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4年後に全大学がAO入試化、経済格差を後押し?
和田秀樹 サバイバルのための思考法
従来型の入試で養われた計画性、探求力が犠牲になる恐れ
2017年4月3日(月)
和田 秀樹
2020年度の大学入試(2021年春施行)からセンター試験が廃止され、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」(以下、「希望者テスト」と呼ぶ)が導入される。
2020年度の大学入試からセンター試験が廃止され、代わりに記述式の問題を含む希望者テストが導入され、二次試験はAO入試化される見通しだ。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
また、国立大の二次試験(個別選抜試験)では、学力テストだけでなく、小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書(いわゆる内申書)、活動報告書、大学入学希望理由書、学修計画書、資格・検定試験などの成績、各種大会などでの活動や顕彰(けんしょう)の記録、そのほか受検者のこれまでの努力を証明する資料などを活用するように明記されている(それどころか、二次試験では「希望者テスト」の点を評価の対象にしろとは書いてあるが、学力テストを使えとは書いていない)。この方針を受け入れる大学に予算的な措置をつけるということであるから、やらない大学は恐らくないとすると、すべての大学がAO入試化することになるだろう。
希望者テストの複数回受験、段階別評価は見送りに
こうした方針は、中央教育審議会による「新しい時代にふさわしい高大接続の実施に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(2014年12月22日)という答申(今後何度も出てくるので、以下「答申」と呼ぶ)に盛り込まれている。
実は、この「答申」はかなりラジカルなもので、1点刻みの学力にこだわることを否定するために、TOEFLや米国版のセンター試験と言えるSATのように、「希望者テスト」を複数回受験できるようにする。加えて、試験結果は段階別評価で学校に送る(要するに91点でも100点でもAという形で、大学に成績を知らせる)ことなども提言されていた。要するにミスで点を落とすのは学力がないわけでないし、そういうものにこだわるから本物の学力がつかないという発想である。
その後、2016年3月31日には、この答申を具体的にどういう形で実現するかについて、文部科学省の諮問会議である「高大接続システム改革会議」が最終報告(以下「最終報告」と呼ぶ)を公表した。
この「最終報告」では、「希望者テスト」の複数回受験や1点刻みでない採点は見送られるなど、「答申」の方向性は一部改訂された。60万人もの受験生が受ける現状で、そこまでの改革は無理という現実的な判断と言ってよい。しかし、「希望者テスト」での記述式試験の導入や、二次試験をAO入試化する方針など、「答申」の基本的な方向性は継承された。
新制度入試では経済格差がさらに広がる
この大学入試改革は一見もっともらしいものだが、受験の世界に長く携わり、また精神医学を学んできた者としては、さまざまな危険をはらんでいるように見える。
面接によって「人が人を選ぶ」大人の社会に対応できるようにするというが、例えば米ハーバード大学では、2000人もの専従職員をアドミッションオフィスが抱え、面接のプロが試験に立ち会う。大学の教授に面接をさせると、教授に逆らわないような大人しい人間が入りがちだが、あえて教授に議論を売るような学生を採るという。
日本の大学教授はお世辞にも面接のプロとは言えない。むしろ諸外国と比べて、大学以外の社会を知らない人が多いとされる。だから、おそらく予備校が本格的にこの対策を行うようになれば、それを受けた受験生が圧倒的に有利になるだろう。そういう予備校に通うお金のない受験生やそういう予備校のない地方の子どもたちは不利になる。結局、現在でも問題になっている親の経済力や地域による受験格差は広がる。
また企業だと採用官が採用した人間について責任が問われるが、大学教授にはそれがない。医学部で集団レイプ事件が頻発しているが、ほとんどの医学部が入試面接を実施しているにも関わらず、逮捕者を合格させた教授が責任を問われた例は聞かない。
また、対人恐怖の傾向があるが、能力が高い受験生なども不利になるだろう。この手の面接に向かない受験生が学力が足りているのに試験で落とされた場合、一般入試だともう1年勉強して再チャレンジを考えるだろうが、面接勝負しかないと悲観して自殺ということだってあり得るだろう。
集団面接や小論文、自己推薦書にしても、予備校が対策したり、大人が代筆した人間が有利になるのは容易に想像できる。ここでも格差が広がる。
調査書重視というのも、現行の調査書が、学力だけでなく、意欲や態度など教師の主観部分が75%程度を占めることを考えると、教師に気に入られようとする高校生が増えかねない。思春期の心理発達を考えると、大人に逆らわないことが望ましいとは思えない。また、高校時代に不良だったり、不登校だった人が再起をしようとするときの障害になるだろう。
ペーパーテスト学力の斬り捨ては世界の方向に逆行
さまざまな危険をはらんだ改革だが、この「答申」にも「最終報告」にもそのようなリスクについての検討が書かれていない。この独善が怖い。多様な考え方ができる人間をつくるための改革のはずが、一方向の改革だけが正しいと思っている人間によってなされている。これでは、逆に日本人を画一化しかねない。
その独善の最たるものが、これまでのペーパーテスト学力を「従来型の学力」と斬って捨てたことだ。もちろん、時代に即応した新しい学力は必要だろうが、これまでの学力が必要ないとは思えない。実際、1980年以降にさまざまな国で初等中等教育の改革が行われたが、米国も英国もアジア諸国もすべて、ペーパーテストの学力を重視する方向に舵を切った。その手本とされたのが日本だ。
そういう国では、高校生までは一般的な学力をみっちりつけて、今回の「改革」で求められるような学力は大学教育に委ねられる。そして、専門教育は大学院でというのが基本路線だ。
ところが日本では企業も大学教育に期待していないから、大学に長くいる人ほど就職が悪く、博士の比率も日本は世界の中で最も低い「低学歴社会」となっている。
例えば、今回の「答申」で1点刻みの採点が否定されたように、ミスをしても学力があるならいいじゃないかという発想があるが、米国のSATも1点刻みの採点である。1980年以降は米国が数学力重視の初等中等教育を行って、その後のIT革命や金融市場の席巻につながったという話もある。
少なくとも医者の世界では、「ふだんは実力があるのに、ちょっとしたミスで」という言い訳は通じない。ごく最近、外資系金融企業の人と話をする機会があったが、金融の世界でもミスが許されないそうだ。計算機を使えばミスがないように思われるかもしれないが、概算ができないと、桁数を間違えるという医学の世界でも金融の世界でも致命的なミスをやらかすことがあるようだ。
「従来型の学力」をみっちりつけさせて、大学教育でそれ以上の学力を充実させるのが国際標準だというのに、日本は大学の教授ばかりが審議会の委員のためか、世界で評価の高い初等中等教育の改革(というかこれまでのものの否定)ばかりに力が入れられ、優秀な海外の留学生に魅力のない大学の改革がまったく行われようとしない。(補助金を握る文科省としては重要な天下り先なのだから、役人上がりでも簡単に教授になれるシステムを温存したかったのかもしれないが)
なんのために「受験勉強」をするのか
私が特に言いたいのは、この大学入試改革をきっかけにして、「なんのために受験勉強をするのか」ということだ。
確かに、日本人は受験勉強を動機としてしか勉強しないから(全員とは言わないが、そういう子が多いから、少子化で高校や大学に入るのが簡単になると深刻な学力低下が起こっている)、従来型の学力をつけるのに受験勉強が大いに貢献しているのは確かだろう。現実に、数学を入試に課さないと早慶レベルの学生でも、2割の子が分数の計算ができず、7割の子が解の公式を使う二次方程式が解けないことを明らかにした調査結果もある。
今回改めて考えてみたが、受験勉強というのは「従来型の学力」をつけるためだけにやるものではないと思う。
例えば、古文単語や歴史の年号を覚えて社会に出て役立つのかと言われれば、役立たない人のほうがずっと多いだろう。しかし、受験勉強でそれを覚えることで記憶力は鍛えられるし、覚えるためのテクニックを身につける人もいるだろう。
このようにコンテンツとしての学力より、ノウハウとしての学力を受験勉強で身につけることが私は受験勉強の意義と考えている。
例えば、スケジュール管理能力や、あるいは志望校を分析して対策を立てる能力、受験の日までに所定の学力が身につかなければ不合格ということだから、締め切りを守る能力だってつくだろう。
自分の能力を分析する能力を身につければ、どこを伸ばしてどこを捨てて合計点で合格するとかいう戦術が立てられる。今回の「答申」や「最終報告」では、「従来型の学力」の否定ありきで、これまでの受験の良かった点の検討がなかったが、むしろ長所を伸ばすほうが受験の成功にも近づけるし、大人になってからも強いはずだ。
この手のノウハウ学力の中で私が意外に大切だと思っているのは、方法論を探究する能力である。成績が伸びなかったときに、自分が頭が悪いのでなく、やり方が悪いと思える能力とも言える。こういう人の場合は、あるやり方がうまくいかなければ別のやり方を探す気になる。それによって最終的に点数を伸ばすことができる。
おそらく方法論を探求する能力や姿勢を受験勉強を通じて身につけることができれば、大人になって、例えばセールスをやっていてうまく売れなければ諦めるのでなく、方法論を探すという解決を求めることができる。答えは本屋にいくらでもある。
受験で身に着く能力を役人や学者の思いつきで切り捨てることは許されない。
(本テーマに関連して、3月17日に『受験学力』(集英社新書)という本を出した。ご関心があればぜひお読み頂きたい)
このコラムについて
和田秀樹 サバイバルのための思考法
国際化、高齢化が進み、ストレスフルな社会であなたはサバイバルできますか? 厳しい時代を生き抜くアイデアや仕事術、思考法などを幅広く伝授します。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/033000006/
日本人の寄付スタイルは、非常時の支え合い
御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」
貢献の気持ち育て、寄付文化を醸成するには
2017年4月3日(月)
御立 尚資
日本人は自然災害が起きたときには積極的に寄付をする。(写真:アフロスポーツ)
自然災害があると、寄付の総額が跳ね上がる
日本には、寄付文化が根付いていない、という。確かに、先進国間で比較すると、寄付総額が小さいのは事実だ。日本ファンドレイジング協会の調査によると、日本における2014年の個人からの寄付は7,409億円、GDPの約0.2%相当に過ぎない。これは、米国の27兆3,500億円、GDPの1.5%という数字とは比べ物にならない。英国の1兆8,100億円、同0.6%と比較しても、かなり低いレベルだ。
(ちなみに、総務省が家計調査を基に推定している数字は、2010年で1,847億円とさらに小さい。家計調査は限られたサンプルをもとに推計を行うものなので、大口の寄付が含まれない可能性が高いこともあるのだろう。寄付文化が低調なせいもあるだろうが、寄付に関わる統計も十分に整備されていない感がある。)
もう一つ、日本での寄付の特徴は災害発生時の積極性だ。
前述の調査の数値を再度借りれば、近年の日本の個人寄付額は、
2009年 5,455億円
2010年 4,874億円
2011年 1兆182億円
2012年 6,931億円
という具合で、東日本大震災の年が、飛びぬけて多い。
私がお手伝いしている国連WFP協会という飢餓対策、食料援助のNPOに対する寄付も、国内外で自然災害があると、ぽんと跳ね上がる。
恵まれない子供たちや難民への支援は低調
日本は、世界の0.25%に過ぎない国土面積ながら、世界の7%、108の活火山を有し、マグニチュード6以上の地震にいたっては、世界の20%以上が発生する地域だ。これに加えて、頻繁に台風の被害も受ける。こういったことから、自然災害はひとごとではなく、「何かあったら、支え合う」という心情が深く根付いているのだろう。
逆説的に言うと、大きな自然災害の際の寄付には非常に積極的だが、恵まれない子供たち、あるいは難民への支援、といった類の自然災害以外への定常的な寄付に対してはさほどでもない、ということになる。
自然災害の際の相互扶助の感覚、税制の影響、宗教観、政府による分配策への信頼感、など、寄付が相対的に低調な理由はさまざまだろう。
クラウドファンディングはかなり浸透した
ただ、体感的には少しずつ変化が見えるような気がしている。たとえば、昨今のクラウドファンディングの台頭は、目をみはるものがある。友人たちが関わっているNPOの中でも、クラウドファンディングを活用してサポートを受ける例が複数出てきている。
一定の信頼感を持てるプラットフォーム(クラウドファンディングのサイト)上で、自分自身の価値観にフィットするプロジェクトを発見できれば、身銭を切って、何か・誰かをサポートしよう、と考える層がしっかりと存在することが明らかに。これを受けて、クラウドファンディングによる寄付機会の提供と周知がさらに増える、という好循環が始まっているようだ。
ふるさと納税も「貢献したい」思いのあらわれか
ふるさと納税も、変化のあらわれかもしれない。返礼品の豪華さ競争に対する批判はもっともだが、入り易い入り口とうまくセットしたインセンティブさえあれば、多くの国民の心の中に潜在的にある「何かに貢献したい」という思いが顕在化する余地は大きいことを示している。こう肯定的にとらえてもよいのではないだろうか。
広義の寄付行為といってもよいボランティアに携わる方々も、増えている。これも日本ファンドレイジング協会の推計だが、2014年に何らかのボランティア活動に従事した人の数は、3,000万人を超えている。これも最近関わらせていただくようになったドナルド・マクドナルド・ハウスという病気の子供たちの家族が滞在できる施設は、全国12か所にあるのだが、そのすべてが地元のボランティアの方々を中心に運営されていて、本当に頭が下がる。
寄付を根付かせるのに必要な「透明性と説明責任」
さて、少しずつ力強さを増しつつある社会貢献活動と寄付。これを伸ばしていくために、よく言われることが、「透明性と説明責任」という言葉だ。
寄付として頂いたお金を、何に対してどのように使っているか。この透明性を高め、さらに寄付提供者(ドナー)に、積極的にコミュニケーションする。これが重要であることは、言うまでもない。企業に対してのガバナンスと同様に、透明性担保と説明責任を果たすこと、この二つが健全な緊張感を生み、浄財を効果的・効率的に使う方向に後押しをすることになる。
ただ、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。寄付先進国の一部では、この行きすぎがかえってNPOの生産性を低下させ、ひいては必要な人たちに必要な支援をするという本来の目的を損なう例が出てきている。
ボストン コンサルティング グループのヨーロッパチームが行ったプロボノ(スキルや経験を生かしたボランティア活動)調査の中に、実に興味深い分析結果があった。
南スーダン支援時に領収書を取ることは適切か
ノルウェーのNRC(Norwegian Refugee Council)というアフリカ等で難民支援を行う大きなNPOの業務を調査したのだが、企業を中心とした大規模ドナーに対する報告作成に関わる時間が膨れ上がっていて、本来業務の時間を奪うこと甚だしい。
たとえば、大手9ドナーの要求する報告書の内容がすべて異なっていて、これを統一するだけで実に年間11,000時間の削減が可能だという。内容のみならず、報告に使う数値はドナー側がまちまちに定義していて、これを一本化すれば、さらに27,000時間もの業務が削減される。
課題は報告書の煩雑さや定義がばらばらであることだけではない。あるドナーは、「購買時にかならず領収書を得る」ということを寄付の前提としているのだが、それが行き過ぎてシリア国境や南スーダンでの緊急支援時にもすべて領収書をとれ、というのだそうだ。これでは、本末転倒と言わざるをえない。
寄付をする側、特に法人ドナーには、株主、社員等数多くのステークホルダーがいて、彼らに対して自らが説明責任を果たすために、事細かなルールを作るのだというが、明らかに行きすぎだろう。
形式を満たすため本質から外れては本末転倒
企業のガバナンスについても、やや遅れ気味にスタートした日本の場合、形式基準を満たそうとするあまり、本質から外れる例があるように思える。
NPOの世界でも、寄付文化を強め、定着化させる方向に動き始めた日本。これから透明性と説明責任という言葉が、たびたび語られることだろうが、常に「必要な人たちに必要な支援をする」という本来の目的に立ちかえり、オーバーキルにならないように心がけていくべきだと思う。少しだけだが、この世界に関わっている人間の一人として、自分自身、心していこうと考えている。
今回の話題、至極当たり前のように見えるが、ころばぬ先の杖、ということで、どうかご寛恕ください。
このコラムについて
御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」
コンサルタントは様々な「レンズ」を通して経営を見つめています。レンズは使い方次第で、経営の現状や課題を思いもよらない姿で浮かび上がらせてくれます。いつもは仕事の中で、レンズを覗きながら、ぶつぶつとつぶやいているだけですが、ひょっとしたら、こうしたレンズを面白がってくれる人がいるかもしれません。
【「経営レンズ箱」】2006年6月29日〜2009年7月31日まで連載
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213747/032800045/
成果出るルーティン会議とは
会議が変われば、仕事が変わる
知恵の運営で惰性を防ごう
2017年4月3日(月)
横田 伊佐男
日経ビジネスベーシックについてはこちら
多くの企業が新年度を迎える季節。新入社員も加わることから、ビジネスパーソンは新鮮な気持ちで仕事をしていることと思います。私もボールペンを新調したり、ビジネス誌の定期購読を始めたりしています。新たな気分で仕事にスイッチを入れるためです。
自身にスイッチを入れて、気分を高めるという意味では、スポーツ選手が行う「ルーティン」が有名です。例えば、著名ラグビー選手の五郎丸歩氏にはゴールキック前に両手を組んで動かすなどの一連の動作があります。また大相撲春場所で優勝した横綱・稀勢の里が、取り組み前に顔面を2回たたく動きもルーティンと言えます。
それらは、毎回寸分違わず繰り返されます。ルーティンは、「routine=決まりきった仕事、慣例」がもともとの意味です。
ラグビー五郎丸選手、横綱・稀勢の里に学ぶ
ただ、アスリートにとってのルーティンの目的は、ただ1つ。
勝利へ貢献する精度を高めることです。五郎丸選手は、80%以上の成功率といわれるゴールキックの精度をさらに高めるため。横綱・稀勢の里は、左おっつけから左四つへの展開に持ち込み勝利すること。
ルーティンは、勝利に近づくための儀式でもあります。
一方、ビジネスパーソンにもルーティンがあります。例えば、毎週開く「定例会議」。ただ、それは“勝利”に貢献しているでしょうか。その会議で参加者のヤル気が高まり、成果につながる会議であれば、文句はありません。しかし、そうでなければ、ただの「慣例」に過ぎません。
会社員に会議についての不満を聞くと、生産性が低い「定例会議」に集中します。では、どうすれば改善できるでしょうか。
まず会議の目的を明確にしましょう。それは大きく3つあります。
・「決定」会議
決断をする会議。ゴールは、「可決(OK)」か「否決(NG)」か。
・「拡大」会議
発想を拡大したり、飛躍した意見を求めたりする会議です。ブレスト(ブレインストーミング)とも言えます。
・「共有」会議
意思伝達のための会議。関係者全員が参加します。全社員会や朝礼がそれにあたります。
中でも多いのが、「共有会議」です。情報の共有は大切ですが、気を付けないと多くの定例会議が、共有会議のようになってしまいます。本来は意思決定をするべき「決定会議」までもが毎週繰り返すうちにそうなってしまうのです。なぜなら意思決定は大変な労力を伴います。特に議長は異なる意見を調整して、1つの結論を導かなくてはなりません。これに苦痛を覚えるとそれぞれが意見を述べるだけの“共有会議”が増えてしまうのです。
意思決定を先延ばしするだけではなく、参加者の労力と時間を奪い、企業の競争力も弱めてしまいます。
成果を出す3段階の視点
つい先日も、ある会社から「共有会議を活性化したい」との相談を受けました。その定例営業報告会議では、各支店のトップが営業報告と最新トピックを話していますが、実際は営業実績など紙にある数字を読むだけとなり、停滞ムードが漂っているとのことです。本来の目的は優秀な営業社員が持つノウハウの共有にあるといいます。
そこで私は、「何かを気付かせたり、新たな方法を修得してもらったりできるように変えていきましょう」と答えました。
その具体的な手法は以下の通りです。
会議を変化させるには3段階、すなわち「会議前」「会議中」「会議後」に分けることから始まります。今回のケースについて、それぞれを見ていきましょう。
・会議前:キーワード「除外する」
会議で「しなくてもいいこと」を除外します。例えば、営業実績の報告は週報や月報にして事前に共有します。
大切なのは誇りを高めること
・会議中:キーワード「くすぐる」
営業マンは数字に自負があります。そのプライドをくすぐるために、こんな3つの工夫を行います。
1つは成績の良い順に座席を決める。上座には、上位成績者、下座には下位者が座ります。社員の間の緊張感を高めるので、月1回ほどにして、指定席が固定化しないように評価基準は毎回変えます。例えば、訪問件数や評判のいい案件などです。
次に、毎月の上位者は社内報に掲載し、表彰も行います。お金ではなく、名誉を与えます。社内報も表彰も、自宅に持ち帰ることで家族から「すごい」と言ってもらうことを狙います。
3つめは、会議の発表において「成績上位者」「成績下位者」を分けます。上位者は、成功の要因を発表。下位者は不振の理由を語ります。
・会議後:キーワード「助け合う」
次の会議までに、「上位者」「下位者」に宿題を出します。お互いを助け合うような宿題です。「上位者」には、前回の会議で出た「下位者」の問題点の解決策を考え、発表してもらいます。「下位者」には、前回会議で出た「上位者」の中から、自分たちでマネできることと試した成果を持ち寄り発表してもらいます。
これを導入した会社では見事に成果が出ました。諸事情により、成績順の座席だけは試さなかったとのことですが、それ以外はすべて実践しました。その結果、会議の雰囲気は良くなり、営業成績も前年を上回りました。
会議の進め方を変えるだけで、会社は成長します。考えてみれば当然かもしれません。それだけ会社員は会議に時間を割いているのですから。
新年度を機に会議の目的を見定めて、創意工夫を加えてみませんか。
3ステップで組織の生産性が劇的に上がる! 最強の会議術 6月1日(木)、2日(金)開講!
本コラム著者、横田伊佐男氏による1泊2日の合宿型講座です。「確実に」「ストレスなく」組織の生産性を上げる会議の進行手法を2日に分けてしっかり学べます。
プログラムは「最大の効果を引き出すためのカンタン準備術」「論点を定める『拡大思考』」「アイディアを整理する『分割思考』」「圧倒的な実行力を生み出す『俯瞰思考』」などで構成。15分の簡易ミーティングから数日に及ぶビジネス合宿まで、各種会議を効率的に取り仕切ることができるようになります。
2日間の時間投資で、すぐに会議の質が変わる本講座。ぜひご参加ください。詳しくはこちら。
このコラムについて
会議が変われば、仕事が変わる
会議に次ぐ会議…。ビジネスパーソンにとって「会議」は必要不可欠な活動ですが、忙しければ忙しいほど、非効率な会議は避けたくなるものです。効率的かつ生産性のある「会議」は、上級管理職から一般社員まで共通の願い。とはいえ、理想にほど遠いのが現状でしょう。
このコラムでは、その課題を解決しつつ、「受動的」に会議にぶら下がる社員から、「能動的」に会議を仕切るビジネスパーソンに生まれ変わるため、カンタンかつ最強の会議術を修得してもらおうと考えています。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/skillup/16/012600016/032800011
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