中国人に まともな人間が一人も居ない理由 中国教育|タマタマ来ただけ〜中国教育事情と社会をお伝えします〜
中国の大学受験「高考」 2013-03-14
中国の大学受験制度は日本と大きく違います。 中国では大学入試は一発勝負です。 年に1回の試験があるだけです。 全国共通同日に実施されます。 これを「高考(ガオ・カオ)」と言います。 「高」は高等の高、「考」は中国語の考試(試験)の考です。 「高等教育入学考試」の略称です。 つまり、日本で言うところのセンター試験があるのみです。
その後の二次試験などはありません。 面接や書類選考などによる加点も一切無し。 私立の大学もこの「高考(ガオ・カオ)」に含められてしまいます。
独自の試験なんて認められていません。 そしてこの時の1回きりの試験の本番の点数によって大学の進路が決まるわけです。
細かく言うといろいろありますが、この時の点数によって、北京大学から順に学生が割り振られていくと考えてもらってOKです。 世界に冠たる超学歴社会の中国ですから、高校三年生になった学生は、みなこの年に1回のチャンスである「高考(ガオ・カオ)」に向かって、必死に勉強するわけです。
つまり日本だけでなく、欧米諸国とも異なる教育制度だということがわかります。(韓国は知りませんが)
こうした受験制度は学生の教育にどのように影響するのでしょうか。
中国における高校時代の学生生活や、自身の大学での専攻の選択 などから、引き続き書いていきたいと思います。 最後に蛇足ですが、「高考(ガオ・カオ)」は日本で言うところの「大学受験」という一般名詞ではありません。「センター試験」を指すわけです。中国では「センター試験」=「大学受験」ということですから。
中国語では「大学受験」という一般名詞は存在しないんですね。 https://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11490427373.html 中国の高校生の進路選択 2013-03-15
中国においては、進路選択はいかようになされているのでしょうか。
日本の場合は、たとえ「勉強のためではない、就職のために大学へ行くんだ」と言ってみたところで、受験の前にまずどこの大学のどの専攻に入りたいのか決めないことには受験できません。
ですから就職のためと言うことで、経済・経営といった大まかな範囲の中で志望大学・学部を決めたり、文学部であってもその中で、外国文学であったり歴史・哲学等、自身の興味にあった学部を志望したりすると思います。 もちろん何かこだわりがあれば、こだわりのある専攻に応じて志望大学を決めたりします。 人によっては「何したいかわからないから大学へは行かない」という選択する人もいます。 良くも悪くも、大学受験を前に一度何か考える、それが結構いいことなんじゃないかと思います。
自分がなにも考えていなかったことを発見するのも、自分を見つめ直すいいきっかけになるでしょう。 中国の場合 しかし、中国の高校生は受験の前に、大学へ入った後何がしたいのかということは一切考えません。
学校の教師も学生に求めないし、父兄も子供に考えさせることはありません。 教師、親を含めて、受験生の関心事はただ一点、「高考」 (年1回のセンター試験)で何点取るかです。 そして、取れた点の中で出来るだけランクの高い大学を選びます。
専攻などはそのあとです。 「高考」 が行われ、その後各人の点数が確定した後で、約2週間程度のスパンの中で志望大学と専攻を決めてしまいます。 学生に問えば、「この専攻に興味があって選んだ」となるのでしょうが、「外国語学部」や「法律学部」「金融学」といった名前だけで選んでしまったという感は否めません。 何せ長い時間熟慮されたわけではありませんから。 当然の事ながら経済が発展中で将来性のある「法律」や「金融」といった学部というのはもともと点数が高くないと入れませんので、たった1回の成績が良くなければ選ぼうにも選べないと言うことになります。 ですから、日本語学科の学生の中にも「私は女の子なので外国語学部を選びました」という学生がいて、しかも「入学したら英語と日本語が選べたので、日本語を選びました」、「それは英語は人が多くて競争が激しいからです。」というわけです。
しかしながら「日本語がこんなに難しいとは思いませんでした。選んだことを後悔しています。」と。こんな学生がたくさんいます。 例えば最初から法律家を目指し、その目標に向かって勉強し、目標を達成するというサイクルではないわけです。
とりあえず何も考えないで、「高考」 で出来るだけいい点数をとり、取った点数の結果、「法律家になることができる」とか「金融の世界に入ることができる」といって自分の進路を選んでいるわけです。 この結果が北京大学を筆頭とする「エリート」といわれる人を生み出しているわけです。 中国の「エリート」については、また教育制度を一通り語ってからお話ししましょう。 中国の大学受験はどうしてこのようになってしまうのでしょうか。 もちろん制度の問題もあると思います。
しかし、中国人の思想とも大きく関わっていると思います。 中国の社会は、とにかく学歴だけが重視される社会です。 これは就職のみならず、その人そのものの価値・評価をも左右するのが中国社会です。 特に中国人にとって格別重要なのが「面子」です。 これは日本人には理解できないレベルの重さです。 親戚との集まり、また知人との関係、高校時代の同窓会などで、学歴と収入は大きな意味を持ち、一般より劣れば、それは自身の人生の全否定に繋がります。 当然親にとっては子供の学歴・収入は親の面子に繋がりますので、親も受験では成績の善し悪しだけを重視します。 「うちの子供は「高考」 が何点だった」「どこの大学に入った」というのが自慢にもなり、劣等感にもなるわけです。 親にとって専攻の選択など、後からついてくるものです。 日本でも親戚が集まったり近所の人とのコミュニティーの中で存在すると思いますが、中国人の「面子」の感覚は想像を絶します。 こうした学歴重視をもたらす「面子」があるかぎり、親も子供も受験に対する姿勢は変わらないのだろうと思います。 「面子」について 「面子」という言葉はそのまま日本語で翻訳できるわけですが、中国人にとっての「面子」と日本人にとっての「面子」の意味合いは全く対応しません。
日本人の感覚で「面子」を計ると理解できません。 簡単に中国人の面子の特徴を書いておきます。 1.他人の面子には無頓着で自分の面子だけを重視。ただし、他人の面子には無頓着なのに、相手には自分の面子を重視するよう求める。 2.面子を失うことに善悪の別がない。悪いことをして他人から非難されても「面子が潰された」となる。わがままが通らなくても「面子が潰された」となる。 3.相手の「面子」をたてるのは、相手が自分よりも「力」が上位の時だけ。 対処法としては、
中国人個人にとって「面子」が大事なものであっても、他人が顧慮する必要はなし。 ただし、中国の社会は「法治」ではなく「人治」社会ですので、公私を問わず「権力」を持つ人の面子にだけは注意すること。 となります。 https://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11490912114.html 中国の高校生の生活 2013-03-16
中国でも、よほどの貧困家庭でない限り、ほぼ全員が高校へ進学します。
ただ、貧困家庭という概念が日本とは大きく異なります。 食べるのに精一杯で、子供を学校へやる余裕もない家庭です。 13億の人口の7割、9億人ほどは農民で、そのうち2億人ほどは都市で出稼ぎをしています。
出稼ぎででも子供にお金を出せる家庭は何とか進学させます。 高校から大学へ進学すればいい貧困から抜け出せると思いこみ、また、もし高学歴でも得られれば人生の大逆転が得られるという夢を持っているからです。 進学する子の親にも根深い学歴信仰があるわけです。 さて、高校へ進学した生徒は、職業訓練校を除き、ほぼ例外なく大学受験を目指します。
大学卒業以下の学歴などあってないようなもので、普通科へ進学した高校生および学歴信仰のある親にとっては、大学へ進学しなければ意味がないわけです。 一週間の生活
高校は朝8時に始まり12時まで、午後は14時から17時まで。
これが一般的な授業時間。 受験に力を入れた高校なら1年生から、遅くても3年生になると、上記に加えて夜も19時から23時まで補充授業をさせられます。 また、朝も7時から朝の授業が始まります。 そして土曜日と日曜日の午前中も補充授業。 日曜日の午後だけようやく自分の時間が持てます。 補充授業が始まれば、全員学校の中に住みます。 夏休みも春休みもありません。 (ちなみに、小学校、中学校でも、朝8時から夜17時まで勉強しています。) 補充授業について
夜は、補充授業と言っても授業があるわけではなく、その日の授業の課題をやります。
要は教師の監視の元宿題をさせられるわけです。 もちろん強制参加です。 土日の補充授業は、教師が授業をします。 ただし、参加料を取ります。 参加料を取る補充授業でありながら、強制参加です。 中国の教師の給料は安いですから、アルバイト代わりに開催されます。 もちろん、アルバイトは表向きは禁止ですが、公然の秘密として行われます。 体罰について
今日本では、体罰等が問題になっていますが、中国の場合は、こうした学習の場でも平気で体罰が行われます。
勉強と言っても目標は「高考」 。その「高考」 は、知識を暗記してさえいれば点数が高くなりますので、とにかく覚えることが勉強です。 教師が行ったことを覚えてこなければ、体罰が行われるわけです。 (ちなみに中国では家庭でも体罰は行われます。儒教文化では子供は親の「所有物」にしか過ぎませんので。子供に人権はありません。) ですから生徒は教師の体罰が怖くて必死に知識を暗記していくわけです。 身の回りの世話
中国の高校生は、朝8時から、昼、夜の2時間ずつの休憩を除き、夜23時まで机に向かわされます。
当然、23時に終わってからようやく寝る準備が始まり、朝は6時には起きなければなりません。 全員が学校内の寮に住んでいるからといって、身の回りの事を自分でするわけではありません。 なにせ生徒は勉強だけで精一杯。 親だって、子供によけいなことをさせて勉強の時間を一分でも無駄にさせたくないわけです。 親は毎日学校へやって来ては子供の身の回りのことはやってしまいます。 こうして親に甲斐甲斐しく身の回りの世話をされて授業にだけ出て、教師の言うとおりに暗記だけして時間が過ぎていくという受験生活を送るわけです。 クラブ活動・課外活動・趣味
中国の高校にはクラブ活動など一切ありません。
修学旅行もありません。 とにかく勉強のみ。 これは、小学校、中学校から一貫しています。 前回、中国の高校生は年一回のセンター試験である「高考」 の結果が出てから初めて自分の進路を決めると書きましたが、このような高校生活では自分の進路など考えようがないことがわかるでしょう。 親としてもよけいなことを考えるぐらいなら「高考」 の点数が1点でも多い方がいいと考えているわけで、 子供によけいな夢など考えさえません。 クラブ活動もなく、勉強のみの生活ですから、生徒も当然勉強以外のことに興味を持ちようがありません。 仮に音楽や絵画など、芸術方面に興味を持とうものなら親から叱りつけられます。 親不孝だと言われるようです。 芸術方面の学校もあるにはありますが、これはよっぽど成績が悪く、また裕福な家庭の子供に限られています。 芸術方面への進学は、一般の家庭からは軽蔑されているわけです。 当然恋愛も禁止。 教師も生徒がよけいな事に興味を持ったり、よけいな夢を持つのを嫌います。 とにかく「高考」 のことだけ考えなさいと。 ですから、高校生に夢を聞けば、「『高考 』でいい成績を取ること」という答えが返ってきます。 理系であっても、生物や自然に興味があって進学するわけではありません。
とにかく「理系」というブランドが欲しいわけです。 高校生活だけでなく、小学校時代から日本での想像以上に勉強漬けにさせられている中国の生徒は、自分が何に興味があるかもわからないまま成長し、「高考」 を終えた瞬間、大学での進路を選ばされるわけです。 中国の高校では、学校も教師もどうしてここまで勉強に取り組むのでしょうか。
学校側が熱心な理由
ある意味非常に熱心であると言えます。
これには二つの側面があります。 一つは学校というのは地方政府の管轄なので、地方政府の「面子」です。 簡単に言えば、地元から北京大学へ進学する子供が出れば、一躍その地は有名になり、非常に「面子」があるからです。 二つ目は、教師のボーナスへの影響です。 こうれは上記とも関連しますが、生徒の進学先はボーナスに大きく影響します。 教師が担当する生徒が優秀な大学へ入れば入るほどボーナスの査定が高くなります。 万が一北京大学などへ入ろうものなら、一攫千金となります。 中国の教師は月給は低いです。 そのため補充授業と称してアルバイトをしなければならないほどです。 結果として教師はボーナスの査定を気にして生徒を指導するわけです。 教師は自分の生活のため、生徒に手を出してでも必死に覚えさせるのです。 そして、北京大学へ合格する生徒に、一攫千金の夢を掛けているのです。 これが中国の受験戦争であり、そしてそこから生み出される大学生およびエリートの基盤となっているのです。
日本では
日本では詰め込み教育だと言われていましたが、どこが詰め込み教育なのでしょうか。
どこにゆとり教育が必要なのでしょうか。 お金にあくせくせず「教育」をしっかりと行える日本の制度は、悪くないと思います。 一部の妙な人達の主張に惑わされず、日本の教育のいい面は大事にしてもらいたいと思います。 https://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11491018068.html 中国の大学のカリキュラム 2013-03-17
これまで、中国の高校生の生活と大学受験について書いてきました。
続いては、大学のカリキュラムについて書きたいと思います。 単位制じゃない まず、中国の大学は単位制ではありません。
そして専攻ごとにクラスがあり、そのクラスごとに授業の時間割が決まっています。 我々の高校までの授業カリキュラムがそのまま大学でも行われていると思ってもらえればOKです。 ただ、教科がそれぞれの専攻に合わせて専門の教科があるというだけです。 我々が大学生の時にシラバス、時間割とにらめっこして授業の時間割を決めたという姿はないわけです。 クラスがあってゼミはない
クラスには「班長」もいるし、「委員」もあります。
外国語の授業はありますが、「ゼミ」はありません。 最初赴任してきたときはビックリしましたが、つまり高校の延長線上にあるわけです。 一般教養
専門の授業はあっても、かえって「一般教養」はありません。
その分、日本語学科の学生は授業が豊富に感じますが、経済学部等では延々理論を身につけるわけです。 最近「選択科目」として何時間か行われるようになりましたが、1学期に1科目、せいぜい数時間程度です。 卒業論文 ゼミがないのに、卒業論文は書かされます。
しかし、4年間一切自身の理論の発表も他人の論文をみたり、発表を聞いたりする機会も無いわけです。 論文もまともに読まず、まさにコピーアンドペースト。 まともなものが書けるはずがありません。 指導する教師も、研究者ではありませんし。(研究にたずさわらない大学教員が多数。) 一応最後は論文の提出と、その論文に基づいた発表があるので、一度見に行きましたがまったく見れたものではありませんでした。 やる気のない日本の大学一年生のゼミでももう少しましな方です。 職業訓練学校 そもそも大学なのに日本語学科ということで、4年間みっちり日本語を身につける専攻ってどうなの、って思います。
何せ、文法、読解、リスニング、会話と1週間の時間割はみっちりと日本語の教育で満たされています。 そのぶん、卒業した頃には日本語がそこそこ話せるようになるわけですが。 しかし、これではまったく職業訓練学校でしかないように思われます。 日本の場合、英文学や中国文学の専攻ならありますが、それは英語や中国語を身につけるのではなく、あくまでも「文学」を学問として捉える専攻です。 中国語学科があっても、「中国語」を学問として捉える学科であり、あくまで学問です。 英語を身につけたり、中国語を身につけたりするのは、自分でやることで大学生になってまで学校から与えられるものではありません。 先に職業訓練学校と書きましたが、中国の大学はどんな学科でもこのような形で、あくまでも専攻の範囲内で資格を取っていくことが授業のメインです。 これは大学のレベルによらずどこでも同じです。
中国においては大学生になっても、知識は与えられるものなのです。 研究機関ではない ある意味、日本のように勉強しない学生が増えているという状況から考えれば、このような実践に沿った授業というのは良いのかもしれませんが、それではあくまでも「学校」であり、学問の場としての「アカデミー」ではないと言えます。
また、「大学の先生が研究をしていない」という実態があります。 外国では考えられない話ですが、大学での授業があくまで「勉強」ですから、そんなものなのでしょう。 世界標準から言えば、中国の大学の卒業生は、「大学卒業生」としての資格を満たさないと言えます。 ところがこうした現実を知ってから知らずか、中国の大学の卒業の資格を認め、日本のみならず世界でも「大学」として通用しているわけです。 真面目に「学問」をしている各国の大学生としては、同列に扱うのは大きな問題だと思われます。 大学に入っても4年間、高校生と同じようなカリキュラムで過ごす。
たとえやる気があっても、「自ら考える」「自分で資料にあたる」「さまざまな資料を検討して答えを導く」といったことは、このカリキュラムからは生まれてこないでしょう。 https://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11491067074.html 中国の大学生の学生生活 2013-03-18
前回は大学でのカリキュラムについて書いてきました。
続いて、学生の大学での生活を書きたいと思います。 学校の場所
中国の大学は、町の郊外にあります。
もともとは市内のはずれにあったものが、都市の発展とともに郊外へ追いやられ、かなり辺鄙で不便な場所にあります。 外国人教師向けに学内に宿舎もあるんですが、あまりに辺鄙すぎて困ります。 学生に勉強させたい学校にとってはいいんでしょうが。 寮
学生は学校の中で寮生活をします。全寮制です。
例え家が近くても学内に住まなければなりません。 夜点呼があったりして、完全管理です。 学生を勉強させるためと言えば聞こえはいいですが、大学は学費以外にちゃっかり寮費も取ります。強制入寮でも寮費も徴収。 食堂は学生食堂があります。 何千人が食事可能な馬鹿でかい食堂です。 寮では自炊禁止です。 学内には小さい商店はあって、日々の生活には困りません。 ただし、商店は個人の商店ばかりで、アルバイトをするような場所はありません。 アルバイト
学内にアルバイトをする場所もなく、学校自体が辺鄙な場所にあるので、アルバイトをする学生はほとんどいません。
生活費は全て親が出します。 私たちは大学生にもなれば、学費は出してもらえましたが日々のお金は自分でやりくりしていましたので、隔世の感があります。 アルバイトもしないですから、卒業したての学生は全く何も知りません。 何せ20年間あまり勉強しかしたことがないわけですから。 私たちでもそんな学生が役に立たないのは想像に難くないですが、中国人の管理職までが新卒生は役に立たないと言うぐらいです。 一週間
そして、朝8時から夕方5時まで時間割に沿って授業を受けます。
さすがに大学生なので、空き時間があります。 しかし午前中無ければ昼間で寝て、昼から授業がなければ昼寝をするといった感じです。他にはインターネットで映画やドラマを見たり、音楽を聴いたりといったところです。(もちろん海賊版で無料の物) 夜はなんと自習です。 図書館へ行ったり空き教室へ行ったり。 朝寝坊や昼寝を長くしても、夜は自習をするようです。 自習と言っても宿題です。大学の授業で宿題があるんです。 レポートではなく宿題です。 大学一年生は、なんと強制的に自習に行かせられるそうです・・・。 土日は授業がありませんが、たまに補講をします。 大学生になっても土日に補講って・・・。 何も予定がなくても市内へ行くのは、買い物ぐらいです。 買い物に行くのは大体女の子です。 市内でも若者が行く買い物の場所というのは一ヶ所で決まっていて、そこ以外にはほとんど行きません。 学生によっては、学期中ほとんど出かけないという学生もいます。 学生の間でも言い方があるようで、中国語で寮と食堂と教室の三点往復とかなんとか。 もちろん、ごくごく一部の親が金持ちの学生は、親の金を使って遊び歩いていますが。 市内の地理
そんな訳ですから、学生は市内の地理などはほとんど疎いです。
私なんかは、赴任してから地図を片手にあちこち歩き回ったもので、もうバスの路線もほとんど頭に入っているぐらいです。 私より市内の地理に詳しい学生というのは見たことがありません。 もちろんスマホも普及しているので、スマホを駆使して行き方を見つける学生はいます。 遊ぶ情報
そして、遊ぶ情報がびっくりするほどありません。
もちろんそもそも遊ぶところがないわけですが。 日本だと大学生であれば買うような「街」の情報雑誌のような物がありません。 そもそも学生は雑誌に金を使わないようです。 ファッション雑誌は売っていますが、ファッション雑誌を読んでいる学生は見たことがありません。 だから、買い物は好きですが、ファッションのセンスははっきり言ってかなりひどいです。 学生は自分の住む町でも全く情報にうとく、ある時動物園にパンダがいるという話を聞き、学生に聞いてみたところ、「いません」という返事が返ってきました。 ガセネタかと思い再度確認してみるとやっぱい「いる」とのこと。 再び学生に問いかけてみるとスマホかなんかで調べてみて、「いません」、「いるわけがない」という返事。 しかし、独自に調べてみたところやはりいることが判明。 いろいろ聞いてみると、学生の知り合いには動物園へ行ったことがある学生もいて、パンダもみたという。 だけど、その情報が学生の中で広まるわけでもないらしい。 まあ、こんな調子です。 飲み会
週末に学校にいるからと行って飲み会があるわけでもない。
そもそもアルバイトもせず、割り勘という習慣もないので、どうも行き辛いようです。 彼女や彼氏が欲しいというので、日本式の割り勘でのコンパのやり方を教えて薦めてみましたが、その後やるわけでもありません。 だから酒の飲み方も知らないわけです。 たまに学生とお酒でも飲んでご飯を食べようとしても、学生達はご飯を一心不乱に食べてたりするわけです。 そうした場での食べながらの会話の仕方も知らない。 シーンとしてても気にもならないようで、こちらが気をつかって話題を作ってみたりしなければならないのです。 日本のサークルのように先輩から教えられることもない。 中国には中国の酒の飲み方もあるわけですが、会社勤めしている中国人と酒を飲んでも、彼らは本当にガバガバ飲むだけ。 アルコールの入った飲み物をどれだけ飲んだかが勝負、といった飲み方です。 とにもかくにも、大学生にもなって寮と教室と食堂の往復しかしない学生を見ていると、先が思いやられます。 https://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11491165515.html
[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理
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