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「母親汚辱殺人事件」無期懲役判決に非難殺到
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
警察も裁判所も「侮蔑的違法取り立て黙認」の欺瞞
2017年4月7日(金)
北村 豊
広東省の週刊誌「南方週末」は3月23日付で、同誌記者の“王瑞鋒”が山東省の“冠県”から発信した、『“刺死辱母者(母を辱めた者を刺殺)”』と題する記事を掲載した。冠県は山東省西部の“聊城(りょうじょう)市”の管轄下にあり、河北省と河南省の2省と境を接する人口80万人の小都市である。刺殺事件は冠県の中心から直線で5kmの距離に位置する“冠県工業園(冠県工業団地)”内にある“山東源大工貿有限公司”(以下「源大工貿」)で発生したものだった。王瑞鋒記者が報じた記事の概要は以下の通り。
容赦のない借金取り立て
【1】源大工貿は、社長の“蘇銀霞”が2009年に設立した自動車用ブレーキパッドの生産を主体とする、資本金1億元(約16.5億円)の中小企業である。蘇銀霞は1970年生まれの46歳、1歳年下の夫“於西明”(失踪中)との間に1人息子の“於歓(おかん)”(1995?生まれの21歳)がいる。
【2】不況の影響を受けて、源大工貿の資金繰りが悪化したため、蘇銀霞は高利貸しの“呉学占”から運営資金を借入れた。呉学占は自身が経営する“冠県泰和房地産開発公司(冠県泰和不動産開発会社)”を表看板に、裏で高利貸しを本業としていた。蘇銀霞は呉学占から2014年7月と2015年11月の2度にわたり100万元(約1650万円)と35万元(約580万円)をそれぞれ月利10%の条件で借入れた。蘇銀霞は2016年4月までに184万元(約3000万円)を返済すると同時に、源大工貿の敷地内にある70万元(約1160万円)の価値を持つ建物の所有権を引き渡したが、残りの17万元(約280万円)はどうしても工面できなかった。これに対して、呉学占はならず者を十数人集めて“催債隊(貸金の返金催促チーム)”を組織し、彼らを源大工貿へ差し向けて、蘇銀霞に対する返金の催促と嫌がらせを繰り返していた。以下、催債隊のメンバーを呉学占の「手下」と呼ぶ。
【3】2016年4月13日、蘇銀霞が物を持ち出すためにすでに所有権を引き渡した建物に入ったところ、それを蘇銀霞の行動を監視していた呉学占に見つかった。呉学占は無理やり建物内の便所に蘇銀霞を引きずり込むと、蘇銀霞が見ている前で手下に大便をさせ、大便が湯気を立てている便器の中に蘇銀霞の頭を押し込んだ。そうして、呉学占は暴言を吐きながら蘇銀霞に残金の返済を迫った。この日の午後、蘇銀霞は4回にわたって110番(警察)と聊城市の“市長熱線(市長ホットライン)”に電話を入れて、窮状を訴えた。この結果、源大工貿へ複数の警官が派遣されたが、彼らは蘇銀霞から事情を聴取しただけで帰ろうとした。この時、蘇銀霞は警官と一緒にその場を離れようとして、呉学占に阻止されたが、警官はそれを見て見ぬ振りで立ち去った。
【4】翌14日、呉学占の貸金返済を要求する行動はますますエスカレートした。午前中に蘇銀霞と於歓の2人は呉学占の手下4〜5人によって源大工貿の“財務室(財務部門の部屋)”に押し込められて監禁された。彼らはスマートフォンにポルノ映像を映し、音量を最大にして2人を愚弄した。その後、2人は監禁を解かれて財務室から出ることを許されて自由を得た。午後4時半頃、ナンバープレートが無い車3台が源大工貿の門前に乗り付け、若い女1人を含む10人が車から降りた。彼ら10人が門の外から大声で貸金の返済を要求すると、源大工貿のビルから出て来た蘇銀霞と於歓が門の内側から大声で応酬し、双方は門を挟んで相互に怒鳴り合いを続けたが、怒鳴り疲れて休戦に入り、蘇銀霞と於歓はビルの事務室へ引き上げた。
【5】一方の10人は源大工貿の門前に残留してたむろしていたが、午後7時頃になると、乗って来た車からバーベキューコンロとテーブルを持ち出し、門を越えて源大工貿ビルの玄関前に置き、持参した肉を焼き、酒を飲んで、酒盛りを始めた。この頃、蘇銀霞と於歓の2人は炊事場でゆっくりと夕飯を食べて8時頃に1階の事務室へ戻ったが、この間も呉学占の手下が2人を見張っていた。事態が動いたのは8時過ぎで、“杜志浩”という名の手下が車で源大工貿に到着してからだった。酒盛りに加わった杜志浩は先行していた10人と一しきり飲み食いして楽しんだ後、やおら立ち上がると事務室へ行き、中にいた蘇銀霞と於歓、これに事務室にいた女性職員の“劉暁蘭”を加えた3人に“接待室(応接室)”へ移動するように命じた。3人が応接室へ移った頃、外にいた10人の手下も応接室へ移動し、3人は呉学占の手下11人に取り囲まれた。この時、時計の針は午後9時50分を指していた。
“罵語”を投げつけ、靴を口に
【6】応接室には黒色の1人掛けソファーが隣り合わせで2脚並び、その対面に1脚の2人掛けソファーがあった。蘇銀霞と於歓は1人掛けソファーにそれぞれ座らせられ、劉暁蘭は2人掛けソファーに蘇銀霞と向かい合う形で座らせられた。債権者として債務者に絶対優位に立つ杜志浩は、蘇銀霞に罵詈雑言を浴びせ、「カネがないなら、身体を売れ、1回100元(約1650円)で、俺がお前に80元(約1300円)払ってやる」、「お前の息子に俺をお父さんと呼ばせろ」などと中国人の面子を傷つける“罵語(ののしり言?)”を投げつけた。
【7】言葉だけならまだしも、嵩(かさ)に掛かった杜志浩は、於歓の靴を脱がして、蘇銀霞の口に無理やり押し込んだ。この時、蘇銀霞と於歓はぶるぶると怒りに震えていたが、反抗しようとした於歓は杜志浩に横面を引っぱたかれた。続いて、杜志浩はくわえていたタバコの灰を蘇銀霞の胸元へ故意に落とす嫌がらせを行った。その後、杜志浩は突然何を思ったのか、自分のズボンを押し下げ、片足を蘇銀霞が座るソファーに掛けると、“用極端手段汚辱蘇銀霞(極端な手段で蘇銀霞を侮蔑した)”のだった。杜志浩による母親に対する非道な仕打ちを目の前で見ていた於歓は、怒りに震えて精神的に崩壊寸前にあったと、現場に居合わせて、その一部始終を目撃した劉暁蘭は語っている。
【8】応接室の片側は透明のガラス窓であったから、蘇銀霞、於歓、劉暁蘭の3人が11人の男女に取り囲まれて嫌がらせを受けている様子は外から見て取れた。これを目撃した源大工貿の工員が、於歓の“姑姑(父親の姉妹)”に当たる“於秀栄”に急いで警察へ通報するよう要請したので、於秀栄は密かに源大工貿を抜け出して数百メートル離れた場所にある電話を使って110番へ救援を要請した。こうして、午後10時13分に1台の警察車両が源大工貿に到着し、数人の警官が応接室へ踏み込んだ。しかし、警官たちは室内の11人から「蘇銀霞に対し貸金の返済を要求している」との説明を受けると納得し、「借金取りは良いけど、暴力はだめ」と言い残して、警官たちは22時17分頃に応接室を後にした。
【9】警官たちが応接室に立ち入ってから出てくるまではわずか4分間。警官たちは3人を救出することなく、応接室に置き去りにして、源大工貿から立ち去ろうとしていた。この警官たちのふざけた対応に驚いた於秀栄は、警察車両の前に立ちふさがり、このままでは蘇銀霞の親子が殺されると警官たちに涙ながらに訴え続けた。於秀栄の真剣さに打たれた警官たちが応接室へ戻ろうとした時、応接室の中で事件は発生した。
果物ナイフで4人を死傷
【10】警官たちが事情聴取しただけで応接室から出て行くのを見た於歓は、激しく動揺し、衝動的に立ち上がると外へ走り出ようとした。しかし、於歓は杜志浩たちによって押し止められ、横にあった椅子で身体を押され、後方に置かれていた事務机まで後退を余儀なくされた。事務机に身体を押し付けられた於歓があがく間に、その手が偶然に机の上に置かれていた果物ナイフに当たり、於歓はそれを咄嗟に握りしめた。果物ナイフを持った於歓は手下たちの攻撃を避けようと、「来るな、近づいたら刺すぞ」と叫んだが、於歓を完全に見くびっていた手下たちは、杜志浩を先頭に攻撃して来た。於歓はこれに応戦し、無我夢中で果物ナイフを振り回した。
【11】於歓が気付いた時には果物ナイフは血に染まり、彼の周囲には腹部を刺された杜志浩を含む4人の手下たちが血を流していた。4人が刺されたことを知った手下たちは我先にと応接室から逃げ出し、門前にいた警官たちに事件発生を通報した。22時21分、警官たちは応接室へ引き返し、血染めの果物ナイフを持って茫然としていた於歓を現行犯で逮捕した。一方、刺された4人は仲間の車で“冠県人民医院”へ運ばれて治療を受けた。腹を刺された杜志浩は、運ばれた医院の門前でささいなことで仲間と喧嘩をするほどに元気だったようだが、後に出血性ショックで死亡した。また、残る3人のうちの2人は重傷、1人は軽傷であった。
【12】2016年11月21日、“聊城市人民検察院”は於歓を“故意傷害罪”で起訴し、起訴状を“聊城市中級人民法院(地方裁判所)”へ提出した。同年12月15日、聊城市中級人民法院は、於歓の“故意傷害罪”に関する審理を公開で行った。2か月後の2017年2月17日、聊城市中級人民法院は於歓に対し一審判決を言い渡した。それは、「裁判所は於歓の行為が故意傷害罪を構成すると認定するが、被害者に違法行為が存在し、於歓もありのままに供述していることから、無期懲役に処す」であった。<注>
<注>中国の刑法234条は、他人の身体を故意に傷付けて重傷を負わせた者は3年以上10年以下の懲役刑、死に至らせたり、特別残忍な手段で重傷を負わせて、重大な障害をもたらした者は10年以上の懲役刑、無期懲役あるいは死刑に処すと規定している。於歓の場合は死者1人と重傷2人であるから、本来なら死刑だが、情状を酌量して無期懲役に処すということ。
【13】12月15日に行われた一審の審理では、於歓の犯罪が“故意殺人”か“故意傷害”のいずれを構成するのか、また於歓の行為が正当防衛を構成するかが論議の焦点になった。最終的に判決は“故意傷害”を構成すると認定したが、被告が身体の自由を拘束され、侮辱を受けていたとはいえ、相手が刃物を使用しておらず、於歓も母親も命の危険性は比較的小さかったとして、正当防衛を構成するとは認定しなかった。
【14】死亡した杜志浩の家族を含む原告側と被告側の於歓の双方は、一審判決を不服として“山東省高級人民法院(高等裁判所)”へ上訴した。本事件は正当防衛を構成すると思われ、於歓に対する無期懲役の判決は法の公平さを欠いていると考える。なお、死亡した杜志浩は、2015年9月30日に冠県の“東古城鎮”で14歳の女学生を車で跳ねて死亡させ、逃亡していた。
さて、王瑞鋒記者は上記の記事が南方週末に掲載されたのと同じ3月23日に、自身がSNSの“微信(WeChat)”に持つ公式アカウント「杞人陌桑」を通じて南方週末に掲載されたのと同じ題名の記事を掲載したのだった。その内容は南方週末の記事とほぼ同じだったが、一部だけ異なる箇所があった。それは、上記【7】にある「杜志浩は突然何を思ったのか、自分のズボンを押し下げ、片足を蘇銀霞が座るソファーに掛けると、“用極端手段汚辱蘇銀霞(極端な手段で蘇銀霞を侮辱した)”のだった」という個所であった。
南方週末の編集部は、杜志浩が蘇銀霞に対して行った侮辱行為を赤裸々に報じることを躊躇して、王記者の原稿を婉曲な表現に書き直して掲載した。それを潔しとしない王記者は、敢えて微信を通じて自身のオリジナル原稿を発表したのだ。オリジナル原稿の当該部分には、「杜志浩は自分の生殖器を蘇銀霞の顔にこすりつけてから、それを蘇銀霞の口にくわえさせた」とあった。自分の母親がそれほどまでの屈辱を受けるのを眼前で見ていた於歓はどう思っていただろうか。杜志浩にその行為を止めさせたいと思っても、於歓は手下たちに押さえつけられて身動きできなかった。彼が杜志浩に殺意を抱いたとしても不思議ではない。於歓が杜志浩を果物ナイフで刺したのは、立派に正当防衛を構成する行為と言えるのではないだろうか。
判決文に侮蔑行為の記述なし
しかしながら、2月17日に聊城市中級人民法院が下した一審判決の判決文には、杜志浩を含む呉学占の手下たちが、蘇銀霞と於歓に対して行った一連の侮蔑行為に関する記述は全く無かったのである。その理由は簡単で、呉学占が経営する“冠県泰和房地産開発公司”の住所は「冠県東古城鎮政府所在地」となっていて、彼が運用する資金の出資者は同鎮政府の役人たちという構図なのである。出資者には冠県政府のみならず聊城市政府の役人も含まれている可能性も否定できない。共に助け合う役人の輪には司法の役人も含まれるから、検察も“法院(裁判所)”も原告側に味方して、被告側に有利な事柄は排除する。そこには司法の中立性は存在しない。また、その後、死亡した杜志浩の二番目の兄が“冠県検察院”に勤務していることも判明した。これでは公平な裁判は望むべくもない。
3月23日に南方週末と王瑞鋒記者の「杞人陌桑」が、『“刺死辱母者(母を辱めた者を刺殺)”』の記事を報じると、中国社会の注目を集め、於歓に対する無期懲役の一審判決を不当として、司法の公平性を要求する世論が全国各地で沸き上がった。これに慌てたのは国民の反発を恐れる中央政府と山東省政府であった。3月26日、山東省高級人民法院は、通称「於歓事件」に関する文書を発表し、3月24日付で原告側と被告側の双方から出された控訴を受理したとして、近日中に双方の弁護士から意見聴取を行う旨を表明した。同日、“最高人民検察院(最高検察庁)”は、於歓事件を重視するとして、専門官を山東省へ派遣して山東省検察機関から状況報告を受けると表明した。
世論に押され、覆るか
最高人民検察院が主管する法律サイト“正義網(ネット)”は3月27日付で次のように報じた。すなわち、最高人民検察院は於歓事件を全面的に審査するが、於歓の行為は正当防衛に属し、過剰防衛は故意傷害であるから、法に基づく審査を経て正当防衛と認定されるだろう。また、メディアが指摘している本件執行の課程における警察による職務怠慢並びに汚職行為は法に基づき調査した上で処罰する。
この於歓事件が今後どのように推移し、いかに決着するかは予断を許さないが、恐らく於歓は正当防衛を認められ、無罪あるいは執行猶予付の軽い懲役刑に処せられることになるのではなかろうか。
時事評論家の“江楓”は、『母親を侮辱されたことによる殺人事件の古今対照』と題する評論の中で次のように述べている。
漢代の大儒学者“董仲舒”の6世の孫“董黯”は、母親が“王”という隣人に侮辱されてから病の床に伏し、間もなく病気で亡くなった。董黯は王の母親が高齢であるので、王の母親が亡くなり、葬儀が終わるまで怒りを抑えて耐えた。その後、白日の下で堂々と王の首を切り、母親が侮辱された仇(かたき)を取った。この孝行話を聞いた漢の和帝(79〜105年)は、董黯を罰しなかったばかりか、官職を授けて、その孝行心を褒めたたえた。
於歓は母親が他人に侮辱されるのを眼前で見させられた。於歓が悪党どもをナイフで刺したことは、気骨があり、良識のある人なら、誰もが同じことをしただろう。本事件は警察が違法な高利貸しの後ろ盾となったことに起因するのに、正当防衛も認められず、於歓は無期懲役の判決を受けた。悲しいかな、中国の古代と現代では“孝子(孝行息子)”に対する扱いがいかに異なることか。
このコラムについて
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/040500095/?
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