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東芝と日立は、東京スカイツリーのエレベーターをつくった(撮影/写真部・岸本絢)
“お公家”東芝と“野武士”日立 明暗を分けた企業文化〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170413-00000018-sasahi-bus_all
AERA 2017年4月17日号
沈まぬはずの“電機の巨艦”が1兆円超の巨額損失の渦に飲み込まれようとしている。原因は原発事業の失敗だ。成長期や昭和のニッポンを力強く牽引し、明日は今日より豊かな生活をもたらした名門企業で、一体何が起こったのか。そのとき社員や関係者は何を見て、どう感じたのか。そして何が元凶だったのか。AERA 2017年4月17日号では「苦境の東芝」を大特集。
東芝は、不正会計事件と原子力事業のつまずきで、2017年3月期、国内製造業過去最悪の1兆100億円の赤字見通し。「解体」か「上場廃止」かと騒がれる差し迫った状況だ。一方の日立は比較的好調で、約9兆円を売り上げる巨大企業の座を維持する。なぜ両社はかくも大きく差が開いたのか。
●“買いっぱなし”のWH 海外インフラ事業の運営管理に明暗
「経営力」の差も命運を分けた。トップの力量の問題だ。
国内インフラ市場が低迷するなかで、ともに海外進出に活路を見いだした。東芝は06年、米原発メーカーのウェスチングハウス(WH)を約6600億円(当時)の「高値づかみ」で買収。当時社長の西田氏のひと声で、資産価値の3倍近い高値で競り落とし、「15年までに33基の原子炉を受注する」とぶちあげた。当時の西田氏は次のようにいっている。
「半導体の投資は3年で回収できますが、原子力は20年、30年のスパンです。WH買収にあたって、2050年まで45年間の事業計画を計算した。結果、いまWHを買収できなかったら、東芝の原発事業はもうダメだと判断しました」
しかし、東芝は、国内はともかく海外での原発事業の経験はゼロ。案の定、WHの運営管理は、東芝の手に余った。
原子力技術は高度かつ複雑で専門性が高い。建設を手がけるとなれば、安全規制や契約、作業基準などは国によって異なる。原発事業の運営管理は、事情に精通していないと現地の経営陣任せになってしまう。つまり「買いっぱなし」になる。その結果、WHは“ムラ”と化した。本社からは内部の様子がうかがい知れず、リスクの把握すら難しい状況に陥ったのだ。
今回の騒動で東芝会長を辞任した志賀重範氏は原子力畑出身。WH買収後に上級副社長として送り込まれ、後に同社長、会長を務めたが、WHの内情を把握できていたかは疑わしい。少なくとも東芝本社とWH間のパイプ役としては、不十分だったといえる。
その“証拠”もある。東芝社長の綱川智氏が、志賀氏からWH子会社の巨額損失の報告を受けたのは、発表した昨年12月27日のわずか数週間前。本社とWHの意思疎通、情報共有はほとんど行われていなかったとしか思えないのだ。
08年、私は当時社長の西田氏に「WHのマネジメントはうまくいっているのか」と尋ねた。すると、彼は自信満々の様子でこう答えた。
「むろん、うまくいっている。現地に日本人を派遣しているからね」
現場の実情は、お粗末だったとしかいいようがない。
2011年の東京電力福島第一原発事故によって、東芝の原発事業の経営環境は一変し、逆風にさらされた。しかし、ずさんな契約内容や危機管理、脆弱なガバナンスなどが原因で、完全にマネジメント不全に陥ったのも事実。その結果、WHは米連邦破産法11条の適用申請に追い込まれた。
東芝自身も認めている。今年3月29日の記者会見の席上、綱川社長は、WH買収について「結果を見て振り返ると、非常に問題のある判断であったと思う」とコメント。背伸びして買収したWHは、フタを開ければとんでもない“お荷物”だった。海外M&A失敗の代表例となってしまったわけだ。
●東芝の武器は「調整力」 同じ重電業界でも企業文化は違う
日立は原発事業を手がけているが海外展開は慎重に進める方針だ。一方でM&Aではなく自力で挑んだインフラ事業が成果をあげつつある。
人口減などで国内の鉄道事業の成長は見込めない中、目指したのは海外。だが海外での鉄道事業の経験はゼロだ。1999年、日立は東芝のようにM&Aに走らず、鉄道事業の海外展開をたった一人の駐在員を英国に派遣することから始めた。
電力インフラと同様、鉄道インフラもまた、国によって法体系や制度などの仕組みが異なり、オペレーションが難しい。例えば、英国の鉄道は「上下分離」と呼ばれ、レールなど地上インフラと運行とは、別々の企業が担う。オペレーション会社は、車両をリースし、地上インフラを所有する国営企業に使用料を支払う仕組み。信号システム、車両の安全性の規格など、何もかもが違い、簡単に入り込めるものではなかった。
そのうえ、欧州の鉄道の市場規模は当時世界の4割を占めていたが、独シーメンス、仏アルストム、カナダのボンバルディアというビッグ3がほぼ占有していた。日立は00年、01年と英国の車両入札に参加したものの、ことごとく失敗。当時の状況について、日立関係者は「鉄道事業は、日立のなかで当初は“ゴミ”扱いだった」と振り返る。
だが「買いっぱなし」の東芝とは異なる。日立は失敗から学び、現地に入り込む「インサイダー化」が成功のカギとみた。
まず、現地の人材を積極雇用。さらに部品などの現地調達を推進し、現地工場で生産することを目指した。その一歩が、アリステア・ドーマー氏の起用だった。03年、日立は仏アルストム出身で英国流の鉄道ビジネスを熟知し、運輸当局に人脈をもつドーマー氏を採用。後に彼を現地法人のトップに就け、日本人スタッフがサポートに回る体制を整えた。
効果はテキメンだった。2年後の05年に英国で初めて受注したのは、ドーバー海峡トンネル連絡線向け高速車両「Class395」174両と7年間の保守契約。納期遅れが常態化した英国において納期を順守し、定時制や安全性に優れた“日本品質”を提供して高い信頼を得た。この点も、東芝の米原発の工期が延期を重ねるのとは正反対といっていい。
実績がさらなるビジネスにも結びついている。12年には英国史上最大規模のプロジェクトで長期保守契約を含む一括契約、総額約5500億円を受注した。
日立は14年、鉄道システム本部を英国に移転。ドーマー氏を外国人としては9年ぶりの本社執行役として交通システム事業グローバルCEOに抜擢した。また、イタリア鉄道関連事業を担うアンサルドSTSとアンサルドブレダを買収。鉄道事業の売上高は4千億円を超え、車両からシステムまでフルラインアップを持つ世界有数のプレーヤーにのし上がった。
15年以降、英ニュートン・エイクリフ、米マイアミの鉄道車両工場を稼働させ、生産の現地化も進めた。主要市場である日米欧に加え、インドやタイ、中国でも信号や車両などを受注。今後さらに海外事業を拡大し、18年度には海外売上比率を14年度の39%から83%に引き上げる計画だ。いずれも泥臭く信頼を築き上げた結果である。
両社の「企業文化」には際立った違いがある。日立の鉄道事業関係者は、自社の特徴をこう表現していた。
「車両納入後に問題が起きれば、日立が先頭に立って『技術』で解決する。技術力の向上によって、人々の信頼を得る」
実は英国現地法人の社長を選ぶ際、この日立独特の企業文化を理解する人物を基準にして、ドーマー氏を選んだという。
実際、日立は武骨に「技術」を信じる集団で、「野武士」軍団ともいわれてきた。その証拠に、日立のトップは代々理系人材から選ばれている。
一方の東芝はどうか。本来高い技術力を持つが、その技術力を拠り所とする企業文化は持ち合わせていない。どちらかといえば、ブランド力とコネクションにモノをいわせる「調整力」を武器とする企業文化なのだ。
かつて東芝は「お公家さん」と呼ばれた。90年ごろ、当時社長だった青井舒一氏にインタビューした際に指摘すると、青井社長は「それは昔の話だ。君、認識不足だよ」と言下に否定した。だがその特徴は今なお続いているように思えてならない。「お公家さん」ゆえに「調整力」が幅を利かせ、トップには文系人材が就くケースが多いのだ。伝統的に東芝トップは、経団連トップの座を狙うなど“財界病”患者も多い。
日立からは、経団連会長、議長は一人も出ていない。日立名誉会長の川村氏はこのほど、東京電力会長に就任予定だが、日立会長時代は経団連会長を固辞したことが知られている。結局のところ、東芝はこの期に及んでも、決断を先送りする「お公家さん」体質を抜け出せていない、ということだろう。(経済ジャーナリスト・片山修)
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