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銀行がどうしても知られたくない「カードローン」の大問題 「悪しき工夫」をいつまで続けるのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51295
2017.03.25 山崎 元 経済評論家 現代ビジネス
■銀行は総量規制の枠外
銀行のカードローン・ビジネスの拡大が問題になっている。
一方、銀行業界はこの問題をまだ世間に取り上げられたくないと思っているようだ。金融業界の専門誌『週刊金融財政事情』(3月20日号)最新号が「急浮上する銀行カードローン問題」という特集を組んでいる。
この中の解説記事に、「法改正を含めた永田町の動向は業界関係者にとって引き続き無視できないリスクとなっている」との記述がある。
しかし、筆者の元にも他メディアから同じ問題意識の取材が複数ある。銀行のカード・ローン問題はすでに広く社会的なレベルに拡大しているように見える。国民から見ると、「永田町のセンセイ達が適切に動いてくれないことの方がリスクだ」という状況なのではないか。
個人向けの無担保ローンは、いわゆる消費者金融業者の貸出と取立てが社会問題化したことを受けて、2006年に貸金業法が改正されて、総額で借手の年収の3分の1を貸出額の上限とすべしという「総量規制」が設けられた。
当時は10兆円を超えていた消費者金融会社の貸付金額はその後急減し、昨年3月末現在で総額4兆円を割り込んでいる。他方で、銀行の個人向けカードローンは増加しつつあり昨年3月末には5兆1千億円を超えている。
すなわち、個人ローン市場にあっては、消費者金融会社と銀行の立場はすでに逆転しており、銀行が主役なのだ。
ところが、もともと貸金業法の改正時に銀行の個人向け無担保ローンは、借手の年収の3分の1を上限とする総量規制の対象外とされており、現在では、銀行と貸金業者の借り入れを合わせて年収の3分の1を超えるケースが増えてきた。
なぜ銀行が総量規制の適用から除外されたのかは、今となっては不可解に思われるが、『週刊金融財政事情』の記事には、「過剰な信用収縮が発生しないよう、“金融経路”を残しておく必要性や、銀行は独自に審査を行うはずという信頼が背景にあった」との記述がある。
いわば「抜け穴」を意図的に残したような経緯があったのかもしれない。しかし、それ自体があきれた理由の抜け穴と思えるが、その批判を脇に置くとしても、「消費者金融+銀行の個人向けカードローン」の残高は近年増加に転じており既に信用収縮など心配する段階ではない。
また、銀行は個人向けローンにノンバンク(系列である場合もそうでない場合もある)の保証を付けていることを見ても、独自の審査など機能しているようには見えないし、独自に審査しているとしても、それは、顧客のためではなく、第一義的には自行の収益のためだろう。
貸し金業法改正から10年が経った。「抜け穴」を塞ぐべき時期だろう。
また、銀行は、簡単な手続きで借り入れが出来て利用が容易であることを、TV、新聞、雑誌などのメディアの広告を使って消費者にアピールしている。
借金をする側から見て、銀行の方が消費者金融会社よりも「怖くない」というイメージもあるし、銀行の方が、経営規模が大きいこともあって、カードローンのビジネスは伸びている。
要は、銀行は自らが営業窓口になることによって消費者金融ビジネスに乗り出し、実質的に消費者金融会社の顧客獲得窓口を務めるとともに、貸金業法が定めた「総量規制」を骨抜きにする役割を果たしているのだ。
記事によると、銀行のカードローンの上限は高くなっており、1000万円〜1200万円程度に設定されている商品も少なくなく、また、金利も1%台から14%台まで多様であるという。今や、銀行自体が消費者金融業者と変わらない。それなのに、銀行には貸金業法の規制が及んでいないのだ。
貸金業法が定める年収の3分の1の「総量規制」は、第一義的には借手である消費者を保護することに意味があるはずだ。どこから、借りるにしても、過大な金額の借金が借手にとって負担であることに変わりはないのだから、貸金業法を改正して銀行の個人向けローンも総量規制の枠内に含めるべきだろう。
付け加えると、そもそも個人向けのローンであり、借手・消費者の保護に留意しなければならないのだから、銀行の個人ローンビジネスは、総量規制が適用されるだけでなく、広告・宣伝や情報の提供などに関しても、消費者金融会社と同等あるいはそれ以上(顧客は銀行を信用しているので「それ以上」にも根拠がある)の規制の対象でなければならないだろう。
■金融庁の対応が鈍い
銀行のカードローンを総量規制の対象に含めることは当然だと筆者は思うのだが(読者もそう思いませんか?)、「必ずしもそうでなくてもいい」という理屈を考えたがっている人々がいる。
ノンバンクの保証付きのカードローンで当面気楽に収益を拡大出来る銀行業界がそう思っていても不思議ではないが、解せないし、些か情けないのは、銀行を監督する金融庁もそう思っているらしいことだ。
先の『週刊金融財政事情』に金融庁の監督局長のポストにある遠藤俊英氏へのインタビューが載っている。
この中で遠藤氏は、「すでに監督方針に『適正な業務運営を』という記載があるため、各行が銀行カードローンのあり方を考え、工夫しながら業務を展開することが現時点における筋ではないか。そうした取り組みを横において、法令や監督指針を改正することは考えていない」と述べている。
銀行業界が「悪しき工夫」に走って、総量規制の趣旨を骨抜きにしながらカードローン・ビジネスを拡大しつつあるのが現状なのに、当面様子を見て次の「工夫」を待つらしい。
こうして、監督官庁が、個々の銀行の経営判断や銀行業界の自主ルールの動向に期待するような顔をしていてくれるなら、その間、銀行業界はカードローン・ビジネスを拡大できる。
つまり、金融庁は、銀行業界の時間稼ぎに協力している。
遠藤氏は、「『銀行業界として最低限こうしましょう』というルールを策定したほうがいいのであればそれもよし、『そうしたルールは必要ない。自行の哲学に基づいてやっていく』という話になればそれもよし。そこは、銀行の自主的な判断に委ねられる話だ」とも語る。
銀行に「哲学」の存在を見るとは驚嘆すべき想像力だが、監督局長様は何とも寛大な態度で銀行業界を見ている。
インタビューを読むと、遠藤氏が、銀行ないし銀行業界に対応を任せてもいいと考える根拠は、どうやら、銀行が独自に審査をするなら、銀行には他の貸金業者よりも借手の状況や社会への影響を判断する高度な能力があるから、貸金業法の総量規制の対象外でいいのではないかという論理的な可能性に求めているように見える。
しかし、そもそも銀行自身がノンバンクにローンの保証を求めているビジネス・モデルなのだから、この可能性には全くリアリティがない。
そして、仮に、銀行が独自に何らかの審査・判断を行うとしても、それは、借手のためではなく、自行の収益とリスクのバランスを最適化するためであろう(そうでなければ株主は怒ってよい)。銀行の判断ごときに、消費者の保護を任せるのは全く危険である。
また、遠藤氏は「もちろん、銀行が貸金業法の趣旨を逸脱する目的でカードローンを推進しているのであれば言語道断だが、そうしたことはないはずだと考えている」とも述べており、銀行業界に全幅の信頼を寄せておられる様子だ。
確かに、銀行の主目的は「収益」であって、貸金業法と闘うことにはないだろうが、問題なのは、借手である消費者の保護であり、現実に業法の趣旨を逸脱する事例が現れているのだから、氏の業界への信頼表明は、論点をそらしているにすぎない。顧客である消費者を見よ。
金融庁は、近年、運用商品の販売に関して、消費者保護の方向に大きく舵を切ったが、銀行のカードローン・ビジネスに関しては、半ば意図的ではないのかと疑わしくなるほど動きが鈍い。
これは、どうしたことなのだろうか。当面の銀行の収益にとって、それだけ重要なのかも知れない。
特集の別の記事である識者が述べているように、借手である消費者は、金利が下がると返済がより捗るような合理性と節度のある経済人ではない。むしろ、下がった金利に合わせて借入額が拡大していくような、判断力と計画性に乏しい意志の弱い(≒合理的に行動することが苦手な)人々なのだ。
消費者金融会社のCMには、取って付けたように「ご利用は計画的に」という言葉が付け加えられる。これを聞くたびに「そもそも、計画性が無いから借金をしているのでしょうに」とツッコミを入れたくなるのだが、それが概ね現実だ。
対策は急を要する。日銀の金融政策の影響もあって貸出金利が下がり、伝統的な法人向け融資が儲からなくなっている現在、銀行業界は、「金持ちからは運用商品の手数料を取り、貧乏人からは金利を取る」ビジネス・モデルを強化するインセンティブに満ちている。
銀行はより多くの収益を稼ぐことを目指さなければならない存在なのだから、彼らの自主性に、消費者保護を委ねるのは間違っている。
この問題を放置しておくと、銀行のカードローンの残高はますます拡大していくだろうし、その過程で過大な債務を負う個人が増えていくだろう。
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