http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/175.html
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「物理とツイッターで福島を支えた科学者 早野龍五〈AERA〉」
(AERA dot. 2017/5/28)
https://dot.asahi.com/aera/2017052500050.html
2011年3月、東日本大震災と、それに続く東京電力福島第一原発事故は、多くの人生を激変させた。物理学者、早野龍五もその一人だが、その変容はユニークだ。自ら行動し、放射線をめぐる人々の不安に、ツイッターを通じて向き合って6年。今年3月、ひとつの区切りを迎えた。
物理学を教え、研究してきた早野龍五はこの春、定年で東京大学を去った。20年間、ジュネーブの素粒子原子核物理研究施設CERNで「反陽子ヘリウム原子」の研究を続け、2008年にはその功績で日本の物理分野最高の賞である仁科記念賞を受賞、功成り名を遂げた物理学者だった。その早野が、11年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故を契機に6年の間、福島の放射能とそれによる放射線被曝(ひばく)の問題にのめり込んだ。水が氷になるように変わった。彼を「変身」させたものは何か。
よく知る人は、「余裕のハヤノさん」と呼ぶ。本業の物理の研究教育の合間には、歌舞伎座に通い、茶道をたしなみ、東西の美術鑑賞も欠かさない。出入りの魚屋が持ってくる旬の魚に舌鼓を打ち、研究から戻れば自宅近くのビアバーでのどを潤すのが恒例だった。それでいて、研究も教育も他の追随を許さなかった。
3月11日から、早野は寝食も忘れ、ツイッターで発信した。3月のツイート数は1800を超え、以前の6倍となった。それ以来これを超える発信をした月はない。
●12日からのツイッター 発信は原子力関連一色に
地震とその被害への対応は人並みだった。東大大学院の物理専攻長としての仕事を終え、やっと自宅に帰れば、家人は無事だったが、テレビは落ちて壊れていた。ネット以外の特別な情報ルートはなく、余震を気にするばかりだった。
翌12日から、早野のツイートは原子力関連一色となった。午後2時22分、「Cs137が出す662keVのガンマ線を確認したという意味か.福島第一原子力発電所」とツイートした。専門の原子核物理の知識を踏まえて、「原子炉が壊れてそこ以外にはない放射性物質が外部に漏洩(ろうえい)した」という事実を淡々と語ることばだった。原発敷地での放射線レベルの急激な上昇について「これはシリアスだ」ともつぶやいた。そんなツイートを続けるうちに、この日だけでフォロワー数は3千人から2万人を超え、1週間後には15万人となった。
放射能の人体への影響について、当時の早野はその11年前に受けた肺がん手術時のCT検査による放射線被曝程度しか知らなかったし、原子力工学の知識もほぼなかった。テレビ、パソコン、スマホなどで見ることのできる数値しか情報はなかった。
「これじゃわからん」。長く鍛えた科学研究者として、「数字の並びを見ると、(変化のわかりやすい)グラフにしなければならないという強迫観念がある」と早野。13日昼、原発正門付近の放射線測定値をグラフ化しツイートに画像として載せた。針のようなピークが12日午前10時ごろに記録されていた。二転三転する政府や東京電力の発表内容を理解するため、これらの情報が必須と考えて、パソコンの前で待つ多くの人がいた。
●東大本部からの「黙れ」 早野の活動は衰え見せず
14日朝、東大本部からの使者として理学部の同僚が早野のもとに来た。「本部は早野さんに『黙れ』と言っている」という。「混乱を招かぬように」と放射線関連の情報に関して本部での一本化を志向し、早野の自由なツイッターを問題視したらしい。しかし早野は全く黙ることなく、情報を詰め込んだつぶやきを続けた。反響からみて、早野は人びとの不安に、「科学的に応える義務感」を持ったのかもしれない。
その後も早野の活動は止まらなかった。身近な放射線レベルを測定しようとする市民を助ける専門家がだれもいない──。ネット経由でそれがわかったからだった。市民たちは測定器を持っていても正確な測り方を身に着けている人は少ない。誤った測り方をすれば、数値はとんでもないものになり、かえって身動きが取れなくなる。
早野が本格的に福島の問題にのめり込むきっかけのひとつは、福島での食品による被曝問題だった。目をつけたのは学校給食だ。これをまとめて容器に入れ、測定器で継続的に測る「陰膳(かげぜん)検査」をやれば、子どもたちの内部被曝の状況がわかる。9月中旬、そのアイデアを伝えた文部科学省の担当者は「やりたくない、(放射性物質が)出たらどうする」とけんもほろろ。文科副大臣に直訴し予算化への道をつけると、個人のポケットマネーで福島県南相馬市での検査をすぐさま実施した。
二つめのきっかけは、福島での放射線被曝の現状はどのくらいなのか、という基本問題であった。その問題のカギとなる
「ホールボディーカウンター(WBC)」という機械が早野の目に触れたのは8月だった。
WBCは人体内部の放射性物質を測定する装置である。外部からのノイズを遮蔽した大きな箱形で、人がすっぽりと中に入って数分いるだけで測定が完了する。
1999年の東海村JCO臨界事故をきっかけに原子力関係事故の緊急事態に備えるため、各都道府県に1台程度の設置が望ましいとされていた。原発事故後、福島県内を始めとしてあちこちで稼働していた。しかし、誰も正確な使い方を知らなかった。「正常値の4倍だが、誤差はさらにその4倍」というわけのわからないデータがネット上を闊歩していた。
●福島の解くべき問題に ふつふつ湧いた研究者魂
11年8月19日、見ず知らずの医師から早野に一通のメールが届いた。メールの主は福島県立医科大学放射線科の専門医・宮崎真で「A社のWBCが非常に問題……実際の内部被曝者を今回の事故まで『実戦経験』として測定したことがない……」。同じころ、東京大学医科学研究所と南相馬市立総合病院を行き来し、WBCで住民を測定し対話していた内科医の坪倉正治も同様の疑問を持ち、早野に相談を持ちかけた。彼も早野と面識はなかった。
早野はWBCを見たことがなかったが、物理実験における放射線測定のプロとして、データの奇妙さはわかった。それを住民に垂れ流している病院もある。「世の中にはひどい道具があるもんだ」と早野は思った。
初めて福島県を訪れたのは11月末。福島市、南相馬市、相馬市と見て回った。周囲の放射能汚染の影響、個人個人の体格差の問題、データの統計的解析……事故後に動いていたWBCは、正確な測定に必要なポイントのすべてがなっていなかった。メーカーの対応も間違っていた。「知ってしまったからには放っておけない」と早野。宮崎、坪倉と連携したWBCとの格闘はここから始まった。
早野にとって、WBCは原子物理の問題と同じ好奇心の持てる「研究対象」であった。決意したのは、「他人がやっていないけれど、自分ならできると思えることなら、優先順位を判断した上で、俯瞰的に扱い、きちんと発表できる査読付き英文論文にしよう」ということだった。なぜ、早野はそう決意したか?
「(まだ物理研究で貢献できる)49歳ならやらなかった。定年の近い59歳だったから福島のことをしようと思った」。それまでの「役に立つわけではない」基礎研究に多大な研究費をもらった申し訳なさもあった。しかし、解くべき問題があり、自分に解けそうならやる……ふつふつと湧いたのはそんな研究者魂だった。
事故から1年数カ月経っても、福島県内の放射線被曝はどのような状況なのか、という問いに答える調査や論文はほとんどなかった。自治体の各種調査データもアリバイ的なものばかりで、実態を表すには程遠い。一方、早野、宮崎、坪倉らには、ひらた中央病院(福島県平田村)で最新のWBCを使った3万3千人ほどの内部被曝を測定したデータがあった。解析するならまずこれだ。
「われわれがやらずして誰がやる?」
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」が福島の放射能実態について報告書を作成中と聞いていた。もし早野らがあのデータをまとめて第三者がチェックした査読付き論文にしなければ、「現場からの報告」は報告書にはまったく載らない。早野は13年の正月休みを論文作成に費やし、リミットぎりぎりで受理された。
●福島の高校生との交流 バトンは次世代に託す
もちろん、これらのデータへの批判は多かった。確かに、早野の注目した場所は、福島の全域ではない。たとえば、いまだ住民の帰れない福島第一原発近くの町についての言及はない。早野が依拠したデータは限定的だ。それでも全体状況を覆うデータの蓄積がある場合を選び、実態がどうなのか、もし例外的な場合があるならその背景は何か、ということを綿密に数字に語らせた。
科学的に厳密で後の検証に堪えられる手続きで研究し、客観的にチェックされ、だれでもアクセスできる論文に仕上げる。それは福島に住み続ける人たちに、住む工夫の根拠となる「役に立つ知識」だった。とても使えないとされた汚れたWBCのデータさえ、3年がかりで解析し、事故から間もない時期の被曝状況を推定したのは粘りの勝利だった。
17年3月15日午後、東京大学理学部1号館2階の小柴ホールは、物理学者や学生、福島の関係者でいっぱいになった。早野の最終講義「CERNと20年福島と6年」である。着物姿の早野は若干落ち着きのなさを見せながらも、再会する福島の人びとと笑みを交わした。「早野先生がいたから、今、私たちは福島で暮らせる」、そういうニュアンスの言葉を何人から聞いたことか。
ここ2年ほど、福島の高校生との付き合いが深くなった。高校生に英語論文を書かせ、原発の現場を見せ、国際会議の場にも連れていった。
222枚の講義スライドは、原子核物理の研究から、3.11以後の活動へと紹介を進めた。216枚目で、糸井重里との共著『知ろうとすること。』の1ページを示した。冒頭には「私はちゃんと子供を産めるんですか?」とある。糸井が想定した質問だった。
「『はい。ちゃんと産めます』と答えます。躊躇せずに、間髪入れずに」
早野は言った。いろいろなことがこれからの福島にはあるだろう。それを解くのは、次世代しかない。高校生との付き合いもそのための一端であった。(文中敬称略)
(科学ジャーナリスト・内村直之)
--------(引用ここまで)--------------------------------
権力の番犬に落ちぶれた朝日新聞の御用雑誌AERAによる御用教授の礼讃記事です。
早野龍五教授の専門は原子核物理学であり、医学の知識はもちろん、
原子力工学の知識すらなかったということです。
もちろんチェルノブイリ原発事故の悲惨な被ばく被害も全く知りません。
そんなド素人が、付け刃的知識でWBCをでっち上げ、内部被ばくは心配ない、福島に住んでも
福島産を食べても大丈夫と安全デマを垂れ流したのだから、開いた口がふさがりません。
そしてしまいには、高校生をだまして防護服もマスクをつけさせず福島第一原発を見学させる。
これはもう犯罪です。
「私はちゃんと子供を産めるんですか?」「はい。ちゃんと産めます」
医学を学んでもいない原子核物理学者がなぜそんなことが言えるのか。無責任もはなはだしい。
デタラメもいい加減にしろと言いたい。
AERAは、「ど素人知識とツイッターで福島をだました御用科学者 早野龍五」という題名で
批判記事を掲載すべきでしょう。
(関連情報)
「科学者がいま、福島の若い世代に伝えたいこと「福島に生まれたことを
後悔する必要はどこにもない」 (BuzzFeed)」 (拙稿 2017/1/12)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/281.html
「物理学者や化学者が、なぜ『健康に問題ない、安全だ』と主張できるのか」
(拙稿 2014/8/4)
http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/607.html
「高校生たちが自らの意志でフクイチに入るよう誘導した御用たち」 (阿修羅・赤かぶ 2016/11/23)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/830.html
「≪絶句≫福島の高校生が原発廃炉作業を見学。18歳未満の視察は事故後初めて」
(阿修羅・赤かぶ 2016/11/19)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/806.html
- コメント3・4の(ドロン・パ)ちゃん さらさらゴールド玉ねぎ1個50円どこにある? 知る大切さ 2017/5/29 08:20:31
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