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仰げば尊し、わが社の恩 「繁忙期残業100時間」は朗報か? 悲報か? 熟年離婚で夫婦どちらも「老後ビンボー」に! 「定年
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/426.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 24 日 00:21:47: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

仰げば尊し、わが社の恩

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

2017年3月24日(金)
小田嶋 隆

 先週の今頃、いわゆる残業時間の上限を100時間未満とすることで労使の話し合いが一致したというニュースが流れてきた(こちら)。

 様々なソースをあれこれ読み比べて確認してみたのだが、このニュースを伝える文章は、どれもこれも、どこからどう見ても、あらゆる点でどうかしていて、私の感覚では、マトモに読み進めることができない。支離滅裂過ぎて意味が読み取れないというのか、すべての前提があまりにも異常過ぎて、うまくアタマが回らないのだ。

 だって、労使が合意した残業時間の限界点が「過労死ライン」を超えた先に設定されているって、これ、死んだ人間だけが受け取れる死亡保険金を担保に借金をするみたいな、ジョークにしてもあんまり悪趣味でしょうが。

 最初に前提部分の話をしておくと、私は、今回の労使間の議論の源流にある「働き方改革」という言葉が、すでにして異様だと思っている。

 「働き方改革」は、第3次安倍内閣のもと、2016年9月26日に内閣総理大臣決裁によって設置された内閣総理大臣(第97代)・安倍晋三の私的諮問機関であり「働き方改革実現会議」が中心になって推し進めることになっている改革なのだが、個人的には、この会議の名称にも気持ちの悪さを感じている。

 ついでに言えば、この「働き方改革実現会議」の背景にある「一億総活躍社会」という言葉も強烈な違和感を覚えているのだが、そこまで網を広げると話が拡散してしまう気がするし、前にも書いたので(こちら)別の機会に。

 話を元に戻す。

 「働き方改革」と言ってしまうと、成句の構造上「改革」の成否は労働者の側に帰せられることになる。
 それ以前に、「労働者の働き方が間違っているからそれを改善する」というスジのお話に聞こえる。

 つまり、「働き方改革」という言い方で問題に取り組もうとする限りにおいて、あくまでも言葉の響きの上での話ではあるが、残業が多過ぎることも、労働生産性が低い傾向も、過労死が相次いでいる現状も、すべては労働者の側の「働き方」が悪いからだという認識から出発せねばならないことになるわけだ。

 考え過ぎだと思うだろうか?
 私はそうは思わない。
 タイトルを甘く見てはいけない。
 特に、「改革」のようなものを立ち上げる時は、自分たちが、何のために何のどの部分を改革するのかをはっきり指し示した上で動き出さないと、成果を上げることは期待できない。

 「働き方改革」というフレーズは、その意味で的を外している。

 この言い方だと、労働者の働く意識や、働く方法や、働く姿勢が間違っていることがすべての元凶で、それを改めるためには、個々の労働者が自分たちの働き方と仕事に対する取り組み方と、仕事への意識の持ち方を見つめ直して、より効率的に、生産性高く、意識高く働くべく自らを改革して行かなければならないってな話に落着してしまう。

 そうでなくても、「働き方改革」は、雇用主や労働基準監督局や経営側が取り組むべき課題であるよりも、より強く労働者の側が意識改革として取り組むべき努力目標であるかような響きを放射している。

 よりくだけた言い方をするなら、「働き方改革」という言い回しは、うかうかすると、

「おまえらがダラダラ働いてるから残業が減らないんじゃないのか?」
「いつまでも職場の人間とダベってないでキビキビ働けってこった」
「っていうか、残業代目当てに用も無いのに会社に残ってるんじゃねえよ」

 ぐらいなことを示唆しているようにさえ聞こえるわけで、であるとすれば、こんなたわけたキャッチフレーズを掲げている限り日本の労働問題は改善の端緒にたどりつくことさえできないに決まっているのである。

 本来なら、残業の問題は、「働かせ方改革」という言い方で、よりストレートに雇用側の使用責任を問うカタチで規定されるべきイシューだ。

 「働かせ方改革」がピンと来ないのなら、さらに具体的に「人員配置改革」と言い直しても良い。その方が、解決の方策がずっと見渡しやすいはずだ。

 最近、『豪腕――使い捨てされる15億ドルの商品――』(ハーパーコリンズジャパン)という本を読んだ。米大リーグで、投手の4分の1がトミー・ジョン手術(内側腹側靭帯再建手術)を受けることになっている現状に対して警鐘を鳴らしている書物で、投手の酷使と故障の問題について、1試合の投球数、登板感覚、投げる球種、休養のあり方などなど、様々な方向からの仮説や提案を、現役の投手や医師への徹底した取材とともに紹介した好著だ。

 詳しい内容は本書の内容に譲るが、提示している問題の核心は、投手の故障が「酷使」に起因しているという至極単純な事実のうちにある。

 よって、野球のピッチャーの肘という、人間の肉体に付けられる値札で最も効果な部分を防衛するための最良の方法は、それを大切に使うこと以外に無い。実にシンプルな話だ。

 さてしかし、日米の球界では、先発投手の投球数や登板間隔への考え方がかなり異なっている。

 おおまかに言って、日本のプロ野球が1試合の投球数にさほどこだわらない(日本のプロ野球の投手は、時に1試合で150球以上を投げきることがある)代わりに、登板間隔を長めに確保する(先発投手は通常、中5日ないしは中6日の間隔で登板する)のに対して、米大リーグでは、1試合の投球数の上限をおおむね100球以内に制限する一方で、先発投手のローテーションは基本的に中4日で回している。

 いずれの運営方法が投手の肘や肩にとって負担が少ないのかは、議論の分かれるところでもあれば、個人差を含む部分でもあって一概には言えない。が、どっちにしてもはっきりしているのは、日米いずれの球界でも、結局のところ、ピッチャーが酷使されているという事実だ。

 この「限られたピッチャーが酷使される傾向」を改めるためには、思い切った投球数制限ないしは登板間隔制限を課すか、ベンチ入りの選手の人数(あるいはダグアウトで準備するピッチャーの数)を増やすか、年間の試合数を減らすか、あるいは野球のルールそのものを変えて、1試合のイニング数をたとえば5イニングに短縮するといったような、ドラスティックな変化が求められる。

 とはいえ、監督が優秀な投手を酷使することは、野球が勝利を目指す競技である限りにおいて、むしろ当然の取り組みであるわけで、とすれば、投手の酷使傾向を改善する手立ては、監督の采配術や投手自身の気持ちの持ちようの中からは到底導き出されない。

 「ピッチング改革」や「投げ方改革」のようなお題目を掲げてみただけのおざなりな取り組み方からは、なおのこと生まれない。

 ピッチャーの酷使を改めるためには、「投げさせ方改革」、さらには「野球ルール改革」「試合日程改革」「ベンチ改革」といった、野球の競技としての前提を構成するルールや日程や営業方針の根本的な改革に取り組まなければならない、と、当たり前の話ではあるが、つまりはそういうことなのだ。

 もうひとつ例をあげる。

 教育現場から体罰を駆逐するために「体罰改革」を掲げても、おそらくたいした効果はあがらない。生徒にヘルメットを装着させたり、受け身の取り方を指導することで安全な体罰の推進を促したところで、肝心の教師の側が体罰を教育の一環と見なしている限り、状況の改善は期待できない。

 体罰を根絶するためには、まず最初に教育者による「体罰」が、一般人による「暴行」とは別種の、一定の愛情と教育効果を伴った動作であるかのごとき類推を許す「体罰」という用語を駆逐せねばならない。

 でもって、たとえば「暴力教育追放運動」であるとか「対生徒暴行摘発改革」といった、より目的をはっきりさせたタイトルの取り組みを開始せねばならない。

 「働き方改革」は、体罰問題における「殴られる側」に焦点を当てた言い方で、その意味では「殴られ方改革」で、体罰を根絶しようとする試みに近い。
 真に改革を望んでいるのなら、「殴っている側」を摘発しないといけない。

 残業問題で言うなら、残業を強要している側の人間やシステムを変えるべきだということで、その場合、やはり改革のスローガンは、「人員配置改革」ないしは「職場改革」(いっそ「職馬鹿威嚇」でも良い)の方がずっとわかりやすい。

 さて、言葉の問題を措くとしても、100時間という数字は、やはりどこからどう見ても圧倒的に狂っている。

 決定の経緯もどうかしている。
 報道によれば、経団連が「月100時間」、連合が「月100時間未満」を主張して譲らずに対立が続いていた状況を踏まえて、安倍首相が、13日に開催された、首相、経団連、連合の三者会談の中で、両トップに

 「ぜひ100時間未満とする方向で検討いただきたい」

 と要請したということになっている。
 で、経団連と連合の両首脳は会談後、記者団に対し、

 「首相の意向を重く受け止めて対応を検討したい」

 と口をそろえた、てなお話になっている。
 なんという予定調和というのか出来レースというのか稚拙なプロレスというのか茶番劇であろうか。

 それ以前に、「100時間」と「100時間未満」を争っていたことになっている労使双方による争点の、なんとみみっちくも白々しいことだろう。

 ちゃんちゃらおかしくて笑うことすらできない。

 そもそも労働者の時間外時間については、労働省告示「労働時間の延長の限度等に関する基準」によって、その上限が1カ月の場合は45時間、1年の場合は360時間と規定されている。

 ということはつまり、月100時間の残業は、その着地点からしてすでに法令違反だ。

 とすると、このたびの合意は労働側と経営側の偉い人たちが集まって話し合いを重ねた結果、現行法で許されている残業時間の2倍以上のところで線を引くプランに労使双方が賛成したというお話になるわけだが、いったいこれはどこの世界のディストピア小説の一場面であろうか。

 違法な残業で職場を運営することに労使が合意したということはつまり、間違っているのは法律の方で、現実はあくまでも法律とは無縁な場所で動いているということなのだろうか。

 この手の話題に、法令遵守一点張りの理屈を持ち込むのは、あんまりスジの良くない態度だ。

 実際、法律を盾にものを言う学級委員長ライクな説得術は、現実の労働現場で働いている生身の人間の耳には、書生くさい理想論にしか聞こえないものなのかもしれない。

 というのも、今回、時間外労働の上限規制について労使が話し合いを持たなければならなくなったこと自体、そもそも労働基準法の規定ないしは「サブロク協定」(正式には「時間外・休日労働に関する協定届」。 労働基準法第36条が根拠になっていることから、一般的に「36協定」という名称で呼ばれている)が、あまりにも労働現場の実態にそぐわない非現実的な「絵に描いた餅」だったことを反映しての出来事だったからだ。

 法令だけの話をするなら、日本の公道には、どこの場所のどんな道路であれ、100km/h以上で走って良い道は1本も通っていない。とすれば、その日本の道路を走る日本のクルマが、100km/h以上の速度で走る性能を備えていること自体、違法な運転を促すけしからぬ事態だと言って言えないことはないわけだが、事実としては、日本の自動車会社が自社製の自動車に取り付けているスピードリミッター(最高速度制限装置)は、自主規制により180km/hに設定されている。

 とすると、この180km/hと100km/hの幅はいったいどんな意味を持っているのだろうか。

 もしかして、今回決まった100時間という数字は、スピードリミッターの180km/h制限と同じく、

 「建前論を言えば100km/h以上はそもそも違法だって話なんだけど、まあ、それは法令上の目安てなことで見てみぬふりをしておくことにするとして、それでも180km/hは、絶対に超えてはならない命を守る最後の一線としてメカニカルにフィジカルに絶対的に強制しておかなければならない」

 ということなのかもしれない。

 「色々と職場ごとに事情もあるだろうし、繁忙期ってなことになれば、そうそう法令遵守一辺倒で働いているわけにもいかないことはわかる。でもそれでも100時間の線だけは死守しないとダメだよ」

 ということなら、まあ、こんな尻抜けの合意でも、まるで意味がないということはないのかもしれない。

 とりあえずは、最初の一歩として数字が出てきただけでも上等だと、そう考えている勤労者ももしかしたら、少なくないのだろう。

 でも、自動車の場合、リミッターが180km/hだからといって、100km/hを超える速度で走っていれば、いずれ取り締まりの網にひっかかることになっている。

 バレなければ大丈夫だとは言っても、どんな場合であれ速度を超過して走っている現場を警察官に押さえられたら罰金と違反点数を召し上げられる恐れは常にあるわけで、そういう意味では、100キロ制限という規定は、まるで有名無実な空文であるわけではない。一定の有効性を持っている。

 ところが、「サブロク協定」には、何の罰則も無い。そもそも違反を取り締まる機関が想定されていない。

 そのあたりを考えると、100時間というこのウソみたいな合意点は、奇天烈で非人間的で猛烈に悲しくて哀れで靴下臭くはあるものの、日本の労働者がはじめて手にした有効な残業撤退ラインであるのかもしれない。

 まあ、その残業限界点が、過労死ライン(月80時間なのだそうですよ)を超えた場所に設定されているあたりが、なんだか逆に現実的な感じを与えるあたりがこの話のさびしいところであるわけだが、ひとつ提案がある。

 日本の勤労者が残業を回避できないのは、ひとつのタスクをチームで請け負う前提が守られているからだという話を聞いたことがある。

 つまり、仕事が個人に属しているのではなくて、仕事の方に個人(それもチームで)が属しているから、自分だけの判断で仕事のペースを決めたり、加減することが難しいというのだ。

 実際、自分が休んだら職場の全員に負担がかかる状況では、残業の回避は個人の労働観の問題というよりも、その人間のコミュニケーション作法の問題になってしまう。

 人間関係を大切にする人間は、簡単には帰れないことになる。つまり、自分の私生活を防衛するために仕事仲間の私生活を踏みにじらないといけないみたいな設定になっているとしたら、これはマトモな日本人であればあるほど、定時退社は難しくなる。

 つい3日ほど前、ツイッターに以下のような投稿をした。

《若い人たちが先に進めるのは、3年か4年ごとに卒業式がやってきて強制的に環境がリセットされるからだと思う。環境が新しくなれば、いずれ中味も新しくなる。同じ連中とツルんでいたら人間は変われない。20年同じ会社で働いているオヤジが腐るのは、淀んだ水の中で暮らしているから。》(こちら)

 この書き込みには、意外な反響があって、現在のところリツイート数が5000件を突破している。

 ちょうど卒業式の時期だったということもあるのだろうが、私は、リツイートされた理由は、日本人の多くが、多かれ少なかれ自分たちが「場」に支配されていることを強く自覚しているからなのだろうと考えている。

 「働き方改革」の問題は、「働き方」や「労働観」や「生産性」の問題である以上に「場」の問題だ。

 職場という「場」の持っている巨大な呪縛が、そこで働く人間たちに残業を強いている。

 残業時間が減る代わりに、職場の居心地を失うのだとしたら、他の場を知らない中年以上の世代は大反対するはずだ。

 逆に言えば、職場の外に有効な「場」(友人、家庭、趣味のサークルなどなど)を持っていない勤労者は、自動的に残業に依存するようになるのだろうし、職場は職場で、残業によって従業員から職場以外の「場」を奪うことで、彼らの忠誠心を確保しようとしているのかもしれない。

 ともあれ、こんな現状をもし本気で打破したいなら「自分にとっての所属時間が、わりとすぐ終わる場所」に、会社を変えてしまうしかない。学校に通う子供たちがそうであるように、3年か4年ごとに卒業式がやってくるのであれば、日本の大人も、もう少し自分本位の振る舞い方ができるようになることだろう。

 うん、山ほど反論が来るのは分かりきっている。だが、「会社なんて、そんなもんだ」と思えなければ、おそらく「働き方改革」だろうが「働かせ方改革」だろうが、きっとうまくいかない。まともな会社で1年持たなかった私だから言える真実だ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/032300087


 

 


「繁忙期残業100時間」は朗報か? 悲報か?

働き方の未来

働き方改革実現会議が「実行計画」を策定へ
2017年3月24日(金)
磯山 友幸

残業時間の上限規制がかかれば、これまで事実上「青天井」となっていた残業時間に歯止めがかかることになる。しかし「繁忙期の上限、1カ月100時間未満」は妥当なのか?
かえって残業を助長しかねないとの危惧も

 「残業100時間を法律で許すなんて暴挙だ」「一律的な規制は限界。自律的に働きたい労働者も考慮すべきだ」──。

 政府がとりまとめた繁忙期の残業時間の上限を1カ月100時間未満とする案について、左右両派から非難の声が上がっている。規制強化を求める労働者側からすれば、法律に「100時間未満」と明記されれば、そこまで働かせることが「合法」だという意識が広がり、かえって残業を助長しかねないと危惧する。一方で、ソフトウェア開発やクリエイティブ系の仕事に就いている人たちは、納期前に集中的に仕事をするなど自分のペースに合わせるのが当たり前で、一律に時間で規制されては仕事がやりにくいという声もある。果たしてこの「上限100時間未満」は、働き手にとって朗報なのか、悲報なのか。

 政府は昨年9月から続けてきた「働き方改革実現会議」(議長・安倍晋三首相)で、3月末までに「働き方改革実行計画」を策定する。長時間労働の是正は、その中の最大の柱のひとつだ。

 3月17日に首相官邸で行われた9回目の会議では、「時間外労働の上限規制等に関する政労使提案」という文書が出された。会議のメンバーでも連合の神津里季生会長と、経団連の榊原定征会長が合意し、安倍首相が了承したものだ。

 そこにはこう書かれている。

<原則>

■ 週40時間を超えて労働可能となる時間外労働時間の限度を、原則として、月45時間、かつ、年360時間とし、違反には次に掲げる特例を除いて罰則を課す。

<特例>

■ 特例として、臨時的な特別の事情がある場合として、労使が合意して労使協定を結ぶ場合においても、上回ることができない時間外労働時間を年720時間(=月平均60時間)とする。

■ かつ、年720時間以内において、一時的に事務量が増加する場合について、最低限、上回ることのできない上限を設ける。

■ この上限については、

 @2か月、3か月、4か月、5か月、6か月の平均で、いずれにおいても、休日労働を含んで80時間以内を満たさなければならないとする。

 A単月では、休日労働を含んで100時間未満を満たさなければならないとする。

 B加えて、時間外労働の限度の原則は、月45時間、かつ、年360時間であることに鑑み、これを上回る特例の適用は、年半分を上回らないよう、年6回を上限とする。
もともと「例外」を除いて、残業は月45時間までのはず

 これを読んで、瞬時にルールを理解できる人は少ないだろう。もともと労働基準法では残業は月45時間までという原則が明記されている。ところが、話をややこしくしているのが「例外」を認めている点だ。労働基準法の36条にはこう書いてある。

 「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間又は前条の休日に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる」

労使で合意さえすればOKの「36協定」

 何ということはない、労使で合意さえすれば、良いとしているのだ。これが「36(さぶろく)協定」と呼ばれるものだ。日本での労働時間は法律で定められている「建前」と労使合意による「本音」の二本立てでこれまでやってきたわけである。その建前と本音のかい離が激しくなっているから、職場での過重な労働が当たり前になっているわけだ。

 当初、働き方改革実現会議では、この36協定を廃止すべきだ、という声が出た。労使で合意すれば例外を設けられるようにするのではなく、法律で上限を決めればよいではないか、というわけだ。

「36協定」廃止の話は消え、特例の上限を決める方向へ

 ところが会議が進む中で、「36協定廃止」の話はどこかへ消え、「本音」である特例の上限を法律で定めるという話になった。要は、労使双方にとって「36協定」は都合が良い制度なのである。ここで言う労使とは連合と経団連だ。

 経団連にとって、労働組合と合意すれば「例外」が設けられる36協定が便利なのは容易に理解できる。御用組合が多い中で、経営側の思いどおりに残業時間を設定できるからだ。では、連合にとっても都合がよいとはどういう事か。つまり、「労使合意」を条件とすることで労働組合の存在意義を確保していることになるからだ。つまり、法律よりも労使合意が超越するという現状を変えたくなかったわけである。

 だが、この労使合意というのも実は「建前」だとみることができる。労働組合の組織率は今や17.3%。大企業を除くほとんどの会社に労働組合はない。法律では組合の代わりに「労働者の過半数を代表する者との協定」を条件にしているが、本当に彼らが労働者の過半数の意見なのかどうかも怪しい。

「組合は『労使合意』を押しつけてくる」

 「組合は敵ですね。会社と残業時間を合意したと言って、社員に押し付けてくるわけですから」。そう労働組合がある大企業の若手社員は言う。組合があるからといって、1人ひとりのライフスタイルにあった「働き方」を実現できているわけではないのだ。

 では、「100時間未満」を法律で定めることは無意味か、といえばそうではない。「100時間未満」という時間よりも、法律で上限を決めるということが大きいのではないか。いったん上限が法律に入れば、その法律を改正して上限時間を徐々に短くしていくという流れになる可能性は十分にある。長時間労働を是正する第一歩になり得るだろう。

「100時間」では、死ぬ寸前まで働け、と言っているに等しい

 だが、いかんせん「100時間未満」という上限は緩すぎる。100時間の残業をして脳溢血で死亡すれば、ほぼ間違いなく労災認定がされる。死ぬ寸前まで働け、と言っているに等しい。とくに危惧されるのは、慢性的な人不足に陥っている飲食店や小売店などの中小零細企業で、「100時間未満」という数字がひとり歩きしかねないことだ。

 厚生労働省が昨年6月に公表した「過労死等の労災補償状況」によると、2015年度の「脳・心臓疾患」による労災申請件数は795件と前年度に比べて32件増えた。請求のうち死亡した例は283件におよぶ。いわゆる「過労死」である。過労死した人の数も2014年度の245件から増えている。

「過労死」のケースで目立つ「自動車運転」と「建設」

 9回目の働き方改革実現会議では、安倍首相が「残る重要な課題」として、2つの職種を挙げた。「自動車の運転業務」と「建設事業」である。長距離トラックの運転手や、深夜にわたって工事に携わる建設作業者は長時間労働を強いられるケースが多い。とくに人手不足が深刻化している現在、さらに長時間の過重労働に追い込まれている。実際、過労死認定されたケースの中で目立つのが「自動車運転」と「建設」なのだ。安倍首相は「長年の慣行を破り、猶予期間を設けた上で、かつ、実態に即した形で時間外労働規制を適用する方向としたい」としており、長時間労働にメスが入ることになりそうだ。

 もっとも、職種によっては単純に労働時間の上限を設けるだけでは、長時間労働の解消につながらないケースも想定される。仕事の仕方自体を変えない限り、労働時間を短くすることは難しい。現在と同じ成果をどうやったら短い時間で上げることができるのか。経営者と従業員だけでなく、顧客なども一体となって、仕事の仕方を抜本的に変える必要がありそうだ。そういう意味ではこの3月にまとまる「行動計画」は、あくまでも第一歩に過ぎないだろう。

緊急アンケートのお知らせ
 日経ビジネスでは日本企業の働き方改革の実態について、緊急アンケートを実施しています。回答にかかる時間は5分程度です。回答は3月27日(月)までにお願い致します。
 集計結果は後日、日経ビジネス、日経ビジネスオンラインなどで発表します。
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このコラムについて

働き方の未来
人口減少社会の中で、新しい働き方の模索が続いている。政官民の識者やジャーナリストが、2035年を見据えた「働き方改革」を提言する。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/032300038/


 

 
熟年離婚で夫婦どちらも「老後ビンボー」に!

「定年男子 定年女子」の心得

ある日突然に、それはやってくる...
2017年3月24日(金)
大江 英樹

大江英樹(おおえ・ひでき)氏
経済コラムニスト。1952年、大阪府生まれ。大手証券会社で個人資産運用業務、企業年金制度のコンサルティングなどに従事。定年後の2012年にオフィス・リベルタス設立。写真:洞澤 佐智子
 長年の会社勤めを終えてようやく定年退職を迎える、今日が最後の出社日。終業時刻になって最後にみんなに拍手と花束で見送られ、職場を後にする。どこの会社でも見受けられる定年の日の光景です。ちょっと寂しいような、それでいてちょっとホッとしたような気持ちで家路に向かう。

 そして家に着いて妻と2人でグラスを交わし、しみじみとそれまでの人生を振り返る。やがて食事も終わり、後片付けをした妻が、新聞を読んでいる自分のところにやってきて1枚の紙を差し出す。何かと思って目をこらすとそれはなんと「離婚届」! 夫の顔に衝撃が走る。こんなドラマのような話が、巷では結構増えているようです。

 2005年に渡哲也さんと松阪慶子さんが主演したテレビドラマ『熟年離婚』は平均約20%という高視聴率を上げ、熟年離婚という言葉が流行語にもなりました。

 事実、厚生労働省の人口動態調査によれば、1990年代に全ての世代で上昇した離婚率は、2000年代以降、婚姻期間10年未満の層で減少に転じたのに対して、婚姻期間20年以上の層では横ばいが続いているのです。

 長年連れ添った夫婦が離婚をするのですから、他人にはうかがい知れない様々な思いがあることでしょう。周囲がその是非をとやかく言うべきではないということは確かですが、ごく一般的に考えた場合、少なくとも老後の生活ということで見れば、熟年離婚には2つの大きな問題があると思います。1つはお金の問題、そしてもう1つは生活の問題です。

経済的には決してプラスにはならない

 まずはお金の問題ですが、先に結論から言ってしまうと齢をとってからの離婚というのは経済的には決してプラスにはなりません。離婚に絡むお金として、具体的に慰謝料や財産分与、そして年金といったところから見ていきましょう。

 慰謝料というのは結婚している相手方の不当な行為によって精神的苦痛を受けた場合に、その償いとして請求できるお金のことを指します。したがって離婚の場合に常に慰謝料が生じるとは限りません。精神的苦痛というのは不貞行為であったり、DV(家庭内暴力)であったりといったことが一般的ですが、他にも慰謝料を請求できるケースはあるでしょう。

 私は法律の専門家ではありませんから詳しいことはわかりませんが、よく芸能人が慰謝料を何千万円も貰ったという話がありますが、あれはもちろん一般的なことではありません。結婚していた期間と責任の度合い、それに相手の経済力によって変わってきます。社会保険労務士の井戸美枝さんによれば、20年以上の結婚期間があっても慰謝料は300万円程度もあれば多い方だそうです。

年金で分割できるのは厚生年金だけ


 次に財産分与ですが、これは結婚している間に築いた財産の半分が目安です。ただし住宅ローンやマイカーローンなどの借り入れはここから差し引きます。サラリーマンの場合、財産の多くは不動産すなわち自宅でしょうし、それもまだローン返済が残っていたりするとその分を引かなければなりませんから、莫大な金融資産でも持っていない限りはそれほど多くのお金にはならないでしょう。

 そして年金です。年金分割という制度ができて、離婚しても妻は夫の年金の一部を受け取れるようになったと言われますが、実際のところは、それほどもらえるわけではありません。

 分割できるのは厚生年金の部分だけですから、夫が自営業なら妻には1円も分割の恩恵はありません。夫がサラリーマンや公務員であれば、専業主婦の妻の場合、半分はもらえます。

 ただしこれは結婚期間に相当する部分ですから、例えば結婚期間が30年で、その間の厚生年金が月額にして10万円ぐらいだとすれば、その半分の5万円が妻の分となります。妻自身の基礎年金と合わせても10万円を少し超える程度ですから、それだけで十分な老後の暮らしができるかどうかは疑問です。夫は夫で、厚生年金が半分になってしまうわけですから、こちらも老後のお金は心細くなります。


作成:社会保険労務士井戸美枝さん(『定年男子 定年女子』より)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030600122/032300004/rule.png


 結局、経済的なことを考えればできれば夫婦円満で離婚などせずに暮らすというのが望ましいわけです。さらに、共に働いて仲良く暮らすことができればベストな選択だと私は考えます。その理由は、経済面のみならず、定年後の生活の面においても、とてもメリットが大きいからです。

熟年離婚よりも怖い高齢離婚

 齢をとって離婚し、1人暮らしになるのは寂しいものです。女性から離婚を切り出す場合、夫と一緒に暮らすのが耐えられず離婚に至るというケースでは特に、離婚した後の妻は生き生きと新しい生活を楽しんでいます。

 逆に離婚を切り出された夫の方は、それ以降落ち込んでしまうことが多いようです。よく言われる「老後の三大不安」は「お金」「健康」「孤独」ですが、熟年離婚によってお金が不安になるだけではなく、離婚によって精神的にダメージを受けて孤独感に苛まれるということになります。

 ひいては健康面にも悪影響を及ぼしかねません。生活していくという面についてもやはり熟年離婚というのはマイナスになる可能性が高いということは言えるでしょう。

 では、そうならないようにするにはどうすればいいのでしょうか。離婚の原因はどちらかが一方的に悪いというわけではなく、多くの場合、複雑な理由がありますから単純明快に「こうすれば絶対大丈夫!」みたいなものはありません。

 正直言って、冒頭のドラマのように定年退職の日に妻から離婚を切り出されたのでは、それを止めることはまず不可能だと言っていいでしょう。

 しかしながら昔と違って今や「人生100年時代」と言われていますから、60歳からでも新しい人生を切り開こうと思えば、不可能というわけではありません。問題は定年後、夫が家にいるようになってから様々なコミュニケーションの問題でぎくしゃくして、あげくは離婚に至るというケースです。

 俗に言われている「夫原病」というやつですね。定年を迎えた夫がずっと家に居ることによって妻のストレスが高まり、心身ともに悪化してしまうと言われているものです。

 夫の立場からすれば、長年一生懸命働いてきてようやく退職し、家でのんびりしているのにどうしてそんな風に言われなきゃならないのか、と思うかもしれませんが、奥さんの立場からすれば家のことは何一つせずに、ただ世話がかかるだけの夫の存在が憂鬱に感じるのは仕方ないことだと思います。こうしたストレスが積み重なって残りの人生が少なくなった時点でさらに悲惨な「高齢離婚」になるのは何としても避けなければなりません。

夫婦は同じ趣味などなくてもいい

 そのために大切なことだと私が思うのは、夫も妻もお互いに自立することだと思います。特に夫は仕事をしないのであれば、積極的に家事をすべきです。

 少なくとも奥さんの忙しいときは食事ぐらい自分で作ることが必要です。何もせずに家でゴロゴロして「おーい、メシはまだか?」というのは最悪のパターンです。妻が出かけようとすると「あれ、俺のメシは?」というのも同じです。小さい子供じゃないのだから、簡単な食事ぐらい自分で作ればいいのです。

 どうしてもできなければどこでも総菜は売っていますし、外に食べに出かけてもいいのですから。もし料理が苦手なら掃除でもなんでもかまいません。少なくとも定年後は家の中では家事についてイコールパートナーだという意識を持って「自立」することが求められます。


イラスト:フクチマミ
 私自身、定年後は家で料理をすることが増えました。やってみると結構楽しいものです。料理本なんか買わなくても最近は料理に関するネットの投稿サイトを見ればレシピはたくさん載っています。

 「男の料理」にありがちな高価な食材を一杯買ってくる必要もありません。台所で余っている食材をキーワードとして入れて検索すれば、それを使ったお料理の数々が出てきますので、自分で考える必要もありません。料理というのは段取りがすべてですから、料理しながら片づけることも考えると、脳の活性化には最も効果があるそうです。

 私はどちらかと言えば家で仕事をすることが多く、妻は外へ働きに行くのでたまに早起きすると妻のお弁当を作ったり、終日家にいるときは晩御飯を用意していたりすると喜ばれます。ボケ防止に加えて妻からも感謝され、自分の楽しみも増えるという、いわば一石三鳥だと言えます。

 もちろん、こうした料理をはじめとする家事だけに限らず、外での仕事についてもイコールパートナーと考えるのが理想でしょう。できれば夫も妻も現役時代だけではなく定年後も自立して自分で働くことをおすすめしたいです。経済的にも、夫婦のコミュニケーションの面から見てもこれがベストな選択肢だと思うからです。

 企業が実施している定年間際の「ライフプランセミナー」などで、よく「定年後は夫婦で共通の趣味を持ちなさい」とか「夫婦で一緒に過ごせる時間を作りなさい」みたいなことを言われますが、私はこういうステレオタイプな思い込みは間違いだと思います。

 共通の趣味などなくてもいいのです。大事なことはお互いを尊重し、互いの領域に踏み込み過ぎないことだと思います。夫婦とはいっても他人ですから、趣味や興味が違うのは当たり前です。それを無理に合わせようとするからストレスが溜まるのです。もちろん自然に同じ趣味を持っているのであれば、それはとても結構なことです。一緒に楽しめるのであればそれに越したことはありません。ただ、無理やり一緒に活動する必要はないということなのです。

 私は親、兄弟、子供は血のつながった他人、そして夫婦はこれまで一緒に戦ってきた戦友だと思っています。できることならこれからも同じ人生をずっと一緒に戦っていけるのが理想です。そのためにも夫婦は決して無理をして相手に合わせようとせず、互いに相手を尊重して暮らしていくことがベストと言えるのではないでしょうか。

本内容をもっと詳しく知りたければ…
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 「定年後は悠々自適神話」は崩壊。65歳まで働くことを覚悟している現役世代がほとんど。
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 さらに65歳で会社を「卒業」し、年金収入だけになったら、本当に暮らしていけるのか…。 親や自分の介護にかかるお金は? 60代からの就活ってどうやればいい?

 人生100年時代に、経済的にも精神的にも豊かな定年後を送るために現役時代から準備すべきことを、お金のプロであり、リアル定年男子&定年女子のふたりが自らの経験と知識を総動員してガイドする。

定年男子 定年女子、トークイベントを開催!
『3月31日(金)、紀伊國屋書店大手町ビル店 紀伊茶屋にて!』

このコラムについて

「定年男子 定年女子」の心得

STOP! 老後破産。定年男子こと、元金融マンで経済コラムニストの大江英樹氏が本音で語る「金持ち老後」入門コラムです。「不安な未来」に向けて、何をどう備えるべきか。定年退職時に預金150万円しかなかったという自らの体験を基に、優しく解説します。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030600122/032300004

 

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