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「野中教授の遺志継ぐ 福島県の農業復興支援、感謝の思い新た」
(福島民友 2017/11/27)
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20171127-223286.php
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故直後に本県に入り、放射性物質の影響に悩む農家を支援する調査研究に取り組み今年6月に63歳で死去した、新潟大大学院教授の野中昌法(まさのり)さん(土壌環境学)をしのぶシンポジウムが26日、福島大で開かれた。集まった農家や研究者らは原発事故に共に立ち向かった野中さんへの感謝の思いを新たにした。
野中さんは震災、原発事故直後から農業復興に向けた情報発信と分析を始め、その年の5月から本県に入った。二本松市東和地区でNPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会と共同で研究に当たったほか、南相馬市や飯舘村でも活動。放射性物質の作物への移行などを調査した。
本県の豊かな環境を気に入り、2015(平成27)年には二本松市木幡に居を構えた。1年半の闘病生活を経て、今年6月9日に亡くなった。
シンポジウムは実行委員会の主催、福島大うつくしまふくしま未来支援センターと新潟大農学部の共催。福島大、新潟大の研究者のほか、野中さんと関わった本県の農家が大勢出席し、口々に感謝を述べた。
同NPOの武藤一夫理事長は「震災直後に野中先生がやって来たのは、まさに神の引き合わせ。私たちの地域を調査し、方向性を示してくれた。遺志を継いでいきたい」と話した。
福島大食農学類(仮称)の2019年4月開設に向けて準備を進めている小山良太教授は、「福島に農学部がないのはおかしい。福島で人材育成をしなければだめだ」と野中さんからずっと言われ続けていたエピソードを紹介。「1年4カ月後、野中先生が望んだ『本当の農学教育』を完成させたい」と決意を語った。
研究者らによると野中さんは徹底的な現場主義で、農家の立場に立った研究を重視した。新潟大の研究室のドアには、足尾銅山の鉱毒問題解決に一身をささげた田中正造の写真とこの言葉を記したポスターが掲げられていたという。「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
--------(引用ここまで)------------------------------------
病死としか発表されていないが、63歳でそう簡単に亡くなるわけがない。
まちがいなく放射能被ばくの影響だろう。
野中教授は、食の安全、新潟水俣病・イタイイタイ病、チェルノブイリの汚染などの研究に
農家の目線で取り組んでこられた。
政府の無責任な原発推進には批判的だった。
少なくとも、何の根拠もなしに「大丈夫、心配ない」とデタラメを繰り返す御用学者ではなかった。
しかし放射能被ばくに対する認識は甘かったのではないだろうか。
福島で農業を続ければ大量の被ばくをして死にいたることを、自分の身で証明するという
皮肉な結果になってしまった。
汚染地域では農業はあきらめるか、農業を続けたいのなら汚染のない地域に移住するしかない。
なぜ旧ソ連が何百もの村を永久に廃村、立入禁止にしたのか、よく考えるべきだろう。
野中教授の遺志を継いではならない。教授の後を追うだけである。
(関連情報)
「放射能と食べ物 本当に安心できるのか? 『知ること』は『生きること』、『生活すること』」
(原発をなくす秋葉区ネット 野中昌法・新潟大学 2013/2/23)
https://niigataakihakunet.files.wordpress.com/2013/02/20130223small_ss.pdf
「野菜ソムリエ藤田が行く! 新潟大学 教授 農学博士 野中昌法さん 編 -その1-」
(ふくしま新発売 2013/5/29)
http://www.new-fukushima.jp/archives/25132.html
「福島県郡山市、二本松市の放射能汚染がものすごい」 (拙稿 2017/9/10)
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/653.html
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