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「財務省依存の日銀に独立性はない」木内・前日銀審議委員が激白!
http://diamond.jp/articles/-/143810
2017.9.28 ダイヤモンド・オンライン編集部
日本銀行が「2%物価目標」の旗を降ろせず、国債を買い続けるのはなぜなのか。「官邸主導」の下で異次元緩和を修正すれば、アベノミクスの失敗を認めることになりかねないからだとの声もある。政治に対する「独立性」はどこまで維持されているのか。DOL特集「砂上の楼閣 日本銀行」4回目では、今年7月に退任するまで「異次元緩和」の拡大に反対し続けた、前日銀政策審議委員の木内登英・野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストに「内側から見た日銀」を聞いた。(聞き手 ダイヤモンド・オンライン特任編集委員 西井泰之)
政策委員会の議論には
最初から違和感があった
──黒田東彦・総裁就任後に始まった「異次元緩和策」を拡大することに、反対票を投じていました。
審議委員になったのはその約半年前ですが、日銀内でなされていた議論には最初から違和感がありました。
本来の金融政策の役割は、実体経済が、望ましい物価水準や需給ギャップと乖離していれば、それを修正することです。そういう意味で、本来は「短期的」な手段なのですが、政府は日銀に「脱デフレ」の責任を負わせ、構造的な変化を促す“手段”として使おうとしていました。
木内登英(きうち・たかひで)/野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミスト。1987年野村総研に入社。エコノミストとして職歴を重ねた後、2004年に野村證券に転籍。2007年に経済調査部長兼チーフエコノミストとして日本経済予測を担当。2012年から5年間、日本銀行政策委員会審議委員を務めた後、現職。Photo by Yasuyuki Nishii
先進国でかつてのようには物価が上がらなくなったのは、IT化やグローバル化、人口減少などの構造変化があります。それを金融政策だけで対応しようとするのは、そもそも限界があったのです。
ただ、異次元緩和を始めた13年4月頃はまだ需給ギャップもあり、物価上昇率も1%未満でしたから、金融政策で何らかの手を打つことは正当化されると考えました。しかし、当時でも「2%」目標は達成するのは難しいと思っていたし、無理な目標を追い求めると、異次元緩和の期間が長期化してしまう。そうなれば、相当な副作用が生まれるだろうと心配していました。その後の現実を見れば、こうした心配が現実のものになってしまったことが分かると思います。
黒田体制では反対派の説得や
歩み寄りはなかった
──前任の白川方明総裁と黒田総裁とでは、緩和に対する考え方はどのように違っていましたか。
白川時代は伝統的な金融政策の考え方で、総裁自身も緩和拡大に慎重でした。それでも、拡大を求める声に押されて長期国債やリートなどを購入するなど、かなり踏み込みました。
それでも、金融政策でどこまでできるのか、中央銀行としての“のり”を越えない範囲で何ができるのか悩みながらでした。しかし、話が専門的になって分かりにくかったため、世の中には理解してもらえず、最終的には「マネーをもっと増やせ」「長期国債をもっと買え」「物価目標を作れ」といった政治の声に押し切られました。
それに対し黒田総裁は、最初から大胆にやったことに加え、手法も分かりやすかったことが評価されました。しかし、「強気の発言」だけでは実際の経済は動きません。今は、思い切りの良さが、かえってひどい副作用を生じさせてしまうのではないかという不安の方が強くなっていて、裏目に出ている感じです。
──政策決定会合などの議事運営も違いましたか。
総裁のキャラクターの違いもあるかもしれませんが、白川時代は全会一致にならないにしても、合意を模索しようという姿勢でした。それが、黒田体制では少数派に回った審議委員の意見を取り入れたり、議長案を受け入れるよう説得したりするといった努力はなかった。それは黒田体制なって、議長提案が「5対4」の僅差で可決されることが増えたことに表れています。
もともと、決定会合の議論だけで全て決まるということではなく、日銀の事務方とは、経済状況の報告を受けたり議論したりして、お互いの景気認識を確認していました。議長案もそうした過程を経て作られます。事務方も、決定会合で議長案への賛成が過半数を割ったら大変だから、ある程度、審議委員の票を読んだりするわけです。
意見が分かれていても、説得したり対話したりして歩み寄った妥協点のところで採決すれば、もう少し賛成多数になるはずですが、黒田総裁の時はそういうプロセスはありませんでした。
決定会合で、反対意見が全く無視されたというわけではありませんが、議長案と反対派の審議委員の間で、侃々諤々の議論をするというわけでもありませんでした。無視されるのと中間ぐらいのイメージです。少数意見として否定されたとしても、それが次の決定会合の議長案に生かされるのが委員会制度の理想だと考えるのですが、そうはなっていないのが実態です。
メンツにこだわって
日銀自体が「自縄自縛」に
──「2%物価目標」を選挙公約で掲げた安倍首相が送り込んできた総裁の方針を、翻すのは難しいとは感じませんでしたか。
物価目標は黒田総裁自身の考えでもあるし、首相との距離が近すぎて政府にコントロールされている、というのは言い過ぎだと思います。
それに、日銀の職員は選挙で選ばれたわけではありませんし、政策を選挙で公約として掲げ、それを国民が支持した政権から任命された総裁、副総裁の下で実行するというのは、民主主義の一つのやり方です。民主的なプロセスの下で、民意が政策に反映されるというのは、考え方としてはおかしくはありません。
ただ、選挙は金融政策だけを争点にして行われたわけではありませんし、民意をくみ取って金融政策をやるのは難しい面があります。専門的な知見が必要ですから、一般の人が判断するといっても限界があります。そこは安心して専門家、つまり日銀に任せますとなるわけです。
物価目標にしても、数字や達成時期は少し幅を持たせながらではありますが、信頼して任せてもらう代わりに、日銀も国民に説明責任を持つというのが、金融政策における民意との関わり方ではないでしょうか。
しかも今の状況で、首相や政府は、物価目標などを修正することで、「アベノミクスが失敗だった」というメッセージが伝わることは嫌がっているでしょうが、2%目標に強くこだわっているかといえば、それほどでもないように感じます。
それなのに、日銀がメンツにこだわったり、金融市場の反応を怖がったりで、自縄自縛に陥っている面があります。物価目標を「中長期の目標」と位置付け直せば、金融政策ももっと柔軟にできる。逆に言うと、位置付け直せなければ、異常な金融緩和状態の正常化はできないでしょう。
財務省は日銀を
「子飼い」だと思っている
──政府と日銀の関係についてはどのように感じましたか。「デフレ脱却」について政府と結んだ「アコード」でも、政府は財政再建や構造改革に取り組む約束をほごにしておきながら、金融政策に役割を押し付けている感じがします。
まず日銀は、政府が出資し、収益の一定部分を「納付金」として政府に納めることになっていますから、完全な独立運営ではありません。だから政府に対して何でも注文できるかというと、そうではないのが現実です。特に財政の問題は、「財政再建を是非、進めてほしい」ぐらいは言えますが、「(財政再建を)やってないじゃないか」なんて言おうものなら、財務省からものすごい勢いで反撃されるでしょう。
総裁の記者会見などでの発言だけでなく、スタッフが書く論文でもそうです。だから、財政改革が進んでいないなどと批判めいたことを書くことを自粛してしまう。私も審議委員の在任中は、「構造改革を進めることが望ましい」ぐらいまでは言えましたが、それ以上は踏み込んでは言えませんでした。
──日銀の独立性は、日銀法改正で担保されたはずなのに、逆に政府や与党による金融政策への介入が強まっている印象を受けます。
日銀は、以前から面倒な与党などとの折衝は財務省に依存していましたし、逆に財務省は日銀のことを「子飼いだ」と思っています。だから日銀は、頭が上がらないのです。政府や財務省とはそういう力関係なのです。
独立性を維持するということで言えば、まず組織としての力が弱いと思います。日銀法改正によって独立性を付与されたために、政府と対峙したり、国会や与党に呼ばれて説明したりといった、政治と直接向き合う必要が出てきました。しかし、それをやれる人材、ノウハウが確立されていません。金融の専門知識はありますが、政治や行政などの経験がないので、交渉力が弱いわけです。
しかも最近では、日銀が緩和拡大に動かないと、与党が何かにつけ「日銀法を再改正するぞ」と言い出すようになっています。日銀は、独立性を再び制限されてしまうのではないかと、非常に神経質になっていて、結局、政治に強く言えなかったり、引っ張られたりするわけです。
官邸は人事で金融政策に介入
外から与えられた“独立性”
さらに言えば、理由の一つには人事もあります。日銀総裁には、日銀出身者か財務省出身者がなることが多い。黒田総裁も、財務省の元財務官です。役人として長く働くと、法案や予算の策定に当たって政治家との付き合いは増えますし、政治家に対する“所作”が身に付きます。一方で、その分、しがらみも生まれます。総裁が、霞が関とはまったく違う世界から来れば、そうしたものはなくなるかもしれません。
政策審議委員についても、経済や金融に識見がある人を選ぶということになっていますが、現実は「政府の意向を反映してくれる人」が選ばれるようになってきました。2%目標を主張する人が「見識がある」ということで選ばれ、結果的に政府の介入を許してしまう。いわば、合法的に独立性が侵されてしまうわけです。
──日銀自身は独立性をどう自覚しているのでしょう。
もともと日銀法改正は日銀側から求めたのではなく、政治の方から言い出したものです。接待汚職などを機に、権限が過度に集中した当時の大蔵省改革の一つとして出てきた話だからです。そのため、中央銀行の独立性という意味が十分に理解されて、法改正されたかどうかは疑問です。一方の日銀自身も、組織としてどこまでその意味を消化しているかは、はっきりしません。
日銀法では「自主性」という言葉になっていますが、独立性というのは、日銀が決めたことを政府も国会も尊重するということです。しかし議決延期権を行使した「ゼロ金利解除」の頃から、政府が日銀を牽制するようになり、法改正の趣旨に対する意識が薄れていったように思います。
日銀自身は、独立性というものは旧法の下でもあったし、新法で法律に書かれたからといって、独立性が急に高まるわけではないという考えです。
結局、独立性や公正性を維持するには、日銀や金融政策に対する国民の支持が必要なのです。そう考えると、量的緩和策も細かい点はよく分からないにしても、「マイナス金利」の前ぐらいまでは、国民の支持を得られていたと思います。
しかし「マイナス金利」以降は、かなりの反発が出ました。マイナス金利政策がどの程度、理解されてのことかは分かりませんが、やはり最も重要なのは国民の信頼です。
異次元緩和策もここまで不信感が強まると、中央銀行の存在感が危うくなります。それで、自分なりになんとかしなければという思いから、決定会合では反対を言い続けたわけです。
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