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誰も見るな!技術とは対極に位置する災厄としか形容することができない、死の炎、原子力は、その是非が問われるような次元の代物ではない!
〜宇宙空間でも生息可能と言われているクマムシ以外のあらゆる生物は、放射能環境下での生命活動を維持する事が不可能である。 これは科学が立証している事実に相違ないのでは?〜
原子力問題の本質は、まず放射能とは何であるのか、地球上の全生命にとって、それはどのように作用するのかを科学的に知る事なのではないか? 同時にそこにエネルギー問題や他の事象の介入する余地はないだろうし、またそれを許すべきではないと考える。
そしてその本質を知れば、それが利用されるべきテクノロジーではなく、禁断の厄難であると理解できる。 だが残念なことに、それを了解している者は、非常に限られているのではないのだろうか。 そのいい例が、原発は、事故などが起こらなくても、通常運転時において様々な形で静的に種々雑多な放射性核種を環境中に暴露している装置であるのを、大多数は知らない事…。
原子炉内で生成される 放射性物質の種類 放射性物質の種類より
では何故権力はそれを世界に知らしめようとしないのだろうか? これについては私は自分も含めて人間が大っ嫌いだ〜フクイチ事象で一人も亡くなっていないとか、放射脳といってあざけり嘲笑する人達への警鐘〜で言及しているのでご参照ください。 いまもって原子力を強力に推進しようとする日本政府を含む世界パワーは、原子力が禍々しいものであるにも関わらず、それを技術とでっち上げ、その本質に対する大多数の懸念を矮小化し、未だに利用し続けている。
その一例
その上、原子力の本質である放射能の正体が、あらゆる生命にとってネガティブにしか働かないのみならず、さらなる不幸が以下にもみられる。
原子力は、地球上のあらゆる生命にとって、正に死の炎と呼べるのではないのだろうか。 しかも上記の理由は実地でなく、机上の段階で論理破綻していた可能性が高かったのに実行に移された疑念もある。
このように、武器としての原子力爆弾も、エネルギー源としての原子力発電にしても、両者の違いは動的であるか静的であるかだけの、共に全生物を含む、地球環境全体に対する死の灰の拡散装置であるのが明らかであろう。
原子力災厄に関し、それが未だにれっきとした技術の一角であると誤認して、是非の論議に因われている人々が多すぎるのではないのだろうか。 それは是非を問うような次元の代物でなく、一刻も速く地球上から葬り去る必要がある凶事であると断定できる。
私は、科学的論理考察に基づき、それを原子力災厄と呼んでいる。
おまいらもいいかげん理解しろよ、と、あなたに言いたい。 でなければ、稚拙な揶揄なしに科学的に論理的反駁をして下さい。
引用部以外はオリジナル
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