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「紙幣や国債は返済する必要がない」は本当か
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170320-00163330-toyo-bus_all
東洋経済オンライン 3/20(月) 6:00配信
「財布に入っている1万円札が日本銀行の借用証書であり、お札の持ち主が日銀に1万円を貸している」と考えている人はほとんどいないのかもしれない。しかし「実はそうなのである」ということをここであらためて考えたい。
最初から注意を促しておきたいのであるが、1万円札は「日銀がいつまでも返済する必要のない借金」などではなくて、「日銀がいつでも返済することを期待されている借金」なのである。紙幣が「返済される」からこそ日々無数の経済取引が紙幣を介して滞りなく取り結ばれている。当たり前であるが、この大切なことを一部の人は忘れているようである。
■江戸時代のコメ取引でたとえると?
まずは日銀のような中央銀行がまだ存在せず紙幣が発行されていなかった時代のことを考えてみよう。たとえば商人が農家から大量のコメを買うとする。コメ商人はコメ農家に対して支払期日と支払金額を定めた手形を振り出す。通常、手形の額面金額はコメの支払代金を上回るが、この差額部分が期日までの利息に相当する。
いずれにしても「手形が期日に返済される」という前提があるからこそ、コメ農家は支払代金としてコメ商人が振り出した手形を受け取るのである。
「手形が期日に返済される」という前提が満たされていると、その手形はコメ商人とコメ農家の関係を超えて市中に出回る可能性が出てくる。たとえばコメを売った農家が他の農家から麦を買う場合、その手形で代金を支払えばよい。その際、手形の持ち主がコメ農家から麦農家に交代することが手形に裏書きされる。
■日銀の紙幣は、実は手形と同じ
さらにはコメを買うために手形を振り出した商人が遠方にいると、コメ農家から手形を受け取った麦農家はわざわざ遠方に取り立てに行かなくても近くの両替商に手形を持ち込めばよい。両替商では、コメ商人の住む町に近い店が、麦農家に代わってコメ商人に出向いて返済を求めるわけだ。
このようにコメ商人が振り出した手形は、最終的に返済されるまでの間、あたかも紙幣のように代金の支払い手段として市中を駆け巡ることができる。
紙幣も実は手形である。中央銀行が「期日を設けずに振り出した手形」なのだ。ただし紙幣の受け渡しごとに裏書きをする必要がなく、紙幣を保有している者が直ちに貸し主である。中央銀行制度ができた当初は、中央銀行の窓口に紙幣を持ち込むといつでも金や銀に換金してくれた。すなわち中央銀行の紙幣は、「いつでも金や銀の形で返済される」という前提があったからこそ支払い手段として市中に流通した。
■「いつでも返済される」ということが大前提
しかし、今の1万円札は日銀の窓口に持ち込んでも1万円相当の金や銀に換えてくれることはない。とはいえ、依然として「いつでも返済される」という性質を備えている。
まずは1万円札を民間銀行に預け入れると通帳に記帳される。つまり保有者からすれば1万円相当の民間預金の形で返済されたことになる。1万円札を預かった民間銀行は、それを日銀に持ち込んで日銀に開いた当座預金に入金する。ただし日銀の当座預金も、紙幣と同じく日銀の負債だ。これでは1万円札が当座預金に代わっただけで、返済されたことにならない。
日銀は民間銀行に対して1万円をどうやって返済するのであろうか。実のところ今の日銀は「確実に返済を期待できる証書」である国債と交換することで民間銀行に対して当座預金を返済しているのである。
現在、民間銀行は日銀に大量の国債を売った資金を日銀の当座預金に預け入れているが、それとても「いつでも返済される」ということが日銀と民間銀行の間で了解されている。金融情勢が変化して低利(旧契約は0.1%、新契約はマイナス0.1%)の当座預金に預け入れていることが不利だと考える民間銀行は、当座預金の資金を国債で「返済」するよう日銀に求めるであろう。あるいは当座預金金利の引き上げで貸し出し条件を改善するよう求めるであろう。2016年初頭に導入されたマイナス金利政策に対して民間銀行が憤慨したのも、日銀が当たり前の了解事項を踏みにじったと考えられたからである。
■「いつでも返済される」から流通している
以上をわかりやすくまとめておこう。
まずわれわれが1万円札を民間銀行に預け入れる。民間銀行は1万円札を日銀に持ち込み、当座預金に預け入れる。金融情勢次第で民間銀行は「確実に返済を期待できる」国債で日銀から返済を受けることができる。こうした1万円の等価交換の連鎖をみてくると、「いつでも返済される」紙幣と「確実に返済を期待できる」国債が両輪となり1枚1枚の紙幣の流通が支えられていることになる。
■「返済しなくてよい」なんて、誰が言った?
現在、盛んに議論されている金融政策提言の中でも、アデア・ターナー氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授(米コロンビア大学)が主張する大胆な提言では、日銀が保有する国債について「いつまでも返済する必要がない」のであるから「ないもの」とすれば、日本の公的債務問題はずいぶんと解消されるというものである。いったん日銀が保有する国債が無効とされれば、日銀は紙幣や当座預金を返済する原資を永遠に失ってしまう。
一方、クリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)が主張している慎重な提言では、国債の「返済されない度合い」を政策的に微調整できるとして、「当面、返済されない」国債や紙幣が実質価値を下げて物価が上昇することを期待している。
しかし、これら2つの考えは、国債と紙幣が「返済される」という大前提によって1つ1つの通貨取引が守られているこの仕組みを、根底から殺(あや)めてしまう点ではまったく同じである。
私たちの社会にとってきわめて大切な通貨制度の根幹を揺るがしてまで達成しようとすることが、公的債務を踏み倒し、通貨や国債の価値を毀損して物価を上昇させることにあるならば、そのような経済政策は「どうかしている」としかいいようがないと思う。
斉藤 誠
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