聴していない。
しかし、厚労省の作成した資料を見る限り、「健康で文化的な最低限度」の生育と教育のラインを設定するという“こだわり”は現在も維持されている。所得階層が10%刻みではなく20%刻みになっており、「生活保護世帯と、主に生活保護以下の所得階層を比較する」という検討がされていないのは、せめてもの救いだ。これは、基準部会の委員たちが、おそらくはその比較をさせない目的で、所得階層を細かく分割することに抵抗した結果だ。
傍聴した方々の話によると、基準部会の委員ほぼ全員が、「生活保護世帯の子どもの生育と教育はこの程度でよい」という考え方に強い抵抗を示し、所得が下がるごとに子どもが「剥奪」されるものが何なのかを検討すべき、という意見もあるようだ。政権が「引き下げる」と決めれば、台風の中で舞い散ってしまう木の葉のような抵抗ではあるが、最後まで希望を捨てずに成り行きを見守りたい。
一般低所得層の消費実態が
「物価偽装」されている危惧
2点目の危惧は、「一般低所得層の消費実態は、どのように参照されようとしているのか」である。
2013年1月、突如として厚労省独自の物価指数「生活扶助相当CPI」が提示され、物価下落を最大の理由として、大幅な生活保護費用の生活費分(生活扶助)引き下げが実施された。中日新聞編集委員の白井康彦氏は、「生活扶助相当CPI」が引き下げを導くためにつくり出されたものであることを直後に見抜き、著書において「物価偽装」と述べている。生活保護基準引き下げに抗議する「、いのちのとりで裁判」では、今、全国各地の地方裁判所において、この「物価偽装」が争われているところだ。
本年は、2012年に予定されていた生活保護基準見直し(実際には2013年)の、予定されていた5年後の見直しにあたる。厚労省は、、全国消費実態調査の2009年・2014年データを比較することで見直しを行おうとしている。しかし、傍聴した方々によれば、委員たちは厚労省に対し、「なぜ高齢女性世帯が多い全国消費実態調査を使うのか」「年間3ヵ月だけの全国消費実態調査より、通年の家計調査のほうが信頼度が高いのに」「サンプルサイズが小さすぎる」「男女格差の影響は」と鋭い質問の数々を発したという。
現在、「いのちのとりで裁判」を事務局員として支える田川英信氏は、「厚労省は、過去にも、生活保護基準部会などの委員会が出した報告書を尊重せず、”良いとこ取り”で重大な決定を下してきました。委員の多くは、厚労省に不信感を抱いています。また委員の中からは『消費水準の比較では無理。生存権保障としてふさわしい保護基準を厚労省が示すべき』という意見も出ています」と語る。私も、ぜひそうしてほしい。生存権が保障されたとき、どういう生活ができるのか。「生活保護だから無理」「生活保護ならこの程度」はどこまで許されるのか。厚労省の責任で示してほしい。
私から見れば、生活保護基準は現在すでに「低すぎる」といってよいレベルだ。これ以上下げるのであれば、時間をかけて「ツッコミどころ」のない検討をしてほしい。この他、「高齢単身世帯」を新たに生活保護費計算の基準に含めることにより、高齢でない単身世帯に対して大きな引き下げが行われる可能性など、懸念の種は数え切れない。
医療費自費負担への懸念
受給者と医療をめぐる偏見
最後に、懸念の3点目である「医療扶助『適正化』のために医療費自費負担を導入してよいのか」について述べたい。この検討は、生活保護基準部会ではなく、生活保護法の再改正を前提に設置された社保審・生活困窮者自立支援及び生活保護部会で行われている。
生活保護費総額のおおむね半分は、医療費で占められている。この背景には、精神科長期入院(生活保護費全体の約12%)もあれば、がんや難病などに罹患している医療ニーズの高い人々が多いこともある。また、「貧困ビジネス」化している一部医療機関の問題もある。
しかし、「医療費の自己負担がないからといって、不要な医療を欲しがる生活保護受給者」という都市伝説は根強い。この都市伝説を背景に、「窓口での自己負担を導入すれば、生活保護受給者が不要な医療を求めることはなくなるのでは」という検討が行われている。
しかしもともと、「無料だから」と安易に医療機関を利用する生活保護の人々(頻回受信者)は多かったわけではない。さらに対策が行われた結果、現在は過去の半分以下になっている。このことは、他ならぬ同部会の厚労省資料の4ページに、「未だにやめられない人は、精神面の疾患・障害を抱えていたり、社会的な居場所がなかったりする場合も」「生活保護世帯の子どもの受診率は一般世帯より低い」という事実とともに示されている。「無料だからといって安易に医療を使う生活保護の人々」が都市伝説であることは、厚労省も認めているのだ。
この自己負担は、いったん立て替えるだけで、手続きをすれば後で戻ってくる形にすることが検討されているのだが、生活保護で暮らす人々は、そのような作業を問題なく行えるとは限らない。むしろ、事務作業・証票の取り扱い・文字の読み書きなどに困難を抱えていることが珍しくない。立て替え分の返戻の手続きが問題なく行えるとしても、一時的に「健康で文化的な最低限度」の保護費からの持ち出しが行われることになる。
もしもこれが制度化されたら、医療を受ければ「健康で文化的な最低限度の生活」が損なわれることを、国が堂々と認めて制度化するということになる。もはや生活保護制度による憲法の無効化、「壊憲」ではないだろうか。
生活保護という希望の制度に、今後も希望を持ち続けたいけれど、明るい材料は何ひとつ見つからない。しかし本年2017年は、小田原市で開催された「生活保護行政のあり方検討会」に、生活保護で暮らした経験を持つ和久井みちる氏が有識者委員として参加するという、史上初の快挙があった記念すべき年でもある。生活保護という経験を評価されて公的機関の有識者委員になった人は、過去にいなかったのだ。
「2013年以後に行われた、過去最大規模の生活保護基準引き下げで当事者の生活がどうなっているのかを知るために、まず当事者の声を聞き、困窮実態を理解し、それから決定してほしいです」(田川氏)
現在約220万人の生活保護受給者たち、人数でいえば最大のステークホルダーを置き去りにして、生活保護に関する物事が決められたり進められたりしてよい理由はない。とりあえず私は、障害者運動の世界統一スローガン「Nothing with us without us(私たちのことを私たち抜きに決めるな)」を心の中に煮えたぎらせながら、成り行きに関心を寄せ続け、泣きながらでも関連部会の傍聴を再開しようと思う。
(フリーランス・ライター みわよしこ)
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