http://www.asyura2.com/17/china12/msg/833.html
Tweet |
富柏村 ブロガー
論座 2019年06月16日
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_1.jpg
逃亡犯引渡し条例改正に反対し、香港政府や立法会に近い道路を占拠する若者を中心とした数万人の市民=2019年6月12日、写真は以下すべて筆者撮影
■中国とは関係のない「香港の価値」
香港の若者たちは何を守ろうとしているのか?
「香港の価値」であることは間違いない。中国にとっても香港の価値はあった。ケ小平の改革開放政策の中で香港の資本、ビジネスのノウハウやシステムを中国は取り入れる必要があり、それによって中国が豊かになるという構図。香港返還の1997年で見ても、香港の当時のGDPは中国全体額の20%にも匹敵するものだったのが今では3%でしかない。2018年には深圳のGDPが香港を抜いた。
かつて中国にとつて「金の卵」を生む貴重な国際経済都市も、今となっては中国にとって香港が「上海や深圳と何が違うのか」となる。中国の国力と社会の安定に自信をもてば、なぜ「何かと国内の政治的安定まで脅かす」香港だけに一国二制度を保証するメリットがあるのか、と訝しがってもおかしくない。
巨大な〈国家〉に対して、香港は高度の自治権を有するといっても、その国家の下部構造としての一特別行政区である。力の差は歴然だが、香港には〈香港の価値〉があると香港の人々も、そして海外の人々も、そう思う。この香港の価値には「中国とは違う」が付く。アイデンティティを認識しようとするとき、常に「……と違う」はついてくるもので、欧州とは違う英国、北米でも米国とは違うカナダ……となる。だから香港でも「中国とは違う」となることも、その歴史的経緯からしておかしくはない。
しかし、ここでいう「中国」は単純な比較対象ではなく、つねにネガティブ。欧米列強の侵略を受けた清朝、アジアで最初の共和制国家として成立しながら群雄割拠で内部崩壊する民国、国共内戦、政治的混乱が続き経済成長こそ成功させたが未だに法治や人権に怪しい一党独裁の現政権……悲しいかな、つねにネガティブに映る「祖国」がそこにある。
英国領であった植民地の香港には国共内戦、中国の赤化、大躍進政策での恐慌、反右派闘争や文化大革命といった混乱で大陸から多くの人々が逃げてきた。文化大革命では反英闘争として毛沢東に呼応し、天安門事件では「暴動」の首謀者として指名手配された運動家らを中国から脱出させ海外に亡命させる黄雀作戦を成功させた。
1997年の中国返還以降も中国で唯一、天安門事件の歴史的見直しを主張できる場所として追悼活動と中国の民主化支援をする香港。常に「祖国」があり、それの抱える悲劇も問題も共有していこう、という姿勢があった。「中国とは違う」から、その地の利を活かして中国が良化することを願う。香港市民支援愛國民主運動聯合會(支連会)の動きがまさにこれにあたる。
それに対して「中国とは違う」から香港の自分たちには関係ない、と感じる若い世代が台頭している。「九十後」、1990年以降の生まれの彼らが最初に目立ったのは2012年、香港政府が推進しようとした愛国教育への抗議活動で、教育者や市民にまじり、この愛国教育の対象となる中学生(日本で言う中学・高校)たち自身が参加したばかりか、この抗議運動の中心を担ったのは16歳の若者だった。
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_8.jpeg
“100万人”デモ出発地点のビクトリア公園に近い路上で、警察が道路の一部を「安全上」封鎖した=2019年6月9日
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_9.jpeg
警察の道路片側と市電路の封鎖に抗議するデモ参加者たち=2019年6月9日
■世界一政治的な香港の若者たち
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_7.jpeg
道路占拠が未明に一掃された6月13日、若者らの静かな抗議が続いた香港政府近くのペデストリアンデッキ
その翌年、香港で大陸からの観光客が粉ミルクなど買い占める状況への反対運動がピークを迎える。2008年に中国で有毒粉ミルクが問題となり、中国政府が大陸民の香港旅行緩和をしていたこともあり、香港の、とくに深圳に近い新界では大陸客の粉ミルクや薬品、生活用品の爆買いが著しく、住民にとって社会問題化していた。人民元は2007年1月に、すでに対香港ドルで為替比率が逆転し元高、香港ドル安となっていて、関税もない香港は買い物天国。その購買力に対して「大陸客は出ていけ!」というキャンペーンが新界のベッドタウン駅前で繰り広げられ、これの中心も「九十後」の若者たち。彼らの行動力と、運動への取り組みの柔軟性は、香港社会で抵抗勢力として一定の実力をつけていた。
そして2014年の雨傘運動となる。香港での普通選挙実施要求が発端の運動だったが香港中心部での長引く道路占拠は政府との交渉も具体的な成果が見られないまま一掃され、この運動は失敗とされた。それでもこの運動の中から、新しい思考、指向が生まれている。これまで以上に「香港が本土」という意識が強まり、中には「香港独立」を唱え、デモの際に英国旗や中華民国旗を振りかざす動きも見られた。
路上で運動を起こした彼らは、2016年には香港の国会にあたる立法会への政治参画を目論んだ。一定数の確実な支持はあったが、香港独立派とされる立候補者は選挙以前に立候補資格が選管によって剥奪され、当選した議員も議員就任時の宣誓で国家侮辱等があったとして議員資格剥奪されるなど、運動や思考にかなりの圧力も受けている。
それでも、むしろ信念を確実にして「中国とは違う」香港の価値、それは人権と自由、法治であり、まだ不完全ではあるが香港の民主主義を実現させるという目標に向かっていく。これにとって中国の一党独裁政権は大きな圧力、障害でしかない、となる。
中国政府側からすると国家顚覆すら企図する危険団体、活動家扱いだが、「九十後」の彼らからすれば、生まれ育った香港の大切なものを守ろうという自分たちは、ラディカルではなく保守的という感覚すらある。
今の国際情勢のなかで「ポスト90年」の香港の30歳以下の若者たちが、これほど政治的なのは世界的にも類を見ない。何をそこまで怒っているのか、何に不満なのか、というシニカルな見方も、とくに中国の若者たちの間からある。中国に対して不満こそあれ、中国全体をまるで敵のように扱う香港の若者たちの利己心と映る。
だが、香港の「九十後」の若者たちには、すでにまるでDNAのような「香港の価値」というアイデンティティがあり、これを守るためなら何かあれば、すぐに抗議行動を起こすだけの力を有しており、一党独裁の巨大な中国政府にまでNo!をつきつける。力の違いを考えると無謀とも思える強い意思だが、“Free HK”こそ彼らの心の拠りどころで、それは何も奇異な思考ではなく、人権や自由、法治という誰もが望む基本理念であるかぎり、彼らは希望を捨てることもなく何らかの形で抵抗運動を続けてゆくことになるのだ。
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_4.jpeg
香港政府、立法会に近い道路を数万人が占拠=2019年6月12日
https://image.chess443.net/S2010/upload/2019061400003_5.jpeg
翌日、占拠が解除された同地点の様子
富柏村(ふ・はくそん) ブロガー
茨城県水戸市生まれ。1990年より香港在住。香港中文大学大学院修士課程(文化人類学)中退。フリーランスでライターもしていたがネット普及後は2000年からブログで1日もかかさず「 富柏村香港日剩」なる日記を掲載している。香港での日常生活や政治、文化、飲食など取り上げ、関心をもつエリアは中国、台湾やアジアに広く及んでいる。香港、中国に関する記事の翻訳もあり。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019061400003.html
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。