http://wedge.ismedia.jp/articles/print/12149 震災から7年たっても福島を「差別させる」のは誰か 2018/03/09 林 智裕 (ライター) 今年も3月11日が近づいてきました。多大な被害を出した東日本大震災と津波、その後に起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故のきっかけとなった日から7年になります。震災直後に中学生だった子供が成人する程の時間がたちました。しかし、いまだに被災地以外の地域では被災地の安全性に対する誤解が残っています。国もようやく動き始めましたが、こうした誤解を解き、被災地への偏見を将来に残さないために、私たちはどうしたら良いのでしょうか。 田中正秋/アフロ 東京都民の中で「風化」する震災の記憶 この7年の間には、熊本での大きな地震もあるなど、日本全国で災害が起こっています。その中でも福島のことが比較的長く語られてきた理由には、日本が今まで経験したことが無かった原発事故という災害が含まれていた点が非常に大きかったのであろうと考えられます。
原発事故は一般的な災害と異なり非常に強い政治的な色を帯びたことで、災害当初はさまざまな言説、中にはデマやフェイクニュース、ヘイトスピーチと呼べるようなものも多数飛び交いました。目の前の事実の共有すら困難な状況で放射線リスクや原発の是非を巡って議論は紛糾し、それぞれが目指す「復興」の方向さえも対立しました。 この喧騒を経た上でも、被災地以外の場所での震災の記憶は「風化」しつつあります。そうなると「結局、あの事故は一般的にはどのような形で理解され、残されたのか」ということが重要であるといえます。 それを探るための一つの手がかりとなるのが、2017年8月に調査され、11月に公開された三菱総合研究所による調査結果(東京都民対象・回答者数1000人)です。 まず、『関心の薄れ』自体についてもこの調査では調べられており、『震災に対する意識や関心が薄れていると思う』と回答した人は、59%と過半数を超えました。 また、この調査では福島県産品の食品への意識も聞いています。ケースによりばらつきがあるものの、『福島県産かどうかは気にしない』と答えたケースが最大、過半数を超える58.6%(自分が食べる場合)でした。一方、『福島県産品の放射線が気になるのでためらう』として忌避する割合は、最大で約35%(自分以外の家族や子供、外国人観光客が食べる場合)、自分自身が食べる場合でも26.3%にのぼっています。 福島県への旅行についての意識では、12.8%〜15.8%の方が積極的に訪問あるいは勧める意欲がある一方で、『放射線が気になるのでためらう』と考える方の割合は28.0%〜36.9%となっており、家族や子供が訪問することへの抵抗が一番強いとの結果が得られました。 最後にもう一つ参照するのは、放射線による健康影響についての認識です。 調査の結果では、半数以上の方が「福島では放射線被曝によって健康被害が起こる」と考え、それが次世代以降の人にまで起こると考えている方の比率も大きくは変わりませんでした。 http://www.mri.co.jp/opinion/column/trend/trend_20171114.html これらを簡単にまとめると、 @ 「全体的に震災の情報に接する機会や関心が低下している≒情報のアップデートがすすみにくい」状態 A 福島の食品を食べることや福島への旅行に対しては、35%前後の方が他産地の一般的な食品や旅行先に比べて何らかのネガティブな印象を残している B 半数近くの方が、福島に暮らすことで被曝によって何らかの健康被害が発生すると信じている という3つのことが判ります。 また、AとBはいずれも「福島には放射線被曝での健康リスクが残っている」ことを前提とした上でのリスク評価をしていると見ることもできます。 ここでまず最初にお伝えしなければならないのは、「短期的であろうと長期的であろうと、避難区域外の福島県内を訪れたり、出荷されている福島県産の食べ物を食べることで放射線被曝をするリスクと、それによって受ける健康リスクは国内の他地域と全く変わらない」という事実です。「福島には放射線被曝での健康リスクが残っている」という前提は間違っています。 2017年10月のUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告書では、東電福島第一原発事故の結果として生じた「(放射線)被曝による影響は観察されず、今後も出現しないと予測される」との従来の見解に変更はないとされました。 UNSCEARについてはこちらの記事に詳しく書いてあります。 福島の食品の安全性に関しても、他県と全く変わらないのが現実です。日本は食品中の放射性物質に対する基準値が世界的にも非常に厳しく設定されており(日本100Bq(ベクレル)/kg、米国1200Bq/kg)、福島県産の食品はもちろんこの基準をクリアして出荷されています。ちなみに、これまで福島県産の食品から放射性物質が検出されることすら、ほとんどありません。しかし、多くのマスメディアではこうしたポジティブな福島のニュースは、ほとんど扱われてきませんでした。こうした検査の存在自体、ほとんど知られていないとの調査結果もあります。 また、冒頭の三菱総合研究所調査では半数近くの方が「放射線によって次世代以降の人への健康被害が起こる」という誤った認識を持っていました。これは、差別にも直結する深刻な誤解です。 「放射線被曝による健康被害が次世代の人間に遺伝することはない」ということは、福島での東電福島第一原発事故どころか、70年以上昔の原爆による被害影響の調査からとっくに明らかになっています。 これらが示しているのは、多くのデマやフェイクニュースが飛び交った以上、それを放置することは、誤解や偏見を沈着させたままの形で風化し、差別の温床となる、という重い事実です。 こうした福島への誤解と偏見を減らしていくためには3つのアプローチが必要ではないでしょうか。 1つ目は、「ポジティブなニュースや楽しいことを積極的に発信していくこと」 2つ目は、「ネガティブなデマや誤解を検証し、訂正していく」こと 3つ目は「正しい知識を持つ人を増やしていく」こと これらのアプローチにはそれぞれメリットとデメリットがあるため、バランス良く組み合わせて問題解決にあたる必要があります。 特に、2つ目に挙げた「デマや誤解を検証し、訂正していく」ことには、間違いが間違いであると、きちんと明らかにすることによって不必要な社会不安を減らし、混乱を収めるメリットがあります。 しかし、これには以下のようなデメリットも同時に存在します。 ・人の自然な感情や思惑以上に客観的な事実を重視するために、「冷たい」との印象を持たれてしまう ・デマをまくコストに比べ検証するためのコストはケタ違いに高くなる ・検証する対象であるデマやヘイトスピーチが、そもそも被災地やその支援をする人々にとって不愉快なものであるため、それを可視化させること自体にも苦痛や批判が伴う ・たとえ正当な反論であっても外からみれば、内輪もめに見えることで「楽しくない」「怖い」「面倒臭い」「どっちもどっち」とされ、一般の方が福島に関わるためのハードルが上がってしまう ・それらの結果、商売としての風評被害対策にとってはむしろ障害となる面もある などです。 こうしたデメリットからか、デマを否定・訂正していくことには、行政も報道も積極的とは言えませんでした。それは言い換えれば、政治も主要メディアもこの7年間、福島への差別的なデマやヘイトスピーチの暴力から被害者をほとんど護ってくれなかったということを意味します。それらが野放しにされ続けた結果、今でも一部報道やドキュメンタリー番組、講演会などには福島への誤解を誘発させるセンセーショナルな言葉や表現が見られており、行政がむしろ後援などでそれらへと協力しているケースすらも見られます。 こうした事態を受けて、2017年12月12日に復興庁が「原子力災害による風評被害を含む影響への対策タスクフォース」で示した『風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略』の序文には「科学的根拠に基づかない風評や偏見・差別は、福島県の現状についての認識が不足してきていることに加え、放射線に関する正しい知識や福島県における食品中の放射性物質に関する検査結果等が十分に周知されていないことに主たる原因があると考えられる。このことを国は真摯に反省し、関係府省庁が連携して統一的に周知する必要がある」と記載されました。 震災後次第に福島に関しての検査結果や知見が出そろい、当初の予想よりも被害がはるかに少なかったことが判ってくるにつれて、『東電原発事故での放射線リスクに対しての「理科」の果たすべき役割はほぼ終わった。これからは「社会科」の出番だ。』『そのためには一人ひとりに向き合う丁寧なコミュニケーションが必要不可欠になる』というような言葉が、もう何年も前から言われ続けています。 一人ひとりが受けた心の傷も大きく、「不安を感じるな」というのは無理な話です。そうした不安に寄り添った丁寧なコミュニケーションや誰の判断も否定しない共生が実現されるのは理想的で、それに向けた努力は最大限になされるべきだとは私も考えています。 一方で、そうした根気強いコミュニケーションを実際に行うためには、現場で責任を持って役割を担う、高度な専門知識を持った人材が数多く求められます。人手は圧倒的に足りず、時間も相当かかります。 また、そもそも「問題が解決されない方が、福島が不幸であり続ける方がメリットになる」人の存在もあるのです。 福島での被害が大きい方が反原発運動やそれを用いた政権批判の主張、あるいは補償の点で有利であったり、被曝の不安を煽った方が自社の商品や本が売れたり、福島の米がいつまでも安いままの方が自身は儲かったりなど、問題を解決していくためには、複雑に絡み合った利害関係に対する視点も欠かせません。そうした中で「守られていくべきものは何なのか」という問題なのです。 現実問題としては、「理科」から「社会科」への橋渡しを行うための、つまり科学的な安全性を基にした大勢の方々の「安心」を得るための手法の一つである「一人ひとりの不安に寄り添う丁寧なコミュニケーションによって偏見を無くしていく」「互いの判断を尊重して否定しない」という理想だけでの問題解決は残念ながら絵に描いた餅になりつつあるといえます。 実は、これに似た状況が原発事故とは関係無い東京都中央卸売市場の豊洲への移転議論の際にも見られていました。 豊洲市場ではすでに充分に科学的な「安全」が確保されていたにも関わらず、リスクを過剰に喧伝させる「問題提起」によって大勢の人の不安が巻き起こされ、移転が政治問題として政局に利用されたこともあってさらに泥沼化しました。 この問題へのアプローチに対して、小池東京都知事からは「科学的な安全性」以上に「人々の安心」を丁寧に得ようとすることを最優先にした手法が用いられたことは記憶に新しいかと思います。 結局、「素朴な不安」を抱えたままの人たちからの「安心」や同意は完全には得られないまま、ほぼ当初の予定通り豊洲への移転は決まりましたが、移転の遅れによる莫大な経済的損失や追加コスト、豊洲と築地双方への風評や偏見などの被害が生じました。すでに東京オリンピックの準備にも大きな支障が発生しているとの指摘もあります。 「豊洲移転問題」で1年近くかけて試みられた「『素朴な不安』へと丁寧に寄り添ったコミュニケーション」を最優先させる手法の前例は、決して成功したとはいえないでしょう。 複雑な価値観と利害関係が絡みあう中で、科学的な事実である「安全」をより大勢の方の「安心」へと変えていくためには、様々な事情を抱えた一人ひとりの「不安そのもの」に丁寧に寄り添うことだけではなく、誤解に対して「違うことは違う」と毅然と否定して原発事故由来での不安の総量を社会全体から減らしていくことを同時に行うことが、やはり避けては通れないのです。 たとえば特定の言論や判断を正当化しようとするために事実とは異なるデマを用いて他者を攻撃する行為があったとします。これを否定せず発言に責任も求めないことは、恣意的な特定の対象だけへのエンパワーメント、えこひいきでしかなく、全くフェアではないといえます。そのしわ寄せは、全て被害の当事者へと押しつけられてきたのです。そこまでの犠牲を払って守られてきたものは、一体何だったのでしょうか。 冒頭の三菱総合研究所の調査結果からも読み取れるように、風化が進み情報更新の機会も減る中で、今も東京都民の半数近くが福島に対して差別につながりかねない誤解を持ち続けたままです。 「もはや議論の余地がほぼない(科学的に決着のついた)事実」については決して譲歩せず、ぶれない姿勢を強く示し続けることによって誤解を減らし、一人ひとりの不安からの「解放と自立」を手助けしていくことが必要です。 あの災害から7年目となる今、福島は震災当時とは大きく変わりました。 今回は、今も残る複雑な課題ばかりを書いてしまいましたが、たくさんの方々から寄せられた善意やご支援の種が芽吹き、実を結んできたこともたくさんあります。その成果を、どうかその目で確かめていただきたいのです。 楽しいことも、面白いことも、綺麗なものも、美味しいものも、お見せしたいものがたくさんあります。もしよろしければ、変わらない「フクシマ」とは違う変わりゆく現在の福島に、もう一度関心をお寄せいただければ幸いです。
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