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銀行の大淘汰が始まった!「手数料で荒稼ぎ」時代の終焉 金融庁は本気だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51609
2017.05.02 橋本 卓典 共同通信社経済部記者 現代ビジネス
なぜその商品をすすめるのか?
筆者が銀行窓口に行ったときのことだ。キャッシュカードの暗証番号を変更するためだっただろうか。手続きをしているあいだ、受付の女性担当者(テラー)から突如、話を振り向けられた。
「お客様、資産運用のお考えはございませんか。貯蓄性の保険商品などご興味ありますか」
おそらく、預金100%という筆者の資産構成(ポートフォリオ)を画面で確認し、資産運用の「ド素人」と値踏みし、販売のチャンスとばかりに話を持ちかけてきたのだろう。
貯蓄性保険商品とは、掛け捨て型の保険とは異なり、保障に加え、貯蓄も同時にできる商品だ。一方、掛け捨て型に比べ、手数料は非常に高く、しかも途中解約をすれば損は免れず、長期間払い続けるしかないという一面を持つ。
「どんな商品があるのですか?」
さも関心があるかのように取り繕い、ひとしきりテラーの説明する外貨建てや終身保険など2〜3の金融商品の話を聞いたあたりで、核心の質問をぶつけてみた。
「あなたはどれくらいの数の商品を暗記しているのですか?」
え、という一瞬戸惑う表情を浮かべたテラーだったが、案外素直に教えてくれた。
「5つ、ですね」
誠意あるテラーの方をだまして申し訳なかったが、筆者はこの答えが聞きたいだけだった。
テラーの立場では当然だろう。銀行業務という、じつに複雑多岐な仕事を迅速かつ正確にこなさなければならない、非常に神経を使う仕事を要求されるテラーにとって、金融商品の販売までしなければならないとなると、もはや悪夢だ。せいぜい5つくらいの暗記が関の山だろう。
テラーの方々の苦労に思いをはせていると、一つの疑問が湧いてきた。この銀行はどうして数ある金融商品の中から5つを選び、テラーに売らせているのだろうか。
他の商品ではなく、5つの商品の何が違うというのか。どこがオススメポイントなのか。そもそも誰がどう選んだのか。
残念ながら、遂にこのテラーからは、その説明はなかった。まさか全国に展開する支店で働くテラーが、それぞれ勝手に「オススメ商品」を選んでいるということはないだろう。
別の大手銀行では、「売れ筋商品」という一覧表が顧客に示されると耳にした。世に数多ある商品をすべて提示して「売れ筋」になったわけでもなかろう。つまり、売れ筋とは、銀行が何らかの事情で選んだ商品の中だけでの話だ。では、銀行はどう商品を選んだのか。
どうやら我々顧客には見えないところで、何かが決まっているようだ。
あなたは「売られている」
あなたは銀行であれ、証券であれ、窓口で「買っている」のではない、あなたは「売られている」のだ。
専門的な知識を有した一部の方を除いて、多くの人は銀行を信用し、依存している。しかし、その銀行が、自らの収益最大化のためだけに選んだ「オススメ商品」を売りつけてくるとしたらどうだろう。それは真に我々の資産形成につながるものなのだろうか。
投資経験もない、自分で買う気もない窓口担当者が数十万円、数百万円、場合によっては数千万円の金融商品を売っている。どうしてこのようなことが許されるのだろうか。
クルマに乗ったことがなく、愛着もない営業担当者がそのクルマを売っているだろうか。「規制されていない限り、ビジネスは自由だ」と、どのように胸を張っても明らかに異常だ。
いまの資産運用・資産形成サービスは、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
顧客に見えないところで売る商品が決まり、銀行窓口の売り手も「なぜだか分からない」「行ったことすらない」トルコやブラジルなどに投資する手数料の高い商品を顧客に売りつけ、顧客もよくわからないまま買ってしまい、損失を出して「二度と投資なんかするものか」と怒りを募らせてきた。
顧客の利益「だけ」が重要
こうした状況を受けて、金融庁のエースとして登場した森信親長官が、かつてない資産運用改革に乗り出した。
キーワードは「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty)」――。
日本語では、「受託者責任」と訳されてきたが、金融庁は「真に顧客本位の業務運営」とあえて定義を見直し、金融行政の最重要施策とした。
この新たな取り組みは、銀行、証券、保険、資産運用会社などすべての資産運用・資産形成にかかわるあらゆる個人向け金融サービスのあり方を一変させるマグニチュードを秘めている。
「要は顧客満足度を高めれば良い」
多くの金融機関は、こうフィデューシャリー・デューティーを理解しているのではないだろうか。だとしたら、それは必ずしも正しくない。むしろ危うい。
フィデューシャリー・デューティーは、長らく「受託者責任」と定義され、信託銀行や年金基金など一部の関係者の問題と理解されてきた。それを金融庁が今回、金融商品のすべての製造・販売の関係業者(リテールチェーン)にも求めると打ち出したのだから、動揺が生じるのは当然と言えば当然だ。
弁護士、会計士、税理士、医師などの「士業」を思い浮かべると分かりやすい。
我々は、自分の歯すら自分では治療できない。歯医者という専門家を世の中に輩出して、治療を任せたほうが社会として効率が良いからだ。弁護士、会計士、税理士も同じ理屈だ。
ただ、不安が残る。歯医者は、はたして虫歯を完全に取り除く治療をしてくれているだろうか。弁護士は、あらん限りの法知識を駆使してサービスしてくれているだろうか。我々患者、依頼者には知るよしもない。信じて任せるしかないのだ。
だからこそ、信じて託される士業は、何よりも顧客の利益だけを考えて行動する義務がある。これがフィデューシャリー・デューティーだ。
これは契約関係とは根本的に異なる。契約関係は、利害が一致したから結ぶ行為だ。相手の幸せを気にする必要はない。契約内容を履行するだけだ。
自分で買う気のない商品を売る銀行
金融機関の場合はどうだろう。士業そのものではないが、資産運用・資産形成の知識において、顧客に対して圧倒的な「情報の非対称性」があることに違いはない。多くの顧客は、信じて任せるしかない。
であれば、単なる契約関係で片付けられる話では済まない。ただひたすらに顧客利益のためだけに行動し、その上に自らの収益も成り立つビジネスモデルを創り出すのが「顧客との共通価値」の経営のはずだ。
ところが、銀行の営業現場では、真逆のことが起きてきた。自分では買うつもりもない高い手数料の投資信託や保険商品に営業ノルマを課して、窓口で「オススメ」して販売してきたのだ。
たとえば、高齢者に人気の毎月分配型の投資信託について、販売している銀行は「お客様が望んでいらっしゃる」「お客様は満足している」と反論するかもしれない。
しかしそれは、毎月の分配によって複利の効果が失われることや、毎月の課税によって投資効果が失われることを、顧客にしっかり理解してもらった上での「満足」だろうか? そう問われれば、説明をし尽くすことなどできないはずだ。
情報の非対称性は、常に存在する。フィデューシャリー・デューティの考え方が必要とされる背景がそこにある。
金融機関には、情報の非対称性を認識し、それを埋めるべく対策を講じ、あるいは顧客の不利益につながらないよう寄り添う行動そのものが問われている。
「顧客本位」と「顧客満足」は、イコールではないのだ。
真に顧客本位であり、持続可能な個人向け金融サービスを確立できるかは、経営の手腕にかかってくる。そして、それを金融庁は求めてくる、と認識すべきだ。
銀行の窓口担当ではもうムリ
フィデューシャリー・デューティーは、実際の金融をどのように変えるのだろう。
まず、高い手数料の投資信託や保険商品を売るのであれば、高いレベルの販売管理体制が求められるだろう。具体的には、アドバイザーとブローカーが整理されることになる。
資産運用のプロではない銀行店舗の窓口担当者に、専門知識、豊富な経験が求められるアドバイザーは本来務まらない。単に投信、保険商品をアドバイスするだけでは十分ではない。資産形成において最もインパクトがあるのは、何と言っても不動産(住宅ローン)だからだ。
投資信託や保険商品は、バランスシート(貸借対照表)で言えば、左側の「資産」に当たる。ローンなどの借金は、右側の「負債」だ。この両者を総合的に分析した上でのアドバイスでなければ、真に顧客本位な全体最適のサービスとは言えない。だが、銀行の窓口担当者の一個人にそれが務まるとは、到底考えられない。
医師と薬局の関係に例えるとわかりやすい。
薬局には、患者が持ってくる処方箋通りに薬を提供する「ブローカー(仲介者)」としての仕事が求められる。しかし、処方箋を書くのはあくまでもフィデューシャリー・デューティーが問われる「アドバイザー」、つまり医師の責務だ。
銀行の窓口担当者は仲介者に撤するとしたら、アドバイザーは誰に任せるべきか。
金融機関(やそのグループ)の組織内に専門家を置いてアドバイザーとする場合、「顧客の資産形成のためにならない販売に、都合の良い高い手数料の商品をアドバイスしているのではないか」との嫌疑が常に問われる。すなわち、利益相反の問題だ。その場合、金融庁のモニタリング(検査)をじっくりと受けることになるだろう。
フィデューシャリー・デューティーを果たしていることを証明するためには、外部有識者による監視組織の設置など、アドバイザーの研修費用のほかにもコスト負担は避けられない。
そのような責任や負担を免れたければ、アドバイザーを外部に求めるという考え方もある。英米では、独立した投資アドバイザー(IFA=Independent Financial Advisor)が一般的な存在となっているが、日本でも広がっていく機運が出てくるだろう。
このままでは市場から捨てられる
こうしたフィデューシャリー・デューティーの本当の意味を金融機関が理解したとき、収益への影響に戦慄(せんりつ)し、「株主利益は無視できない」「我々は営利企業だ」と、脊髄反射のように反発が上がるかもしれない。
しかし、その株主とはいったい誰のことを指しているのか。短期売買の株主のことだろうか。
年金積立金を長期運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、国内株式運用について、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に配慮する企業を重視して投資する「ESG投資」に乗り出す。遠からず他の年金基金なども連動すると、筆者はにらんでいる。
こうした巨大機関投資家の長期運用マネーはどこに向かうのだろう。顧客の資産形成につながるのか疑問視される投資信託や保険商品、さらにはアパートローンやカードローンなどで目先の株主資本利益率(ROE)を改善させようと必死になっている銀行に、はたして流れ込むだろうか?
短期売買の株主も、海外勢も相場を動かす力を持つ巨大機関投資家のマネーの動きは無視できない。持続可能ではないビジネスモデルは、迷走しながら行き場を失い、顧客からだけでなく、資本市場からも「捨てられる」と考えるのが、正しい経営のリスク管理ではないだろうか。
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