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【第201回】 2017年3月18日 降旗 学 [ノンフィクションライター]
「大学生の半数は全く読書をしない」報道のカラクリ
若い世代の人たちが本を読まないだろうことは何となくわかっていたから驚かないつもりでいたのだが、先月、全国大学生活協同組合連合会(東京)が行なった調査で、“一日の読書時間ゼロ”と答えた大学生が五割に達したという結果には少なからず驚かされてしまった(調査対象:全国国公私立大学三〇校・回答:一万一五五人)。
五割ということは、大学生の二人に一人である。彼らが一日に本を開く時間がゼロということは、一年間に一冊の本も読まないということなのか――?
最近は電子書籍もコンテンツが充実してきたみたいだから、そちらで読んでいるのかしら……、とも思ったが、読書時間がゼロなのだから電子書籍も利用しないのだろう。
この調査は二〇〇四年から始まっているが、読書すると答えた学生の平均読書時間も“二十四・四分(前年比四・四分減)”で調査開始からいちばん低い数値になった。逆に、スマートフォンの利用時間は平均“一六一・五分”と前年より五・六分も増えているのだとか。
参考までに、二〇一四年の調査では、読書時間ゼロと答えた学生は文系三四%、理系四四%で初の四割越えとなり、昨年の調査では読書時間ゼロが四五・二%に増加、そして今年の調査でついに五割を超えた(読書平均時間は二〇一四年が二十九・九分、二〇一六年が二十八・八分と減少)。
とどのつまり、昨今のハイティーンは、さながら“書を捨てよ、スマホをいじろう”ということになるみたいだ。
大学生が本を読まなくなったのは、スマホのアプリがより多機能化されて充実し、本を読むより楽しくなったからか、それとも読みたいと思えるような本を出版社が提供しなくなったからかはわからないが、おそらくはそのどちらもが若者の“読書離れ”に加担してきたようにも思う。であれば、私のようなモノ書きにもその責任の一端はあるのだが。
紙(製紙法)を発明したのは、中国(後漢)の宦官・蔡倫で、西暦一〇五年とされている。それから約一三〇〇年を経た一四四〇年前後にドイツのヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明した。出版文化の始まりである。
日本の和紙が無形文化遺産に登録(二〇一四年)されたとき、いつもの如くと言っていいのだろう、韓国は和紙の技術を日本に伝えたのは我々朝鮮民族だと言い始め、中国も紙を発明したのは中国だとクレームをつけたが、中国の宣紙(手漉き技術)もユネスコの無形文化遺産に登録されている。
活版印刷技術を発明したグーテンベルクを記念する『グーテンベルク博物館』はドイツ西部の町ハインツにあるのだが、グーテンベルクが活版印刷技術の開発に着手したのはフランスにあるストラスブールという町だったそうだ。この町にはゲーテやモーツァルト、パスツールらが暮らしたこともあるが、一七世紀初め、ヨハン・カルロスという人物がこの町で創刊した『レラツィオン』という新聞が世界最古の新聞と言われている(世界新聞協会も承認)。
また、世界新聞協会によれば、現在も発行されている新聞の中で世界最長の歴史を持つのは一六四五年創刊の『ポスト・オック・インリーケス・ティードニンガル(郵便国内新聞・スウェーデン)』になるのだそうだ。一六四五年と言えば、日本では三代将軍徳川家光のころで、剣豪と謳われた宮本武蔵が死去し、松尾芭蕉や徳川綱吉が生まれた年代でもある。
が、世界最長発行の新聞は、残念なことに、刊行は続いているものの、十年前に紙から撤退し、インターネットサイトに移行したとのことだ。
まるでこんにちの出来事を予見していたかのようでもあるが、およそ六〇〇年にわたり、紙に印刷された文字が情報や知識、教養の発信源となっていた時代は終わりを告げ、いまやインターネットとスマホが新聞や雑誌、書籍に取って代わる時代になった……と言ってもいいのだろう。
出版業界で言えば、業界全体の売上高は一九九六年の二兆六五六四億円をピークに、以降はこれでもかというくらいの“右肩下がり”を続け、二〇一三年には一兆七〇〇〇億円にまで落ち込んだ。わずか十七年で、売り上げは一兆円も減ったのである。全体の、およそ四割だ。本が売れない時代なのである。
また、一九九九年には約二万二三〇〇店があった書店の数も、二〇一三年には約一万四〇〇〇店にまで減っている。売り上げが一兆円も落ち込み、書店が一万店も減る……、これを危機と呼ばずしてなんと呼べばいいのか。
若者の読書離れはイコール出版界の危機でもあるのだが、総合月刊誌の『新潮45』がちょうど二年前の号(二〇一五年二月号)で、出版文化の危機についての大特集を組んでいる。
そこで数学者の藤原正彦氏(新田次郎・藤原てい夫妻の次男 ← 本好きには説明不要の経歴)は、読書は教養を育み、その“教養”とは、〈自分を変えずに、あるがままの自分を完成するための手助けみたいなもの=生まれたときから持っているその人の個性を生かしたまま、人格をだんだんと完成していくために必要なもの〉と書いている。
そして、感涙したり、感動のあるものは全て教養だと藤原氏は言う。
〈実体験を重ねることは非常に大切です。さまざまな人間と会い、話をして、恋をしたり、裏切られたり、騙されたり、喧嘩をしたり、悲しい別れにあったり、そういった体験すべてが教養になる。それが、後々の選択や判断にあたって効いてくるのです〉
だが、人生は短く、経験を積むにも限界がある。実体験できないことを補う作業が“読書”だと藤原氏は説く。
〈読書を通してなら、古今東西の賢人の言葉に耳を傾けることができます。あるいは、庶民の哀歓に涙することもできる。金持ちの驕り、貧しい人々の苦しみに触れることもできる。美しいものに感動することもできる。ありとあらゆる経験をなぞることができるのです〉
この言葉が、果たしていまの若い人たちに届くだろうか。
私が記者になったのは一九八〇年代の後半で、バブル前夜のような時期だったが、学生時代の私は年に一二〇〜一五〇冊前後の小説を読んでいた。周りを見渡せば、つるめばナンパに精を出すか平日なのに二日酔いで講義をサボるか徹マンに興じているといった不良学生ばかりだったが、友人たちはみな私と同じくらいの読書を当たり前のようにしていた。
記者になってすぐ、担当編集者に、きみは年間どれくらいの本を読むのかと訊かれ、実際に読んでいたとおりの数字を挙げると、たったそれだけか、と呆れられたことがある。その程度の読書量でいっぱしのモノ書きになれると思うなよとか何とか。
でも、そういう時代だった。誰もが本を読む時代だったし、大学の友人の中には私以上に本を読んでいるやつがざらにいたから、履歴書の“趣味”の欄に“読書”と書くのが恥ずかしくて、別の趣味を記入したものだった。だが、いまなら、年に一〇〇冊くらいの読書量があれば堂々と趣味欄に“読書”と書けるのだろう。
私はいまでも電車移動の際は文庫本だ。が、車内を見渡しても、雑誌なり文庫本を広げている人を見かけるほうが珍しくなった。あるときなどは、真向かいの席に座った全員が携帯電話を見ていた、なんてこともある。出張の新幹線に乗っても、みんな携帯に熱中している。なんだか、現代人はスマホに支配されているみたいだ。
北野武(ビートたけし)氏が、スマホ依存に警鐘を鳴らしている。
〈オイラも、実はスマホを使わないワケじゃない。カメラ代わりに写真を撮ったり、思いついたネタやアイディアをメモしたりすることもある。だけど、アレに一日中かじりついてるってのは正気じゃない。本当に大事にしなきゃいけない自分の時間を奪われてるってことに気づかなきゃいけない(中略)コミュニケーションやエンターテインメントのツールとしてスマホが役立ってるのは認めるけど、かといって「ネットで調べればいいから知識はいらない。要はネットを使いこなす頭脳だ」みたいな風潮は絶対おかしいね〉
スマホにかじりつく時間が増えたぶん、若者が本を読まなくなったという調査を踏まえて、たけし氏は続ける。
〈「ネットがあれば何でもできる」と思っている世代は、「世の中にはネットに書かれていないもっと深い世界がある」ということに思いが至らない。それが弱点なんだよ。そのことに気づいていればいいんだけど、そうじゃない気がするね〉(『テレビじゃ言えない』小学館新書より)
たけし氏には何度かお目にかかったことがあるのだが、同席したオフィス北野の森昌行社長は、本人が席を外したときに、たけしの読書量にはとにかく驚かされると言っていた。軍団の若手に、たとえば嗅覚に関する本を十冊買ってこいとか、コンクリートについて書かれている文献を十冊買ってこいと命じ、それらを全部読んだうえで番組の企画などを考えているのだそうだ。
なぜ同じような本を何冊も読むのかと森氏が訊いた際、たけし氏は、同じテーマの本を十冊読めば、だいたいの仕組みを理解できるようになるからと答えたそうだ。ともすれば同じことが書かれている本を十冊読む時間をたけし氏は惜しまないのだという。
若い人たちがスマホに熱中するのはわかるし、そのために本に触れる時間が減るのも理解できる。大学生の五割が一日に全く読書をしないという調査結果は驚きだが、結果をくまなく見ると、それにも“からくり”があることに気づく。大学生協連の調査結果を、メディアはこんなタイトルで伝えてきた。
『大学生の四割が読書時間ゼロ 大学生協連調査』(日経新聞2014年2月26日)
『大学生四五%が読書時間「ゼロ」と回答、過去最高に 大学生協連の調査』(ハフィントンポスト2016年2月28日)
『大学生の読書時間、「ゼロ分」が五割に』(朝日新聞デジタル2017年2月24日)
日経新聞もハフィントンポストも朝日新聞も大学生の読書時間“ゼロ”ばかり見出しに使っているが、大学生協連が調査を始めた二〇〇四年当初から、読書時間ゼロと答えた大学生が三八%前後もいるのだ。それが三五%前後に下がったり戻ったりを繰り返して、二〇一四年に初めて四〇%を超えた。
と同時に、毎日一時間以上読書をすると答えた大学生は、調査開始当初からずっと二五%前後はいるのである。一日三〇分〜一時間は読書をすると答えた大学生も同じように毎年二五%前後はいるのだ。
だから、調査した大学生の二人に一人は全く読書をしないが、四人に一人は毎日一時間以上の読書をし、その他も一時間以下だが毎日読書をしている――、が正しい調査結果だ。なのに、どういうわけか新聞屋さんは、“四人に一人は毎日一時間以上読書している”という事実を記事にしようとしない。
全く読書をしない大学生が五割、とショッキングな内容ばかり報じるのはメディアの悪い癖だ。
調査に協力した大学生の中には、いまでは“死語”になっているかもしれない“活字中毒”がいるかもしれない。若者の活字離れが問題になって久しいが、この中毒だけは歓迎だ。面接で、印刷されたばかりのインクの匂いが好きです、なんて答える受験生がいたら、私が面接官だったら即座に内定を出す。残念なことに私が面接官になることはないのだが。
出版業界では名物編集者として知られた石井昴氏(新潮社常務取締役)がさきの『新潮45』で、かつて開高健氏が提唱した“出版人マグナ・カルタ九章”を紹介している。業界では有名な大憲章で、編集者に限らず、これからの若い人にも通じることのように思えるので抜粋する。
一、読め。
二、耳をたてろ。
三、両目をあけたままで眠れ。
四、右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ。
五、トラブルを歓迎しろ。
六、遊べ。
七、飲め。
八、抱け。抱かれろ。
九、森羅萬象に多情多恨たれ。
社会に出ると時間に追われたり、すべき事柄が増え、否が応でも本に触れる時間は削られる。思う存分の読書が許されるのは若いときだけなのだ。その機会を逃すのはもったいない。だから、先ず、読書より始めよ、なのである。
参考記事:日経新聞2014年2月26日付、ハフィントンポスト2016年2月28日付、朝日新聞2月24日付、NEWSポストセブン2月18日新潮45:2015年2月号
(ノンフィクションライター 降旗 学)
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http://diamond.jp/articles/-/121722
大学生の就職内定率90%超 平成12年以降で最高
3月17日 17時11分
この春、卒業予定の大学生の就職内定率は、先月1日の時点で90%を超え、比較が可能な平成12年以降で最も高くなっています。
厚生労働省と、文部科学省が全国の大学生4700人余りを抽出して調査した結果、先月1日の時点の就職内定率は90.6%と、去年の同じ時期を2.8ポイント上回りました。内定率が改善するのは6年連続で、比較が可能な平成12年以降では、最も高くなっています。
地域別では、関東と近畿がいずれも91.9%と最も高く、次いで中部が91.5%、北海道・東北が89.7%、九州が86.8%、中国・四国が86%で、すべての地域で前の年を上回っています。
厚生労働省は「人手不足への懸念から企業の採用意欲が高まっている結果、内定率が上昇した」と、分析しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170317/k10010915441000.html
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