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転職で幸せになる人、不幸になる人 丸山貴宏
【第56回】 2017年2月20日 丸山貴宏 [株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役]
高学歴にも「賞味期限」がある。何歳までか
東大、京大など一流大学を出ていても、齢を重ねるにつれ、学歴には賞味期限があります。転職の際に、学歴が武器になると考えている方は注意しなくてはなりません
企業が学歴を
重視する理由
?人材採用において、多くの企業が学歴を重視しています。特に新卒採用においてはそうです。「学歴差別」という批判はあっても、なぜ企業は採用において学歴を重視するのか、まず確認しておきましょう。
?その大きな理由は、選考の効率がよいからです。要するに世の中でいう一流大学出身者のほうが、企業が“合格”と考えている水準以上の人の出現率が高いのです。地頭のよさと学歴はかなり関連性があり、採用の際に候補者の効率の良いグルーピングをしようとするとき、出身大学の水準は非常に参考となる指標です。
?また、上記の理由とも関連しますが、一定の水準以上の大学に入学した人は、受験勉強をきちんとできた人と考えられます。天才的な頭脳の持ち主が楽々と一流大学に合格するようなケースもありますが、多くの場合、大学受験の結果はどれだけ合格に必要な勉強をきちんとしてきたかの指標になります。
?全員とは言いませんが、一流大学の出身者は頑張り方をわかっている人が多いと感じます。やはりテレビや遊びなど目の前の誘惑に流されて、勉強しなければいけないときに勉強しなかったら、そうした大学への合格はおぼつきません。
?大学に入学してからスイッチが入って一生懸命勉強する人もいるので、企業はそうした人たちを採用する機会も用意しておいたほうがよいですが、利潤を追求している企業が採用で学歴を重視するのは必然的です。
大学の偏差値順に
評価が決まるわけではない
?学歴という点から見ていくと、評価が高い大学は東大と京大であるのは言うまでもありません。早稲田、慶応、あるいは東工大、一橋といった大学も評価が高いものの、やはり東大、京大が頭一つ抜けています。ただし、大学の偏差値順に候補者の評価が自動的に決まるのかといえば、必ずしもそうではありません。
?企業と大学には相性があります。私がリクルートで採用を担当していたとき、偏差値が高くても合格者の出現率が低い大学がありました。A国立大学より偏差値の低いB私大のほうが合格者の出現率が高い、といったフィット感の違いが企業によってあるのです。
?大学だけでなく出身高校も重視されます。灘や開成に代表されるトップレベルの高校出身者はやはり期待されます。
?逆に厳しく見られがちなのは、大学にAO入試や推薦入試で入学した人です。必ずしも学力が担保されておらず、一般的に認識されているその大学の水準と学生の水準が一致していない場合があるためです。
?また、同じ大学であっても、どのゼミでどんな内容を学んできたかという、大学で勉強してきたことも評価されるようになっています。一昔前とは異なり、面接で「この教授、なかなか単位をくれないんだよね」といった話題が取り上げられ、大学で一生懸命勉強したことが報われる方向に変わっています。
地方によっては「地元校重用」も
学歴が重視されるのは何歳までか?
?面白いのは、地方では地元の国公立大学が有利になり、都内の有名私大出身者より高く評価されることもざらにあります。また、地域経済の中核となっているのが地元商業高校出身者のネットワークということもあります。
?そのため、地方に進出して人材採用する場合、地元の大学や商業高校出身者は見逃せない経歴です。ある県に営業拠点をつくり、本社から優秀な社員を送り込んだものの成果が上がらなかった会社が、地元出身者を採用したところ、すぐに成果が上がり始めた、というケースも見られます。
?では、企業の採用において学歴はいつまで重視されるのでしょうか。職歴とのバランスで言うと、新卒採用時は職歴がゼロですから学歴の評価が100パーセントです。それが徐々に齢を重ねていくにつれ、職歴の割合が増えていき、32〜33歳頃にその割合が逆転します。
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青春出版社
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926円(税別)
?転職コンサルタントとしての経験から感覚値で言うなら、35歳であれば80〜90%が職歴、そして40歳になれば学歴の評価はほぼゼロになります。ですから、一流大学を出た人でも、40歳になる頃には学歴があまり評価されなかったり、逆に学歴がいま一つだった人が仕事の頑張りによって非常に高い評価になったりすることもあり得ます。
?このように、学歴には「賞味期限」があります。転職の際に、ご自身の学歴が武器になると考えている方は注意しなくてはなりません。逆に学歴を気にされていた方は、仕事で実績を積むほどに、学歴は気にされなくなると知っておくといいでしょう。当たり前のことですが、どの大学を卒業したかにかかわらず、やはり社会に出てからの本人の頑張りが大切なのです。
(株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役?丸山貴宏)
http://diamond.jp/articles/-/118431?
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
発達障害を“流行”させる私たちの自己防衛の牙
無意識下で進めている「カネを生み出さない人」の排除
2017年2月21日(火)
河合 薫
今回はあまり報道されなかった、でも、とてもとても、ものすごく大切な話を取り上げようと思う。
2月15日、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」を目的とする参議院の「国民生活・経済に関する調査会」参考人質疑が行われた。
参考人のひとり、熊谷晋一郎氏は生まれた時に酸欠状態になった後遺症で、肢体に障害が残る脳性麻痺患者として車いすで生活している。ご自身のリハビリ生活を赤裸々に描いた「リハビリの夜」(医学書院)は、第9回新潮ドキュメント賞を受賞。東京大学医学部に進んだのち小児科医として病院に勤務し、現在は東京大学先端科学技術研究センターで准教授を務めている。
「障害を持ちながら必死で生きていたけれど、今回の事件でそれを否定された気持ちになった、自分の尊厳が脅かされている」
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に入所していた19人が殺害された事件のとき、メディアへの取材にこう答えていた熊谷氏。
彼が今回の参考人質疑で話した内容は、“今の社会の病巣”を捉えていて、
「私たちだって、いつ“障害者”なってもおかしくない」
……、そんな気持ちにさせるものだった。
以下、調査会でのコメントを抜粋・要約する(参考人質疑でのやりとりはこちらから視聴できますので、お時間あるときに見ていただきたいです。当該ページにて、「国民生活・経済に関する調査会」で検索してください)。
「昨年7月26日、痛ましい事件がおきました。ある容疑者が障害者施設を襲って、19名の仲間たち、障害をもつ仲間たちが殺されました。私は大きな衝撃を受けて8月6日、事件の10日後に追悼集会を開きました。
その追悼集会には国内外からおよそ400通のメッセージが届きました。たった10日間に400通です。当時のアメリカ大使館の大使からのメッセージもありました。
その中で、特に私の印象に残ったメッセージを、ひとつだけ紹介します。
カナダのソーシャルワーカーのライナスさんという方です。彼女は、
『このような困難な状況において、一部の人々が問題を“外部化”し、他者(犯人など)を責めたくなることは理解できます。しかし、私たちは自分たちの住むこのコミュニティーに、“他者”などおらず、暴力行為や依存症、そして精神疾患は、症状にすぎないということを知っています。そうした症状は、社会のより深部にあり、満たされていないニーズを反映している』
と言っています。
つまり、こういった事件がおこると“犯人探し”をしたくなる。
そして、自分とは関係がないと思われる他者にすべてを押しつける。
人間というのは、犯人である彼らを責め上げ、社会から排除することで、あたかも“自分たちのコミュニティー”は、またクリーンな状態に戻ったという幻想をいだきたい動物なんだと。
しかし、それは全く問題解決になっていません。
むしろ真犯人は、社会全体なんだ。そして、それを支えている私たちひとりひとりが、真の加害者なんだということを見つめましょう。そういうことを述べているのです」
「排除のために、発達障害が非常に“活用”されている」
さらに、熊谷氏は“能力主義と格差問題”について意見を求められると、次のように語った。
「発達障害という概念が広がり、バブル崩壊以降でしょうか。私の周りには“発達障害”と診断される人が急に増えました。しかし、彼らは発達障害とラベリングされる以前は、健常者と共に生活していました。
おそらくかつての日本企業の特性、つまり、年功序列、メンバーシップ型雇用が機能していた時代であれば、その中に包括されていた人たちだったわけです。
ところがそういった人たちが、急速に社会から排除されている。その排除を個人化するための概念として、発達障害というものが非常に活用されている。
(中略)
……そのなんといいますか……、非常に難しいんですけど、能力主義といいますか、メディアを通じて知る国内外の政治の動きの中で、『私たちは生きていていいのか』と不安にさいなまれている人(障害者)は非常に多くいます。
ですから……、政治には、『生きていていいんだ。そこは党派を超えて、みんなでコンセンサスが取れている』というのを、一丸となって発信していただけると、明日も生きられるというか、そういう気持ちになれると思うんです」
委員会では、先日問題となった「津久井やまゆり園」の建て替えにも質問がおよんだ。この問題の経緯は、以下のようなものである。
神奈川県は事件から2カ月後の昨年9月に、現在の場所での建て替えを決め、工事中は横浜市にある県立の知的障害者施設「ひばりが丘学園」に移ってもらう方針を発表。建て直しにより「再生のシンボル」にしたい考えを示した。
ところが家族や関係者から、「大規模収容施設は時代錯誤だ」「入所者本人の意向を確認すべきだ」といった異論が噴出。全国手をつなぐ育成会連合会は、「140人規模の施設が存続する限り、県内各地から利用者を集め、出身地域との関わりを薄める装置として機能してしまう」とする声明を発表した。2006年に施行された障害者自立支援法では、「障害者の地域生活と就労を進め、自立を支援する」と明確にうたっている。
黒岩祐治・神奈川県知事は、「国の施策の流れは承知しているが、私が強引に建て替えを決めたかのように思われ心外だ」としながらも、再度検討するとコメント。
県が建て替えを早々に決めた背景には、入所者の家族と、園を運営する社会福祉法人からの要望があったとされ、建て替えを望む家族会からは「地域への移行ができないから園で暮らしている。現実を考えたら、1日も早い建て替えを」と訴えている。
で、参考人質疑で、この対立する意見への見解を求められた熊谷氏はこう答えた。
「当事者の意見を尊重する事は大事だが、選択肢をいくつか用意したうえでしか、自由な選択は行われない。究極の選択にしかならない」
「カネを生み出さない人」を暗黙裡に排除する社会
さて、みなさんは熊谷氏の言葉をどう受け止めただろうか。
私は……、3時間にも及ぶやりとりを見ながら、「障害者ってなんなのだろう」と自問した。「四肢や精神的に問題があること=障害者」ではないんじゃないか、と。
「排除」は私たちの周りのいたるところで起こっている。
高齢者、がんなどの病いを患っている人、うつ傾向に陥った人、育児する人、非正規社員、貧困家庭……、いわゆる「弱者」だけにとどまらず、40代以上の“使えない“と揶揄される人、結果を出せない、能力が低いとされる人……。
「カネを生み出さない人」、「普通より手間がかかる人=ダメな人」とレッテルを貼り、暗黙裡に排除するのが今の日本社会だ、と。
“彼ら”は、決して「建物」に集められ、収容されてはいない。しかしながら、目に見えない“牢獄”に閉じ込められ、十分な選択肢を与えられず、「何?ムリ?だったらいらない」と排除されているのだ。
つまり、生産活動“だけ”に、プライオリティーをおいている社会である以上、「障害者」はいたるところで作られる。
そして、“私”もそのひとりになるリスクを、常に抱えている。
生きていていいんだよ――。もし、そんなメッセージを政府が出してくれたら、どんなに心強いことか。熊谷氏はそれを「障害者」に向けてのメッセージとしていたけど、いわゆる「健常者」の人たちの中にも、そのたった一言に救われる人はたくさんいる。そう思えてならないのである。
答えは実にシンプル。「人に仕事を合わせた」から。
先日、「幸福な職場」という舞台を見た。放送作家としても活躍するきたむらけんじさんの作・演出で、2009年の初演以来上演を重ねており、チョークなどの文房具を製造・販売する日本理化学工業の実話を題材にしている。
日本理化学工業は日本で最初に障害者雇用を始めたとされる会社だ。1960年に知的障害者の少女2人の雇用からスタートし、現在は、全社員83人のうち「知的障害者」が62人を占め、そのうち半数近くが「重度」に該当する(2017年1月現在)。
なぜ、そんなにも多くの知的障害者が働けるのか?
答えは実にシンプル。「仕事に人を合わせる」のではなく、「人に仕事を合わせた」から。
「ここ(養護学校)を出たら、施設で一生をすごしかないんです。どうかこの子たちに一度でいいから、“働く”という経験をさせてください」
日本理化学工業の近くにある養護学校の先生は、何度も何度も「働かせて欲しい」と会社を訪れた。しかしながら、答えは「ノー」。社長も社員も「知的障害者に仕事なんてムリ」、「知的障害者なんて雇ったら、世間から何をいわれるかわからない」と、ひたすら首を横に振り続けた。
だが、最後は先生の熱意に根負けし、「期間限定の業務実習」で少女を受け入れることになったのである。
知的障害のある少女は、ものごとを理解するのに時間がかかる。が、社員が一つひとつ丁寧に教え、納得できると、きちんと仕事をすることができた。
少女たちは覚えた仕事(シール貼り)をとても楽しそうにやり、「仕事が楽しい。もっとやっていたい」と昼食の時間も惜しんで仕事に励む。誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで仕事する。そんな少女たちの姿に、社員たちは困惑したそうだ。
「なんで、こんなにうれしそうに仕事をするのか?」と。
そこでもう少し高度な仕事を教えようとするが、彼女たちはできなかった。
彼女たちには「数字」という概念がないため、「5グラムずつ測る」とか、「10分たったら止める」という作業がどうやっても理解できなかったのだ。
それでも「仕事がしたい」と食い下がる少女。「正確に分量が測れなければ、チョークは作れない」と言い返す社員。誰もが複雑な気持ちで「実習が終われば、施設に入るしかない」と思っていたときに、「そっか!数字を色に変えればいいんだ!」と社長がひらめいた。
彼女たちが理解できる色で分量を測り、時計を砂時計に変え、仕事に人を合わせるのではなく人に仕事を合わせることで、少女たちは高度な作業もこなせるようになったのである。
まさしく知的障害者の少女2人が、“排除”ではなく、“包括”されたのだ。
なぜ、少女たちはご飯を食べる時間を惜しむほど、楽しそうに働いたのか?
……うん、ホントに楽しかったのだと思う。理屈じゃない。ひたすら楽しかったのだと思いますよ。だって、本当は仕事は楽しいものだもの。人はカネだけのために働いているわけではない。
誰もが老いる。誰もが病気になる。
仕事が日常に組み込まれていると、「仕事=つらい」となってしまうのだが、仕事とは本来、私たちの生きる土台をつくる最良の作業だ。
私自身、仕事はどちらかというとしんどいことの方が多い。でも、人から感謝されたり、無理だと思っていたことができたり、自分の力を十分に発揮できたりした時、……そんなときは無条件にうれしい。
「生きていていいんだ」
少女たちは、仕事をすることでそう感じたのではないだろうか。
日本理化学工業の川崎市の工場ではJIS規格をクリアした高品質のチョークを、1日に10万本製造しチョークの品質、及び生産性は業界トップクラスだという。
何をもって「障害者」というのか?
誰もが老いる。誰もが病気になる。「鉄人28号」でいつづけることなど、誰にもできやしない。
「真犯人は、社会全体。私たちひとりひとりが真の加害者」———。
熊谷氏の語ったこの言葉こそが、不安が極大化した今の社会の根っこにある。
おそらく私の解釈だけではなく、それぞれの方の“社会の窓”で解釈は変わるはずだ。既存のほとんどのメディアが伝えなかった(私が調べた限り、朝日新聞が一部を報じただけ)熊谷氏の言葉を、ぜひ聞いて欲しい。
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このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/021700092/?
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