http://www.asyura2.com/17/cult18/msg/380.html
Tweet |
それにしても、大人気ないですね、あいつ、トランプ大統領は。
TV番組で批判された腹いせに、お得意のツイートでTV司会者である女性にたいして「すげくIQの低い女」との中傷でやり返した。
IQが低い、という表現。つまり背が高い、目が青い、みたいに知能の程度を一つの備わった特徴として淡々とした評価を加えている。感情的なコンテンツがない分だけより冷酷な差別の表現を可能にしているのです。
本当にトランプのほうがはるかにIQで上回っているのかは別として、この表現は頭の良しあしを争うことでは的を得ているかもしれない。
いつも思うんだけど、これだけ長い間インターネットを使用していて基本的なPC言語が操作できず簡単なウェブサイトも作れない、これってソフトウェアを専門にしているような人間でなくとも普通のPC知識のある青少年からしても知障のようなものなんだろう。いくら理学部を出た秀才でもそれができなくては頭の硬化したオッサンでしかない。
ほんで、田舎の農業タウンにいくでしょ。こういうところでは、キャベツを綺麗にたくさん作れる人間が賢くて、それが同等にできない人間は学歴がどうであれクズときまっている。
知的基準というものがそれぞれの環境やアクティヴィティーによってあまりに違うから、簡単に判別はつかない。それゆえに知能指数というものが問う資質が意味を持つ。それでなんだというわけではない。ただ個の知キャパの判別基準として便利であるから使うのだ。
トランプや私を含む、若い頃には標準レンジ(80−120)よりはちょっくら高かったというだけでふんぞり返っているような人間は可愛いものだが、本当の知能の天才というのは、社会で機能しづらいようなスペシャルな性質の色濃いレインマン野郎の集まりである。
ぼーっとしていてリアクションが悪く薄笑いをうかべたおっかなびっくりの銅像みたいな奴らが動かざること山の如しとばかりにウロウロしていると邪魔でしょうがない。
将棋の藤井君をみたとき、申し訳ないが、私はその手の「知能の高いウスノロ」が持つ特有のトロさ(彼の地元の名古屋の言葉)を見て取った。急いでいるときに絶対道を聞きたくないタイプである。私だから将棋の実力を知らなくともそれくらいは看破できるわけであり、俗人であればただの鈍いヤサ兄ちゃん、としか気づかないだろう。
登場するやいなやえらいいわれようの藤井君だが、14歳にして国内敵なしの快進撃を続け、羽生名人さえ退けた今では天下人としての風格さえでてきた。
メジャー知能スポーツである将棋の圧倒的な成績をもってすれば、ぱっと見の、あのトロさなどなんのその、大天才であり使用するボキャブラリーまでが聡明だとかいって報道される。本当に騙されやすいメディアとその利用者である国民である。
そういうわけなので、私(チベよわ)が藤井君のインテリジェンスについて大人がびびらないように非公式ながらのアセスメントを行います。
将棋はいちおう頭脳スポーツだから、全体的にみても偏差値的なレベルが実力に影響していることは確かである。この藤井君も名大付属中学に通うプレッピーである。名大付属というのはレベル的には中の上、たいしたことはないが、愛知は大阪と同じで人口密集地帯ながら歴史的に私立一貫教育が非常に弱いから優秀な子供は公立が嫌なら国立を目指すというのが定石である。
しかし、彼のアカデミックな前途は正直、そんなに明るくはない。名大付属で学年トップクラスを維持できればいいが、将棋みたいなレジャーにうつつをぬかしていてはそれは無理というものだ。羽生名人は高校を中退したが、それに近い方向に傾き中高教育からは逸脱していくことが予想され、おそらくエリートには成長しないだろう。
将棋というスポーツと、高学歴が相反する一番大きな理由は、将棋士の現在の一点に抱えられた「何十手先を見越す」ための時間幅、その思考内容の持つ込み入った道程距離が、「時間通りにきちんと仕事をこなす」人材を育成する大学教育というものの持つ哲学と矛盾を起こすからである。
将棋はバーチャルすぎて、現実的なコマースや公務における戦略にはならない。そういってもいいだろう。つまり社会人としてもこのままいけば大成はしない。
大人が仕事において与えられる時間やそのタイミングは外すと機能しなくなるので、将棋のようにぎりぎりまで考えて考えて全ての予想しうるパターンを熟考して・・・などとやっていることは許されない。そんなに深く考えつくすだけの思考力の高さを持つことより、さっさとマニュアルを遵守してその場を切り抜けるだけの足軽みてーなのがスマートとされるのが一般の職場である。思考や想像力をもつことが障害としてはたらくから、基本的に考えない人間が資格条件を満たすということになる。
将棋でつかう思考はまさに無駄に無駄を重ねたゆとりのしわざである。余暇、レジャー、子供の見る夢。その背景に高い知能が思考を支えていようが、ゴミはゴミ。まるで趣味の園芸にでも発揮できるちから、そのくらいの非常に偏った想像力と思考の賜物である知性でもって特殊な領域のゲームに一点突破なこだわりで精力を捧げているのが藤井君の本質である。
これだけ若くして認められるくらいの逸材なら、その能力を古臭い遊びではなくもっとまともな分野に使ってくれればというのが本音であるが、将棋の技術との互換性の高い他ジャンルなどというものがあるのかははなはだ疑問である。
三国志などに興じれば、男子であれば誰しもが諸葛孔明の操る兵法に憧れを抱くだろう。彼のように複数の敵の軍事力から人事から地政からを読み解き、占星術をもちいては運勢までをも掌握しては戦術に編み込む。こんな手腕を発揮できればどれだけ自分の才能が満足させられるだろうか・・・・しかし現行の国際戦争をみても、もうマクロな部分での決着が計画紙面の上で既についている状態であり、緻密な戦略戦などには移行しない。いうなれば現代の戦争とはテクノロジーによって知恵が奪われてしまった理工系だけの体育祭であり、文化的には退行したイベントである。
将棋のような駒あそびではなく、もっと実戦の戦争ごっこに近い機動力や判断力をバーチャルにあらわすようなルールの競技もビデオゲームにはいろいろなっている。その地盤を広げてあらたな大ジャンルで世界征服の戦術をたたかいあわせるような頭脳スポーツができれば私もファンになれるかもしれない。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。