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福島原発賠償バブルにいまだ沸くいわき市「表と裏」レポート(1)
http://wjn.jp/article/detail/9565578/
週刊実話 2017年6月8日号
いわき市は太平洋沿岸の福島県南部に位置し、冬でも雪がめったに降らない温暖な気候が特徴だ。県内市町村トップの35万人の人口を誇り、県総人口の18%を占める。福島第一原発はいわき市から約50キロメートル北にあり、車で1時間ほどの距離となっている。
2011年3月11日の原発事故により、いわき市に避難してきた人は双葉町や大熊町などから2万人以上に及ぶ。被災者は故郷を強制的に追い出され、未曾有の危険を乗り越え、ようやくたどり着いた地だった。
しかし、渡辺敬夫・前いわき市長は'12年4月、被災者に対して、「東京電力から賠償金を受け、多くの人が働いていない。パチンコ店もすべて満員だ」と苦言を呈した。賠償金を手にした被災者の素行が市内で問題となり、同年12月には市役所の玄関や公民館など四つの公営施設に黒スプレーで「被災者帰れ」と落書きされる事件にまで発展した。
多額の賠償金を手にした被災者は少なくない。東京電力からの賠償金として個人、法人に支払われた総額は7兆2560億円(今年5月12日現在)に達する。賠償の認定は各世帯、法人により多岐にわたるが、帰還困難区域、大熊町、双葉町で移住を余儀なくされたことに対する精神的賠償として1人700万円。加えて1人月10万円が支払われ、5人家族だと月50万円。これだけでも年収は600万円となる。さらに原発事故以前の所得を補償する就労不能損害もプラスされた。住居や家財、山林なども補償の対象となり、総額1億円、2億円といった億単位の賠償金を得た世帯も少なくないといわれている。
これまでいわき市の賠償金バブルの象徴として幾度も報道されてきたのが、前述の渡辺前市長の苦言にもあった市内のパチンコ店だ。駐車場にはベンツやBMW、レクサスといった高級車が多数並ぶと噂された。
実際に、駐車場が設置されている2軒のパチンコ店に平日の昼間に行ってみると、駐車場はベンツなどの高級車が溢れていることもなく、確認できたベンツは2軒で1台のみ。
では、被災者が賠償金で高級車を購入しているという話は間違いなのだろうか。
「カタログを取りに来るお客様は増えました。その際、『オーナーになるだけの金は持っている』とはっきりおっしゃられる方もいます。しかし、やはり周囲の目を気にしてか、国産大衆車の新車を選んで乗っている人が多いですね」(いわき市内高級車ディーラー)
一方、いわき市内で50年以上経営する老舗の日本料理店は、羽振りのよい被災者を数多く目の当たりにしてきたという。
「やっぱり外(いわき市外)から来た被災したお客さんは大胆というか、お金の使い方が全然違います。お客さんの数は一気に増えて、土日は予約なしでは入れない状態になりました」(日本料理店の女将)
いわき市内の運送会社で働く大熊町出身の20代女性は、'11年1月に結婚し、その2カ月後に大熊町で被災した。それまで福島第一原発で仕事をしていた夫は、新潟県の柏崎刈羽原発で働くことになり、彼女自身は妊娠していたため親戚のいる会津若松市に避難。2人目の子どもができたことで昨年、いわき市内に新築の一戸建てを購入。ようやく家族4人での暮らしが始まった。
現在、夫は派遣社員として働きながら正社員の求職活動をしている。
「家族バラバラの4年間の生活はずっと不安だったし、大雪に見舞われる会津の気候に慣れなくてつらかった。私たちの賠償金は大したことない。いらないから元の生活に戻してほしいです」
◇
福島原発賠償バブルにいまだ沸くいわき市「表と裏」レポート(2)
http://wjn.jp/article/detail/3041831/
週刊実話 2017年6月8日号
いわき市内にある被災した楢葉町民が入居する応急仮設住宅団地は、来年3月末で原則終了となる。この仮設住宅に住む60代の女性はこう話す。
「もちろん楢葉に帰りたいという気持ちはあります。その反面、こちらに来て“住めば都”ということも実感しています。できることなら、みんなでお金を出し合って、この場所にマンションを建てられればいいのにねって話しているんです」
約50戸あった楢葉町の仮設住宅は半分近くが空き家となった。その一方で、この2月よりJRいわき駅から徒歩数分の新築高級マンションが売りに出された。全52戸の価格帯は3000万〜6000万円弱と幅広い設定だが、高い価格のものから次々と契約が決まり、3カ月で残りわずかな状態となった。
震災の直後は多くの被災者が避難してきたので、いわき市の賃貸物件はほとんどなくなり、月の賃料も1.5倍から2倍近くまで跳ね上がったという。また、大家や賃貸業者も、国の全面バックアップで支払いが滞ることのない被災者に優先的に物件を紹介するケースが相次ぎ、この状況に憤るいわき市民も多かった。
市内の歓楽街「田町」で約30年スナックを営む50代女性は不満を吐露する。
「億の賠償金を手にした被災者の中には、いわき市にマンションを数部屋購入し、家賃収入で手堅くやっている人もいます。やっぱり人間、大金を手にすると自慢したいんでしょうね。ここら辺りのビルが1棟2億円といわれていて、『それなら買えるな』なんてさらりと言っていますよ。私たちがあまりチヤホヤしないせいか、そういうお客さんはフィリピンパブの方に流れていますね」
いわき市南部に位置する小名浜地区は港町として栄え、ソープランド街があることでも有名だ。地元の関係者によると、震災以降、5時間、6時間といった長時間コースを設定する通称“買い取り”をする客が増えたという。3時間以降はソープ嬢と一緒に外出可能な店もあり、中には9時間の“買い取り”をする客もいるそうだ。
「“買い取り”の多い日は決まっていて、そんな日は、『昨日、賠償金の振り込みがあったからだろう』と従業員同士で囁いています。以前はフロントガラスから通行証が見える車で、駐車場がいっぱいになったこともありました。もちろん除染業者やゼネコン関係者もいると思いますが、お金を持っているからか、横柄でマナーの悪い人が目立ちますね」(ソープランド関係者)
浪江町、双葉町、大熊町、富岡町(一部)の帰宅困難区域の住民は高速道路のほか、税金や医療費が免除され、これもいわき市民との軋轢を生む要因となっているようだ。そして、軋轢に屈してしまった人もいる。
双葉町出身の30代女性は原発事故の後、夫婦でいわきに移住し、市内に新築の一軒家を建てた。しかし、その生活は長くは続かなかった。女性が当時をこう振り返る。
「ポストに『税金払え』と書かれた紙が入っていたことがありました。私の家は地域の自治会にも入れてもらえず、回覧板も回ってこない。これが村八分かと痛感しました。孤立状態に耐えられず、土地も建物も売って、再び故郷のそばに引っ越しました。私たち以外にも近所との確執で家を手放す家庭がありました」
行政は、いわき市民と移住してきた被災者の溝を解消するため、何か方策を取っているのだろうか。
いわき市の復興支援担当職員は「今は軋轢はないと考えている」と強調する。そのうえで、今後も県と避難元の自治体と連携し、交流施設などを設置することで、市民と被災者との融和を図っていくとしている。もちろん被災者に対しても努力を求めている。
「被災者も税金を払うべきといった声は市民から寄せられており、そのような不公平感を解消するため、避難されている方に対する適正な税金の徴収を国に要望しております」(いわき市総合政策部政策企画課)
いわき市の賠償金バブルは街の表舞台から身を潜め、水面下で膨張しているようだ。
原発事故から6年が経過した今も、いわき市民と被災者の軋轢は根が深い。
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