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【第5回】 2017年4月22日 小西史彦
平凡な人間も熱中すれば必ず「非凡」に至る
マレーシア大富豪の教え
NHKやテレビ東京、日経産業新聞などで話題の「マレーシア大富豪」をご存じだろうか? お名前は小西史彦さん。24歳のときに、無一文で日本を飛び出し、一代で、上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPである。このたび、小西さんがこれまでの人生で培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。本連載では、「お金」「仕事」「信頼」「交渉」「人脈」「幸運」など、100%実話に基づく「最強の人生訓」の一部をご紹介する。
何事も、まずは徹底的に「数」をこなす
無一文でマレーシアに飛び込み、2ヶ月で解雇されたのち、私は営業マンとしてキャリアをスタートさせました。当時の私には、営業経験はおろか、ほぼ社会人経験もありませんでした。しかも、地の利のないマレーシアですから、悪状況といえばそのとおり。
ここで、私がとった戦略はきわめてシンプルです。まずは、徹底的に「数」をこなすということ。要するに、「下手な鉄砲も数打てば当たる」というわけです。
この戦略は、若いころから身についたものです。
あれは、高校生のときのこと。私は生物クラブに入っていたのですが、あるとき、プランクトンを顕微鏡で観察してスケッチすることになりました。ところが、私はスケッチがヘタで、どう見ても実物とかけ離れている。先生や先輩からも「下手くそ」だと笑い者にされました。それが癪(しゃく)で、「だったら顕微鏡で実物を撮影してやろう」と思い立ちました。
私は、もともと写真が大好きでした。中学生のころに、牛乳配達のアルバイトを2年間続けて貯めたお金で、べらぼうに高い一眼レフのカメラを購入。ひまがあれば、写真を撮っていました。当時はまだ顕微鏡撮影は一般的ではありませんでしたが、一眼レフにアダプターを取り付ければ撮影は可能。顕微鏡で見るプランクトンは本当に美しいので、先生や先輩を見返してやろうというだけではなく、その姿を写真に収められたら素晴らしいだろうと、“マニア心”に火がついたわけです。
ところが、今のカメラのようにオートフォーカスではないので、シャッター速度や絞りなどは試行錯誤を繰り返すほかありませんでした。だから、夏休みも学校に通って、無我夢中になってデータを延々と取り続けました。徹底的に「数」をこなしたのです。そして、夏休みも終わりごろようやく撮影に成功。そのときの喜びは、いまもよく覚えていますね。
そして、2学期が始まって、いよいよ発表会当日。私は、わざわざみんなにバカにされたスケッチを最初に見せました。「私がスケッチするとこうなります」と言うと、みんながワーッと笑う。そのうえで、こう言いました。「これでは、とうていプランクトンには見えないので、顕微鏡撮影をすることにしました」。すると、「顕微鏡撮影?」とざわざわし始めました。
そして、30枚ほどの写真を見せると、みんな唖然(あぜん)としていました。最初は、先生も「まさか」と信じてくれませんでした。しかし、ちゃんとフィルムもある。シャッター速度や絞りのデータもそろっている。これらをすべて見せると、先生もようやく信じてくれました。そして、手放しで絶賛。学校でも大評判を呼びました。
それは、気持ちよかったですね。顕微鏡撮影などやったこともありませんでしたが、徹底的に撮影データを取り続ければ誰でもできる。そう思って、延々とやり続けることで、誰もやったことのないことに成功したのです。未経験のチャレンジであっても、「数」をこなせば成功できることを学んだ貴重な経験でした。
圧倒的な「数」が「質」を保証する
こんなこともありました。
大学時代には写真部に入っていたのですが、東京都大学連盟のコンテストに応募することが決定しました。テーマは「川」。まず学内でコンテストを行い、上位3人が大学連盟のコンテストに出品することになりました。
私は作戦に考えを巡らせました。写真は大好きですが、正直、才能はそれほどないとわかっていました。周りを見渡せば、自分よりセンスのいい学生がたくさんいた。だから、まともにやっても勝てるはずがないと思ったのです。
そこで、まず撮影ポイントを厳選しました。どんなに腕があっても、平凡な撮影ポイントであればインパクトのある写真を撮るのは難しい。逆に、多少腕が悪くても、特徴のあるアングルを確保できればチャンスがある、と考えたわけです。
方々を探し回って目をつけたのが、荒川大橋のそばにあった消防署の「火の見櫓」でした。私は、近所の消防署の所長に「火の見櫓にのぼって荒川を撮影したい。許可してほしい」と直談判。当初は、「危ないから」と取り合ってくれませんでしたが、しつこく懇願したらしぶしぶ許可を出してくれました。
そして、天気のいい日に狙いを定めて、夕方から明け方まで火の見櫓に陣取って写真を撮りまくりました。1000枚以上は撮ったでしょうか。陽が沈むときや夜が明けるときには、秒単位で光の具合が変化していきます。才能のない私が、狙ってベストのシャッターチャンスをとらえられるはずがない。だから、とにかく「数」を撮ったわけです。
翌日からは、暗室にこもってひたすら現像しては一枚ずつ入念にチェックする毎日。地味な作業を執拗(しつよう)に続けました。すると、1000枚のうちに2〜3枚くらいは奇跡的に美しい写真があるのです。
こうして厳選した1枚をコンテストに提出。学内選抜を勝ち抜いたのはもちろん、なんと大学連盟コンテストで金賞を受賞。平凡な人間であっても「数」をこなせば、圧倒的な「質」を生み出すことができる。このとき、私は、この真理を実感したのです。
平凡な人間も必ず「非凡」に至る
小西史彦(こにし・ふみひこ) 1944年生まれ。1966年東京薬科大学卒業。日米会話学院で英会話を学ぶ。1968年、明治百年を記念する国家事業である「青年の船」に乗りアジア各国を回り、マレーシアへの移住を決意。1年間、マラヤ大学交換留学を経て、華僑が経営するシンガポールの商社に就職。73年、マレーシアのペナン島で、たったひとりで商社を起業(現テクスケム・リソーセズ)。その後、さまざまな事業を成功に導き、93年にはマレーシア証券取引所に上場。製造業やサービス業約45社を傘下に置く一大企業グループに育て上げ、アジア有数の大富豪となる。2007年、マレーシアの経済発展に貢献したとして同国国王から、民間人では最高位の貴族の称号「タンスリ」を授与。現在は、テクスケム・リソーセズ会長。既存事業の経営はすべて社著兼CEOに任せ、自身は新規事業の立ち上げに采配を振るっている。著書に『マレーシア大富豪の教え』(ダイヤモンド社)。
マレーシアで営業を始めたときも、同じことを考えました。マレーシア全土に散らばるすべての繊維工場を訪問し続ける。とにかく、徹底的に「数」をこなすことにしたのです。
まず、マレーシア全土の繊維工場をすべて地図に落とし込みました。そして、シンガポールを車で出発して、もっとも効率的にすべての工場を訪問するルートを検討するなかで、あることに気づきました。マレーシアには13州があるのですが、イスラム文化圏の州とそれ以外の州で休日にズレがあるのです。つまり、その休日のズレをうまく組み合わせれば、1週間休みなく営業活動をすることができるわけです。
そして、シンガポールを起点にしてペナン島をゴールにするルートを策定。片道5日、往復10日をかけて、休みなくすべての繊維工場を回ることにしたのです。1ヶ月に走った距離は2往復で約5000km。休暇を取ったのは工場が停止するチャイニーズ・ニューイヤーの前後のみ。ほぼ365日マレーシア全土を駆けずり回る生活を4年間続けました。
文字通りハードワークでしたが、不思議とつらいと感じたことはありませんでした。
裸一貫でマレーシアに飛び込むというリスクを取った危機感も背景にはあったかもしれませんが、そんな悲壮感を感じたこともありません。むしろ、楽しかった。なぜなら、「移動距離」と「売上」は確実に正比例したからです。よく顔を出して、コミュニケーションをとる相手には、誰だって親しみをもちます。これは、世界中の人々に共通することです。だから、しょっちゅう営業にやってくる私に、ほとんどすべての工場長が好意をもってくれました。
「悪いが、今日は注文できないよ。でも、よかったら今晩メシでも食べていかないか?」
などと声をかけてくれる工場長が増えていきました。日本製の染料の品質は高く、欧米の染料よりも安価でしたから、このような人間関係を築くことができれば、売れないはずがないのです。
だから、私は営業活動に熱中していきました。何かを習得するのに必要なのは「才能」ではなく「熱中」。熱中して徹底的に「数」をこなせば、誰でも一人前になれるのです。現に私は、右も左もわからないマレーシアで、はじめて営業を経験しましたが、自然と営業のコツを体得(たいとく)することができました。このときの経験が、いまの私をつくったと言っても過言ではありません。セールスマンシップを身につけることができたのはもちろん、現在につながる人脈の端緒(たんちょ)もこのときに築くことができたのです。
だから、私はいつも若い人にこう言います。
どんな仕事でも、とにかく「数」をこなすことに集中しなさい。
徹底的にやれば、どんなに平凡な人間であっても、必ず「非凡」に至るのだ、と。
http://diamond.jp/articles/-/124509
2017年4月21日 橘玲
他人を信用しない国インドで”ぼったくられない”ための考察[橘玲の世界投資見聞録]
ムンバイの玄関口チャトラパティ・シヴァジー空港の国内線の到着ロビーを出ると、正面にプリペイドタクシーのカウンターがある。インドでは長年、“ぼったくりタクシー”が問題になっており、現在ではすべての空港にプリペイドタクシーが入っている。
カウンターでホテル名を告げると料金が示され、引き換えにバウチャーを受け取る。あとはタクシードラーバーにそのバウチャーを渡すだけという明朗会計で、私もいつも利用していた。
カウンターにいたのは満面に笑みを浮かべた男性で、ホテルの予約票を確認すると「703ルピー」といった。
「えっ?」と、私は思わず聞き返した。他の空港では、そんな端数を請求されたことはなかったからだ。
「Seven Hundred and Three Rupees」と、彼は相変わらずの笑顔のまま、一語一語区切るように繰り返した。
財布を見るとあいにく細かなお金がなかったので、「クレジットカードで払える?」と訊くと、大仰に首を振って「キャッシュのみなんだよ、わるいけど」という。仕方がないので、100ルピー札(約170円)を8枚渡した。
男性はそれを受け取ると見事な手つきで枚数を数えたが、まるで手品のように、私の目の前で8枚だったはずの100ルピー札はなぜか7枚になっていた。
男性は、どうだ、という顔をした。「700ルピーしかないけど、3ルピーはマケとくよ。ムンバイにようこそ」……。
誤解のないようにいうと、ここで私は「インドの空港のプリペイドタクシーは信用できない」と主張したいのではない。ムンバイ以外の空港はどこもちゃんとしていたし、なんの問題もなかったからだ。
しかしだからこそ、これは典型的な「インド体験」だともいえる。
前回の記事で私は、「いつどこで誰からどのようにだまされるかわからない」というのがインド社会(すくなくともデリー周辺の北インド)の特徴ではないかと述べた。
[参考記事]
●インドで出会った2人の紳士と「信用の根本的な枯渇」体験について
私はそれまで、空港のプリペイドタクシーを無条件で信用していた。だが「この状況でだまされることはないだろう」と安心していると、見事にだまされたりする。これが「信用の根本的な枯渇」という、日本社会ではまず味わうことのないインド体験なのだ。
インド最大の商業都市ムンバイ。夕方になるとビーチに地元の若者たちが集まってくる (Photo:©Alt Invest Com)
外国人旅行者が北インドで遭遇する「信用の枯渇」
インド社会をことさらに貶めるつもりはないし、ほとんどのインドのひとたちはちゃんとしていると幾重にも断ったうえで、外国人旅行者が北インドの観光地でどのような目にあうか説明してみたい。
アーグラの西にあるファテープル・シークリーは、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって1570年代に建設された宮廷だが、慢性的な水不足でわずか14年で放棄され、それ以降は廃墟としてほぼ完全なかたちで残された(1986年に世界遺産に登録された)。
ジャイプール(アンベール城)からアーグラ(タージ・マハル)に車で移動する途中、ドライバーに頼んで、そのファテープル・シークリーに寄ってもらったのだが、駐車場で車から降りても遺跡の入口が見当たらない。すかさず若い男が近づいてきて、「遺跡は車の乗り入れが禁止されていてバスでしか行けないが、外国人だと迷うに決まってる。200ルピー(約340円)でぜんぶ案内するよ」という。
片言の英語しか話さないドライバーに、「ここはガイドを雇わなければならないのか」と訊くと、「どうしてもというわけではないが、いてもいいんじゃないか」という。もういちどあたりを見回したが、バス停らしきものは見当たらない。なにもわからずに歩き出せば、たちまちもっとあやしいひとたちに囲まれるだけだ。そう考えて、遺跡まで連れて行ってもらえばいいという感じで彼に案内を頼むことにした。
バス停は、駐車場から土産物屋の並ぶ通りを5分ほど歩いたところにあった。ガイドの話ではバス停から遺跡まではかなりの距離があり、「いまは大型観光バスが到着したばかりでものすごく混んでいるから大変だ」と繰り返す。
「自分はバイクを持っているから、それに乗ればすぐに着く。そっちの方がずっと楽だよ」
その誘いを断ったのは、たんにバイクの二人乗りが好きではないからだった。
遺跡に向かうマイクロバスはたしかにツアーの外国人客でいっぱいだったが、1台待てば難なく座れた。関係者以外の車は入れないので渋滞もなく、7〜8分で遺跡前のチケット売り場に到着した。
バスを降りるとバイクで先回りしていたガイドが手を振っている。近づくと、遺跡とは別の方向に案内しようとする。
不思議に思って「遺跡の入口はそこでしょ」と訊くと、「その前にバザールを見学するんだ」という。
そのときまでに私は、「バザール」が観光客向けの土産物屋の別名だということを学習していた。さすがに頭にきて、「遺跡を見に来たんだから、ショッピングなんて冗談じゃない」と、ガイドを振り切ってチケット売り場に並んだ。
ガイドは追いすがってきたものの、なにもいわずに私の後ろにぴったり身を寄せているだけだ。すると今度は、「入場料は500ルピー。それとは別に税金が10ルピーで、ぜんぶで510ルピーだよ」と親切に教えてくれるひとがいる。
礼をいって窓口で510ルピー払いチケットを受け取ると、その親切なひとが「200ルピーで英語ガイドはどうだい? 興味深い遺跡の歴史を案内するよ」と声をかけてきた。私が駐車場で雇ったガイドは遺跡のなかに入る資格を持っておらず、チケット売り場まで案内することしかできなかったのだ。そこには遺跡の公認ガイドがたむろしており、彼らの前で露骨な客引きはできないから、私のうしろに黙って立つしかなかったのだろう。
そう考えれば、彼がなぜバイクの二人乗りを熱心に勧めたかわかる。バイクに乗れば、そのままどこかの土産物屋に連れて行かれ、なにか買わなければそこから出られない仕掛けになっているのだ。
ガイドブックによれば、遺跡のガイドを雇うと、あとでかなりしつこく土産物屋に誘われるそうだ。駐車場のガイドが、私が遺跡に入る前になんとかして土産物屋に連れ込もうとしたのはそれが理由だろう。
幸いなことに、次々と寄ってくる遺跡のガイドを問答無用で断ったから、それ以上不快な思いをすることはなかった。そんなことができたのは、その前の駐車場のガイドのおかげでじゅうぶん気持ちがすさんでいたからだ。もっとも、それでこの世界遺産をこころから楽しめたわけではないが。
ムガル帝国の“失われた都” ファテープル・シークリー (Photo:©Alt Invest Com)
チケット売り場前。「誰もがだまそうとしているのではないか」という気になってくる (Photo:©Alt Invest Com)
インドの客引きは「Pushy」
デリー、ジャイプール、アーグラは「黄金の三角形」と呼ばれ、北インドの代表的な観光ルートだが、個人旅行者にとっては悪名高い“ぼったくりルート”でもある。それは、観光業で生計を立てる競争がきわめて厳しいからだろう。
インドの客引きをひと言で表わすとすれば、「Pushy」がいちばん相応しい。「ひたすらPushしてくる」ことで、「強引」とか「押しが強い」と訳されるが、いちばんぴったりくるのは「しつこい」だ。どんなに断っても、彼らは一歩も引かないのだ。
しつこい客引きを断るには、怒鳴りつけるように「No!!」とか「Get out of here!(消えちまえ!)」とかいわなければならない。「忖度の国」日本では相手を怒鳴るなどという機会はめったにないが、インドでは1人断っても次々と別の客引きが寄ってくるから、それを繰り返しているうちにすっかり消耗してしまうのだ。
Pushyなのは客引きだけではなく、北インドではオートリクシャーからタクシーまで、すべてのドライバーが外国人旅行者を土産物屋に連れ込もうとする。デリーでホテルのタクシーを半日借り切って市内を観光することにしたのだが(1300ルピー≒2200円だった)、そのときのドライバーとの会話はこんな感じだ。
「観光のあと、俺の従兄弟がやっているカーペットの店に行かないか? そこはデリーでも最高の品物を格安で扱ってるんだ」
「絨毯なんか買っても、重くて日本に持って帰れないよ」
「だったら宝石はどうだ? ジャイプール産のルビーやエメラルドが半額で買えるんだぞ」
「興味ないし、プレゼントする彼女もいないよ」
「カシュミアやシルクのサリーやストールはどうだ。ものすごくいい品なんだ」
「あのねえ、買い物する気はないっていってるだろ」
「ほんとうにいい店なんだ。これまで日本人の観光客を何人も案内したけど、みんな大満足だよ」
「だから、行きたくないよ」
「いや、ぜったい行ったほうがいいよ」
最初は穏便に済ませようと思ったものの、ここまでしつこいとさすがに喧嘩腰になってくる。
「いいたくはないけど、これ以上繰り返したら君のことをホテルのマネージャーに報告しなければならなくなるよ。黙っていわれたところに行けばいいんだよ」
ようやく断ったものの、この時点で気分はものすごく悪くなっていて、観光どころではなくなっているのだ。
こうやって警戒していても、土産物屋に連れ込まれるのを完全に避けることはできない。その前日の午後は、デリーの観光名所であるフマーユーン廟(ムガル帝国第2代皇帝の墓廟)などを回ったあと、レッド・フォート(赤砂岩でつくられたムガル帝国時代の要塞)の建物をライトアップして行なわれるショーを観ることにしていた。
ショーはヒンドゥー語と英語があり、英語は午後7時半からだった。するとドライバーは、6時くらいにどこかの駐車場に車をとめて、「レッド・フォートにはここからリクシャー(自転車タクシー)でしか行けないんだ。開演までにはまだ時間があるから、そこの土産物屋で時間をつぶしたらどう」という。
あとで調べるとレッド・フォートの入口まで車で行くことはできたが、そんなことはわからない。もちろん車から降りないとか、自分でリクシャーと交渉するとか、抵抗の方法はあるだろうが、さすがにそこまでできるひとは多くないだろう。こうして、「まあ、しょうがないか」と土産物屋に入ることになるのだ。
ムガル帝国第2代皇帝の墓廟、フマーユーン廟 (Photo:©Alt Invest Com)
レッド・フォートの建物をライトアップして行なわれるショー (Photo:©Alt Invest Com)
インドでは誰も相手を信用しない
せっかく旅をしているのだから、インドのひとたちと会話してみたいひともいるだろう。これまでと話がちがうようだが、そんなときは旅行会社や土産物屋に行くのも悪くはない。なぜなら、この国でふつうの旅行者がインド人とじっくり話ができるのは、“ぼったくられている”ときだけだからだ。
デリーのメインバザールのちかくで、フリーマップをもらおうと思って立ち寄った旅行会社でツアーを勧められた。
旅行会社にとっていちばん儲けが大きいのは、デリー、ジャイプール、アーグラの「黄金の三角形」を車を借り切って回る2泊3日か3泊4日のツアーを売ることだ。もっともこのルートを列車で移動する旅行者も多く、インドでは列車の指定席は確保が難しいので、インド到着前に旅行会社を通じて切符を手配しているのがふつうだ。そうなると私のように、移動手段を決めずにやってきた個人旅行者が格好の餌食になる。
私にとって幸いだったのは、デリーからジャイプールを空路にしていたことだ。そうすると旅行会社は、デリーから車を出して私をジャイプールの空港でピックアップし、ジャイプールとアーグラを観光してデリーの空港まで送り届ける、という旅程を組むことになる。試しに金額を出してもらったのだが、“ぼったくり”といってもインドの物価ではそれほど高いわけではなく、中型車(彼らは「高級車」といった)の3泊4日の移動(市内観光付。ホテル代は別)で日本円で5万円ほどだったと思う。
ひととおり説明を聞いたあと、私は単純な疑問を口にした。
「それで、ここで君にお金を払ったとして、ジャイプールの空港にちゃんとドライバーが迎えに来るという保証はどこにあるの?」
それまで立て板に水のようにしゃべっていた旅行会社のスタッフは、一瞬、こわばったような表情をした。「それは大丈夫だよ」とこたえたものの、なぜ大丈夫なのかは説明できなかった。
そのとき私は、「だったらこの場で契約だけして、ツアー料金は空港でドライバーに払えばいい」といわれたら面倒だな、と一瞬思った。しかしいま思うと、旅行会社のスタッフがそのような提案をすることはぜったいにない。なぜなら彼は、他人をまったく信用していないからだ。
ツアー料金をあと払いにすれば、たしかに私にはなんのリスクもなくなる。その代わり旅行会社は、ジャイプールの空港までドライバーを手配したものの、私がこころ変わりして約束をすっぽかすというリスクを負うことになる。最悪なのは、ジャイプール、アーグラと観光案内させたあとで、私がデリーの空港でツアー料金を支払わないことだ(インドの空港は搭乗券がないと施設内に入れないから、ドライバーは追ってこれない)。
もちろん私はそんなことはしないが、それでも安心できない。5万円はインドでは大金だ。それを受け取ったドライバーが、そのお金を正直に旅行会社に渡すかどうかまったくわからないのだ。
インドでは誰も相手を信用しないのだから、私が旅行会社や土産物屋を信用しなくても彼らはまったく気にしない。それがわかると、これはほかでも役に立つ。
立派な絨毯を見せられ、日本まで「フリーシッピング」だといわれたら、「先にお金を払って、この絨毯が確実に私の家に届く保証はあるの?」と訊く。
インドでは宝石はまず石を選び、それを指輪やネックレス、イヤリングなどに加工するが、それには時間がかかるので、商品は翌日ホテルに届けることになる。そんな説明を聞いたら、「受け取るのがたしかにこの石だという保証はあるの?」と訊いてみる。
それでもしつこく迫られたら、「悪いけど、君のことは信用できないよ。(I’m sorry but I can’t trust you.)」とにっこり笑って席を立つ。日本だと、面と向かってこんなことをいうのは喧嘩を売っているようなものだが、インド人は気分を害したりはしない(ぎょっとした顔はする)。なぜなら、素性のわからない者をいっさい信用しないのは彼らにとって当たり前のことだから。
ジャイプールのアンベール城 (Photo:©Alt Invest Com)
インドで買い物をするときの豆知識
ネガティブなことをいいすぎたかもしれないので、ここでインドで買い物をするときのTIPS(豆知識)を書いておこう。
土産物屋に一歩入ったら、そこから「洗脳商法」が始まると覚悟したほうがいい。旅行者にとってもっとも避けなければならないのは、「自力で脱出できない」状況になることだ。土産物屋の多くが郊外にあるのは、土地代のこともあるだろうが、いちばんの理由は「なにか買わないと外に出れない」という心理的圧力を客に加えることだ。
逆にいうと、市内の土産物屋のように「No thank you.」でいつでも店を出て行けるなら、こちらの交渉力は強くなる。あらかじめTrip Advisorなどの旅行サイトで評価の高い店を選んでおくのもいいかもしれない(店は評価が下がるのを避けたがる)。
最悪なのは流しのタクシーにどこだかわからない土産物屋に連れ込まれるケースで、(私は幸い経験がないが)この場合はお金で解決するしかないだろう。とはいえ、ポジティブに考えれば、ぼったくられて失うのはお金だけなのだ。
北インドの代表的な土産物はカシュミアなどの布製品、絨毯、宝石の3つだが、「いつどこで誰からどのようにだまされるかわからない」社会では、絨毯と宝石は注意が必要だ。
絨毯を買うのなら、その場で折りたたんで梱包してもらい、自分で持ち帰るのがいちばん確実だ。少なくとも私は、高価な絨毯を購入して日本まで郵送してもらう気にはならない。
宝石なら、気に入った石をその場で購入して日本で加工するのがいいだろう。宝石商に加工を依頼する場合は、直接店まで受け取りにいって検品するのが必須だ。ホテルに送らせるのは、途中で何者かが介在する余地が多すぎる(宝石商以外に、加工業者やデリバリーの人間、ホテルのスタッフなど、宝石をすりかえるインセンティブを持つ者がたくさんいる)のでお勧めはできない。
どうしても先払いする場合は、現金ではなくクレジットカードを使うこと。万が一商品が届かなかった場合、カード会社に通知して支払いを止めることができるから、高額商品を扱う業者にとって一定の圧力になるだろう。
インドで不愉快な体験を避ける確実な方法は、観光ツアーに参加するか、すべての旅程にガイドをつけることだ。しかしこれでは、個人旅行の楽しさがなくなってしまう。そういうときは、車の手配などをホテルに頼めばあやしげな業者にだまされてイヤな思いをすることはなくなるだろう。
だが、この方法も万能というわけではない。
ムンバイではタージ・マハル・ホテルに泊まったのだが、観光名所ともなっているこのホテルの前には客待ちのタクシーがたくさん止まっていた。ムンバイからデリーに戻る前日、適当にタクシードライバーを選んで翌朝ホテルまで迎えにくるよう交渉するつもりだったのだが、到着時のことがあったので、「まただまされたらイヤだな」と思い直してホテルに手配を頼むことにした。
タージ・マハル・ホテルはムンバイでも最高級のホテルで、快適な高級車で空港まで送ってくれたが、請求された料金は3710ルピー(約6300円)だった。空港からホテルまで「だまされて」800ルピー(約1360円)だったことを思うと、だまされないためにその4倍以上を払うのが合理的かどうかは難しいところだ。
このように、「ぼったくられないより、ぼったくられた方が安上がり」なこともあるところが、インドの旅の難易度を上げているのだろう。
ムンバイのインド門とタージ・マハル・ホテル (Photo:©Alt Invest Com)
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)残酷すぎる真実』 『「言ってはいけない(新潮新書)など。最新刊は、小説『ダブルマリッジ』(文藝春秋刊)。
●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)
http://diamond.jp/articles/-/125699
【第18回】 2017年4月22日 近藤宣之
社員5万5000通のメールと向き合い見えてきた新世界
◎倒産寸前「7度の崖っぷち」から年商4倍、23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロ!
◎「赤字は犯罪」&「黒字化は社員のモチベーションが10割」と断言!
◎学歴、国籍、性別、年齢不問! ダイバーシティで女性管理職3割!
◎「2-6-2」の「下位20%」は宝! 70歳まで生涯雇用!
……こんな会社が東京・西早稲田にあるのをご存じだろうか?
現役社長の傍ら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾から慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールまで年50回講演する日本レーザー社長、近藤宣之氏の書籍『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』が話題。発売早々第4刷となった。
なんと、政府がこれから目指す施策を20年以上前から実践している小さな会社があった! 「7度の崖っぷち」からの大復活! 一体、どんな会社なのか?
「今週の気づき」では
どんなやりとりをしているのか?
近藤 宣之(Nobuyuki Kondo)
株式会社日本レーザー代表取締役社長。1994年、主力銀行から見放された子会社の株式会社日本レーザー社長に就任。人を大切にしながら利益を上げる改革で、就任1年目から黒字化させ、現在まで23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロに導く。2007年、ファンドを入れずに役員・正社員・嘱託社員が株主となる日本初の「MEBO」を実施。親会社から完全独立。現役社長でありながら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾、慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールなど年50回講演。東京商工会議所1号議員。第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「中小企業庁長官賞」、東京商工会議所の第10回「勇気ある経営大賞」、第3回「ホワイト企業大賞」など受賞多数。
【日本レーザーHP】 www.japanlaser.co.jp/
【夢と志の経営】 info.japanlaser.co.jp/
前回 、「今週の気づき」という仕組みを紹介しました。
では、社員はどんなメールを送ってくるのか、そして上司はどんな返信をしているのでしょうか。
●馬場洋樹(部下)→諸橋 彰(上司)
諸橋執行役員(CCでほかの役員・同僚へ)
前週に引き続き、1週間のうち4日は外出していました。
営業としては特に多いわけではありませんが、去年の自分と比較すると明らかに増えています。そしてメールや電話対応も遅れがちで催促されることがありました。
まわりを見れば、返信が驚くほど速い営業員が多くいるのは事実ですので、考え方を変えていかなければいけません。クイックレスポンスを心がけます。
レーザー&フォトニクス2部・馬場洋樹
(→馬場は大手メーカーから当社に転職、2017年から営業課長職)
馬場課長(上司の返信)
技術から営業に配転し、日々気づきが多いようですね。
営業は外に出ることも多いですが、お客様は待ってくれません。外向きの姿勢(大胆さ)と内向きの姿勢(緻密さ)の両方を兼ね備えておかなくてはなりません。
いまだに私も勉強中の身ですが、周囲のお手本から見習って、丁寧ながらも素早い対応を心がけてください。ちなみに、完全な回答でなくても、一文を取り急ぎ返信するだけでも、プレッシャーからはある程度解放されます。
諸橋 彰
●長野麻由美(部下)→別府雅道(上司)
別府管理部長(CCでほかの役員)
佐々木執行役員の指摘により、「O社の見積には8日以内の支払いで2%引となる」旨の記載があることを知りました。
佐々木さんより「年間30万円ほどの仕入が発生していて、総額ではまとまった金額となり会社の利益に貢献するため、今回一度試してみて問題がなければ全社的に展開していくとよいのでは」とのアドバイスをいただきました。
経理は利益を生む部門ではないため、事務処理のスピード化等で少しでもアドバンテージが生じるなら、積極的に対応していきます。
また、書類の隅々まで確認する慎重さと手間を惜しまず、率先垂範する佐々木さんの行動力を手本にしていきます。
経理課・長野麻由美
(→長野は派遣で経理担当でしたが、正社員をオファーしたところTOEICテスト〈以下、TOEIC〉のスコアも700点超だったので課長に抜擢。積極的に経営を考えて仕事をするように変化)
長野経理課長(上司の返信)
現在、日本の預金金利はほぼゼロに近い状態ですので、受取利息割引料のほうが有利になるケースが(特に海外サプライヤーの場合)多く考えられます。
今後も同様のケースがあれば、その都度検討していきましょう。
日本レーザーで会員となっている銀行の無料経営相談サービスを効率的に活用しているのはさすがです。今後ともよろしくお願いします。
別府雅道
この制度を始めて、すでに5万5000通のメール(気づき)が私のパソコンに保存されています。
これは、社員の成長記録の宝物です。
近藤 宣之(Nobuyuki Kondo)
株式会社日本レーザー代表取締役社長。1944年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業後、日本電子株式会社入社。28歳のとき異例の若さで労働組合執行委員長に推され11年務める。そこで1000名のリストラに直面した後、取締役米国法人支配人、取締役国内営業担当などを歴任。1994年、その手腕が評価され、債務超過に陥り、主力銀行からも見放された子会社の株式会社日本レーザー代表取締役社長に就任。人を大切にしながら利益を上げる改革で、就任1年目から黒字化させ、現在まで23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロに導く。社員数55名、年商約40億円の会社ながら、女性管理職が3割。2007年、社員のモチベーションをさらに高める狙いから、ファンドを入れずに役員・正社員・嘱託社員が株主となる日本初の「MEBO」(Management and Employee Buyout)を実施。親会社から完全独立する。現役社長でありながら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾、慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールなどでも講師を務め、年間50回ほど講演。その笑顔を絶やさない人柄と、質問に対する真摯な姿勢が口コミを呼び、全国から講演依頼が絶えない。東京商工会議所1号議員。第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「中小企業庁長官賞」を皮切りに、経済産業省の「ダイバーシティ経営企業100選」「『おもてなし経営企業選』50社」「がんばる中小企業・小規模事業者300社」、厚生労働省の「キャリア支援企業表彰2015」厚生労働大臣表彰、東京商工会議所の第10回「勇気ある経営大賞」、第3回「ホワイト企業大賞」など受賞多数。
【日本レーザーHP】 http://www.japanlaser.co.jp/ 【夢と志の経営】 http://info.japanlaser.co.jp/
http://diamond.jp/articles/-/122255
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