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日本銀行(撮影=編集部)
異次元緩和がダメなら財政で物価目標達成できる? 注目集まる「物価水準の財政理論」の死角
http://biz-journal.jp/2017/01/post_17848.html
2017.01.26 文=小黒一正/法政大学経済学部教授 Business Journal
「物価水準の財政理論」(Fiscal Theory of the Price Level)は学術的に発展途上の理論で、その妥当性に対する論争もあるが、デフレ脱却に向けた2%の物価目標が達成できず、量的・質的金融緩和(いわゆる「異次元緩和」)の限界が明らかになるなか、急速に注目を集めつつある。
そこで、今回のコラムでは、「財市場」「公債市場」「貨幣市場」の3つの市場があり、「政府部門(日銀を含む)」と「民間部門」の2部門しか存在しないという想定の下、FTPL(物価水準の財政理論)が成立する条件を少し考えてみよう。
まず、貯蓄手段が貨幣か公債しか存在しない場合、民間部門の資金源と使途の関係は以下の通りとなる。
期末の貯蓄(民間部門が保有する公債残高+貨幣残高)+消費+税負担
=生産所得+期首の貯蓄(民間部門が保有する公債残高(元利合計)+貨幣残高)…※1
この式は、財市場の均衡(生産=消費+政府支出)が成立する場合、以下と同等になる。
民間部門が保有する公債残高の変化
=基礎的財政収支(税負担−政府支出)+貨幣残高の変化(貨幣発行益) …※2
この(※1)式と(※2)式は、民間部門と政府部門における一時点の予算制約を意味するが、この式を現在価値(Present Value)にして将来にわたって積み上げると以下の通時的予算制約を得る。
民間部門保有の貯蓄残高÷物価水準 + 博タ質所得のPV
=博タ質税負担のPV+秤ン幣保有の実質機会費用のPV+博タ質消費のPV…※3
民間部門保有の公債残高÷物価水準
=博タ質基礎的財政収支のPV+博タ質貨幣発行益のPV…※4
その際、(※3)式は、現在の貯蓄残高と将来所得の合計の範囲内で、将来の税負担、貨幣保有の機会費用のほか、将来消費の経路を選択することを意味する。また、(※4)式は、現在の公債残高は、将来の基礎的財政収支と貨幣発行益で返済される必要性を意味するが、この両式で重要なことは、財市場の均衡が成立する場合、(※3)式と(※4)式は互いに裏表の関係にあるという視点である。
というのは、たとえば(※4)式で政府が減税を実行したとしよう。このとき、(※4)式・右辺の財政収支が悪化するので、「民間部門保有の公債残高÷物価水準>博タ質基礎的財政収支のPV+博タ質貨幣発行益のPV」(※5式)となるが、その裏で(※3)式では、民間部門の税負担が減少するため、(※3)式でも「左辺>右辺」となる。これは、「民間部門保有の貯蓄残高÷物価水準 +博タ質所得のPV>博タ質税負担のPV+秤ン幣保有の実質機会費用のPV+博タ質消費のPV」(※6式)となることを意味する。
しかし、(※3)式で「左辺>右辺」となるのは非効率である。なぜならば、「左辺>右辺」の場合、それは「生涯で貯蓄を使い残す」ことを意味し、民間部門の家計は消費(博タ質消費のPV)を増やすことができるためである。すなわち、合理的な家計であれば、(※3)式の等号が成立するまで消費を拡大しようとする。その過程で、財市場で超過需要が発生し、物価に上昇圧力が掛かる。その結果、(※5)式と(※6)式の左辺にある「物価水準」が上昇し、(※3)式と(※4)式が成立する。
以上が、FTPL(物価水準の財政理論)が成立するために想定する標準的なメカニズムの本質である。
■合理的な家計という理論の前提は妥当か
特に上記の「合理的な家計であれば、(※3)式の等号が成立するまで消費を拡大しようとする。その過程で、財市場で超過需要が発生し、物価に上昇圧力が掛かる」という点が重要であり、このメカニズムが働くためには、たとえば以下のような前提が存在する。
(1)民間部門の家計が将来を正確に予測している
(2)政府が実施する財政政策に不確実性がない
少し簡単に説明すると、次のようになる。
まず、(1)の前提は「(※3)式で「左辺>右辺」となっているとき、無限の将来にわたって、民間部門の家計は必ずそれを正確に予測できる状況」を意味する。だが、家計がそれを正確に予測できず、「左辺=右辺」になっていると誤って予測するとき、民間部門の家計は消費を拡大しない。また、(2)の前提は、政府が提示する財政政策(税負担や政府支出)の経路に対するコミットメントの強度や信認とも深く関係する。
(※3)式で「左辺>右辺」となる可能性があっても、政府が実施する財政政策に不確実性があり、突然に政策を変更して増税(あるいは歳出削減)し、(※4)式の等号が成立する可能性があると判断するとき、それは(※3)式の等号が成立する可能性を意味するため、民間部門の家計は消費を拡大しないかもしれない。
なお、上記は「代表的家計」(現在から将来にわたって無限に生きる家計)を念頭に置いたときの留意事項だが、世代交代や家計の異質性などを考慮するときに前提がどう変化するかの議論も重要であることはいうまでもない。また、増税の予定なく発行され、最終的に物価上昇で価値が目減りする可能性が高い公債を、合理的な家計が購入・保有しようとする誘因も明らかではない。
ところで、すでに若干説明したが、(※4)式で等号が成立せず、(※4)式で「左辺>右辺」となるのは、どのようなケースであろうか。まず、そのようなケースのひとつとしては、(※4)式で等号が成立している場合でも、政府が恒久的な減税(あるいは歳出拡大)を実施し、(※4)式で「左辺>右辺」とする場合が考えられる。また、別のケースとしては、公債残高が累増するなか、正攻法の財政再建である増税や歳出削減が政治的に行き詰り、財政収支改善の限界が明らかになった場合などが考えられる。
しかし、前者(恒久的な減税)のケースで、上述の前提(1)、(2)が成立せず、むしろ将来の増税を予測する場合、減税が物価の上昇をもたらすとは限らない。他方、後者(増税や歳出削減の行き詰り)のケースでは、FTPL(物価水準の財政理論)が成立し、財政インフレが突然発生する可能性もある。
■財政インフレを制御できるか否かは予測不可
なお、FTPL(物価水準の財政理論)の理論が正しい場合、一時的な高インフレが発生しても、(※4)式の等号が成立するまで物価が上昇すれば、いつか財政インフレは終息するはずである。しかし、それは理論的な話であって、現実の世界において、非常に高いインフレが発生した場合、政治的な問題に発展する可能性もあるが、そのようなかたちで発生する財政インフレについて、国民が許容する適切な水準以内に日銀や政府が本当に制御できるか否かは誰も予測できない。
インフレを抑制するために日銀が金融引き締めを行えば、長期金利の上昇を許容する必要があるが、巨額の公債残高が存在するなか、それは利払い費の増加を通じて財政を直撃してしまう。このため、日銀は物価の制御か、財政の救済か、二者択一を迫られるが、政治の圧力等で日銀が物価の制御を断念する可能性も高い。これを「財政従属」(Fiscal Dominance)という。
その際、FTPL(物価水準の財政理論)の理論では、増税や歳出削減によってインフレを抑制することも考えられる。例えば増税の場合、(※3)式で「実質税負担の増加→可処分所得の減少→消費の減少→インフレ圧力の低下」というメカニズムが働くためである。しかし、増税や歳出削減を行うためには、国会で歳出削減のための予算法案や増税のための税制改正法案を成立させる必要があり、そのような法案が国会で速やかに議決できるか否か、という問題にも直面する。
このため、あらかじめ増税の条件をルール化しておき、たとえばインフレ率が2%を超えたら、消費税率を1%引き上げるという提案なども存在するが、現実の世界では、原油価格の高騰や急激な円安、民間銀行による信用創造や海外マネーの流出入等、FTPL(物価水準の財政理論)が想定する以外のさまざまな複合的要因や外生的ショックで物価が上昇することも考えられ、単純なルールでの拘束は難しい可能性があるとともに、ルールに従って1%の消費増税を実行してもインフレが終息しない場合も考えられる。
また、財政インフレで一時的な高インフレが発生している場合には、もっと踏み込んだ増税や歳出削減が必要になる可能性もある。かつての日本経済でも1945年の戦後直後から数年間、高インフレが発生したが、そのインフレを終息させたのは、超財政金融引き締め政策を盛り込んだドッジラインであった(注:朝鮮特需という神風が吹いたが、それがなかった場合、引締め政策はその後深刻な景気後退をもたらした可能性が高い)。
この関係で、現スタンフォート大学(元シカゴ大学)のジョン・コクラン教授は最近の論文(2014年)において、「歴史的にみると、インフレは貨幣的現象と言うよりも財政的現象である」という主張をしており、財政インフレを止めるには、その原因である財政赤字を縮小するため、国民が痛みを伴う増税や歳出削減を実行する必要がある可能性が高い。
(文=小黒一正/法政大学経済学部教授)
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