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山谷の住人が告発「福祉と銀行に生活保護費ピンハネされてました」 実名・顔出しで登場!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50966
2017.02.16 井上 理津子 フリーライター 現代ビジネス
■日雇い労働者の町から福祉の町へ
フォークの神様と言われた岡林信康が名曲『山谷ブルース』で「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ……」と歌い、かつて日雇い労働者の町だった山谷。浅草の北方1.5キロほどに位置する、今は台東区清川、日本堤などの住居表示のエリアで、1泊2000円前後のドヤ(簡易宿泊所)が軒を連ねている。
早朝、その日の仕事を求める男たちがあふれ、仕事を斡旋する手配師が蠢き、そして夕方には仕事から帰ってきた男たちで満ちるといった光景は、今は昔の物語。最盛期に日雇い労働者3万人がいたとされるこの町はずいぶん静かになった。
「そうさ。都庁もディズニーランドもおれがつくったさ」
と、豪語する元労働者もいるにはいるが、寄る年波に勝てず、多くは生活保護の受給者になった。近年、他の地から移り住んだ人も少なくなく、「福祉の町」と言われるようになって久しい。一方で、ドヤからゲストハウスへの建て替えも進んでいて、外国人観光客も流入している。かと思えば、路上に暮らす人たちの姿も目につく。
■銀行が貧困ビジネスに加担
そんな山谷を歩くようになって2年になる。
食堂で「月に一度の贅沢」と親子丼を食べていたおじさんと隣り合わせたことも、路上で酒盛りする人たちに「(競馬で)大穴を当てた」「別居中のカミさんがタワーマンションを買った」と威勢のいい話を聞いたことも、ふらふら歩くおじさんに福祉事業者あるいはボランティアと間違われて「太田胃散ちょうだい」と言われたこともあったが、名前や来し方を尋ねるのは御法度なのがこの町の不文律。
ところがこの日、炊き出しが行われていた公園で会ったのを機に話した人は、写真入りのマイナンバーカードを見せてくれた。
「お上に管理されるこの制度には反対だけど、免許証もなくなったし、自分を証明できるのはこれしかないから」
と。私も自己紹介し、「山谷の今」を知りたくて取材に来ていると明かすと、
「いいですよ、おれのことを本名で書いてくれて」
とおっしゃるではないか。
水谷正勝さん、69歳。生活保護を受給し、山谷のドヤに暮らして5年になるという。
「胸張って言える人生じゃないけど……。おれは山谷を寝ぐらにしてる3000人分の一。一寸の虫にも五分の魂だから」
と、いわくありげだ。
杖をつき、右足を少し引きづりながら歩き、一緒に喫茶店に入った。
「ナニ、シマスカ?」
アジアのどこかの国の人であろうウエイトレスに、水谷さんは「ブレンド」と注文し、
「このごろ、コンビニの100円コーヒーしか飲んでなかったからな」
と柔和な笑顔を見せたかと思うと、急に眼光鋭くなり、こう聞いてよこした。
「銀行が、本人確認をせずに口座を作っていいと思いますか?」
はい?
「おれの知らないうちに、施設と銀行に結託されて通帳を作られていたんだ」
どういうことです?
「千葉の無料定額宿泊所施設におれの名義の銀行口座を勝手に作られて、保護費をピンハネされてたの、2年5ヵ月間。そっちはいちおう和解したんですが、貧困ビジネスと分かっていながら口座を開いた銀行は悪くないのか。銀行の責任を問いたいと、今も毎日考えている……。」
ちょっと待って。千葉? 貧困ビジネス? 和解? 銀行? 順を追って教えてほしいと言った私に、水谷さんは
「そりゃそうやね。一から話さないと分からんよね」
と柔和な顔つきに戻った。
「時間かかるけど、いいのかな」
とこちらを気遣いながら、人生のあらすじから語ってくれた。
■順風満帆な暮らしからホームレスへ
1947年、福岡生まれ。県内最難関の工業高校の電気科を出て、電電公社の下請け会社や電設会社などに勤務し、技術者として腕を磨いた後、28歳で独立。福岡市内で家電販売店を開業した。
「大手家電メーカーが店舗付き住宅の購入資金も貸してくれて、チェーンストア。今思うと、メーカーの戦略に乗ったんやね。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、エアコンがどんどん売れたし、修理も得意だし、人生バラ色やった」
結婚し、子どもも3人。順風満帆な暮らしが12年で暗転したのは、大型量販店が目の前にオープンしたからだ。負債1200万円で倒産した。
「妻は看護師で病院に勤めていたので、給料が差し押さえられたら大変だと、ペーパー離婚したつもりだった。けど、住まいが別になると、妻の心は離れていったんやね」
一人ぼっちになった水谷さんは、福岡を出た。三重県の車の部品製造工場、次いで愛知県や千葉県の発電機製造工場の期間工となる。
「食べていくので精一杯だった」。
5年後、45歳で雇い止めにあい、寮を追い出されたときの持ち金は30万円に満たなかった。
「幸い、おれには技術がある。“電気屋”に戻ろうーーと」
東京に出て、サウナ住まいに。「家電の修理を承ります」と書いたチラシを作って配布し、工具一式を持って、10余年もの間、住宅を回る暮らしを続けた。
「1日200軒行くと、2軒は仕事が発生した。修理代は1件5000円ほど。1日1万円稼げたうちは良かった」
が、エアコンの修理中に足を踏み外し、骨折。“電気屋”の継続が不可能に。サウナ代を捻出できず、野宿を余儀なくされる日が増えた。
「明日どうしようと目の前のことしか考えられん。福祉の窓口に行っても、話は聞いてくれるが『もう一度頑張ってみなさい』と言われるばかりだったんよね、あの頃」
コーヒーをすすり飲みしながら、達観したような口調が続いた。
■無料定額宿泊施設に飼い殺されて
「ただで住めて、金ももらえる所に来ないか」
中年の2人組に声をかけられたのは、御徒町の公園で朝を迎えた2006年の11月末だった。
「助かった」と思った。車で千葉市内の稲毛厚銀舎に連れて行かれた。無料定額宿泊施設(社会福祉法に基づき、生活保護者を受け入れ、自立できるように支援する施設)だったが、そこが「飼い殺しにされる所」と気づくまで時間はかからなかった。
「入居した日に印鑑を施設長に渡せと言われて従った。そして翌日に、おれと同じようにどこかから刈り込まれて来た人たち10人ほどと一緒に、区役所に連れていかれて、きちんとした説明なしに、何枚もの書類にサインさせられたんよ。生活保護の申請をしているという認識はあったけど、何がなんだか分からなかった」
生活保護の申請は受理され、月に3万円が手渡された。朝食にご飯と味噌汁、昼食にレトルト食品などと食事は最低限で、風呂は2日に1回。同宿者と喋ることは禁じられ、外出も制限された。不平不満を言うと強制退去となる暗黙のルール。
「1日中、2畳半の部屋でテレビを見るだけ。誰とも話さないから声が出なくなり、じっとしているから少し歩くと筋肉痛になった」。
もう限界だーー。2009年4月に飛び出し、ニュースで知った湯浅誠さんらの『春の派遣村』に助けを求めたのは、09年4月のこと。自分名義の通帳が作られていたこと、生活保護費約12万4000円のうち、部屋代や食事代として約9万4000円が引かれていたことが明らかになった。たちまち「体験談を話してください」とマスコミ取材が殺到する。
「それまで社会的に落ちぶれた者は、モノを言ってはいけないと思っていたけど、おれ以外の困っている人間のためにも発言しないといけないと目覚めたんよね」
無料低額宿泊所などの問題に取り組んでいた「無届・無料低額宿泊所問題弁護団」(団長・宇都宮健児弁護士)の力を借りて、稲毛厚銀舎を、生活保護費の大半を不当に天引きしていた業務上横領として告訴。
「1年以上かかって、12年11月に和解した」のだが、水谷さんとしては
「貧困ビジネスと分かっていながら、本人不在でおれの口座を開いた千葉銀行は悪くないのか」
との思いがぬぐえないーー。
と、ここまで聞いて、冒頭の言が、ようやく腑に落ちた。
「山谷には、運動体がやっている相談窓口がいくつもあるじゃないですか。銀行口座のこと、相談してみれば」
そう言うと、水谷さんはニヒルな笑みをたたえた。
「あちこち、もう相談に行きましたよ。だけど、千葉銀行のこの件は取り合ってもらえない。あなたは今、ちゃんと生活保護を受けて暮らせてるんだから、いいじゃないかというスタンスなんですよ、みんな」
世の中の仕組みに利用されてきた
後日、水谷さんの暮らすドヤに伺った。
4階建。ワンルームマンション風の外観だが、玄関を入ると、壁や床にヒビやシミが露見し、年季の入った建物だと分かる。オーブントースターがぽつんと置かれた共用スペースを通り、階段を上がる。
水谷さんの部屋は、3階の3畳間だった。布団とテレビ、エアコン、ロッカーが、元よりの備品だそう。畳は相当磨り減っている。入り口左手の棚と窓際のポールから、シャツやセーターやタオルがぶら下がり、「拾ってきた」という小さな机が2つ。
その上には、コップも食器も調味料も筆記具も。「(配っていたのを)もらってきた」というカンパンの缶詰、カップ麺も置かれ、足の踏み場のない状態。
壁際の一隅は、書類ファイルの山と化していた。
「これ、見ますか?」
と、水谷さんが取り出した水色のファイル2冊を開け、驚いた。反貧困ネットワークや弁護団などの支援で手に入れた、千葉での「生活保護申請書」「(銀行口座開設のための)生活保護受給証明発行申請書」「弁論準備手続調書」などに加え「普通預金申込書」「(解約後の)普通預金通帳」が見事に整理され、それぞれに几帳面な文字でコメントが添えられていたのだ。執念だ。
「おれが言ったこと、全部、真実だと分かるでしょ。おれ1人の問題じゃない。世の中の仕組みに利用されてきた、社会問題だと思う」
雑然とした部屋に、きりっとした声が響いた。
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