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本当は全然高くなかった日本人の仕事への「熱意」
「勤勉さ」が通用しない時代に
2017.2.8(水) 太田 肇
日本人は本当に「勤勉」なのだろうか(写真はイメージ)
過労自殺に象徴される「働き過ぎ」、相次ぐ大企業の不祥事、掛け声ばかりで進まぬ女性の管理職登用、職場のハラスメント・・・。一方ではイノベーションや画期的新製品がなかなか生まれず、企業の国際競争力や労働生産性の順位も低下している現実。
いま日本人の働き方、職場のあり方があらためて問われている。政府は「働き方改革」を看板政策として掲げ、企業も改革に本腰を入れるようになった。しかし私が見るところ、現状はいわば対症療法が中心で核心に迫っているとは言いがたい。
冒頭に掲げたような諸問題は、いずれも日本企業特有の組織構造、あるいは組織と個人の関係に根ざしている。したがって、そこにメスを入れないかぎり問題の根本的な解決にはつながらないわけである。
そこでこの連載では、「組織と個人」の関係に焦点を当てながら、日本人の働き方、企業組織の特徴を浮き彫りにし、改革への展望を示したい。
表向きは勤勉だが、仕事への「熱意」は最低
第1回は、日本人の働き方に注目してみよう。
これまで日本人は勤勉だと言われ続けてきた。いま問題になっている「働き過ぎ」はその副作用ともいえる。
しかし、そもそも日本人は本当に勤勉なのだろうか?
まず一般労働者(正社員)の年間総労働時間を見ると、2030時間(厚生労働省「毎月勤労統計調査」2012年)で主要国のなかでは突出して長い。しかも手当が支払われない「サービス残業」もかなり存在することが知られている。また有給休暇の取得率は47.6%(厚生労働省「就労条件総合調査」2015年)と半分も取得されない状態が続いている。
これらの数字を見るかぎり、日本人の勤勉さは依然として健在だといえそうだ。
しかし、他方にはそれと逆のデータもある。
従業員の「エンゲージメント」(仕事に対する積極的な関わり方を意味し、「熱意」と訳されることが多い)に関する国際比較を見ると、複数の調査ではいずれも日本人の低さが際だっている。たとえばアメリカの人材コンサルタント会社、ケネクサが2012年に正社員を対象に行った調査によると、日本人のエンゲージメントは28カ国の中で最低である。
一見すると勤勉そうだが、仕事に対する熱意は低い。すなわち安定しているが受け身で消極的な日本人の働き方がそこから読み取れる。
努力の「質」が問われる時代に
このような働き方は、工業社会には適していたといってよい。とりわけ少品種大量生産型システムにおいては標準化された製品を迅速かつ低コストで生産することが重視され、労働者にはコツコツと勤勉に働くことが求められた。そこでは労働時間と仕事の成果はほぼ比例していた。たとえ受け身、消極的な働き方でもそれほど問題ではなかったのである。なお、それは事務や販売などの仕事においてもおおむね同じである。
ところが、ポスト工業社会に突入すると状況が一変する。1970年代後半から始まったME(マイクロエレクトロニクス)技術革新、そして90年代後半からのIT革命によって生産現場でも、オフィスや店舗でも単純な仕事、定型的な業務は自動化された機械やコンピュータに取って代わられた。そしてハードウエアすなわちモノそのものより、技術、知識、情報、デザインなどソフトウエアが大きな価値をもつようになった。その結果、人間には創造性、革新性、勘、ひらめき、感性、判断力など人間特有の能力がいっそう求められるようになったわけである。
これらの能力には重要な特徴が2つある。
1つは大事な仕事のプロセスが見えないことだ。なぜなら、それが人間の頭で行われているからである。それによってこれまでのマネジメントは根本的な見直しを迫られる。この点については別の回に述べることにしよう。
そしてもう1つは、ここに挙げたような能力は本人の自発的なモチベーションによって発揮させるということ。言い換えれば「受け身」では十分に発揮されないということである。つまり努力の「量」より「質」が重要になっていることを意味する。
作家や芸術家、科学者といった創造性を売り物にする人たちを思い浮かべてみればよい。彼らの優れたアイデアや創造的な成果は自ら仕事に没頭したときに生まれるのであり、いくら長時間働いても受け身では成果があがらない。企業で働く人にとっても同じように受け身の勤勉さではなく、自発的なモチベーションがいっそう大切になってきているのである。
しかし、人々の意識はなかなか変わらない。とくにわが国の場合、明治以降ずっと工業化社会で成功を収めてきたため、その成功体験が企業の中だけでなく社会の隅々にまで浸透している。それが新しい環境への適応を妨げているのである。
実際に私たちはいまでも努力を量でしか捉えようとしない。事あるごとに「全力で」「一丸となって」「精一杯」といった威勢のよい言葉が発せられ、とにかくがんばればよいと考えるのはその表れだ。しかし、がむしゃらにがんばれば何とかなる時代ではないし、その延長線上には過労死や過労自殺といった悲惨な出来事も起こりうることを肝に銘じておかなければならない。
単なる勤勉さではなく、「自発的なモチベーション」「良質な努力」をいかに引き出すかが問われている。
[参考文献]
・『「見せかけの勤勉」の正体』(太田肇著、PHP研究所、2010年)
・『がんばると迷惑な人』(同、新潮新書、2014年)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48945
部長でも課長でもないAさんが組織を変えた方法 1人の力でも組織は変えられる!
2017.2.8(水) 和気 香子
Aさんのある行動によって部署の雰囲気はぐっと良くなった(写真はイメージ)
?この前、ある大企業に勤めているAさんという方から素晴らしい話を聞きました。
?Aさんは管理職ではなく1プレイヤーとして働いています。2年ほど前、Aさんが現在の部署に異動になったとき、「何だか雰囲気があんまり良くないなあ」と感じたそうです。社員同士の仲が悪いわけではないのですが、お互いのコミュニケーションが不足していてみんな言いたいことが言えず、なんだかよそよそしく感じられたようです。
?そこで、Aさんは「よし、この部署を変える!」と決めたのだそうです。
実行したのはとてもシンプルなこと
?その部署は、150人もの大所帯です。私は「どうやって?」と思いました。部長や課長たちが先陣切って変えるというのならばイメージできますが、一プレイヤーのAさんが、というのはイメージしにくかったのです。
?では、Aさんは何をしたのか。実行したのはとてもシンプルで簡単なことでした。
?それは、挨拶です。Aさんはこう言います。
「人の出入りがあると、必ず大きな声で挨拶したんです。『おはようございます』『お疲れさま!』とか。そうしたら、やっている内に、席の近くの人たちが真似してくれるようになりました。最後は、その内に部署全体がそうなりました。そして、今では、部署として仕事以外のイベントを企画したり、皆で何かをやる一体感が出てきたんです」
?それを聞いて、驚きました。いきなり1人だけ大きな声を出して挨拶を始めるのは相当な勇気がいることです。周りの人も「一体どうしたんだ」と思ったことでしょう。自分自身をふり返ってみても、出社時や退社時に挨拶をするにはしますが、何だか気恥ずかしくて、最低限の挨拶しかせず、声も小さめです。
?だから、Aさんのしたことに感激して、それがいかに素晴らしいことかを伝えました。ところがAさんの返事は、「そんな大したことはしていませんよ。だって挨拶しただけですよ。挨拶って当たり前のことじゃないですか?」というものでした。
「トップ自らがコミットしないと会社は変わらない」とよく聞きます。私もそう考えていた口でした。ところが、Aさんはトップでも管理職でもありません。つまり、誰もが組織を変える可能性を持っているということが言えるかもしれません。
?それが実現できる条件って何だろうとさらにAさんに話を伺うと、「私は今の会社が大好きなんです。だから良くなってほしいと思うんです。そのためなら自分でできることは何でもしようって思います」とおっしゃいました。そう思わせる会社も素晴らしいし、そう思えるAさんも素敵です。もしかしたら、1人の従業員が会社を変えるための条件は“相思相愛”なのかもしれません。
自分の強みには気づきにくい
?今回はこの話を通して、2つのことを皆さんにお伝えしたいと思います。
?1つ目は、1人の力でも組織は変えられるんだということ。
?2つ目は、自分の強みには気づきにくいということです。以上のエピソードから分かるように、Aさんには、人を巻き込んで協力体制を作る力があります。ところが、Aさんは「大したことはしていません」とおっしゃいます。Aさんはそれを強みだとは感じてなかったのです。自分にとって当たり前にできてしまうことは、あまりに当たり前すぎて、強みと思えないものだったりするのです。
?皆さんも「すごいですね!」と言われて、「全然すごくないんだけど・・・」と思ったことありませんか??でも、それは自分の本当の強みに気づいていないだけかもしれません。もっと胸を張って自信を持ってみてはいかがでしょうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48926
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