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東京ディズニーランド・ステーション駅(「Wikipedia」より/掬茶)
99%の人々から搾取するディズニー型ビジネス=夢が醒めた後…日本の絶望と階級闘争
http://biz-journal.jp/2017/02/post_18063.html
2017.02.18 文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役 Business Journal
日本は、これまで基本的には少数の民族で成り立ってきた国だ。国民の間では考え方や価値観にあまり大きな違いはなく、他人をあまり疑うこともせず、大きな争い事は極力しないことを美徳としてきた。反面、何か事が起こった時にも、「誰の責任であるのか」といった追及はあまりせずに、なんとなくうやむやにするのも、日本人の特徴だった。
しかし日本は、どうやら大きな歴史的転換点を迎えようとしている。戦後、世界でも稀に見る人口爆発といってよい人口の急増は、日本の経済成長を常に「量的充足」という意味で支え続けてきた。そうした日本の発展に注目し、日本の中に着実に根を張っていったのが、1971年に進出してきたマクドナルドだ。郊外へ郊外へと延びていく人々を追いかけるように、マクドナルドは店舗網を拡大、全国47都道府県すべてに店舗を張り巡らし、日本のすべての人にハンバーガーを食べさせる、という「量的充足」戦略は日本では大いに成功を収めた。
こうした「量的充足」を前提としたビジネスモデルは、不動産についてもまったく同じだった。人々には「住む」ための住宅、「働く」ためのオフィス、そして「買い物」をするための商業施設を、日本全国、人がいる場所に提供し続けることが不動産業界の使命だった。
このビジネスモデルが変調をきたすのが、96年前後である。バブル崩壊は92年ごろとするのが一般的だが、当時は政府・日銀が人為的に「バブル退治」に走ったことによって不動産価格の下落が始まったが、日本の各種指標を冷静にみると、多くの指標で96年前後から逆転現象が生じ始めていることがわかる。
つまり、日本の生産年齢人口(15歳から64歳までの働き手)が減少に転じ、それまで家族形態の主体であった専業主婦世帯が共働き世帯とその数が逆転する、男女雇用均等法の改正で女性の深夜、休日の労働が解禁になるなど、人々のライフスタイルに大きな変化をもたらす動きが顕在化したのがこの頃なのだ。
「量的充足」の旗手だったマクドナルドもこの頃を境に業績を大幅に悪化させ、今でもデフレからの脱却にもがき苦しんでいる。
■不動産業界への波及
そしてこの変化の波は、「量的充足」のみをひたすら追求してきた不動産業界にも押し寄せ、不動産はその価値を大幅に棄損させ、社会はその後に続く長いデフレの時代に突入していく。
当時は「財産」だとして一般庶民が膨大な金額のローンを組んで買った郊外などの住宅の多くは、価格が回復することなく、下落を続けて現在に至っている。さらにこれらの住宅は、子供や孫に住宅を継ぐ意思はなく、所有は「一代限り」となり、「売れない」「貸せない」「誰も住む予定がない」といった三重苦の不動産に成り下がっている。これを「財産」として一生懸命ローン返済をしてきたことは皮肉としかいいようのないものだ。
一方で、不動産を金融商品化することで他の不動産と「差別化」して投資マネーを呼び込むことで、新たなマーケットをつくろうとする動きもこの頃から始まった。実態はともあれ、投資マネーという「思惑」で動くマネーを不動産に持ち込んだことは、不動産に投資家が認定する優良な資産というお墨付き=「質的充足」を意味するスパイスをかけることに成功したのだ。結果として都心部で金融とつながった不動産は、大いにその価値を上げることになった。
■ディズニー型ビジネスモデル
この実需に頼らず「質的充足」を目指すビジネスモデルは、実はディズニーランドのビジネスモデルに通じている。ディズニーランドは83年に千葉県の舞浜にオープン、以降多くの人々にディズニーという「夢と魔法の国=バーチャル」な空間を提供することで成功を収めてきた。ディズニーランドはマクドナルドと異なり、人々の空腹を満たすものではない。夢と魔法という「質的充足」を満たすのが彼らのビジネスモデルだ。
したがってディズニーは83年の日本上陸以来、舞浜から一歩も外に出ることはない、つまり「量的な拡大」を追求せずに、リアルなミッキーとミニーが見たければ舞浜に来い、という頑ななまでのビジネススタイルで、ディズニーランドというハコの中身(ソフトウェア・コンテンツ)を磨き続けてきた。
すでに「量的充足」の使命を終えた不動産は、金融商品として、バーチャルな価値を施した不動産マーケットに活路を見いだし、また自らのハコから常に情報発信を続けて人を集める、ホテルやリゾート、アウトレット、テーマパークなどのディズニー型ビジネスモデルに重心を移し始めている。
人々も自らが不動産を「所有」するのではなく、「利用」することの価値に対しておカネを払うようになったといい換えてもよいかもしれない。
庶民が慌ててつかんだマクドナルド型の住宅やマンションには、実はほとんど価値がない。投資家や事業家が手にする、投資マネーに支えられた不動産や、ハコの中のソフトウェアやコンテンツで人々に夢と魔法をかけ続けることができるディズニー型ビジネスモデルにおける不動産に価値がある。東京五輪が終了したのちの2021年からはじまる「次なる四半世紀」において、このセオリーはさらに明確になるであろう。
■日本社会の崩壊
しかし、この事実は、日本社会を着実に崩壊へと向かわせることになる。一方的に富を手にする、1パーセントの人たちがディズニー型ビジネスモデルにおいてやろうとしていることは、99パーセントの一般庶民に、相変わらずディズニーランドの手法で魔法をかけ続けて、なんの得にもならない「夢」を追い求めさせ続けることにあるからだ。夢だけではなんの富も生み出しはしない、仕掛ける側はこのことをよくわかっている。そして、決して浮かばれることのない一般庶民を相手に商売を続けていくのだ。
社会構造は硬直化し、社会の中で、一度でも転落してしまうと、二度と這い上がれなくなっていくのがこれからの日本の社会だ。エリートの家の子供は、潤沢な教育費を投じて育てられ、またさまざまな庇護を受けながら、社会の主要な地位に就く。この路線から脱線をしてしまうと、元の地位に戻れなくなるかもしれないので、危ない橋は決して渡らない、渡らせない、となるわけだ。
非正規社員では、結婚もできず、子供も持つことができずに社会の底辺であり続ける。現実の厳しさからいっとき逃れることができるのが、バーチャルリアリティが提供する夢の世界だ。現代の若者は「もの」や「かね」に執着しない、といわれる。そんな動機を持てないほど、将来に対する若者の期待値が落ちているのだ。現代の若者は「冒険をしない」というのが当たり前だ。エリートであればあるほど大企業のぬくもりの中に身を委ねたほうがトクだからだ。
しかし、こんな社会がいったいいつまで続くのだろうか。どうやら、2021年からのかなり早い段階で日本社会は崩壊の危機を迎えるそうだ。
■「夢と魔法」による篭絡
歴史は繰り返されるという。古今東西、世界は同じ過ちを繰り返してきた。今でも世界のあちらこちらで、人類は憎みあい、罵りあい、そして殺し合っている。こうした状況下で、日本だけが、のんびりとした平和を保っていくことはできない。日本の国内でもすでに国民間の資産格差の拡大、新たな階級社会誕生への萌芽が出始めている。
ディズニーの夢から多くの一般庶民が目覚めたときに、彼らは現実社会であまりに理不尽な格差と差別が生じつつあることに大きな怒りを感じるかもしれない。ウォルト・ディズニーが語った「みんながディズニーに来て幸せを感じてほしい」というセリフが、皮肉にも、バーチャルリアリティをはじめとした「夢と魔法」に篭絡されている合間に、日本社会に大きな階級格差が生じていることに、彼らは今さらながら気づき始めることだろう。
そのとき、99パーセントの人々は、資本を貯めこむ1パーセントの人たちに対して新たな階級闘争を挑むかもしれない。さらにこうした闘争が、テロ勢力をも呼び込み、資本主義に対する聖戦として日本社会を混乱に陥れるかもしれない。
その大混乱の果てに、日本はどのような国になっているのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の予測によれば、2048年には日本の人口はいよいよ1億人を割り込むこととなる。そのとき、舞浜にあるディズニーランドでは、まだミッキーとミニーがステージで踊り続けているのだろうか。マクドナルドのハンバーガーを頬張っている人たちはどんな人たちなのだろうか。
ディズニーとマクドナルドの先の日本の姿はまだ少し霞んで見える。
(文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)
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