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休日や定時後も電話対応…CSや顧客第一主義が従業員を潰す!そもそも日本人には不要
http://biz-journal.jp/2017/08/post_20248.html
2017.08.20 文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士 Business Journal
■CSが必要とされるのはどんな社会か?
宅配業界の過酷さについては、かねてから指摘されてきたが、この春、衝撃的な動画が世間を騒がせた。佐川急便のドライバーが配達途中で荷物を地面に投げつけたり蹴飛ばしたりとキレまくる様子が撮影され、インターネット上で流されたのだ。これに対して、「とんでもない」と呆れる声もあったものの、同情する声も多く、改めて宅配業界の過酷さが注目されることとなった。
ちょうどその頃、拙著『「おもてなし」という残酷社会』(平凡社新書)において、CS(顧客満足)などという日本社会には不必要な概念を取り入れたのが間違いだったと指摘したところであったため、この件についてよくコメントを求められた。
私が主張したいのは、働き方改革などといってさまざまな試みが行われようとしているが、「海外ではこんなふうにしている」「日本は遅れている」「だから日本もそれを取り入れるべきだ」といった安易な姿勢が問題だということだ。文化的要因・心理的要因を考慮しない改革は、必ず深刻な弊害を生む。
では、なぜCSという概念は、わざわざ日本社会に取り入れる必要がなかったのか。海外に行くと、店員がたとえ笑顔を振りまき友好的な雰囲気を醸し出したとしても、けっして客の気持ちや立場に寄り添うことなく、あくまでもマイペースで動き、自分の立場で言いたいことを言ってくるのに驚かされる。そんな経験がないだろうか。
小さなスーパーでレジに並んでいると、店員が腕時計を指差し、5時半から30分間休憩に入るから、買いたければ30分後に来てくれと言ってレジを閉める。並んでいた客たちは肩をすくめるくらいで、誰も文句を言わずにそこを離れる。日本だったら並んでいる客をさばいてからでないとレジを閉めにくいだろうが、個人主義の観点からしたら当然の権利の行使だ。
購入した商品に不具合があり、交換を求めると、淡々と手続きをしてくれるものの、責任を感じて恐縮する様子はない。商品の不具合は生産者のせいであり、販売者の責任ではないから、個として生きる社会では当然の態度なのだろうが、日本だったら、販売者の責任ではないとはいえ、申し訳なさそうに謝り、丁重な態度で応対するはずだ。
これでCSは日本には必要ないということの意味がわかるだろう。誰もが自分の立場に立ちマイペースで行動するアメリカでは、もう少し消費者の立場に立った対応が必要だということでCSという概念が生まれた。だが、日本ではもともと消費者の立場に立った対応が行われてきた。消費者に対するときに限らず、日本社会では感じ悪くならないように、気分を害さないようにと、常に相手の気持ちや立場を気遣いながら人とやりとりしている。
それなのにCSなどといったものを強調するようになったため、日本の従業員たちは自分の身を守ることができなくなり、どこまでも無理を強いられるようになった。冒頭で紹介した佐川急便の事件も、まさにそうした流れを象徴する出来事といえる。
■「自己中心の文化」と「間柄の文化」では、CSの効果は真逆になる
私は、欧米の文化を「自己中心の文化」、日本の文化を「間柄の文化」と名づけて対比させている。それぞれの文化は、つぎのように特徴づけることができる。
「自己中心の文化」とは、自分の考えを思う存分主張すればよい、ある事柄を持ち出すかどうか、ある行動を取るかどうかは、自分の意見や立場を基準に判断すべき、とする文化のことである。常に自分自身の意見や立場に従って判断することになる。
欧米の文化は、まさに「自己中心の文化」といえる。そのような文化のもとで自己形成してきた欧米人は、何事に関しても他者に影響されず自分を基準に判断し、個として独立しており、他者から切り離されている。ゆえに、いつもマイペースなのだ。
一方、「間柄の文化」とは、一方的な自己主張で人を困らせたり嫌な思いにさせたりしてはいけない、ある事柄を持ち出すかどうか、ある行動を取るかどうかは、相手の気持ちや立場を配慮して判断すべき、とする文化のことである。常に相手の気持ちや立場を配慮しながら判断することになる。
日本の文化は、まさに「間柄の文化」といえる。そのような文化のもとで自己形成してきた私たち日本人は、何事に関しても自分だけを基準とするのではなく他者の気持ちや立場を配慮して判断するのであり、個として閉じておらず、他者に対して開かれている。ゆえに、たえず相手の期待が気になり、できるだけそれに応えようとする。
「自己中心の文化」では、CSを強調し、消費者の声を重視することによって、従業員の自分勝手な顧客対応が減ることが期待できる。このようにマイペースで動く文化圏では、CSを強調することも必要だ。だが、相手の気持ちや立場への配慮に価値を置く「間柄の文化」において、あえてCSを強調し、消費者の声を重視したりすると、従業員は自分の身を守ることができなくなる。
■従業員の身を守るために必要な組織対応とは?
人間というのはもともと自己愛が非常に強い生き物だが、顧客第一主義のいき過ぎにより、消費者の自己愛はますます増長し、相手による気遣いを当然のこととみなし、無理難題も平気で押しつけるようになった。お互いに相手を気遣い合う心地よい世界のバランスが崩れた。CSが、日本社会でうまく機能していた「お互い様」の精神を壊したのである。
顧客の都合を優先させるのが当然といった空気がつくられ、従業員は勤務時間を過ぎても電話対応に追われる。休日でさえ、携帯電話にかかる取引先からの電話に出なければならない。日程的にも人員的にも無理な要求でも、無理と言えずに、無理して対応する。「自己中心の文化」の住人のように、勤務時間でないからといって無視できないし、「それは無理です」と自分の都合を主張しにくい。
たとえば、宅配ドライバーは「自己中心の文化」であれば、自分のペースでけっして無理せずに配達するだろうが、「間柄の文化」では、どうしても相手のことを考えてしまう。早く届けよう、指定の時間に間に合わさないといけないと、たえず時間に追われ、最大限のペースで動き続ける。そんなとき、受け取る客の側から「ありがとう、ご苦労様です」といった言葉があり、再配達の際も「二度手間をかけてすみません。助かりました」といった言葉があれば、無理して動いているドライバーの気持ちも救われる。
だが、CSが強調され、過度なお客様扱いが横行するようになって、こうした「お互い様」の精神が崩れてしまった。必死になって届けても、「ご苦労様」といったねぎらいの言葉もない。指定の時間にいなかったのに、再配達しても申し訳なさそうな様子もなく、当然のように無言で受け取る。再配達の受付時間を過ぎても、「これから届けてくれないと困る」といった要求をする客さえいる。こうしていき過ぎた顧客第一主義が、消費者のわがままな心を増長させ、労働者を追い詰めている。
そこで今必要なのは、CSなどという概念に引きずられるのはやめて、従業員が身を守れるような無理のないシステムを組織として構築することだ。「間柄の文化」では、個人の権限で身を守るのは難しい。個人に任せておくと、どうしても顧客の都合に合わせて無理をしてしまう。「こういう対応はしなくてよい」といった方針を組織として打ち出し、顧客を有無を言わさず納得させるシステムをつくるのである。たとえば、勤務時間以外には顧客からの電話には出ないというような、具体的な指針を打ち出し、顧客にも理解を求めるのである。
自己主張をぶつけ合う闘争の社会の真似をするのではなく、お互いに相手を気遣い合う日本社会の特性を考慮した働き方改革が求められる。いくら制度を変えても、文化的要因・心理的要因への配慮がなければ効果は期待できない。そこのところをもっと強く認識すべきであろう。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)
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